とりあえず、のブログ

正直いろいろありましたが,どうするか不明です。的なブログです。

 
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今週は月曜・火曜とブログを仮病で休み、水曜日に記事を書いております。(^^
先週拾われた赤ちゃん、いったいどういう運命が待っているんでしょう。
随分髪の毛も伸びて元気そうで、目がくりっとしてて可愛いいぃっ。
千代様ったら「わが子として育てます〓」ですって。名前はまんま、拾(ひろい)クン。
いいんですかね、そんな安直な名前で。
1580年、北条氏政は家督を次男である氏直に譲り、若い氏直をサポートしていった。それから8年後、上洛して臣従するよう求めてきた秀吉に対し、拒否の態度を示したため、1590年、秀吉による小田原攻めが始まった。北条氏は篭城を続けたが、評定ばかりを続けたために士気が...
秀吉は長期戦に備え、小田原城を見下ろす位置、標高262mの石垣山山頂に城を築くことを計画。樹木で隠しながら石積みの城を約80日で完成させた。
城ができると、小田原からの視界を遮っていた樹木を伐採し、まるで一夜でできたような城が出現した。
これは北条氏に圧力を...
1589年11月、秀吉は臣従を拒否する小田原の北条氏に宣戦布告した。
翌月12月に聚楽第で秀吉、家康、前田利家、上杉景勝と小田原攻めの作戦会議を開く。その結果、街道の混雑を避けるため、一度に大軍を移動せず、東海道方面は第一陣の家康軍が翌年1590年2月に出発、その...

第34回「聚楽第行幸」(8月27日放送) ●公式サイト

「2006限定〜今週の一豊さん」は毎月曜日に更新予定。週末に予定が入った場合は遅れることもあります。


秀吉は自分の威光を天下に知らしめるため、後陽成天皇を聚楽第に招くことに。
行幸は大成功。茶々もま...
今回は、茶々(淀君)の懐妊、出産、そして女の戦いかと思ったのですが、あまり激しくなかったですね。
棄丸(鶴松)を産んで淀君の株が一気にあがりました。やはり戦国時代は男子出産は大きい話なんですね。
 
 
さて、今回は脇役かと思いきや、主役夫婦も...
第三十四回「聚楽第行幸」 秀吉は一豊に、秀長の役割を考えていたのかもしれない?
 
 昨日(8月27日)は、豊橋美術博物館で開催された『造形集団海洋堂の軌跡』展の最終日でしたので、買い残していたフィギュアを求めて再度見に行ってきました。10日ほど前の地元報道で、入場者が1万人を突破し、美術博物館関係者が「こんなに盛況になるとは思っていな...
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