自分は今
大阪に住んでいて。。。
なので、大阪のいいところを言いますね。
まず、神様のことを
かみさんと
さん付けで呼ぶなれなれしさ。
さらに、
『かみさん、たのんまっせ』
という対等な物言い。
そして、変な奴のことを
ヘンコと呼ぶ、愛情がある。
まあ、天意だとか生命はなんぞや?
と言っても、
いわゆる「お上(おかみ)」のいうことは絶大で
それに従いましょうという雰囲気は
そもそも大阪にはない。
そういう意味では
大阪というのは
精神性が高いのかもしれない。
これは大阪の地ならではの
ところがあって、
それは
『ユーモアがあるところ』
だと思う。
素直さやまじめさも
もちろん必要であるが
『誰に対して』かが生きるうえでの鍵になる。
ドイツ人もまじめな性格です。
日本人も大阪以外が
たいていまじめな人たちです。
じゃあ、大阪人がまじめでないのか?というと
そうではなく
自分に対して「素直」で「まじめ」であるからこそ
ぶれない精神を持つことも容易になる。
まとまらない話になりましたが、
ここでジョークをひとつ。
> ところで、神様って何?
> 観察者って私?
> 私って何?
【犬にとっての神様】
ここの家族はみんなとっても可愛がってくれる。
おいしいご飯もくれるし、散歩にも連れていってくれる。
ここの家族の人たちは神様だ。
【ネコにとっての神様】
ここの家族はみんなとっても可愛がってくれる。
おいしいご飯もくれるし、暖かい寝床も与えてくれる。
私はきっと神様に違いない。
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うーん、これを読んでいる人は
余計混乱してきたかもしれない。。。
まあ、これからの世界は
もっと混乱(世界観の)してくるので
こうした混乱を楽しむぐらいがちょうどいいのかもしれない。
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> ところで、神様って何?
> 観察者って私?
> 私って何?
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外に答えを求めないこと。
何も探そうとしないこと。
自分の本性(ダルマ)を実践すること。
まじめに答えるとすればこんな風になってしまいます。。。
まあ、これじゃあ
私たち高尚な?大阪人には物足りないと
思い、上記のようなジョークを拝借しました。
まじめは疲れます。
まじめに戦争したら
たくさんの人を殺してしまいます。
これはいけない。。。
(といいつつ、アルジュナとクリシュナの会話も
そのときは真実と言える)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
(↑インドの聖書ギータは古事記の挿話と似通った物語がたくさんです。
自称古事記研究者が最近増えていますが、ギータも読んでください。きっといろんな発見あります)
引用すると
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自分の親族や、数十年前彼に弓の扱いを教えた師のドローナチャリヤの前に並ぶ
アルジュナの心は重くなった。
王国の為に親族を殺す事は有益なことなのか彼は悩んだ。
アルジュナは戦の始まる直前の重要な時期に心が躊躇っているため、
クリシュナを頼った。クリシュナは自分が本当は何者かを明かし、
彼の雷の様で、恐ろしく、形容しがたい調和した姿
「ヴィラート・スヴァループ」を明かした。
彼はアルジュナの義務は正義の為に、
犠牲、結果、報酬の心配なしに戦う事であると述べた。
「道徳的義務を遂行することはなによりも
優先する人生における精神的なそして肉体的な仕事である。
最高位の神格、絶対的ブラフマンを認め、
貴方の義務と貴方の「ダルマ」を果たせ。
多くの友人や知り合いの死に苦しんではならない、
彼らは既に罪と悪事の加担により死んでいる。
肉体の死は彼らの病んだ魂をより純粋な平和な世界へ開放するだろう。
そして正義の為にそのような酷い条件と試練を闘うことは
アルジュナへ大いなる平和と邪悪、正義と不実、堕落への神の勝利としての
一生の使命を果たすだろう。」とクリシュナはアルジュナに告げた。
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いろいろ理由があって
アルジュナ王子は親戚たちの軍勢を敵に回し
戦いを挑むことになるのだが
軍勢を前に、ひるんでしまう。
誤解のないように言うと
彼は勇敢な戦士であるが
かつては、というか今も血のつながった兄弟や家族を
敵にして何千人という軍勢を率いているのである。
そして、相手方も数千人の軍勢。
無益な戦いではないか?
苦悩したアルジュナはその戦いを放棄しようとするが
そこでクリシュナは上記のようなことをいうのである。
つまり、それはあなたの戦士としての本性(ダルマ)であり
戦うことは義務であり天意であると伝えたんですね。
なんだか、ワクワク、きらきら
というより、どろどろの苦悩ですよ。
昔のインド人も大変です。
しかし、クリシュナの
一般的な善悪を超えた
真理を繊細に汲み取ってください。
「道徳的義務を遂行することはなによりも優先する、
人生における精神的なそして肉体的な仕事である。
最高位の神格、絶対的ブラフマンを認め、
貴方の義務と貴方の「ダルマ」を果たせ。
多くの友人や知り合いの死に苦しんではならない、
彼らは既に罪と悪事の加担により死んでいる。
肉体の死は彼らの病んだ魂をより純粋な平和な世界へ開放するだろう。
そして正義の為にそのような酷い条件と試練を闘うことは
アルジュナへ大いなる平和と邪悪、正義と不実、堕落への神の勝利としての
一生の使命を果たすだろう。」
一般的に
大阪人がふまじめに映るのは
自分に対して正直でまじめだからかもしれない。
しかしである。
自分に対して正直になる。
自分の本性(ダルマ)を実践するというのは
人によっては身を切る思いをすることにある。
ある種の善悪の概念を超えないといけない
作業も含まれるから。
身近な例でいくと
自分だけ
ワクワク、幸せになっていいのか?
あの人を残して
自分が先に幸せになっていいものか?
というのがそれだ。
まあ
アルジュナの苦悩に比べたら
たいしたことでもないよ、ということです。
まあ、ぼちぼち行きましょう。
大阪人バンザーイ。

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