2006/6/3

ボストニアンなヴァイビストと会ったら・・・  ■新・音楽体験記/留学の頃

先月再会したゲイリー・バートン、エド・セイドンという二人のベテラン・ヴィブラフォン奏者。二人との思い出の地と言えばボストン。もう18年も昔の1コマ。

このブログは現在「かの地」に在住している人達も時折覗いているようで、昔のボストンの写真など載せたら、もっと見たい、というリクエストメールも

ほんじゃ、僕らが過した20年前のボストンって、こうよ

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「チャールズ・リバーから見たジョン・ハンコックタワー」1987年夏

きっと20年も経ったからビルが乱立してすっかり変わってしまったかも、、、、、と思いきや、前回の時に「殆ど変わってない」みたいなメールをもらったので今も同じかも。
と、言うのもボストンは景観にうるさい街で、古い建物を安易に壊して建て替えるのは御法度
古い建物の外観をそのままに残して改築しなければならない。なので、観光地区のストリート沿いの古い建物を改築するのに基礎工事の準備としてビルの下にレールを敷いて建物ごと移動させているのを何度も目撃しました。

通っていたバークリーの校舎も全て古い建物を改築したもので、元ホテル、元映画館、元銀行、と外観は昔のまんまでチグハグ。まぁ、そんな外見のバランスを気にしないでリニューアル使用するのは、何でも壊して非個性的なビルを建てるよりも良いと思う。

さて、前回ボストン滞在8ケ月目で街中の狭いアパートから郊外(Newton Centre)の一軒家に引っ越して気分一新した事を書きました。学校までは「T」と呼ばれるライトレール(地下鉄に直通する路面電車タイプの路線)で20分。
最初面喰らったのがこの「T」の料金の払い方。
ボストン市内の地下鉄区間はトークンと呼ばれる乗車専用コインが50セントの均一料金でしたが、地上(つまり郊外)に上がると別に追加料金25セント掛ります。だから僕の住んでいたニュートンという街の駅からボストンに「行く」時は75セントという事になりますね。



ところが



引っ越して初日に駅からボストン行きの「T」に乗ろうとして料金箱に75セント(ワンマンカーで運転手の所のドアに料金箱がある)入れると「足りないよ」と言う。
だってマップに75セントって書いてあったゾ、
見慣れない東洋人が乗り込もうとしてるのでからかっているんじゃないかい

「75セントじゃないのか」というと「1ドルだ」と言ってきかない。

後ろに列もあったので取りあえず25セント足して中に入った。

乗客が乗り込んでいる間に運転手が「こい、来い」と言うのでぶ然とした顔で文句の一つも言ってやろうという覚悟で行く。

運転手は「何処から来た」というので「日本だ」と言うと、「おお、日本は行った事があるぞ。シンカ〜ンセンはグレートだ。あれは速い、すばらしい」と褒めちぎる。

「ココはボストンの均一区間じゃない。追加料金が必要だ。確かに君の言う25セントだ。しかしここのシステムはこうだ。行きに25セント、帰りに25セント支払うのを、行きに乗る時に50セントまとめてさらに地下鉄区間の均一料金50セントと合わせて1ドル支払う。すると帰りはボストンの地下鉄乗り場で50セントのトークンを買うだけで地上の駅で降りる時の精算はフリーパス」。

なんたる合理主義。さすがはアメリカである

さて、郊外での暮らし。
ボストンのアパートとは雲泥の差がある。
3階+地下室、庭付き、ガレージ(2台分)。4人でシェアーし一人470ドル弱の金額だった。(ガス、電気、水道、大型家具は使い放題)

僕の部屋は2階でスカイブルーの壁の部屋にした(各部屋毎に色調が異なる)
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角部屋の両窓側にベッドと机・キーボードをセット。

新調したベッド、それ以外はアパートで使っていたもので済ませた。

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シンプルな持ち物類。これで十分なんだよなぁ、、

1階はキッチンやダイニング等の共有スペース。この家は2つリビングルームがあって、その小さい方の部屋を練習室としてヴィブラフォンを置いた。

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全面ガラス貼りの練習室(サブ・リビングルーム)

毎日緑を眺めながら練習や作曲・アレンジをココでやったものです。そう言えばバンドのリハや機材を持ち込んでレコーディングもやりました。そして、やはり落着いて物事に取り組みたいと考える街中に住んでいた仲間も徐々に郊外へと引っ越すようになりました。

ある時、学校から電話が掛って来て「ハロー、アカマツ。明後日、日本からテレビ朝日の撮影クルーが貴方の家に行きます。トシコ・アキヨシのドキュメンタリー番組の撮影を貴方の家で収録する事になりました。貴方達は演奏もしなければなりません。番組は日本全国に流れます。トシコ・アキヨシの後輩として立派な演奏をし学校の名に恥じないように。では、あとはよろしく」

ひぇ〜〜 そ、そんな〜〜、聞いてないよ〜

慌てて当時の学内バンドのメンバー、スクーリ(b/アイスランド出身)にリズムセクションを揃えてもらいシモーネ(ds/イタリア出身)他、日米欧混合バンドが我が家に召集。スクーリ達は訳も分からず「日本のテレビだ」と大喜び。番組ロケで半日潰れた。

番組は『旅の街から』という30分番組で後日テレビ朝日から放映録画のビデオが送られてきました。1988年頃に番組を見た方、アレが僕らの家のリビングです!


おしまい



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