今日の一曲。Spankers - Sex On The Beach
ああ、一ヶ月更新してない!
今日は濃ゆい日記(長いよ)色んなことがありました。
この週末は、ボディーボードしてきました。

今日の湘南は波が荒かったあああああん
あ、前の板は前彼の家だ。もう捨てたかな。
捨ててないなら捨て〜て〜く〜れ〜(寺尾聡)
ピンボケ!
※ちなみに・・ツレの友達は一般人なので(←オマエもだよ)画像の公開はナシでごわす。
波乗りの瞬間を撮りたかったのですが
カメラが防水でなかったため、
波に乗った!・・・あとの浅瀬漂着のところしか撮れず
ただのドザエモンにしか見えない画像集に
じつは湘南のサーフビレッジまで30分くらいの位置に住んでます
ついさっきまで家にいました系
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湘南の週末は超晴れ。
ああ、昔・・このへんのラブホに泊まったなあ。
女子二人で。

マチガイは起こりそうで起こらなかった
一緒に泊まった彼女は高校の同級生だった。一緒に出かけるほど
仲良くなったのは社会人になってからだ。
高2のある授業中、担任が彼女を呼びに来て、彼女は泣き出してカバンを持って
帰ってしまった。
そのときは事情を知らなかったのだが、彼氏が死んでしまったのだ。
高校、大学、社会人となって、この人だ、という彼氏もできて
心の整理もついた彼女は、亡くなったモトカレの遺品を海に流しに行くことにした。(違法投棄)
その彼氏も顔だけは知ってたからなぁ。
その彼は大学生で、私が女子友達とマックでボエーとしてたとき、
彼女と二人してこれ見よがしに隣に座ってきて
「お前ら会話が地味」とかよくわかんないツッコミをされてたなあ。
いまでいうちょっとB系風味なオシャレ彼で、自殺するっていうのが
想像つかなかった。
湘南の夜も更けて、海に遺品を流す彼女だった。
彼女も泣き出し、私もつられて・・泣き出し・・
彼女「ごめんねOOくん、私たちもう東京に帰るから」
私「
もう帰れねえんだよ」(←終電逃した)
この後・・サーファーっぽい二人連れにナンパされ「どうしても東京へ戻りたいんだ」と伝えると
「藤沢からなら国鉄が出てると思うけど・・・」
国鉄!?
はっと顔みたら地元のおじいさんだったとか
(サーファーに見えたのは単に汚かったから)
プチハプニングに遭いつつ、二人ラブホへ。
(実は彼女と三回くらい泊まった経験が)
部屋も満室だったのに、終電逃した事情を聞いてくれて・・
フロントのおばちゃんが融通きかせて
一部屋空けてくれた。
翌朝、帰るとき。
「あなたたち東京?」と聞かれた。
はい、そうです、というと
「ああ、やっぱりそうでしょう!二人とも、
すごい美人さんだねぇ(←ここ太字)ってみんなで話してたのよ!」
と言われたのだけど・・・・
私たちが、顔を合わせた人は・・入るときと出るとき、
フロントにいたこのおばちゃんだけ。
みんなで話してたって何だろう。
いや、いいんですよ私は。慎ましやかにシャワって
おとなしくAVなど見ながら彼女と二人寝たわけで。
彼女は風呂から上がって上半身裸で
胸などぼんよぼんよさせながら、キャーキャー跳ねてたわけです。
傷が深いのは圧倒的に彼女のほうなわけで。
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Shirayuri, is BURNING!
我が母校、白百合女子大学が大変なことになっているようです。(週刊新潮より)
学校がというより、学長とか、同窓会長とか、副会長とか、そのへんがなにやら
内紛なカンジのようです。
オイラは実家を出ているので、同窓の友人から聞いたのですが。
ある日、内部告発的な手紙が卒業生全員に送られたようです。
で、その後週刊誌に出たり、非難された側も「それは違うんだ」的な手紙を
卒業生全員に送ったりしているようです。
友人曰く「結構怖いカンジの手紙だったよ」
どーでもいいですがうち、母も白百合です。
白百合からのお知らせ的なものは、母と私にきっちり同じものが届くのですが、
実家に戻れば、合計4通もそのまがまがしい手紙が・・・
余談ですが、この事件について母と話したとき、
「ある一箇所」がひっかかるのよ、と言ってました。
私も「同じところ」に違和感を感じてました。
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ちなみにうちは、一族・・女子は基本的にみな白百合なのですね。
私だけだね、下からじゃない(大学から入った)のは。
祖母も白百合です。そのころは白百合という名前ではなく
仏英和高等女学院と言ったそうです。
祖母はフランス語を研究していたそうです。
(母→国文 俺→国文)
卒業のとき、頑張って卒論を書いていた私に(血尿まで出たよ)
「私の卒論なんてチョー優秀だったわよ!オホホホホ」
と母。
その期間中に、まさに白百合から「おまえらの卒論を学校で保管しきれなくなったから送るわね」と母の卒論が家に送りつけられてきました。
ッチッ
母が舌打ちしたのを私は見逃しませんでした。
私の外出を見計らって裏庭で燃やしていました。
母娘二代で白百合、というのは結構いるみたいなんだけど、母娘三代、というのはかなり珍しいそうです。
私が在学していたころの話だと・・
開校以来、母娘三代白百合というのは・・
うちのほかに一軒しかなかったようです。
(しかしそちらの孫は下からみたい)
白百合も・・今はいろんな人がいると思う。
昭和初期とか・・昔の生徒は・・家柄のよろすぃ方は本当によくて、
歴代総理の奥さんの中にも白百合卒がいたり、
みなさまセレブなマダムになっているようです(うちは普通)
母は同窓会の招待状が届くたびに
「同窓会に参加できるっていうのはね!みんな超ゴージャスなところにお嫁に行って、幸せに暮らしてるからなのよ!!舞踏会のような豪華なパーティが繰り広げられてるに違いないのよ!!きっとみんな着物とか作ったりして!!私なんか行けたもんじゃないのよおおおおぅ!」
と二十年くらい愚痴り続けていたので、大学三年くらいのころ、
「じゃ・・・・・・・行ってみる?」と総同窓パーティーみたいなのに行くことになりました。
母は金持ちの家に飼われたトイプードルみたいなゴールド系のふかふかのいでたちで。
私は・・・母の素敵すぎるセンスによる・・・この日のために某三越で用意してもらった・・
玉虫色に光る紫のパンツスーツでした。(←拒否れよ
会場についたら・・母の世代の卒業生は・・上下五年分くらい誰一人いませんでした。
私と母だけが会場で玉虫とゴールドの鈍い光をペカペカと放っていました。
母「思ったよりみんな幸せじゃないのね・・」(←そうとは限らない)
パーティーも、人生の勝利者マダムな人々がオホホホ・・
という雰囲気ではありませんでした。
みな比較的質素な装いで、可愛らしいパッチワーク展のパーティ、
と言ってもいい和やかな雰囲気でした。
このままではナンなので、そばにいたおひとりさまマダムの集団にむりやり母をねじこんでお友達になってもらいました。
母の奇矯な性格にも臆すことなく、彼女たちは仲間に入れてくれました。
マダムたちのお嬢さんも偶然、私と同じ年で
白百合の三年に在学中だったり、
聖心に在学中だったりでした。
母「最近の若い子も雰囲気が変わりましたねえ、
下着も見えそうなくらいジーンズを切ってはいたりねぇ」
マダム「えっ!そ、そうですか・・・・?」
話が噛み合ってないよお母さん・・
日本画家の方や、やっぱりセレブなマダムたちでした
そのときのマダムたちからはいまだに年賀状が届く。あのときはありがとうございました。
今日の日記は二個更新。もう一個あるよ↓

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