2006/6/11

海の向こうのヴァイビスト  ■新・音楽体験記/留学の頃

この不定期「留学の頃」の前回(6月3日)に郊外の家で日本のテレビ番組の撮影があった事を書いたら親切にも番組タイトルと放送年月日を教えていただいたので改めてお礼申し上げます。IWAIさんありがとうございました。こちらも書いてる手前中途半端じゃ申し訳ないのでその時の写真を見つけましたのでアップします。

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1987年10月6日 収録後Newton Centreの自宅前にて
(左よりユーコ/p 私/vib シモーネ/ds スクーリ/b 米TV-ASAHI番組クルー)

番組は1987年11月22日の夜にテレビ朝日系で放送された『旅の街から・・・わが青春のボストン/秋吉敏子編』との事です。
もう20年になろうかという時間が過ぎているのに詳しい方がいらっしやるとはありがたい事です。

通っていたバークリー音楽大学はボストンの街の中にあります。
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手前の三角形の建物とその先に校舎が分かれていました。

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マサチューセッツ・アベニュー校舎。先程の三角形の形に見えたもので、左から元銀行、元映画館、元ホテルの建物をぶち抜いて教室やホール、スタジオ、寮等があります。

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ボイルストン・ストリート校舎。こちらが学校の中枢でこれも元ホテルの建物。地下にパーカッションのフロアがあり二つのリサイタル・ホールや事務関係の組織が入っていました。ゲイリー・バートン氏のヴィブラフォンのレッスンはこの建物の6階にある彼の部屋で受けていました。

今は他にも校舎が出来ているので随分と変わったようです。


さて、入学後に住んだアパートは学校から徒歩5分の所にあり渡米直後に「最後の残りモノ」としてあった物件に入る事が出来ました。ボストンへ来る前に知合いを通じてアパートを探してほしい、と頼んであったのです。それでもギリギリでしたからボストンに来てから探そうとした人の中には約一ヶ月“住処”が見つからず放浪している人もいました。

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バーバンク・ストリートのアパート前で

「残りモノ」と言われるんだから、何かあるんですが、、、、、
最初は快調でした。

部屋は狭く、約五畳で窓は一つ。これで400ドルするのだから東京と変りないです。
最初の夜はベッドも何も無く、トランクに寄り添って寝ました

翌日から学校のレジストレーションが始まり、それをこなしつつ、とにかくベッドだと、街の中の雑貨屋を回り組立て式の格安のものを調達、机とアレンジに使うキーボードを探し何とか授業に備えた体制になったのはボストンに来てから1週間を過ぎた頃。ルームメイトは前年(1985年)のバークリーの東京セミナーで知合っていたドラマーの佐藤健(現BEATec主幹)で、お互い同期の中では年長組なので全て話し合いで特にルールというものは作らなかった。だから気兼ねない生活がスタートした。

入学式の後で僕がウロウロしていたらKEN(佐藤君)が「さっきゲイリーが探しとったよ」と言うので慌ててボイルストン校舎に行くと、ちょうど向こうからゲイリー氏が歩いて来るところで「オ〜!アカマ〜ツュサーン」と無事に再会。レッスンの場所と時間を打ち合わせ、事前にお願いしておいた練習用の楽器を見せてくれた。
地下のパーカッション・フロアに降りてディーン・アンダーソン氏(パーカッション&マレット科主任)を紹介され楽器のある部屋に連れていってもらう。

そこにあったのは日本のY社が試作品としてバークリーに供出していたヴィブラフォンの新しいトラベラー・タイプだった。

翌日アパートにその楽器が届き、これで一応ボストンでの生活のベースが出来た。
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まだ試作段階だった日本のY社製ヴィブラフォン・トラベラータイプ
フレームやパイプの二分割、アジャスター機能等、斬新なプロトモデル

本当にいろんな人にお世話になってボストンでの生活を無事に向かえられるようになった。今でもみんなに心から感謝しているんだ。
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学校の近くにあるボストンの中心街「ニューベリー・ストリート」1986年
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同じく「コモンウェルス」1986年


つづく・・・・



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