2009/5/25

プロの条件?・・・  月曜:ちょっと舞台裏


この前、これからミュージシャンを目指そうとしている若い人達と話す機会があった。
やっと社会人になるかならないかの境目にいる彼等。
そこでこんな話が聞こえてきた。

「プロの条件とは?」

もちろんミュージシャンとしてのお話だ。
まぁ、その年齢の頃はこの世界に興味を持つ者なら誰でも頭の中を過ぎった言葉だ。

おかしなもので、この国には専業ライセンスのような明確なものがない。
音楽の仕事で生活をしていてもライセンスは必要ないのだから本当に不思議だ。
外国から来る人達には厳しいのに、ね。

これは、この国に著作権を全うに語れる人がいないのと似ていて、法律を作っても誰が何の根拠をもってそれを著作物として認可するのかが明確でなく、「これ僕のモノ」とか「これはあたしのもの。肖像権あり!」と主張すればそれが認められてしまう構造になっている。価値とか権利とか、もうまったく根拠がボロボロ。国民総著作権者の国と言っても過言ではない。

ようするに、著作物であるか否かの判断基準が曖昧なんだ。

こんな状況だから若い彼等が「プロの条件とは?」と躍起になるのも無理は無い。
ライセンスがあれば、それを取得した瞬間から「君は今からプロフェッショナル。おめでとう!がんばれよ。」みたいな区切りも生まれ、それを取得するために日夜切磋琢磨するハズだ。

仕組みは自動車の運転免許証と同じで、プロのミュージシャンを目指す人も音楽学校や教室での「到達地点」が明確になって良いと思う。場合によっては更新制でも良いかもしれない。

要するに、それを誰が何を基準にして「認可するか」が面倒なだけ・・・。

こういう事は昔の内に制定しておけば何でもない事だったはず。
今さら・・・という時間の経過を誰も責めることは出来ない。

ただ、今ミュージシャンの世界は崩壊一歩手前の状況。
ライセンスのような明確な資格を若い人達に与えないと十年先には「プロ」と意識出来るチャンスも自由に演奏する場所も無くなってしまうかもしれない・・・多聞に若い彼等を取り巻く大人が悪いのだけど。。


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僕も彼等と同じように「この事」は気になった時期があった。

高校時代からジャズをやりたくて音楽学校に通ったのだけど、そこでは誰もジャズについて教えてくれない。クラシックの学校だから当たり前で、楽器の基礎が勉強できればいいと思っていた。

ジャズがやりたけりゃ、そこで自力でやればいいさ!というとっても“前向き”な志向と性格。そのまま大学になると専攻している科(クラシック)とは別の科(ポピュラー)から声が掛かり、街で活躍するミュージシャンの人と一緒にライブ演奏する機会に恵まれてジャズを自力で取得する手掛かりが出来た。

それから1年もしない内に毎週テレビの生放送で演奏する“仕事”も入るようになって、もう気持ちはプロだった。

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学生時代毎週土曜日に演奏していたテレビでの仕事(テレビ岡山)。演奏でギャラを稼ぐスタートだった。

この頃思っていたのは・・・・

「演奏してギャラを頂くのがプロ」

当たり前の事ですが、学生とはいえ生活するにはお金が必要。そのお金を演奏で得ているのだからこういう「プロ」という意識が芽生えたのでしょう。平日学生、週末プロという「セミプロ」意識のまま卒業です。

そうそう、この「セミプロ」という表現も微妙です。
何に対して「セミ」なのか?「メイン」と呼べないのはなぜ?・・・

卒業後は上京だけど、いきなり東京で稼ぐのは無理。
そこで生活の為の演奏と自分の為の演奏という二つの職場を持つ事になるのです。

生活の為の演奏とは、定期的、または毎晩演奏して月額でまとまったギャラを頂く仕事。
昼間のパーティーギグからホテルのラウンジなどの“ハコ”まで様々。
但し、仕事を選ぶ時に一つだけ条件があった。

「トラを入れられる事。トラの回数には制限が無い事」

これだけは崩せない条件。
ライブが入るとサッサとトラを入れる生活。

自分が「主」と考える演奏の場と「副」と考える演奏の場。
駆け出しの頃は「副」の収益で「主」を維持する形が徐々に逆転しやがて「主」だけに。

その頃思っていたのは・・・

「どうやらプロになれたような気がする・・・・」

ライセンスが無いからこればかりは自分が自覚するしかない。

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そうこうする内に、今度は「主」としていたものがいくつかに分かれて行く事になる。

僕の場合は3つ。
ライブ演奏、スタジオ制作、後進指導。

呼ばれればどこへでも行く。
出来ない、という言葉は吐かない。
希望されれば誰でも教える。

二十代前半の頃だ。
若いからこんな無謀なポリシーでやっていた(笑)。

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この時に思っていたのは・・・
「自分の才能を何にでも直結できるのがプロだ」

やがてオリジナルの作曲も始め、演奏するものは殆どオリジナルになった。
また、その頃(1980年代前半)から周りもオリジナル曲ばかり演奏するミュージシャンが集まるようになった。

この頃に思っていたのは・・・
「オリジナリティーがないのはプロじゃない」と。

やがてバークリー留学、そして帰国と一旦リセットして1990年代から始まった生活意識で今日に。

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冒頭の若い彼等の言うプロの条件・・・・

「演奏でメシを喰っているのがプロ。それ以外はプロじゃない。」

なるほど。
単刀直入。

しかし、そういう意識は僕がこの世界に入るか入らないかの頃の話だ。
今の時代、バンドマンが巷に溢れるような時代でもない。
ポップス系のバックバンドが全国行脚で毎度半月ツアーに出たら帰って来ないような時代でもない。
もうそういう時代ではないし、それが戻って来るような時代でもない。

少なくとも、ココに少し書いた、その時々の僕の心理から次の時代が読み取れるんじゃないかな?

悪い言い方をすれば、楽器を演奏して手っ取り早く稼ぐタイプの仕事が無くなったという事。
言い方を代えれば、最初は誰かに誘われて・・・風の「副」的な入口を経ないで最初から「主」だけで生きて行かなければならなくなった事。

ちょっとやってみてから考えよう・・・な〜んて時間も暇も与えられない時代になったという事かな?
悲しいかな、入口がその後の全てを決定するような風潮があるから入口を間違えると大変だ。
昔は曖昧だったプロ、セミプロ、アマチュアという領域に明確な線引きがされているようだ。
その代わりに「ライセンス」が無いから何をしてプロとなったのかは益々謎に・・・

と、言っても図式はそんなに変わっていない。
昔バンドマンが生活の「副」として演奏していた場所が今は「学校」。演奏が指導に変わっただけというのも変だが実際にはそうなっている。
「トラが効く」かどうかは別として休講の多い先生は昔気質のミュージシャン間違いなし、だ!(笑)。

なんという事はない。
まだ「日銭」で喰えて行けたポピュラーの世界が存在していた頃から、クラシックの世界ではもうこのスタイルが当たり前になっていた。
学校の先生が1年に一度リサイタルを開催するのと同じような時代になりつつある。
っと言ってもそれが100%悪いわけでも、プロ不在の世の中になったとも言えない摩訶不思議な時代。
毎年々々音大や音楽学校が卒業生を輩出するのだから巷は演奏者で溢れる。

その反面、街の状況も変わっている。
昔で言えばBGMの生演奏を流していたスナックやバーが、今ではライブハウスと名乗っている所が意外と多い。
BGM時代は毎晩ちゃんとギャラを支払ってプロを雇っていたが、ライブハウスと名乗ってからは出演者に演奏の場所を提供しているからギャラが安いならまだしも、出演者にいろんなノルマを課したりして上前をハネようとしている。おまけに酷い店になると客からもわけのわからない店流のシステムを押し付けてお金を巻き上げようとするから困ったものだ。

こんな環境じゃプロが育つわけがない。
若い人達が最初から「音楽じゃメシ喰えないし・・」と悲痛になってしまう。
これはみんなが考えなけりゃいけない事。

そこでミュージシャンのライセンス制度の必要性が浮かび上がってくる。
ライセンスを持つ者を演奏で雇う場合は最低限のギャラが保障される。
プロだものね。そのかわり演奏技術や内容はそれに相応しいものでなければならない。
厳しくなるという事だ。毎回の演奏に対して。
合わせてそこで演奏される著作物に関しても「包括請求」なんて曖昧な方式を改めてもらう事になる。

本当に一番良い姿を考えたら、今よりも厳しい世界にはなるだろうけど、育つものは確実に育つ。
育つというのは将来の展望を持った若い人が生きて行ける、生活して行ける、という事だ。

野放しのままだと、本当に「趣味の世界」で終わってしまう。


今の時代、プロの条件とは何か?

依頼があれば(演奏のダブルブッキングでない限り)いつでも演奏現場に来れる人。

現実的なことを書けば、源泉上で音楽事務所に所属した場合の給与を除いて、「主」とする演奏等音楽関連の報酬所得が「副」とされる給与所得よりも多い人、という言い方も出来る、か。

まぁ、最初のうちの源泉はともかく、自分で仕事の優先順位を決定する権限を有して(維持して)いる事と、必ずそれが音楽・演奏を第一位にある者の事をプロ、という見解でいいのではないでしょうか。

演奏内容や精神論、モチベーションは問わず、実行力のある人間。
責任の持てないことはやらない、やるからには全責任を自分が負えるという事だね。

その土台が無ければいつの時代でもプロとは呼べない事だけは確か。
それなりにいつの時代もミュージシャンには辛いものです。
そこのキミ! 悲観することなかれ。
必ずその時代とマッチングした生き方があるから。

やりたいと思う事を如何に継続するか?
やりたいと思う事にどれだけの賛同者を得られるか?

継続する方法にプロとアマの分かれ目があるのだと思う。


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チェキラ!



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