2006/6/20

アーケードで繋がる伊達藩と松平藩  火曜:街ぶら・街ネタ

中央線に乗っていて市ヶ谷の掘の向こう側に見える“タイヤ突進会”というのが妙に気になる今日このごろ

街は観察の宝庫。

アーケード街。最近は郊外型のショッピングモールに押され気味の所も多いけど、この創意工夫の繁華街に興味は尽きない。

元々商店の並ぶ通りに共有する屋根を付けたのは絵画でも有名なミラノのガエリア辺りが発祥ではないかと思うのだけど、日本流のアーケード発祥は九州の小倉。小さな商店が軒を並べる通りにステンレス製の屋根を付けて「銀天街」の名称で誕生し成功の噂は瞬く間に全国へ届き普及した。詳しくは5月30日のブログに。

アメリカ等では大きな商業ビルを街中や郊外に建設し複層階仕様の“モール”が主流で、均一区画、トータルデザインの器を作りテナント収入により運営する組織型商業施設が中心。軒先だけを共有運営し各店舗は代々続く個人商店が主体となった日本やイタリアと構造が違うのが面白い。そう言えばイタリアと日本は気質が似ていると言われますね。

アーケード街があれば当然そこに「アーケード」が建設されている訳で、全国をウロウロすると似たものに出会う事があります。

人呼んで「姉妹アーケード」(勝手にですけど)


宮城県の仙台市。初めて訪れたのは80年代の事。仙台市は人口103万人の東北きっての都市。その中心地を歩いていた僕は「あれれ?」と驚くと同時に「郷愁」を覚えてしまった。

仙台市の中心は定禅寺通りから南町通りにかけて続く一番町商店街。ここの「サンモール一番町」のアーケードに入った時の事。一番町商店街は大きく分けると三つの区画とデザインに分かれていて一番北の「一番町4丁目商店街」は通り全体を覆うアーケードは無くサイドのみ、真ん中の「ぶらんどーむ一番町」はかなり高層のアーケードが独特、そして一番南側に「サンモール一番町」がある。

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仙台・サンモール一番町アーケード (photo by asuka)

通り全体を覆うドーム式アーケード。実は僕の実家(愛媛・松山)近くのアーケードとそっくりなのだ。

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松山・大街道アーケード


ちょっと調べてみたらこのアーケードやはり「姉妹アーケード」と言っても良い間柄だった。

仙台の一番町商店街と松山の大街道(おおかいどう)商店街は似た経緯で今日に至っている。

・共に二車線の道路に沿って古くから商店が並び50年代半ばには歩道部分にアーケードが出来ていた。

・幾度かの改修を重ねながらアーケードはトータルデザイン化。

・共に70年代に入ると週末は商店街の道路から車を閉め出して「歩行者天国」を実施していた。

80年代に入りアーケードの大規模改修の必要性が浮上、82年11月に松山の大街道は全日車両通行禁止の歩行者専用道路となり通り全体を覆うアーケードに改築。天気の良い日は中央部ドーム部がスイッチ操作で開閉する日本初の開閉式ドーム型アーケードだった。

このアーケードが評判となり同時期に大改修を迫られていた各地の商店街からの見学が続き、その中で一番最初に同じシステムを取り入れたのが仙台のサンモール一番町商店街だった。


松平藩(松山)と伊達藩(仙台)を結ぶ不思議な縁です。


松山市は人口52万人で仙台市の半分ですが、南と北の気候風土の違う街で突然見慣れたアーケードが飛び出して来ると知ってる人はとにかく驚きます。

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「仙台・サンモール一番町」 (photo by asuka)
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仙台のモデルとなった「松山・大街道」。柱や照明、樹木のレイアウトがまったく同じ


経年によって細部は改修されていますが、柱など主要な構造は同じ材質が使われているので「姉妹」である事が一目瞭然。

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仙台サンモール一番町 (photo by asuka)
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松山・大街道

街の規模こそ違うものの、共に活況には共通する環境があるようです。

・JRの駅から徒歩20分という「非・駅依存型」商店街

仙台は地下鉄、松山は市電で結ばれている。仙台の場合は鉄道が敷かれる遥か以前から賑わう街があった為鉄道が市街地中心部に入れなかった。松山の場合は関西の街と同じ形成で私鉄が国鉄(現・JR)よりも先に開業していた為国鉄は中心部から外れた位置に駅を作らざるを得なかった。

・商店街が百貨店との共存を軸として発展した

仙台は「三越」「藤崎一番町館」「藤崎本館」が三つの各アーケード内にある。またブランドショップ等を中心に個性的な店が並ぶ。

松山は大街道入口の「三越」「ラフォーレ」からアーケードで繋がる銀天街入口の「高島屋」間を行き来する人の流れが多い。両出口は市電で結ばれ片道市電利用も多い。
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交差点の中央には5方面を結ぶ市電の電停がある(松山・大街道)


一昔前に比べるとアーケード街は人が減ったと言われますが個性を出して頑張ってほしい。近年仙台は「ぶらんどーむ一番町」を中心に高級ブランド化が進みApple storeなど注目される個性的なショップが増え人気です。

ちなみに松山・大街道の入口の通り名は「一番町通り」。これまた不思議な縁で一番町育ちとしては妙に仙台に親近感があります

最後に仙台近況フォトを送ってくれたasukaちゃんありがとう!

おしまい

2006/6/19

招かれざる・・・  月曜:ちょっと舞台裏

本日は舞台裏のお話し

何処にでも状況がよくわかってないでソコにいる人っていますね
自分の知ってる世界ならそんな事はありませんが、よく知らないシキタリの場所へ行けば自分だって「招かれざる客」になる可能性はあります。

まだ駆出しの頃は(ミュージシャンなら誰しも)とにかく人前で演奏する事に夢中で、何処ででも、誰とでも、どんな状況でも、何時間でも演奏するのに夢中です。例えばお店からパーティーか何かで「軽〜く演奏流しててよ」と言われた仕事があるとしましょう。「軽〜く」という言葉の意味がわかってない頃ですから喜び勇んで「ホイホイ」と引き受けます。どんな選曲で、こんな風に、とか考える内に、ど〜んどん重たいプログラムになって行きます。ライブもパーティーも本番には変わりなく頭の中は区別してるつもりでもブレーキが効いていません。だからコテコテの状態でそのまま演奏に突入(笑)。
演奏してる側は夢中ですからその場の空気など全然読めていません。バンド全員が若かったりするとますます状況はややっこしくなります。なんせ全員のブレーキが“甘い”んですから。これではステージと客席の間に越えるに越えられない溝を作っているようなもんです。だから、、、、演奏時間が経てば経つほどその溝は深くなって行きます。演奏する側は「ココの客はちっとも音楽を聴きゃーしない」と不愉快になり(←お前が間違っているのだ!)、客席は「何だかうるさいバンドねえ。会話も聞き取れないわ」と不愉快になる。と、お互いに攻防戦に入りどんどん演奏と会話のヴォリュームが上がり収拾がつかなくなる。
「軽〜く演奏」出来るようになるまで顔洗って出直してらっしゃい!(笑)
今思えば恥ずかしい限りだ。。。。

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今度は「軽〜く演奏」する所じゃないライブハウスの1コマ。大半は演奏を聴きに来ているお客さんだが、時には「たまたま状況を知らずに入った」お客さんもいる。普段ライブをやってないお店とかだと「そんな状況」を知らせてあげない限りわからないもの。また、お店のポリシーが客に浸透してない場合も。

Aさんのバンドに加わりまだ間もない頃の事。客席はほぼ満席の盛況。ステージに近い客席はAさんのファンで固められて視線が「熱い」。ヴィブラフォンはだいだいステージの真中にセットされるので新顔の僕は好奇の目にさらされるわけだ。一回目のセットでこのヴィブラフォンの男が何者であるかを理解してくれて客席とも友好的な空気が生まれ“ホッ”。休憩時間にいろんな人から声を掛けられ話しも弾む。
そんな雰囲気の中で二回目がスタート。休憩中に後ろの方の客席は人が入れ替わったようだった。何曲か演奏が進んだ頃に、ちょっと後ろの席が騒がしいなあ、、と思った。アルコールが入って声が大きくなっているんだろう、程度に思っていた。静かな曲が始まっても一向にその後ろの席の会話は止まらない。ううん、、、どうやら「招かれざる客の集団」のようだ。ステージ側の客も雑音にイライラしているのがわかる。短めにその静かな曲は終わる。と、そこでAさんが突然予定の曲を変更して、もっと静かな曲をコール。「え〜、この状況でやるの〜」と少々僕は困惑気味。するとAさんは究極なピアニシモで演奏を始める。困惑気味の僕もそれに続く。Aさんの指示で益々ピアニシシモの演奏に。まだ雑音は途切れない・・・。
するとAさんはさらにピアニシシシシシシシシシ・・もういいか、シシモで演奏する。この頃になって僕はAさんの意図がわかって来た、とステージ側の客席の人達はもう既に承知していて笑っている。
ホールのスタッフがくだんの席に注意を促したようだ。
その曲が終わったら場内大喝采。
もちろんある席を除いてだけどね

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あるジャズ喫茶のマスターAさんのお話し。
昼間の時間帯はジャズをやや小さめに流している。と、言っても普通の喫茶店よりは音は大きい。ジャズ喫茶ながら会話はOK、喫茶店の代わりに気軽に使ってほしいという意図から。もちろんランチだってある。
ある午後の事。
店内も空いた時間帯にキャリアバリバリの女性組が 
オーダーを運んで一休みしていたところ、バイトの女の子にキャリバリ組がなにやらクレーム。
マスターのところへ来て「あのお客さんが音楽がうるさくて打合せが出来ないから音量を下げて下さいと・・・・」
マスター、「わかった」と一言。

ステレオのアンプの前に立ち、、、




プツッ????





音楽を消してしまった





もちろん店内は・・・・・







無音





シ〜ン




さすがのキャリバリ組もこれには気まずい空気を察知
そそくさと退却・・・

マスター曰く
「もうちょっと商売が上手かったら、、、といつも後悔してるんです」(笑)


僕らはそういう店好きですよ
貴方が信念を貫き通すからそこに行く価値があるんです。がんばれ!

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自分も招かれざる客になってる事ってあるだろうなァ。。
っま、いいっか


おしまい

2006/6/18

ジャズ喫茶の思い出  日記

今の時代にあったら面白いと思うもの




それは






ネット完備のジャズ喫茶





以前出先で時々使っていたネットカフェ。次第に「漫画喫茶」が頼りとなった時代もあった。
そこで流れていた音楽の大半が、、、なんとジャズ!
時代や環境が変わっても「ジャズ」と「漫画」の関係は見事に残っている。

殆どの人が「ジャズ喫茶」って知らないと思うのですが、こんな感じ。

入り口は大半が「威圧感」のある作り。
ドアを開けると薄暗い店内。
だいたい大音響で音楽が流れているので慌ててドアを閉めようと動揺する。
真夏のピーカンの中を歩いて来てドアを開けたりすると一瞬真っ暗で何も見えない事もしばしば。

店員は殆ど「いらっしゃいませ」とは言わず無言で客を迎える。

暗い店内に目をシバシバさせながら見渡すと結構席は埋まってたりする。が、みな息を潜めている。

席を見つけて座ると音もなく寄り添う店員。店員の耳元でオーダーを告げる。了解の復唱も何もなく消える店員。

大音量で鳴り響く音楽。
客の会話は皆無。

目を閉じて聞いている客(その半分は寝てたりするけど)、レポートか何かを書いてる客(出筆中のライターだったりするけど)、漫画をひたすら読んでる客(一番多い)、みな大音量のなかで勝手気ままに過ごしている。

突然、そろ〜りとオーダーが運ばれレシートがコップの水滴で濡れてテーブルにへばり付いてたりする。

目をこらして店内をみると、大音量の先は壁一面が木目調のスピーカー「パラゴン」だったりする。違っても「JBL」というロゴが付いてるスピーカーが大半。

カウンター側の向こうの壁一面がレコード(LP)だったりする。


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実家練習室に保管されているLP ジャズ喫茶はこれの何十倍もある



違う面を見ると壁一面が「漫画」や「雑誌」だったりする。

1〜2時間、大音量に浸ったらレシートを手にレジへ向かう。
料金を払って出る時、店員に軽い会釈でお見送りされる。

ドアを開けると、、、、、、日常に巻き込まれつつ平常心に戻る。


ざっとこんな感じ。


こう説明すると、今の「漫画喫茶」と共通するものがある。

暗い照明の代わりがパテーションで区切られたブース、そこで漫画を読む客、ネットをする客、寝てる客、、、、、
じゃあ、一軒くらい試しに大音量でジャズを流し照明を席毎のスポットに替え、カウンター席を新たに設けて、昔流のジャズ喫茶的マスターを配置した店が出来たら面白そう。
あの大音量って、意外と慣れると集中出来たり熟睡出来たりする人って多いんじゃないだろうか。ライブハウスやクラブで「寝る」事は出来ないが、そんな大音量の中で「寝ることも出来る」ってのが売り。
いわば、第三者的(客観的)なトランス状態。

そう、ジャズ喫茶って、今のトランス状態をコーヒー一杯で誰でも何時でも体験出来た場所なのかもしれない、、、、って、最近思ったりするんですよ。
しかも真昼間でも出来る、ヒーリングならぬ非ヒーリング・スペース。
30分ちょこっと仕事の休憩時間に、、、なんてね。ストレス解消にいいかも

本と言えば、、、
漫画はあまり読まなかったが、ジャズ喫茶で見掛けた本を書店で買ったりした事も。
ジャズ雑誌っていくつも増えてはいつの間にか消えてたりを繰り返していた。
その頃買った雑誌が残っていたのでパチリ

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左から「音楽専科」(70年5月号)
「JAZZ」(76年12月号)
「ジャズランド」(76年3月号)

「音楽専科」はジャズに限らずポピュラーからクラシックまで平等な情報が得られた。「JAZZ」はアドリブのコピー譜を掲載したビギナー・ミュージシャン向けで今日のジャズライフの前身的内容、「ジャズランド」は特集を軸にCDレビューやオーディオなどスイングジャーナルと重なる内容ながらコンテンポラリージャズを中心に個性を出していた。

活字はジャズを聴き始めの頃の貴重なバイブルだった気がする。若い世代が育たないと文化は消えてしまうと思う。

いまどきのジャズ喫茶、いいんじゃないかなァ、、、と街を歩きながら思った今日このごろ。
全国に残っているジャズ喫茶のみなさんインターネットを導入してアナログとデジタルを融合させてみませんか〜〜!

おしまい

2006/6/17

アナログな頃  日記

昨夜日付けも変わった直後にドラマーTさんの店に立ち寄った 
Tさんは写真を趣味としていて腕前は一級だ。往年に来日した有名ジャズメンのパネルもある。
話しはカメラから最近のプリント機器周辺の話へ

今は何でもデジタルで質の良いプリンターがあるので助かるという。パネルを作る時に使う黒い台紙など、昔は画材屋に注文すればいつでも手に入ったが今は年に一度しか出回らないそうだ パネルを作るのも年次計画を立てなきゃならない時代なんですねぇ。
僕はこういう他の業界の話しを聞くのが好きである

Tさんの尊敬するカメラマンの方は家に業務用のでっかいプリンターを持っているそうな。これもデジタル。デジタルだからこそ個人でも所有できるわけです。曰く、アナログで撮った写真をデジタルでプリントすると昔では考えられないほど高画質で印刷されるらしい。だから写真の世界でもアナログとデジタルが上手く共存しているとの事。

考えれば音楽も同じで、スタジオで録音するとコンソールのテープ又はデジタルトラックに記録されるわけです。ここまではまだテープはアナログだけど、この後の作業は全てデジタル機器を使っている。
再生するのもデジタル機器だから今の世の中の98%くらいはデジタル音が再生されているわけだ。
テレビの電波までもうすぐデジタル化される。。。

21世紀になって20世紀に描いた未来図とは随分アナログな都市の景観だけど、目に見えない部分はもう20世紀とは確実に違っている

20世紀に描いた未来図では、もう車は空を飛び回らなきゃおかしいハズなんだけど、国民全てにIDナンバーが付けられてるハズなんだけど、宇宙旅行は家族連れで行けるハズなんだけど。。。。。

どうも世界は表面の事よりも内面の細かい部分で急速に21世紀化が進んでいるようだ。

そう言えば、、、アナログな頃にいつも側にあった物って?

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レコードのターンテーブル

これが無ければ音楽が聴けなかった。ぐるぐる回るターンテーブル。先日ジャズ喫茶で見かけて思わずカメラに撮る時代になるとは。。。。



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月刊誌

月に一度のお楽しみをワクワクしながら待っていた。これはスイングジャーナル。小学生は写真を見るだけで普段レコードの音からしかイメージできない演奏者の様々な事を知りたいが為に買っていた。写したのは実家の本棚にあるスイングジャーナル1968年12月号。最初に買った記念すべきジャズ本で、しかも表紙は若き日の師匠ゲイリー・バートン。偶然とは恐ろしい。。。
ヴィブラフォンの共鳴管(パイプ)に御注目 

イラストが描かれている。氏のアトランティック時代のアルバム『GOOD VIBES』(国内販売:グラモフォン)の表紙にも使われていたが後に供給先がパイオ二アに代わると別の写真に差し替えられた“謎”付き。

今では情報と言うと月刊誌よりも週刊誌、週刊誌よりもネット。
記事は「本」、情報は「ネット」、と完全に分化された。
ホームページも10年前は月イチ更新だったが、徐々にハイペース更新、そして随時更新のブログ

デジタルの中でもそういう進化があるから面白い。


しかし、いくら随時と言っても、、、


まさか、、ブログ半日更新、、、、いや、毎時更新な〜んて時代は、、、、こないよね

アナログな時代からは考えられない驚異のスピード化ですよ。
21世紀って、、宇宙旅行してる場合じゃないのかも。。。
でも、アナログな時代はいっぱい“謎”があったよね。
ううん、、、、謎だァ。。。

さっきのスイングジャーナル68年12月号の目次・・
・1968内外ジャズ界を総決算する
・来日するゲイリー・バートンへの期待
・JCOA その成果をドキュメントする
・ジャズ コンポーザーズ オーケストラの野心的な演奏は
 ヨーロッパ前衛ジャズの方向を感じさせたりしておもしろかった
・芸術としての複合録音 その歴史と可能性

目次をみるだけで、やっぱり今よりも“謎”めいていてドキドキするのは僕だけだろうか。。。?

おしまい

2006/6/16

大は小を兼ねる?・・・・・・マレット再考  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。金曜第十三回目の今日はマレット加工のお話しです

近年マレットは材質が安定した物が少なくなりつつあり、ヴィブラフォンを演奏する上で少し余計なストレスを感じるようになりました。
気に入ったメーカー(海外)が出来ても、入荷する度にフィールが微妙に変わり、昔からサイトで多い個々の問い合わせに対して「これがお薦め!」と言い切れなくなっています。

一つには材料となる良質の籐(ラタン)が世界的に品薄となっていることもありますが、メーカーのポリシー(ユーザーの意見を過度に聞き過ぎる)が揺らいでいる節も感じられます。

これはコレ    あれはアレ

マレットに限らずどのような商品でも「メーカー」「ブランド」というポリシーを貫き通してほしいなァ。

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これにアレも、、、とか あれにコレも、、とか、一つの商品があまりにもオプショナルな要求を受け入れると本来の良さは消え失せてしまい「どこにでもある平凡なもの」になってしまいます。命を脅かす物でない限り、ユーザーの選択肢が揺らがない商品であってほしい。

これにアレは通用せんゾ  あれにコレは必要ないゾ

そんな商品ばかり氾濫してしまうと、物品に対する「愛着」という一番堅実な購買意欲が失せてしまうよね。
テレビのリモコン一つ見ても、我が家で一生押さないボタンがどれだけ付いている事か(笑)

さて本題


「大は小を兼ねる」という言葉があります。
最近までマレットには無用の言葉だと思っていましたが、どうやら事情は変わりつつあるようです。

近年のマレットは全般的にハンドルの部分が長くなりつつあります。マリンバに於いては以前からこの傾向があり、理由は単純で「楽器の音域が広がったから」です。特に低音域側の広がりは大きく、一番の原因は鍵盤の広幅化でしょう。楽器のメカニズムでは必然的な結果ですが、そうなると演奏者は腕を延長する訳にも行かず、おのずと「道具」(マレット)が長くなるという、ごく自然な現象です。

昨日の午後のレッスンの合間にA木嬢(スティーブンス・グリップ)とN崎嬢(バートン・グリップ)と雑談していた時にこの事をぶつけてみました。

「A木さんは“その”マレット長いと思わない?」
「そうですねえ、内側の2本がどうしても飛び出して使い辛いですねえ」
(Sグリップは内側のマレットを手のひらに押し当てて持つのです)
「N崎さんは?」
「そんなに不自由じゃないけどたしかに手元が邪魔ですね」

A木嬢は「木」のVCS三代目モデル、N崎嬢は「籐」のVC二代目モデルを使っている。僕も同じメーカーながら「籐」の最も初期のVCSモデルを使っている。年次の見分け方は簡単でこのメーカーはハンドルの部分に硬さ毎に色分けされたカラーシールが貼ってある。初期のものはカラーシールのみ、二代目はシールに型番が印刷され、最新の三代目ではハンドルの部分に金色のラベルが追加された。


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僕が使っている初期モデルは他に比べるとややヘッドが大きくハンドルは表面がツルツル、二代目は少しヘッドが小さくなりハンドルはやや太い、三代目はヘッドもハンドルも妙に軽い。同じメーカーながら、まったく違うフィールになってしまった。

恐らく、これは推測だけど、初期モデルは試作的要素が強くその分他のメーカーとの違いが強調されていた。二代目は量産タイプながら籐の調達に苦労した跡が見られる。三代目は当初の籐の調達を諦め乾燥した材質に変更しマレット全体のバランスも見直した。
ううん。。。。良くなったのか悪くなったのか、、、個人の好みにもよるが、少なくとも同じモデルとは呼べなくなった。
A木嬢の使う「木」のモデルを試してみる必要がありそうだ。

さて、そのような材質による影響と相まって、ハンドルの長さの問題。
これはもう自分で加工するしかないでしょう。

「大は小を兼ねる」

つまり今のマレットは「長は短を兼ねて」いるのです。
先日購入した三代目VCSの2タイプ(3と4)を1.5センチ短くしました。


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この三代目は「軽く」なりすぎているのでヘッドが鍵盤をヒットした衝撃が綺麗に分散されていません(それによって100%鍵盤を鳴らしきれない)でしたから、ハンドルを少し短くする事でヘッドに力が集約されて問題が緩和されました。ちなみにハンドルの基準は(個人差はありますが)36センチ前後。
少なくともヴィブラフォンを演奏する上ではこれ以上の長さは必要ないと思っています。


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A木嬢に「じゃあ1.5センチ程度加工したら?」と言うと、、

「え〜、だって〜、え〜、なんだか勇気いりますよねぇ〜、え〜、どーしよう〜〜」

まだ加工には抵抗がある人が多いのもわかります。

そのままで悩んでいる人に再度


今は「大は小を兼ねる」時代、かもしれませんよ。

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おしまい

2006/6/15

やはりこの人は凄かった・・・・Pat Metheny(g)  木曜:Jazz & Classic Library

JAZZのアルバムは最良のBGMだと思う。何かやりながら聴き流せるもの、気に触る事のないスムーズな流れがある事、そして最初はよくわからない、けど、ついつい聴いているもの。そんな中に、ある日突然自分の感性とミュージシャンの感性が一致して忘れられないアルバムになる事があります。だからジャズは面白い。

先月末から今月上旬までジャズ界の話題を独占したヴィブラフォンのゲイリー氏の日本公演。数限りないサイトやブログで取り上げられ最終公演(東京)に行った弟子A木嬢の話しでは
最初からスタンディング・オベーションという異例の盛上がり

この盛上がりは何と言ってもサイドメンで参加したパット・メセニーへの注目度でしょう。知る限りでパットが日本のライブハウスで演奏したのは80年代に中野にあった「いもハウス」(隣の中野サンプラザでの公演で弾き足りなかったようで突如来店してセッション)以来かも。

さて、そんな話題沸騰のゲイリー・バートン・クァルテット、僕はその公演中日を聴きました。パット・フリークでなくとも今回のパット氏の演奏は素晴らしかった。楽屋に師匠(ゲイリー氏)を訪ねたら毎晩ステージ毎にレパートリーを入替えながらやっていると言ってたので、いい意味でリラックスしたクラブギグを本人達が一番楽しんでいたようです。バンドをまとめて行く時によく使う方法なんです。

で、今夜はパット氏のアルバム

紹介するのはコレ
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『QUARTET/Pat Metheny Group』(Geffen/1996年録音)

振り返ると僕のパット・メセニー歴も随分と長くなったものです。まだパット氏がバートン氏のバンドに在籍していた1974年の作品『Ring/Gary Burton』(ECM)が最初で、その直前にパット氏非参加(その代わりに巨匠ラルフ・タウナー/gを連れて来た)のバートン・クァルテットを大阪サンケイホールで見たばかりでした。「Ring」の冒頭5/4拍子の“Mevlevia”で流れるステレオコーラスの効いたアルペジオが正に初メセニー・サウンド、高校2年の時です。それからECMバートンクインテットの傑作『Dreams So Real/ 同 』(ECM/1975年録音)、そして今回の公演でもフィーチャーされていた『Passengers』。その後パット氏はゲイリー氏のプロデュースにより独立し今日へのストーリーが始まるのですが、(ヴィブラフォンをやっているなら当然かもしれないけど)次にパット氏の演奏を耳にしたのはしばらくブランクがあって東京に出てきた80年になります。

この頃、同世代のミュージシャンの間でもパット・メセニーの名前が飛び交うようになり、当時テレビのコマーシャルにまでパット氏は出てましたから、僕が知らない内に物凄いブームになっていたのでした。
久し振りに買って聴いたパット氏のアルバムは「Pat Metheny Group」(ECM/78年)。この中の“思い出のサン・ロレンツォ”や“フェイズダンス”がテレビCMで流れてくるのですから、
そりゃもうびっくりしました

当時は世を上げてのFusionブーム。どのバンドからも「ウッチン・タッチン」という規則正しいリズムが聞こえ、四角いサウンドにちょっと食傷気味だったところへパット・メセニー・グループ(以下PMGと略)の緩いリズム(ジャズ的という意味です)と新しいサウンド(ハーモニーと曲の構成)が自分にストライクでした。
ジャズの中のFusionと言う観点から言えばPMGはウェーザーリポート以来のコンセプシャルなバンドだと思います。

以降PMGには『American Garage』(ECM/79年)から渡米時代よく聴いた『Still Life(Talking)』(Geffen/87年)、帰国直後の『Letter From Home』(Geffen/89年)に至るまで大きな影響を受けました。この頃までがPMGの一番充実していた時期のように思います。
しばらく振りに買った『We Live Here』(Geffen/95年)も良かったのですが、やはり初期のメロディックな二作、PMGのコンセプトが明確になった『Offramp』(ECM/81年)から『Letter From〜』までの5作の充実振りに比べると少し外れる気がしました。

そんな時に突然発売されたのが、今夜御紹介している『QUARTET』

最初数回聞き流してそのまま何年もストックに入れたままにしていたんです。少なくとも8年は聴いていません。僕の中ではまだ80年代のPMG熱が冷めやらぬ時期だったのでしょう。

それが、先日のバートン・クァルテットでのメセニー氏の演奏を見ながら「ああ、このラフで心地よい緊張感、どっかで聴いたなぁ、、何だっケ」
リーダーとして、そしてPMGとしてのメセニー氏の生はこれまで何度も見て来ました。それはどれもが素晴らしくコンセプシャルでオーガナイズされて観る者の期待を上回る興奮を必ず約束されたものでした。
しかし、今回、初めてサイドメンとしてのメセニー氏の演奏を観て、改めてこの人は一人のギタリストとして凄い人だと思いました。
リーダーのコンセプトから絶対に外れない中できっちりと自分を出す、これが出来るミュージシャンは世界広しと言えどもそう居るわけじゃないのです。昔バートン氏が最も敬愛するミュージシャンとしてメセニー氏の名前を上げていた理由がよくわかりました。音楽はシンプルに快適にドライヴし、30年振りなどという時間を感じさせない本当に素晴らしいジャズでした。

そんな今回のパット氏の印象に一番近いと思うこのアルバム。PMGとは言え4人だけで、しかもいつもの大掛かりな舞台装置の無いサウンド。ある意味ではPMGの過渡期? いえいえ、そんな事はない、舞台装置を外したシンプルな中でやっている事はPMGの母体そのもの。そして何よりもそれは自分達で作るジャズ。

何気ない部分、それがジャズミュージシャンの全てなのかもしれませんね

この中で一番好きな曲は、5曲目のSeven Days。ほんとうに何気ない


おしまい

2006/6/14

ソイソース・スリーアミーゴ!?  水曜:これは好物!

お〜〜っと 何やら我が家のキッチンスタジアムでゴソゴソと物音がするようであります
ニッポンはWC杯初戦惨敗とやや不穏な先行きではありますが、こちらは至って平穏、健全、整理整頓であります。

お〜〜っと、その静けさを物ともせずキッチンスタジアムに何やら駆け上がりサムライ・ブルーの心痛の戦士達にエールを贈ろうとでも言うのか〜〜、スリー・アミーゴ

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それぞれの国や都市には独特の「香り」があるものです。例えばアメリカのどの都市でも日本人なら最初に気付く地下のスチーム管から発する独特の「鉄の温まった香り」。例えば韓国に行こうと韓国の飛行機会社の便に乗ったとたんに気付く「どこからともなく漂うキムチの香り」。それらの香りは「あ、ここはもう日本じゃないな」と思わせてくれるものです。ストリートを歩いていても、エレベータに乗っても、その土地で暮らす人にはわからない旅人だけが感じる「漂う香り」なのです。空気中の酸素と等しく、そこではそれが当たり前に発散されている、、そんな国独特の香りを感じなくなった時、初めて旅人はソコの住人になるのです。

さて、日本はどうなのかと言えば、やはり全体的に「醤油」の香る国。京都へ行こうが東京に居ようが、デパートへ行こうが、電車に乗ろうが、辺り一体は「醤油」の香りに包まれています。「そんな事ないですよー、ここは日本で一番お洒落でトレンドな場所なんですから」
いえいえ、それでも香ってるんです。前から日本に来た外人が「ソイ・ソースの香りがする」と言っていたのが信じられなかったのですが、留学中一時帰国した時にそれが初めてわかりました。それと同じように留学先の国の香りはすっかり感じなくなっていたのですから人間の順応性って面白いです
今では街を歩いてもまったく醤油なんて香りませんから不思議なものです。

さて、そんな日本の基本的香り(?)の醤油。
この最近のお気に入りが昨夜のブログでも書いた埼玉県の川越にあります。

まずはこの醤油と出会った一目惚れの君

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『金笛(キンプエ) 減塩醤油』(笛木醤油製)

実はこの醤油の虜になったのは“美味しいカラ揚げ”が食べたいと思った事から。カラ揚げというとそれまでは「カラ揚げ粉」を使ったり自分で作ったりして「衣」にあれこれと凝った調理をやっていました。しかし、本当に旨いのは何も手を加えずに作る調理。そこで「片栗粉」と「醤油」と「油」だけで作る調理法を入手。すると味の決め手は「醤油」だけになりますね。そこでいろんな「醤油」を試してみるようになり、行き着いたのがこの「金笛 減塩醤油」。

さぁさぁ、お立ち会い。我が家特製の作り方は実に簡単ですよ。

(1)一口サイズに切った鳥もも肉全体が浸る程度ボウルに「金笛減塩醤油」をはって
約25秒もも肉を浸します(30秒以上浸さないのかコツ)。

(2)25秒経ったらもも肉を取り出し醤油を軽く絞って落とす
(絞りすぎて肉汁を出さないように)。

(3)素早く片栗粉をまぶす。
まんべんなく丁寧に。そして余計な片栗粉を軽く払って、いざ油へ。

(4)最初は中火程度で「揚がる」音が「チリチリ」と聞こえたら
一つ取り出して火の通りを確認。
問題なければ強火にし、表面がほどよい色になればサッと取り出し、
油を切って出来上り  

カボスやレモンをさっとかけて召し上がれ

あ、そこの川越の人、今から出掛けても「金笛」閉まってますよ

この調理法だと味付けにごまかしが効かないので「醤油」は「良い物」を選びたくなるわけです。そんな贅沢じゃない素材の醤油だから普段買わないあちこちの醤油を試した結果、我が家で意見が一致したのがこの「金笛減塩醤油」。

おおっと〜〜、次に登場は新顔の

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「金笛 たまごかけご飯のタレ」(笛木醤油製)

たまごかけご飯って旅行とかで旅館や和風ホテルの部屋食や、ホテルの朝食バイキングなどで、ついついソソラレる物があって食べてしまいます。昨年頃から市販で「たまごかけご飯のタレ(叉は素)」が人気だそうです。我が家は(と、言うよりも僕が)朝食を食べないので朝の楽しみとは行かないのですが、あるとちょっとした副菜などに使えそうな味です。
もちろん「たまごかけご飯」する人にはお薦め。

おおおお、、っと、ここで遂に真打の登場か

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「金笛 再仕込み生醤油 一番搾り」(笛木醤油製)

今回の川越訪問の目的の一つはコレ
「金笛 減塩醤油」は最近全国のデパート、近所のスーパーにもお目見えしてかなりポピュラーになりましたが、この「生醤油 一番搾り」はまだほとんど出回っていません。これがまた、旨いんだな
元々食は関西圏育ちですから「濃い」のは苦手です。しかしその味覚をしてこの「生醤油」はイカしてる。生醤油は火加熱処理をしない醤油ですからごまかしが効きませんね。
刺身OK、焼き魚OK、とにかく素材の旨味をスッキリと引き立てる名脇役。凄いの一言。脱帽です。

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三つならんだ我が家の金笛ソイソース・スリーアミ〜ゴ

今夜も賑やかな食卓をお約束します

笛木醤油・川越店ホームページ

あ、そこのボストンの人、スターマーケットには売ってませんから今度帰国した時の楽しみに

おしまい

2006/6/13

小江戸リピーター  火曜:街ぶら・街ネタ

埼玉県の西部、都内だと池袋からの東武東上線(約30分)か新宿からの西武新宿線(約50分)の距離にある川越市。以前池袋と川越の間に住んでいた事もあって馴染みの街である。
みなさんは焼き芋のキャッチコピーで「栗よりうまい十三里」というのを御存知だろうか。「いも〜、焼きいも〜、おいし〜い焼き芋はいかがですか〜」ってエンドレステープが流れる移動販売の車に赤い小旗が掲げてあって、そこにこのキャッチコピーがあるんですが、この「十三里」というのが江戸から川越までの距離なんだそうな
いわゆる旧街道の宿場町として栄え、近辺で採れる農作物を江戸に運んでいた中に川越の芋があり、たいそう旨いとの事からこのキャッチコピーが生まれたらしいのです。
勉強になりますねぇ。。

この街は首都圏の衛星都市の中でも数少ない昔からの市街地を持つ独立した街。どうしても新興住宅地ばかりで個性に欠ける衛星都市の中では独特の個性を持った街です。なので最初に訪れた時はびっくりしました。

「ホントに30分の通勤圏?」

東武東上線の駅は「川越」(JRも同居)、西武新宿線の駅は「本川越」と一つの街に二つの「メイン・ステーション」を持つというのも例外的で大都市を除けば全国でも数少ないレイアウト。駅というのは街の中心と位置付けられ大半が国鉄(現JR)の駅に私鉄の駅が統合された歴史がありますが、それが互いに競う形で場所も離れた位置にあるのは競争原理の仕組みから独自の文化を持つ街であるケースが多いのです。多数のターミナル(拠点)を持つ札幌・仙台・東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・福岡を除くと全国の中小都市で現在もその形が存続しているのは比較的古くから栄えた街以外にはないのです。

そんな歴史的な街の形をしている川越市ですから生活の街の顔と観光の街の顔があります。両駅から続く商店街を歩くとその先にはこんな光景が広がります。


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「蔵の街」としてこの地区は保存されつつ生活と密着した商店が並びます

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名産「川越芋」を扱う店もあれば喫茶店、画廊、豆腐屋から飲屋まで多種多様

豆腐屋の角から脇道を見上げると・・・

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川越観光のランドマークになってる「時の鐘」

今回川越を訪れた目的は・・・・

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金笛醤油(笛木醤油直売所)」埼玉県川越市幸町10-5

ハハハッ、またまた食べ物関係ですね

いや、ここの醤油が美味しくて、最近デパートやスーパー等でも「金笛減塩醤油」を見掛ける事が増えましたが、やはりまだ流通に乗せない店頭限定のものが多いのです。今回購入したのはここの「生醤油」。刺身や焼きなどの魚と相性がよくお気に入りなのです。スッキリした後味は魚が摩訶不思議な魚名になっていても「旨いな〜」と思わせてくれる優れもの。お薦め。

そして川越に来ると必ず寄る店、もうブログでも紹介しましたが、やはり「栗より旨い十三里」と双璧の歴史のある鰻の名店“小川菊”(おがぎく)。川越は浦和と並んで“蒲焼き”発祥の地でもあるんです。

店に入って若大将に御挨拶。「駐車場がいっぱいだったから店の前に車置いたけどダイジョブ?」「あ、例のアレからうるさいんですよ。すぐそこに商店街の駐車場がありますんでそちらに」「ったく、野暮だね〜、じゃ入れてきますよ」

いつものように「うざく」「うまき」「うな重」をオーダー。ジャズ好きの若大将だからあれこれ言わずにお任せで安心。

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そろそろ夏場に向けたタレでスッキリに深みを増した絶品。自家製漬け物との相性も素晴らしい。
そうそう重箱の蓋ですが、開けたら脇に放置してませんか?重箱には元々「足」が付いてますが、蓋を下に敷いて重箱を重ねるのが正しい使い方なんです。そうすると食べる時に口元に近付いた分食べやすくなるんですよ。江戸時代からの知恵だそうです。

勉強になりますね

実はそれ、この店に通うようになって若女将さんに教えてもらったのでした。受け売り(笑)。不作法なジャズメンはいろんなところで教えを乞うのでした。
人生日々学習ですね

さぁ、これで満足。若大将に挨拶して帰路に付く前に「小川菊」の建物をパチリ
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『小川菊』埼玉県川越市仲町3-22

木造三階の由緒正しい趣ある建物。意外と正面に立たないとわからないのです。建築基準法とかありますが、こういう建物は残してほしいですね。二階は座敷で以前川越のジャズコンサートの時に接待されて利用した事があります。

と、夕暮れの風景を撮っていると、「あ、駐車券をどうぞ」って絶妙のタイミングでアルバイト嬢が(笑)。
「あ、それね、いらないと思うよ」
「え?」
「だってさっき車入れた時、管理人のおじちゃんが“お、小川菊さんかい。あそこは旨いな。行っといで、え、俺はもう帰るから、勝手に出てっていいよ”だって」(笑)
「●●時閉門って書いてますけど・・」
「“い〜んだよ。ゆっくり喰ってくりゃ〜さぁ。大丈夫開けとくからよ”だって」(笑)


僕はそんな小江戸(川越の俗称)のリピーターである



おしまい

2006/6/12

ところでマリンバは・・・?  月曜:ちょっと舞台裏

ヴィブラフォンをやっていると「じゃ、マリンバもお得意なんですね」と言われる事がありますが、ううん・・・時々演奏すると「凄く楽しい楽器」なんですが、実際に演奏活動となると学生の頃から躊躇していました。

何をかって

トレモロが苦手とか(まぁ、ちょっと疲れますがそんな事はありません)、音域が広いので疲れるとか(ペダルが無いので足元は自由奔放、全然問題なしよ)。

じゃな〜ぁに?

と問われるとですねぇ、、、え〜、



誠に不謹慎ながら・・・・楽器の運搬が大変そうだから、です

いえ、冗談じゃなくマジでですよ


20代の一時期に知合いが使わなくなった「木琴」をライブや録音に借りた事があるんですが、それでもステージにヴィブラフォンと木琴を並べると「意外と場所取るもんだねぇ〜」って。ジャズやポピュラーでマリンバは使いようによっては大変面白い効果がある事を知っています。しかし、今まで学生時代を除けば、仕事で使ったのは数える程しかないなぁ。

大体がスタジオに備わっているマリンバを「この曲はヴィブラフォンよりもマリンバでやったらどうだろう?」とこちらから持ちかけて使ったケース、CDだと『アンファン』(ポリドールのスタジオにあった)、去年の『フォーカス・ライツ』(松島さんがリースした楽器を借りた)、放送局の音楽番組(これも放送局のスタジオにあった)、ホント数少ない。

僕が唯一ジャズでマリンバを演奏してる写真
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「めいほうJazzFes@日野皓正Band」

やってるじゃない、ってこれは日野さんのバンドのジャズフェスツアー用のリース楽器だから自分でいちいち運んでたわけじゃない。あれば使おう、という意識なのかもしれないですねぇ。(←要するにモノぐさ?)

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首都圏ならバンドのメンバーも自分の楽器を自分で運んで現地集合

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影の声:運ぶのが大変とは言えマリンバに比べると、、楽よヴィブラフォン
@横浜JazzProm



そんな事言ってたら、
マリンバと一緒にあちこちに出掛けて演奏する事になった
もちろん、そんな無謀(笑)な事を始めるのは・・M島嬢しかおらんでしょー

どうするかって?
まず出発前夜に1boxをレンタルしヴィブラフォンをツアーケースに入れ積込む。続いて巨大なM島嬢のマリンバをバラバラに分解梱包し積重ねる、と仕事は出発前日の準備から始まるわけ。

影の声:僕の楽器だけなら当日起きてケースなんかに入れなくても自家用車に入るのになぁ

終わるとこの逆順で最後にレンタカーを返すまで「お疲れさん」は御預け。
ううん、、効率悪いけど他に採算を考えると方法が見当たらない。
これでかなりの回数やってきましたが、さすがにM島嬢も運搬労力が本番に影響する事を悟って(←エライ!それでこそプロ!)最近はリースする事が増えました。


しかし、リースするにもリース先が見当たらない土地に行く場合はどーなるのか


ハハハッハ〜

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高松です。豊島区じゃなくて四国の。今夜はアクトホールという場所でのクラシックコンサート

ズームしてみましょう

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こ、、この、楽器の大きさの違いヴィブラフォンの倍は軽くあります
後ろに置いてあるフルコンサートサイズのピアノと同等

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快調に演奏するM島嬢。馴れた自分の楽器だからなぁ

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かっ、、かな〜り前傾姿勢で演奏中のワタクシ。。
こ、腰があ。。あ、足がぁ。。。ツリそ。(上のバンドの写真と姿勢を比べてみて)

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それでも盛り上がりますよプロですから

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はい、拍手喝采で無事終了

結局ですね、マリンバはフルサイズの楽器の調達が難しかったので東京から僕の車でM島嬢のフルサイズマリンバを運んだのです。当然車はパンパンになりヴィブラフォンは載りませんから、高松で旧知の知り合いのヴァイビスト森さんにお願いして楽器をお借りしたのです。ところが運悪く森さんも当日本番があるのでサブで使っている楽器をお借りしたんですよ。するとですねこの楽器他はいいのに鍵盤の高さが低くどーしても前傾姿勢となりました。
ホールなのでマイクも無いしフルボリュームで演奏したい、、しかし、腰に負担、足はバランスを崩しそうでヒヤヒヤ。
そのおかげか、この夜は緊張感に満ちた演奏となりました

はい、そこでもう一度。

「マリンバもお得意なんですね?」














「いいえ、ポケットサイズのマリンバがあればきっと得意になります」(笑)




■お知らせ

そんなM島嬢と来月しかもこのデュオ初のライブハウス公演やります。

7月21日(金)東京・練馬/大泉学園「まほうの竜」(Open/19:00-) 19:30-よりスタート チャージ:1575円

赤松敏弘(vib) 松島美紀(marimba) DUO

問い合わせ/予約03-5387-1599 まほうの竜(西武池袋線大泉学園駅北口すぐ)

フルサイズマリンバ持って行くとか。ステージ占拠されソ

おしまい

2006/6/11

海の向こうのヴァイビスト  ■新・音楽体験記/留学の頃

この不定期「留学の頃」の前回(6月3日)に郊外の家で日本のテレビ番組の撮影があった事を書いたら親切にも番組タイトルと放送年月日を教えていただいたので改めてお礼申し上げます。IWAIさんありがとうございました。こちらも書いてる手前中途半端じゃ申し訳ないのでその時の写真を見つけましたのでアップします。

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1987年10月6日 収録後Newton Centreの自宅前にて
(左よりユーコ/p 私/vib シモーネ/ds スクーリ/b 米TV-ASAHI番組クルー)

番組は1987年11月22日の夜にテレビ朝日系で放送された『旅の街から・・・わが青春のボストン/秋吉敏子編』との事です。
もう20年になろうかという時間が過ぎているのに詳しい方がいらっしやるとはありがたい事です。

通っていたバークリー音楽大学はボストンの街の中にあります。
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手前の三角形の建物とその先に校舎が分かれていました。

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マサチューセッツ・アベニュー校舎。先程の三角形の形に見えたもので、左から元銀行、元映画館、元ホテルの建物をぶち抜いて教室やホール、スタジオ、寮等があります。

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ボイルストン・ストリート校舎。こちらが学校の中枢でこれも元ホテルの建物。地下にパーカッションのフロアがあり二つのリサイタル・ホールや事務関係の組織が入っていました。ゲイリー・バートン氏のヴィブラフォンのレッスンはこの建物の6階にある彼の部屋で受けていました。

今は他にも校舎が出来ているので随分と変わったようです。


さて、入学後に住んだアパートは学校から徒歩5分の所にあり渡米直後に「最後の残りモノ」としてあった物件に入る事が出来ました。ボストンへ来る前に知合いを通じてアパートを探してほしい、と頼んであったのです。それでもギリギリでしたからボストンに来てから探そうとした人の中には約一ヶ月“住処”が見つからず放浪している人もいました。

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バーバンク・ストリートのアパート前で

「残りモノ」と言われるんだから、何かあるんですが、、、、、
最初は快調でした。

部屋は狭く、約五畳で窓は一つ。これで400ドルするのだから東京と変りないです。
最初の夜はベッドも何も無く、トランクに寄り添って寝ました

翌日から学校のレジストレーションが始まり、それをこなしつつ、とにかくベッドだと、街の中の雑貨屋を回り組立て式の格安のものを調達、机とアレンジに使うキーボードを探し何とか授業に備えた体制になったのはボストンに来てから1週間を過ぎた頃。ルームメイトは前年(1985年)のバークリーの東京セミナーで知合っていたドラマーの佐藤健(現BEATec主幹)で、お互い同期の中では年長組なので全て話し合いで特にルールというものは作らなかった。だから気兼ねない生活がスタートした。

入学式の後で僕がウロウロしていたらKEN(佐藤君)が「さっきゲイリーが探しとったよ」と言うので慌ててボイルストン校舎に行くと、ちょうど向こうからゲイリー氏が歩いて来るところで「オ〜!アカマ〜ツュサーン」と無事に再会。レッスンの場所と時間を打ち合わせ、事前にお願いしておいた練習用の楽器を見せてくれた。
地下のパーカッション・フロアに降りてディーン・アンダーソン氏(パーカッション&マレット科主任)を紹介され楽器のある部屋に連れていってもらう。

そこにあったのは日本のY社が試作品としてバークリーに供出していたヴィブラフォンの新しいトラベラー・タイプだった。

翌日アパートにその楽器が届き、これで一応ボストンでの生活のベースが出来た。
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まだ試作段階だった日本のY社製ヴィブラフォン・トラベラータイプ
フレームやパイプの二分割、アジャスター機能等、斬新なプロトモデル

本当にいろんな人にお世話になってボストンでの生活を無事に向かえられるようになった。今でもみんなに心から感謝しているんだ。
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学校の近くにあるボストンの中心街「ニューベリー・ストリート」1986年
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同じく「コモンウェルス」1986年


つづく・・・・



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