今回、休暇を使って岐阜の各所を訪れ、600v区間なき後の地域の状況をみていきたいと思う。また、今後の再生に関わることができれば幸いだ。
4/18(月)、まず、朝の穂積駅に向かった。名古屋方面からも多くの通勤客がこの駅を下車したが、それもそのはず。先日岐阜高専訪問後に遭遇した穂積大野線のバス集団の正体は松下関連の工場への通勤目的のバスであるからだ。
地元の人も多くはJR穂積駅から名古屋へ向かうという。その多くは車を使って、または送ってもらって、といった具合だ。北は旧谷汲村(現揖斐川町)から大野町や本巣市、北方町など輸送改善されたJR穂積駅へ向かうため、路面電車は媒体として使われなかったという問題があった。おそらくバス化されてもそれほど変わらないのではないか。
ただ、今回新設された路線は車を使わざるを得なかった人々がバスに転換してくれるよう配慮された路線でもある。特に観光バスを使って全席着席を誘導させることで利用者の安心感も与える戦略も見えかくれする。
しかし、地元向けの本数が少ない割に穂積からの松下通勤者への本数が多いことからも言えるように、単に地元への配慮だけではなく、固定客の確保を見込んだ戦略がある点は否めない。
松下関連の会社だが、結構大きな駐車場に多くの車が止まっていた。
その大半は岐阜ナンバーだが、尾張小牧や名古屋ナンバーもあった。となりに学校があるが、その大きさに匹敵する面積はある。その松下の工場の門前に「相羽東」バス停がある。そこから西にずっと歩くと名鉄の「線路」があり、すぐ南側に「相羽駅」があった。ただ、当然ながら今は工事柵で入れないようになっており、駅名板もない。後の黒野も同じ状況だ。
ただ、歩いていると少々惜しい気もする。名鉄もそのような需要を生かす努力がなぜできなかったのか?という疑問点も残る。駅の立地からしても松下関連会社の従業員をお客様にするぞ、という意識が感じられない。
http://panasonic.co.jp/ped/company/cc_02/japan/a6_7_9.html
上がその松下関連の会社のHPだが、HPには「穂積からタクシーで20分」とされている。実際にはそれよりも若干時間がかかった。実は私もこれには意外に感じたが、北方町付近や国道303号線(国道157号線重複区間含む)が渋滞していたのだ。流れはそれほど滞りなく進んではいたが、信号のないところで右折する車が1台でもあったらその場所から長い列が出来るのだろうなと思うと、今後が心配な場所であるのも事実だ。やはり、穂積までもしくは岐阜までの車利用車のための渋滞なのか。
名鉄線「旧黒野駅」はパネルで封鎖され、営業終了の看板が立てられていた。レールはバリケードで踏切道の外に立ち入れないようになっていた。遮断機や警報機は黒ビニル袋で覆われ、駅の
郵便ポストが白ビニル袋で覆われていた。どうやら、鉄道営業終了と共に廃止となったようだ。
「旧黒野駅」にはかつての砂利貨車の留置線があった場所に駐車場が出来、月極等でP&Rを誘致していたものの、終了後はロープで封鎖され、使えないようになっていた。
ところが、かつて2001年の10月に廃止となった黒野以西や黒野以北の区間がレールは残っていたのだ。ただ、大野町内の一部であるが。谷汲線跡は黒野西口の「ホーム」も屋根はないが健在である。ただ、踏切が無くなって鋪装されている以外は。
実は、1年半前に本揖斐に訪れたことがあったが、その時には駅舎はあるけどレールもホームもない??な状態だった。今ではその駅舎も撤去されて寂しさをかもし出している。
11時13分。大野バスセンターから新岐阜行のバスを乗り、その後、中途でリバーサイドモールで乗り換え、政田忠節線に。8人程の乗客のうちリバーサイドで降りたのは2人。政田忠節線へは俺一人(!)しかいなかった。
さすがに11時台と昼間であったことから比較的スムーズに進むことが出来た。尻毛橋や西郷地区からの合流も影響なく進んでいった。
西野町から新岐阜まで歩いた。道をみて思ったのが路駐の多さである。あと、軌道を避けて通る車の列。スムーズではあるが渋滞していたのが印象的だった。
路駐の車を避けるために軌道内をかする姿。この光景は600v「在りし時」でもよく見かけたが・・・。仮に再生するにしても、このような状況が起る限り、再度”撤退”になりかねない。このような路駐問題に関しても”再生”させるのであれば市等とともに戦略を組む必要はあろう。
その案については後日紹介していきたい。
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続きは後日。

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