文芸賞・NPO光と風の当面の活動予定  震災後のまちづくり NPO光と風
 
 第3回文芸賞の報告も終わり第4回に向けて活動を始めました。

     当面の活動予定

6月 6日(木)防災教室 志木市民生委員様 55名
6月 9日(日)防災教室 千葉県防災ボランティア第6ブロック様 30名
6月23日(日)旭いいおか文芸賞作品集発行記念・郷土の詩人高橋順子講話
         第4回文芸賞募集の発表  県立東部図書館3F PM13:15より
6月24日(月)紙芝居 旭市中央小学校AM9:30より
7月 1日 天保水滸伝史跡巡り研修バスツアー
7月12日(金)NPO光と風定例総会 
8月 1日(木)防災教室 千葉教育センター様 30名
8月 8日(木)千葉科学大学教員免許更新講習会
9月 1日(日)第4回文芸賞応募受付開始
9月      紙芝居 福祉センター予定
10月30日(水)講演・紙芝居 生涯大学東総学園
11月 2日(土)紙芝居 多古町文化協会
11月 3日(日)展示・紙芝居 旭文化祭

       6月23日旭いいおか文芸賞作品集発行記念・郷土の詩人高橋順子講話
      
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尾上大介さんアルジャジーラの取材  震災後のまちづくり NPO光と風
  平成から令和へ移るこの時期は世界各地からも関心が集中しているようだ。被災地「いいおか」にカタールのドーハにあるテレビ局アルジャジーラが取材に入った。
 4月22日3,11で被災を受け4月16日天皇・皇后陛下が飯岡地区へ訪れた際、陛下よりお言葉をかけて頂いた一人に本町の尾上大助がいた。このことを復興かわら版で知ったアルジャジーラの浅倉さんから取材を受けた。
 浅倉さんによると今回は天皇の退位に当たり日本の人たちのその思いや感情などをぜひとも聞きたいと3,11被災地の飯岡地区にしたという。4月30日にアルジャジーラは世界の130国局に報道するとのこと。日本には報道する方法がないのでネット見ることになる。詳細は090-8747-5684渡邉まで
            井上大助さん
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            撮影で当時の衣装をした井上さん
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復興かわら版56号  いいおか津波復興かわら版
    復興かわら版56号を発行しました。
 第3回文芸賞の報告などやっと終えて56号を発行しました。「私の3,11」では近くに住む鈴木博さんから話を聞くことができました。時化でない限り私の前を通り波止先で釣りを楽しんでいましたが最近は歳のせいか少なくなりました。
 飯岡歴史民俗資料館が先々廃止する予定もありそこに展示されている「飯岡助五郎」の資料について何とか保存出来ないか!と考え、3月3日には「幕末の飯岡を学ぶ会」を開催したり「天保水滸伝外伝 助五郎と飯岡大漁節」の紙芝居を作り劇団「ふく」として上演して来ました。 
 7月の初めには「天保水滸伝の史跡めぐり」のバスツアーを計画しています。関係者との協議が整い次第お知らせします。
 記事には「天皇陛下在位30年記念式典、宮中茶会への招待」を掲載しました。これは東日本大震災の復興分野で特に貢献のあった物としてNPO光と風の活動が復興庁、宮内庁から評価され特別参列者に招待されたものと思っています。これに代表の渡邉が出席し3月3日に関係者に報告
させて頂きました。

          かわら版56号表面
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          かわら版56号裏面
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          在位30年記念式典・宮中茶会の記念品
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銚子芸術村のこけら落とし  震災後のまちづくり NPO光と風
   「地域交流センター・銚子芸術村」の発足
 平成25年3月末に廃校になった銚子八中が去る4月1日から「地域交流センター・銚子芸術村」としてオープンした。この銚子八中は旧飯岡町に隣接する銚子市の旧豊岡でにあった。私が経営する海辺里から車で5分という近隣で先生方には食事で利用頂いていたこともあって7日の夜桜の会に出向きました。
  
            見事な桜
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            音楽ライブ・夜店・グルメ

       

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飯岡助五郎−1笹川繁蔵首洗の井戸と飯岡大漁節  千葉の海・風土・生業・
     笹川繁蔵の首洗の井戸「飯岡山不動院定慶寺縁起」
 予てより常慶寺境内に笹川繁蔵の首洗の井戸があったという話を聞いていた。墓参りの度に何処かなと探して見たが某の井戸らしきものは無かった。
 先ごろ寺に出向きことの経緯を説明し笹川繁蔵の首洗の井戸について住職から直に話を聞くことが出来た。住職は古びたチラシを探し出して話をしたのが笹川繁蔵の首洗の井戸「飯岡山不動院定慶寺縁起」であった。
 それによると昭和30年代の初め頃までは首洗の井戸があり、観光客にこのチラシを配っていた。そのうちに訪れる人も少なくなりいつの間にか井戸も埋められてしまったようだ。掘り起こせばありますと当時の場所を案内して頂いた。
       常慶寺境内「笹川繁蔵の首塚」    
      
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  笹川繁蔵の首洗の井戸があったという道路脇の三角形のところ
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  笹川繁蔵の首洗の井戸「飯岡山不動院定慶寺縁起  
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この定慶寺縁起は字は小さく読みにくい。笹川繁蔵の最後のところを引用すると弘化4年7月4日夜半飯岡方の堺屋与助、三浦屋孫次郎、成田の甚蔵の3名が計画し繁蔵が女房お豊の実家へ行く途中びやく橋田浦に於いて襲撃、胴体は利根川に流し首は飯岡へ持ち帰った。
 3人は繁蔵の首を砂子寮(現在の常慶寺)の井戸にて洗い清め、助五郎が之を手厚く取扱い砂子寮の小高き場所に埋葬、乾分達には大切な客分の墓故香華を絶やさぬ様にと申し渡したのであると書かれている。

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