「愛」なんてものを語ろうとする人がいたら。
駅前で愛について語ってる人がいたら。
私はもれなくその人の後頭部をつかみ顔面に膝蹴りを食らわせ、
倒れた相手の上でツイストを踊るだろう。
「愛」
あーなんていうか
ジョンレノンがオノヨーコとベッドの上で会見してるような
あーよかったねハイハイ!みたいな
愛に対しては 恥ずかしさを超えてうっかり攻撃の気持ちすら湧いてしまう・・・
あーでもねぇ 原田宗典大先生の「新人だった!」を読んで。
ハッとなったことがあったんよね。
先生が 駆け出しのコピーライターだった頃。
その上のチョー偉い師匠は 部下の作品にたいして
「愛が足りないんだよ!愛が!」
とよく怒ることがあったそうな。
なんか、東條のなかの「愛」って
恋愛がものすごい域に達したときにしかいえないもので
「愛してる」 なんてカンジだと思ってたのね。
自分のなかでは「愛」ってすごい大それてて、
彼氏がいても 「愛してる」はすごい聖域で、
「好き」は何回言っても、「愛してる」を
付き合って6年間言わなかったこともあった。ひどいね。
でも 愛って そういう恋愛がらみのものでもなくて
小説にも愛 作品にも愛 掃除にも愛 いも堀りにも愛
写真にも愛
「愛」が適用されたものって やっぱりすごいな なんて思うわけですよ。
たとえば、東條の過去の写真でもね。
カメラマンが 東條のことを 好きでいてくれた場合
写真のあがりって 段違いで 良かったりした。
昔の写真だけど・・この写真は どこに出しても写真選考合格するっていう
魔法の写真があった。 その人は 撮影のあと・・
しばらくして、東條にプロポーズしてくれた人だ。(結婚は、しなかったけどね)
昔、東條の友達のモデルを、二人のカメラマンが取り合った。
カメラマンAの写真は 彼女をそれなりに写し
カメラマンBは 彼女を この世のものとは思えないほど美しく撮った。
彼女は知らなかったが、Aは、二股をかけたりするような人だった。
Bは素人みたいなカメラマン、Aは業界では有名なカメラマン。
カメラマンとしての地位は、Aのほうが何倍も上だったのに、だ。
最終的に、彼女はBを選んだ。
その「愛」は、素人がプロを打ち負かした。恋愛でも、作品でも、だ。
遠い昔に付き合った彼は、いま思えば私を好きではなかった。
一緒に動物園に行って、カバの写真ばかり撮っていた。
彼は 私の写真も申し訳程度に撮り、
その仕上がりが あまりよくなくて
「君って 写真うつり悪いんだねー」なんて 話していた。
後日、あのときの写真できたよー とメールで送ってくれたのは、
ほとんど カバの写真だった。
あのとき、写真のなかのカバは輝いていた。
彼は、私ではなく、カバを愛していたんだ。
っていうか、私のことをそんなに好きじゃなかったね。彼。
話が写真だけになってしまったが、
なんていうか・・
作品にも「愛」 小説にも特に「愛」 銭湯で「愛」
化粧にも「愛」 (めちゃくちゃなこと言えば 遊びの恋にだって「愛」
が適用されるかも知れない。)書類作成に「愛」、安全点検に「愛」、
運転に「愛」、仕事に「愛」
すべてのものに愛
人間は結局動物だもの、小手先じゃだめだよ、愛は伝わる。
最近 満員電車に乗る機会が多かったのだが、
あれも、しばらくやってると、目で会話できるようになるのね。
「このひとじゃまだなあ」とか そういうレベルじゃなくてさ
このまえ すっごい具合悪そうな女の人がいて
声には出さないけど 視線で
「だいじょうぶ?」というカンジで送ってみたら
「だいじょうぶ」って小さくうなづいたもん。その人。マジで。
愛・・・・(ちなみに東條の母はクリスチャン)

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