2006/7/11

日本で一番ニューヨークに近い街・・・・・イントロ  火曜:街ぶら・街ネタ

大阪

東京の江戸文化に対して唯一対抗出来る大阪を中心とした魅惑の浪花文化。街ブラネタの宝庫としては東京の比ではない
だから一回で話せるわけがないので今後折を見て断片的に触れてみたいと思う。

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4:30AMホーム 青い電車は京浜東北線じゃないよ

四国・松山生まれの僕にとってこの街ほど子供の頃に身近な大都会はなかった。
子供が見るテレビの文化は地方へ行けば行くほど東京色が濃い。小さなブラウン管の中だけの「お伽話」を何の疑いもなく信じる地方の子供を一飲みにする事など東京にとっては簡単な事だ。ゴールデンアワーに飛び出してくるアニメやドラマの「台詞」や「背景」の8割以上が東京なのだから。

しかし(幸いにも)ちょっとゴールデンから外れた時間帯で子供心が妙に惹かれる番組があった。土・日午後の「吉本新喜劇」「ガッチリ買いまショー」「ヤング・オーオー!」「爆笑寄席」から「突然ガバチョ」に至るまで、、、思い出すだけでも小気味よいテンポと個性の強い番組ばかりだ。それらは全て大阪のテレビ局が制作していた。

いくら東京の番組が流行っても、日常の学校の中で流行るのは必ずこれら関西の番組で使われていた“ギャグ”。ギャグが流行るから知らないと見る⇔見るからまた新しいギャグが流行る、という図式になっていた。

だから子供の時に銀座や浅草よりも「なんば」ってどんなところなんだろう?「うめだ」ってどんなところなんだろう?と言う想像が膨らむもの。初めて難波や梅田に行った時は妙にワクワク・ドキドキしたものだ

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正真正銘“大阪”駅 青いのは大阪環状線の電車

それと言うのも大阪の芸人さんはやたらとテレビやラジオで実在の地名や場所をあげてネタを話す。「なんば」「うめだ」は元より「上六」「十三」「道頓堀」「新世界」に「丸ビル」又は「新阪急ホテル」等。聞いているだけでリアりティーがあるんだ。
また自分が出演している局でも違う局の番組をネタに話す。関西テレビで朝日放送の話しとか、毎日放送でびわこ放送の話しとか。
聞いているとそれらを知りたくなったり覗いてみたくなるものだ。本当に不思議だ。
東京の芸人さんはそういう話の場合小噺で登場する江戸時代の地名を除いてはあまりしない。ココはこう、アチラはあちら、今は今、昔は昔、という感じなんだろうか?せいぜい吉原か鈴本演芸場くらいしか話しで出てきた記憶が無い。

まあ、何はともあれ大阪は我が道を行ってる所が昔から好きだ


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ホームの売店にだってちゃんと大阪を代表するモノが・・


子供の頃毎年春は伊勢へ家族で行った。その時に必ず通る大阪。インパクトあり過ぎです。記憶に残る一番古い大阪の地名は鶴橋。ここで伊勢行きの近鉄特急に乗り換えた。この近鉄特急もインパクトがあってビスタカーという当時日本唯一の二階建電車。別に二階建だからサービスと言うわけでも観覧車のような眺望があるわけでも無いのだが、

そのどうでも良い所に遊び心があってワクワクした

その頃不思議だったのは地方からの玄関口にあたる大阪駅(新大阪駅じゃないよ)の地位の低さ(関西系の街は私鉄が中心)。テレビから飛び込んでくる大阪の話しは「うめだ」が圧倒的に多く、そう言えば大阪駅という表現はトンと耳にしない。しかも国鉄(現JR)大阪駅をサンドイッチする形で阪急と阪神の「梅田」駅がある。2対1だ。それをどっちがどっちなんだろう?と子供心に思った。東京駅を挟んで私鉄が「丸の内」とか「八重洲」と駅名を名乗るようなものだ。それならJRも「大阪うめだ駅」いやいっその事「JR梅田」と改名した方がよい。大阪の北の玄関は「梅田」南の玄関は「難波」と割り切れる。それだけ何かするべき所は自己主張している街という事は子供心に察しが付いた。なまじ妥協して阪急大阪駅とか阪神大阪駅にならない所が好きだ。

そう言えば、アメリカにいると、一番聞こえてくる日本語は関西弁だ。皆声が大きいのもあるが(笑)、あの自己主張の国アメリカで堂々と張り合えるだけのパワーとテンポが関西弁にはある。

大阪生まれの友人は言う。

「ココは大阪と同じや。きっちり言う事を言わんと生けて行けへんねん」

同感だ。横断歩道の歩行速度もニューヨークと同じ。街のジョークも、新しモノ好きさも、パワーも。

僕は確信して言う。
もしもあなたがこれからニューヨークに行こうとするなら、まずは大阪へ行きなさい
そして何の違和感もなく大阪に馴染めそうならニューヨークへ言っても平気です。

なぜなら、大阪は日本で一番ニューヨークに近い文化の街だから

おしまい

2006/7/10

イベントはハプニングの宝庫・・・後半  月曜:ちょっと舞台裏

ヴィブラフォンを担いで(実際にはバラバラに分解して車で運んでいるんですけど)右往左往する内に遭遇した裏話。本日は先週の月曜日「(ジャズフェスの上を行く)イベントはハプニングの宝庫」の続きです。前回から読んでね。

ある豪雪地帯の小さな町の船宿(この町一番の宿泊施設だったとか)の朝は早い

午前7時半、布団を片付けられて朝食が部屋に運ばれる。
旅行ならこれは嬉しいのだけど、演奏で来ていて、しかも昨夜宿中の大顰蹙(ひんしゅく)をかいながら食べた夕食は午後11時過ぎ。ボ〜っとして窓縁の椅子に座りただ海を見つめるだけで精一杯。食欲はゼロである。

コーヒーだけ飲んで着替えると迎えの車が来た。
みなボ〜っとしながら宿を出る。。。。。

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豪雪地帯は道路標識も色合いが異なるようだ

会場に向かう。。。。。。。。。

「おい、あかまつ」といつもの口調でピアノのS氏。
「ゆうべコツコツコツコツ何やってたんだ。俺の部屋まで聞こえてたゾ」
「あ、あれね。本番の演奏時間を計ってたんだよ」
「何度もか?」
「うん」
「うるさくて寝れなかったゾ」
「ごめん」

結局、初リーダーでプレッシャー攻撃に襲われているドラムのE君では冷静な判断が無理との事で、ステージ上の采配は僕が取る事になったんだ。
だから夜中にストップウォッチを眺めながら演奏時間とコーラス数(ジャズの演奏ではソロパートを何回繰り返すという単位を1コーラス、2コーラス、、と呼ぶ)と奮闘していたのに、、怒るな

とか何とか言う内に山嶺の会場に到着。午前10時前だと言うのに物凄い人出だ。

町を上げてのイベントと言うだけあって様々なアトラクションが催されている。スケジュールを見るとこの丘の上のいくつかの会場で予定がビッシリだ。
僕ら(正式にはE君のバンド)の出演は一番最後。大トリだ。

しかし、、まだお昼前。本番までは6時間はある。そこで楽屋で一眠りする事にした

3時間くらい寝ただろうか。スッキリと目が覚めてイベントの様子を覗いてみる事に。
僕らが出演する会場ではその前に出演する地元の人達の「民謡踊り」のリハーサル中。鐘や太鼓で賑やかだ。唄のリードを勤めるおじさんは声に張りがあって上手だ。
他の会場も一回りして楽屋に戻る前にへ。

トイレのドア越しにさっきの「民謡踊り」のリードを勤めるおじさんがトイレの中で発声練習しているのが聞こえて来た。

「ハァ〜〜〜〜。ウ、ウォホン。ハ、ハァア〜〜〜〜〜」

出だしの所の練習かな。物凄い張りのあるおじさんの声がトイレ中に響き渡る。

僕が入って行くと、おじさんはピタリと声を止めた。
そして僕が出て行くと、再び謡いだすのだ。

「ハァア〜〜〜〜!と、ウォホン、、ハ、ハァア〜〜〜〜!」

幾分緊張しているようだった。ま、それはよくある光景。

楽屋に帰ってしばらく談話していると、ピアノのS氏がやって来た。

「おい、あかまつ。トイレ行ったか?」
「うん」
「民謡のおじさん緊張してガチガチだったぞ。声が上ずってた」
「え〜、まだ練習してたの?1時間くらい前に行った時も練習してたよ」
「へぇ〜。あのカルキ臭い中でよく何時間も練習するなぁ、倒れるゾ」

1時間くらい経って僕らの前の「民謡踊り」の本番が始まったのでおじさんを激励する意味で見に行った。

ドンドン、ピーヒャララ〜、ドドンがドン!
勢い良くステージが始まる。地元の人が出てるので会場は満杯で2000人は軽くいるだろう。


スポットが付いて、さぁ、おじさんの登場・・・・・




あれ



隣で“間の手”を入れていたおばさんしかいない

ど、どうしたんだ〜〜〜お・じ・さ・ん

民謡のステージが終わって僕らのセッティングが始まったので袖に上がる。
間の手のおばさんがいたので聞いてみた。
「あのー、リード謡ってたおじさんどーしたんですか?凄く練習してましたけど」

おばさん曰く

「あ、あの人ね。何だか気分が悪くなって帰っちゃいましたよ」

ガ〜〜〜ン。
カルキ臭の中で歌い続けていたからだろうか、、それとも緊張しすぎたからだろうか。。

凄いねぇーーー、と言いつつセッティングも終わり僕らの本番だ。

「すいません、ちょっとアナウンス入りま〜す」

緞帳(どんちょう・ステージの幕)の裏でヴィブラフォンをセットし板付き(ステージの立ち位置でスタンバイする事)で待ってた僕らにスタッフがそう告げると、次にこのようなアナウンスが満員の場内に響いた。


「お客様にお知らせ致します。まもなく梺の駅行きの最終シャトルバスが発車致します。御利用のお客様は御乗り遅れのないように御注意下さい」


ハァ


そしてE君率いる僕らの演奏が始まる寸前、、、、、、
一斉に客席から我も我もとシャトルバス目掛けて蜘蛛の子を散らすように客が移動を始めた。。。。


残った数およそ300人。。。1/5に満たない

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「おい、あかまつ!」
とこの仕事に誘った僕の背中にSさんのイタイ視線が突き刺さる。

「僕じゃない、責任者はあっちだーーーーーーー」

リーダーE君の力の無いカウントと共に緞帳が上がり、まばらとなった客席に空しく響き渡っていたのでした。

おしまい

2006/7/9

そうだった!  日記

ファン・フォン・ファン・フォン、、、、、
朝から何やら騒がしい、、、、、

何事かと思ったら

今日は消防点検の日だった。
火災探知機の点検って事で、各所にあるセンサーをチェックする音だったんだ。

火災探知機。普段はあまり目立つ存在ではないが、いざという時には威力を発揮する。
そう思って頭上を見上げると、あるんですねぇ、これが。
ベッドルームから各部屋、キッチン、リビング、さらには風呂場から各部屋のクローゼットの中まで、ひょっとすると照明機器よりも多いくらい。

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これは探知機と連動したスプリンクラー

ファン・フォン・ファン・フォンの正体はコレ
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センサーが反応するとインターフォンに仕込まれたアラームが赤い炎のマークとともに点灯するのだ。
朝からあちこちで聞こえていたのはこの音。

黄色い制服の係員が温度上昇機器を持って登場!

照明の横にあるセンサーにその機器を近付けてアラームのチェックをするのだ。

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リビングの中央にあるセンサーに・・・・

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検査機器を近付けて、、、ファン・フォン・ファン・フォン、、
管理室からキャッチの合図が来ればこれでOK!

と、まぁ、全部のセンサーを同じ手順で繰り返すのだから大変である。

大変頼りになる火災探知機。エライ

しかし、入居したばかりの頃は新品のせいもあるけど感度が過敏で大騒ぎになった事もある。
例によって、キッチンで炎の料理人と化していた時、ソテーの為にブランデーを注いだところ、これが反応してしまった
5分と経たない内に警備会社が飛んで来て「だ、大丈夫ですか〜〜!」

「すいません、料理してただけでーす」・・・

その翌週の事。
再び炎の料理人と化していたが、ちょっと冷静になりソテーの時にブランデーよりもアルコール度の低いワインを注いだ。。。

すると・・・・

再び反応

またまた警備会社が飛んで来て「だ、大丈夫ですか〜〜!」

「すいましぇん、またやっちゃいました。。。」

その後少し調整したのか、警備会社を呼ぶような事態にはなっていないが、くれぐれも火災探知機君と仲良く料理する事を心掛ける日々なのである


おしまい

2006/7/8

明けてBigAppleのNewYearってこーよ  ■新・音楽体験記/留学の頃

さて、前回“それじゃあBigAppleで大晦日とかどーよ”の続き。

午前0時のnew yearの瞬間、周囲からのHUG攻撃で迎えた1987年。感想も何も、いきなりグワ〜っと抱きしめられるんだから苦しいのなんの、しかもみんな寒い(摂氏零度以下の冷込み)からアルコールも入ってるし、何が何だかわからない
その間、みんな手にしたホルン(角笛のおもちゃ)を吹き鳴らすのだからうるさい。除夜の鐘でゴ〜ンとかいって迎える日本のお正月とは正反対だ。

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再びロックフェラーセンター。ビルの谷間に角笛が高らかに鳴り響く

既に新年を迎えたのでタイムズ・スクエアに向かっていた大群衆は歩みを止めつつある。この大群衆を征する為の規制線が街中に張り巡らされている(しかも歩行の一方通行)ので思うように宿の方向へと進めないから半ば“やけくそ”になってホルンを吹き鳴らしている。ブッブッブ〜、カホッ、カホッ、カホ〜、高層ビルの上からは紙吹雪と紙屑に混じって、どう見ても裁断が面倒だったらしく適当に千切ったオフィスペーパーに加えて、時折ピザらしきものまで降り注いで来る。大騒ぎだ

巨大な植込みポットを歩道の真ん中まで移動した奴がいる。みんなゲラゲラ笑いながらホルンを吹き鳴らす。某有名ハンバーガーショップの広告塔によじ登ってポリスに「早く降りて来い!コラ〜!」とどなられてる奴がいる。みんなゲラゲラ笑いながらまたまたホルンを吹き鳴らす。あるビルの入口には巨大な移動式ゴミ箱が転がっているし、黄色いポリスラインが張られた所には人が転がっている。よく見ると死体だった

そんなこんなで結局午前3時過ぎまで外で大騒ぎし、naoちゃんの親戚のアパートにお邪魔したのは午前4時。一同あっと言う間にゴロンと転がって寝てしまった。

翌朝目が覚めたら午前10時、男性陣は歩きながらホルンを吹き過ぎて頭と耳がモウロヲとしている。別室の女性陣はサッサと着替えて出発準備に余念が無い。さすがである。

かな〜り頭がズキズキしながらも、再びタイムズ・スクエア周辺に出発。新年とは言え、まったく普段通りに店も営業しているのだ。クリスマスの方が「休日」という感覚が強い。

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壁面広告はニューヨークのアート。しかし「うっ、あまり話しかけんでくれ」頭ズキズキ

美術館へ行こうという事になって、タイムズ・スクエアからバスで向かう。バス停を降りてみんなでゾロゾロ歩いていた時だった。
角を曲がれば美術館はもうすぐ。

ちょうどその角を曲がりかけた時、突然誰かが大声で何かをわめいていると思ったら2〜3人の小学生くらいの子供が商店から飛出して僕らの脇を猛スピードで駆け抜けて行った。「うん?」とただならぬ気配に立ちすくしていると、もう一人の子供が商店の店主らしき人と格闘しているではないか
周りにいた通行人は蜘蛛の子を散らすように物陰に身を潜め、ボンヤリしているのは我々だけ。と、商店から他の大人が出て来て子供をボコボコに殴り、羽交い締めにして手に持っていた何かを通行人の一人の方へ蹴った。蹴られた「物」はスルスルと歩道を転がり、その通行人の女性が僕の方を見て「OK?」と言ってる。ナ、ナンダ〜
よくわからないままに突っ立っていると通りの向こう側に身を潜めていた人が「早くソレを貴方が蹴るのよ」と言ってる。電話を掛けていた通行人が大声で「今ポリスが来る」と叫ぶ。
煥発入れずに通行人が僕のところへ蹴ってよこした物。。。。それは拳銃。
そしてそれをもっと先まで蹴ってくれ、というのだ。
恐る恐る転がって来た拳銃を遠くへ蹴った

すぐさまポリスが来て、あの飛出した子供達はギャングである事。その場にいた通行人に「みんなグッド・ジョブだ」と言い残し拳銃を回収しギャングを逮捕して行った。その瞬間から街は何事も無かったかのように日常へと戻る。

その時はあっけらかんとしていたが、少し後になって、あの拳銃の感触が鈍い記憶として残った。
これもアメリカなのだ

美術館を見て5th Aveを散策。
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新年のニューヨーク。街はまったく普段着である

新年をニューヨークで過すnaoちゃんと別れ我々は夕方のペン・ステーションからボストン行きのアムトラックに乗った。

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ボストン〜ニューヨーク間のアムトラック車内。外は雪原で氷の世界を爆走中

車中でこの24時間を振り返ってみた。茶色い高層ビルとマイルス、深夜の大行進と大騒ぎ、紙吹雪きから死体まで転がる光景、拳銃の感触、、、、ううん。。。ニューヨークはボストンとは比べ物にならないくらい全てを飲込んだタフな街。本当に刺激的な年明けとなった。

おしまい

2006/7/7

ちょいと背丈を何とか・・・・・・キャスターの交換  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

今日は七夕ですね。一年に一度の巡り逢い、、、、星空を見上げながら昔の人は何とロマンチックな物語りを作ったのでしょう

さて、毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。金曜第十六回目の今日はアジャスターに関するお話しです。

ヴィブラフォンやマリンバは各メーカーが個性を出して楽器を進化させているのは良い事ですが、ある程度の規格があっても良いんじゃないかなぁ、と昔から思っている事が

それは・・・・・

「背丈」


鍵盤の位置(高さ)です。


この背丈は我々ヴィブラフォン奏者、マリンバ奏者を悩ませ続けています。

「そんなの慣れちゃったら平気よ」
と本番の時にハイヒールを履いて演奏しているお嬢さん! それって普段もその高さのスリッパやズックとか履いてやってます?
それにですねぇ、、、、僕らがハイヒール履くわけにも行かない(爆)

日本人の平均的な身長から言うとヴィブラフォンやマリンバの「背丈」は“やや高い”という事になります。
ところが海外では、「もっと背丈を高くしてくれないと腰が・・・ウウッ〜」という風に楽器の背丈が“やや低い”という声が多いのです。

なので従来、国内のメーカーは「やや低め」、海外のメーカーは「やや高め」の背丈で生産されて来ました。
流石にそれぞれのメーカーが世界中にユーザーを持つようになると(理由の一つには楽器メーカー自体の数が少ない)、この両方の要望に応えられるように、アジャスター機能を付けた楽器も登場しています。

めでたし

で、終わるかと思いきや、既に普及している大半の楽器はまだまだ寿命が尽きませんから当面「背丈」に悩まされる事は続くと思われます。
また、弟子S君の話しによれば、アジャスター付きの楽器を空輸したら中のガスが抜けてしまって大変な目にあったとか。耐久的にはまだ万全ではないようです。


実際に演奏する時に「たかだか2〜3cmの差」と侮ると大変な目に会います。楽器をリースした場合など、それで苦労する事が多いのです。僕の奮闘振りは6月12日のブログでも紹介しました。

鍵盤の高さは「やや低い」方がマレットの様々なコントロールに向いています。高いと細かいコントロールが微妙に難しくなってきます。特にヴィブラフォンはダンプリングを多用するのでマレットのヘッドの使い分けが必要になりますから、2〜3cmの高さの違いは直接的に演奏に影響が出ます。また、マレットを代えるとヘッドの大きさやカーブの違い等で意図した奏法が出来ない場合もあります。それを解決するには、自分が「高く」なるか、楽器が「低く」なるかのどちらかを選択する事になります。

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鍵盤よりも手首は上に(松本・あづみのコンサートホール)

昔、まだ20代の頃は少し厚底の靴やブーツを履いて「自分の背丈を伸ばす方向」でやっていました。それは最初に触った楽器(国産)の背丈に身体がフィットしていたので楽器を新調(海外メーカー)した時にグリップが変化するのを避けた為。しかしファッション的にはあまりカッコの良いものではありませんでしたが、、、(笑)

20代後半になると、いつまでも厚底靴やブーツというのも考えものだと思うようになり、普通の靴で演奏するよう努力しました。これは思ったよりも大変で、違和感が完全になくなるまでに約2年掛かりました。

そういった経験から、自分が「高くなる」というのは最終手段と考えていましたが、マレットを代えた時に再びこの楽器の「背丈」の問題が浮上(マレット・コントロールの問題から)しました。

そこで今度は「楽器に低く」なってもらう事に。

まず、どのメーカーの楽器も僕と同じやり方が出来るとは限らない事を最初に述べておきます。各部の機構が異なるから。

アジャスター機能の無いMusser M-55の場合は、次の方法で楽器の「背丈」を上下自在にコントロール出来ます。

では、これから楽器の背丈を約2cm低くします。

ホームセンターに行くと様々なキャスターがあります。その中からヴィブラフォンの脚元に装着されているキャスターと同じ口径(差込み側)のキャスターを選びます。その時に4個の内必ず2個はストッパー付きのものを選ぶ事。差込み側の口径は規格の違いもありますが、ほぼ同程度のものであれば使えます。売り場の店員に外したキャスターを見せると良いでしょう。

買ってきたキャスターと楽器から外したキャスターを比べると・・・

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左/従来楽器に装着されていたキャスター
右/購入したキャスター。ローラーの直径が約2cm小さい

注:楽器の背丈を高くしたい人はローラーの直径が大きいものを購入

重要:ローラーの素材はゴム、FRP等耐久性に優れた物に限定。プラスチック製のものは破損するので危険

では作業に。
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装着されているキャスターを引き抜きます
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これが抜けないメーカーやタイプの物は残念ながら改良は無理です

新しいキャスターを差込みます
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これで交換完了!


鍵盤とマレットの打面がしっくり来ればOK。
価格は1個1000円以内。

楽器の背丈で悩んでいる人、是非御試しを。


おしまい

2006/7/6

時代は移り変わっても・・・・・・・John Coltrane  木曜:Jazz & Classic Library

不穏な隣国の動きに一日中翻弄(ほんろう)された感じでしたが、今夜も無事に夜は更けています。

さて、今夜は『Jazz & Classic Library』

ジャズというと、やはりトランペットやサクソフォン、ピアノやベース、ドラムスを思い浮かべる人が大半のようです。そろそろヴィブラフォンも少しは認知されていると信じますが、、、

そんな「ジャズ」の「ジャズたる」サウンド。今夜は王道です。
この「ジャズたる」・・・・という所にも、いろいろとあります。
ジャズと言えば・・・ある人は「デキシーランド・ジャズ」、ある世代は「スイング・ジャズ」、ちょっと硬派に固まってる所では「ビー・バップ」、「おい、モダンジャズは永久に不滅だゾ」、「コンテンポラリーこそがジャズの進化系だ」、おにーさんおねーさんは「フュージョンこそが新世代のジャズよ」、もっと若い人は「アシッドやアンビエントこそが今そのもののジャズだぜ」・・・・

音楽は個人の趣味が反映されていますから、「一括り」に出来るものではありません。音楽史をなぞってるわけでもないので、こういう場合結局は自分の意見から「コレ」と言っちゃいましょうね

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「BALLADS/John Coltrane」(impulse!/1961年録音)

はい、みなさん。深夜に部屋の照明をちょっと暗くしてみましょう。何とも言えない空間にいつもの部屋が変りますね。その状態で聴いて「サマになる」もの、それが王道のジャズ

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ほらね、我が家のリビングもこんな感じに・・・

賑やかな音楽は似合わない、ちょいと今夜は一息入れましょ、、、的に過す時間に似合う音楽。僕の中では「王道のジャズ」というとそういう感じなんです。

いろいろある中で僕が愛しく思うジャズ。

ジョン・コルトレーンの名前は少しでもジャズに興味を持った人なら一度や二度は活字や言葉として記憶があると思います。ジャズのサクソフォン奏法を一変させたイノベータ、巨人です。
しかし、硬派(と語られていた時代がありました)な音楽が多く、一般の人が突然コルトレーンと遭遇すると、、、、


八割は、、、



即、撤退



主義主張を何よりも強いられた時代に生きた人ですから、気楽にかまえて向かうとドバ〜ッと洪水の如く不可思議なものを浴びせられたような気分になってしまうかもしれません。
かくいう僕も最初はそうでした

中学校の同級生が持ってきたコルトレーンのライブ盤は、それはそれはコルトレーンの集中砲火のようなアルバムで、最後まで「我慢」して聴いたもののドドドッと疲労に見舞われたものです。そんなコルトレーンは「危険」という二文字でずっと封印していたんですが、、、

プロのヴィブラフォン奏者として演奏するようになってから、当時池袋の要町の交差点にあったライブハウス「デるブ」のオールナイト・ジャムセッションのレギュラー・メンバーとして出演するようになって、一晩のジャムが終わる明け方の午前5時になると毎回店内に流れる「疲労困憊(こんぱい)した身体を代弁してくれるようなサクソフォンの音」に耳が行きました。それが、今夜紹介している“BALLADS/John Coltrane”だったわけです。14歳の時に封印したコルトレーンを再び開封したのが24歳、実に10年間も聴かなかった事になります。
コルトレーンが偉大である事は承知の上(コルトレーンの影響を受けたサクソフォン奏者はたくさん聴いていたのに)、しかし、あまりに強烈な印象からなかなかその御本尊に手が届かなかったのでしょうね。

このアルバムにはエピソードが添えられていて、録音当時コルトレーンは気に入ったリードが見つからずスランプであったと。しかしレコード会社との契約がありどうしてもアルバムを録音する必要があった。そこで誕生したのが、この“BALLADS”である、と。
それが真実なのかどうか、、、、どちらかと言えば僕は信じていません。
そういうエピソードを添えるという事をアルバムのセールスに使った時代でもありますから(今でもキャッチ・コピーは同じですね)。
しかし、ここで聴けるコルトレーン“が”好きだ、という僕のような天の邪鬼もいていいでしょう。

プロになってヴィブラフォンを録音したもので、その時は気に入らずボツにしたものでも、時間が経過して自分の頭の中からすっかりその記憶が消えてしまってからある日第三者から突然「聞かされる」と、自分でも意外なほどに「吹っ切れていて」良く感じる経験を何度かしました。有能なプロデューサーと組んでやると、それをその場で的確に示されるものです。つまり本人よりも客観的な人物のみが「あるべき形を見抜いている」という事です。

このコルトレーンのアルバム・プロデューサー、ボブ・テーラーはきっと「本質」と「リスナーの心理」を現場に入る前から的確に見抜いていたんじゃないかと思ってしまいます。


さぁさぁ、そんな事よりも、このコルトレーンを少し照明を暗くした部屋で聴いてごらんなさい。僕が思う王道のジャズが貴女を優しく支配しますよ。

好きな曲は、もちろん1曲目“SAY IT(Over and over again)”
オールナイト・セッションの演奏で心地よく疲労した、あの時の聡明な記憶がいつでも蘇ります。


おしまい

2006/7/5

OBAKOに会いたくて・・・・  水曜:これは好物!

子供の時、いろいろ謎だった事の中に「OBAKO(おばこ)」という響きがある。「おばこ」? 不思議な響きだ。
ちなみに、無駄だと思うが、この米国生まれの我が家のパソコン君に聞いてみよう。

変換すると、、、

尾箱、緒箱、御箱、オ箱、阿箱、悪箱、烏箱、、、、、はい、サヨナラ

やはりこうなると頼りになるのはネット。
Googleに「おばこ」と入れると出ます、出ます、、金魚販売店からおばこライスターミナルからおばこロマンシリーズ、、、おばこ食堂まで。。。。。

いえ、言葉の由来じゃなく、もしも漢字で書けるならどんな文字なんだろうなって思って。漢字ってとてもイマジネーティヴに物を形容しているから知らない言葉を聞いた時などは漢字を調べてみるんです。

ううん・・・ないようですねぇ。つまり「おばこ」という言葉はその土地独自のものという事なんでしょう。

で、「おばこ」と言うのは秋田地方で若い女性を形容した言葉というのくらいは知っていましたが、では、その「おばこ」ってどんな女性のイメージなんでしょ

と、まぁ、少々別の方向から入って来ましたが、

今夜は好物(←はい、ソコ音訓で読み違えてニヤニヤしない!)

秋田駅
ここに来ると、どーしてもこの「おばこ」が頭から離れません。で、初めて秋田に行った時から毎回手を出してしまうのが、、コレ

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「おばこ弁当」(日本レストランエンタプライズ製)

NRE(日本レストランエンタプライズ)はJR東日本エリア内の駅弁を一手に請け負っている巨大企業ですが、地域毎の味や昔の駅弁を復刻させたりしているのでありがたい。

まず、揺れる車内で撮ったのでちょっと見辛いですが、ドーンと「秋田おばこ」(このモデルの人は秋田美人コンテストか何かで選ばれた人なのでしょうか?)の写真が載ってます。
「ほ〜う」

子供の頃に描いた偶像とは違いましたが、目やほっぺなど全体的にチャーミングな若い女性という事だったのかーーーと最初見た時に思ったものです。

八角形の容器は大阪駅弁の「八角弁当」と同じ。この容器は区分けするには便利な形ですが、食べようとすると、どこをどう持って良いのかわからなくなる点が気になります。果たしてこの「おばこ弁当」はどーなってるんでしょー。




ホイ



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蓋を開けると・・・・・・
あちゃ〜

弁当を購入してからガツンガツンと階段を降りたりしたので中身がググッと寄ってしまいましたぁ

補足すると、真ん中は鶏関係(照焼き、そぼろ、錦糸卵)が載った鶏飯で両サイドにおかずが盛ってあります。秋田と言えば比内地鶏が最近有名ですが、これは普通の鶏でしょう。売店でわざわざ「秋田比内地鶏こだわり鶏めし」と名打った弁当があったくらいですから。

でも、「おばこ」の事はともかく、最初に食べた時は意外でした。
寒い地方ではどうしても新陳代謝を高める為に塩分が強くなる傾向がある、と思っていたのですが、口当たりはソフト。むしろ西日本の駅弁よりも塩分が少ないくらいです。「へぇ〜」と思ったのが第一印象。色付けは濃くしていますが、それ以上は手を加えない感じです。玉子焼きとかもソフトな味付け。

そう言えば、弘前で御接待を受けた時に小料理屋に連れてってもらったのですが、その時も同じ印象でした。聞けば、昔から秋田県は関西との結び付きが強く、その影響が料理の味付けに残っているらしい。納得です。

秋田=雪国=濃い味付け、、という僕の先入観を最初に打消した「おばこ弁当」。以来お気に入りなのです。

PS/ちなみに三角形の容器に入った新しいタイプの駅弁「秋田まるごと弁当」は見た目は楽しく、中身も郷土色豊かでいいのですが、いかんせん三角形の容器は持ち辛く食べにくく「再度購入する気度」はかなりマイナス。せっかく秋田名産の「じゅんさい」まで入っていたのに、、ううん。。残念。弁当はやはり食べやすい容器が基本ですね。

おしまい

2006/7/4

阿波踊りだけじゃないよ・・・  火曜:街ぶら・街ネタ

本日は徳島市
徳島と言えば、阿波踊り、徳島ラーメン、鳴門の渦潮、いろいろとありますが、僕的にはこの街はジャズの街という印象があります

徳島市は人口約27万人の普段はこじんまりした街ですが、毎夏ここに100万人集める「阿波踊り」があるように、とにかくお祭り人気質に溢れた街です。
地理的にもここは関西との結び付きが強く、関西で見掛けないと思った人間が徳島に渡って元気にしている、というのはよく聞く話しです。だからか、まぁ、この街はミュージシャンが多い。ホント、ミュージシャン人口調査というのがあったら大都市に続いて必ず上位に入るでしょう。

この街との出会いを作ってくれたのが、地元ジャズ界のドン、ドラマーの「ジュンちゃ〜ん」こと太田純一郎さん。
ジャズドラマーでFMのデイスクジョッキーで、焼き肉の「カルネ屋」(ここ、ムッチャ美味しい!)のオーナー。恩歳73歳のスーパー・マルチ・ハイブリッド・ゴッドファーザーである
アメリカから帰国直後に徳島でライブがあり、その時に共演したのが最初。もう15年以上前の話しだけど、その時にお世話になってから何かと行く先々で御会いするようになった。「徳島で毎年ジャズのイベントやってるさかい、その内にに来てぇやー」。ある時旅先で一緒になって打ち上げで飲みに行った時、かなり酔っていた太田さんが突然椅子からひっくり返って床に強く頭を打付けて失神してしまった。「太田さーん、ジュンちゃーん」と動かさないで必死で呼び戻して事なきを得た。
「あ、どーしたんやろ、一瞬記憶が飛んだわ。三途の川、渡りよったわ。。」
それから僕は会う度に「この人がおらんかったら僕はココによーおらんかったんですわ」と紹介される。だから大先輩を「じゅんちゃーん」と言っても怒られないのである

その太田さんが発起人となって始めた徳島のイベントが「徳島ジャズストリート」。毎年8月と2月の一晩に徳島市内の11のライブハウスで44のステージを繰広げる。さすがに御高齢となった太田さんに代わって現在は実行委員が運営しているが、以前は太田さん一人が仕切っていたのだから、よほどの情熱が無い限り続かない。もう36回を数えるジャズイベントだ。

ジャズストリート(叉はストリート式ジャズフェスティバル)はニューオリンズの「ジャズストリート・フェスタ」が起源だと思うけど、日本では現在大規模な会場を設営して行っていた野外ジャズフェスティバルに代わってジャズ・イベントの主流になりつつある。街中のいたる所でジャズバンドが演奏し客は気ままに街を散策しながらいろんな会場を巡るのだ。国内では13万人の動員規模を持つ「横浜ジャズプロムナード」が最大だが、歴史は今年で13年め。僕も初年から出演していたのでこの様式のイベントが徐々に浸透して来た経過を肌で感じる事が出来る。国内発祥は「神戸ジャズストリート」。横浜も神戸も港町だ。徳島のジャズストリートはそれに続いて2番目に古い。今年で18年目に突入した。

僕はちょうど30回記念、15周年の時とその翌年にお邪魔した。

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最初の店で午後8時から演奏。ベースは「音楽体験記-3」の省略形挨拶でお馴染みの松山から駆付けた渡辺綱幸氏。この日は四国、関西からミュージシャンが徳島に集結して混合セッションを繰広げる。

会場は入り切れない程のお客さんで溢れる。1時間の演奏が終わると、ナント!楽器を分解して一時間後の次の店に移動しなければならない。
長年ヴィブラフォンをやって来たが、店から店へと楽器もろとも移動して演奏するのはこの時が初めてだった。

会場はビルの上階にある。エレベータ2機は会場に出入りするお客さんでフル稼動。しかし、それに怯んでいては次の店に到着出来ない。

「はい、すいませ〜ん、ちょ〜っと通してね〜、ハイハイ、ありがとう」

と声を張り上げながら怒濤の勢いで移動する人波を楽器運搬のスタッフと共にかき分けで進むのだ

ひゃ〜 真冬の2月と言うのに汗だくになる。。
親切に手伝ってくれるお客さんまでいる。温かいのだ徳島の人は。

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続いて無事に次の店に到着し楽器を組み立てて、ハイ、本番!
徳島出身の若手ミュージシャンが帰郷して参加。みんな太田さんを慕って集まるのだ。この街の音楽人口の圧さを感じる

最後のステージが終わると午後11時半。
「ふうー、流石に疲れましたねぇ」
と心地よい汗をかきながら軽くいっぱい、と行きたい所だが、、、

楽器の搬出が待っている。

しかも、ホテルの駐車場が午前0時で閉門すると言う。

ひゃ〜午後11時40分だぁ〜

あと20分しかないぞ、急げ・・・
5分で分解し、5分で運搬し、5分で積込み、5分でホテルまで飛ばし、かろうじてセーフ!

何だかずっと楽器の分解と組み立てと移動を繰り返している内に終わってしまったような気がするが、、、それもまたココならではの事。

ホテルから太田さんの「カルネ屋」に行き、焼き肉をたらふく食べて大騒ぎ。かなーり酔ってもうそろそろホテルへ帰ろうという頃になって、また知合いが来る。来ると話す、話すと飲む、飲むと酔う、酔うとそろそろと切り上げよう、と、また知合いが来る、来ると話す、話すと飲む、、、、何だか永遠にリピートしているような。。。

いいのだ。徳島は。踊るアホウに見るアホウ。同じアホなら踊らにゃソンソン
である


おしまい

2006/7/3

(ジャズフェスの上を行く)イベントはハプニングの宝庫・・  月曜:ちょっと舞台裏

ある週末の朝、音響ハウスでピアノの市川さんのレコーディング。時刻は午前10時。午後じゃないよ、午前ですよ・・
某飲料メーカーのコマーシャル録音。「こんな感じ」という説明を受けて「はい本番!」。サクサクと4曲録音。ピアノとヴィブラフォンとベースのみ。ベースは金澤さん。今日は予定を考えてヴィブラフォンはスタジオの楽器を使う。だから朝電車でやって来たのだ。
OKのキューが出て、コンソールルームでSEと重ねて聞く。スポットだから30秒以内の短い曲。「いいね?」、と言う事で無事終了。時刻は午前11時半

「ではでは、お疲れさまでした」「お疲れ」
と、スタジオを飛出し地下鉄の駅へ猛ダッシュ。

何をそんなに焦っているかと言えば、これから日本海側の某県のI町まで行かなくてはならない。土曜日の首都圏の道路事情は最悪だ。音響ハウスのある銀座と自宅は都心を挟んで正反対にある。スタジオの予定がお昼までとの事だったので都心の渋滞を見越して楽器はレンタル電車往復にした。電車で往復すれば1時間半以上短縮出来るからだ。

そうこうする内に自宅到着。そのまま車に乗り高速のインターを入る。どんどん県境を越えて長いトンネルを抜けて目指す県に入る。

今日はリーダーバンドではない。ドラマーE君の仕切りによるイベントへの出演。リーダーじゃないからそれ以上の詳しい事は知らない。ただひたすらに「何時までにドコソコの会場に来られたし」という指令に従うのみ。

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Duet w/hideo ichikawa(p)
バックステージから見ると野外のジャズフェスはピクニック気分

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夜になると出演者総出のジャムセッションで幕を閉じる
(掲載の写真は本文の場所とは関係ありません。念のため)


。。。。。。


東京から約4時間、目的地に到着。
ここからは主催者が送ってきた地図が頼りだが直ぐに発見。
小さな町にやたらと立派で新しい施設が山の中腹にそびえ建っている。
ううん、、かなり、、バブリィ

早速搬入口に車を着け、楽器を搬入する。かなーりバブリィな広〜い会場。
このイベントに町はかなり熱を入れているようで、梺の駅から会場までの臨時シャトルバスまで運行している。道理で昇って来る時にやたらと観光バスとすれ違うハズだ。
二日間のイベントで今日の部は夕方までに終わり、今は明日のリハーサル。早速E君が見つけて手伝いにきた。「やっぱ遠かった〜!」「おつかれさまです」
楽屋に入ってピアノのSさん、ベースのKさんと合流し歓談。E君は初リーダーでスタッフと楽屋の行き来で「てんやわんや」。
と、心配性のS氏が言う。

「おい、あかまつ(この人は必ず文頭に“おい”が入る)、聞いた話しだと、ここはホテルが無いそうだぞ。俺達どーするんだ」
「まさかぁ」と僕。
「いや、さっきスタッフから聞いたから間違いない。俺はもう帰りたい」
「そんなオーバーな(笑)」
でも確かに小さな町で、来る途中にホテルらしき建物は見掛けなかったような、、
「おい、あかまつ。夕飯はどうなるんだ。もう午後7時だぞ」
そう言や、そうだなぁ。楽屋弁当が無いなぁ。
「ちょっとE君に聞いてくるよ」
席を立ってリーダーを探す。

やっと見つけたE君。「あのさー、楽屋弁当が無いって騒いでるんだけど」
「あ、すいません。ちょっと聞いてきます」
また消えてしまった。

仕方なく楽屋に戻ると、、
「おい、あかまつ。明日終わってからちゃんと新幹線に間に合うんだろうな。今日はかなり押してたゾ(時間がズレこむ事を押すと言う)」
「大丈夫でしょー」

「そろそろサウンドチェックをお願いしますー」
スタッフの女の子に促されてステージへ。
E君は楽器のセッティングに必死だ。
「あ、すいません食事は宿で用意してあるそうですからリハが終わってから」
っま、いいっか。

と、午後7時過ぎから始まったリハは午後9時過ぎても終わらない。
段取りが悪いなぁ。
っま、仕方ないっか。

やがて午後10時になろうとする頃にやっと終わった。
もうハラペコである。

「さ、さ、では宿までお送りします」
と、主催者が用意したタクシーに乗り込む。
早速S氏は「この辺りは何が名物なんですかねぇ」(知らない人には文頭に“おい”が付かない)
「ここは田舎で何も無いです」と運ちゃん。
再びS氏
「じゃ地酒なんかないですか?米どころだし」
「ここらは田んぼが少ない漁村でしたから」と運ちゃん。
ハ、ハハハ、ハあ、、とS氏盛り下がる。

数十分すると、
「はい、ここです」
とタクシーが停まったのは。。


ガ〜〜〜ン!



完全に船宿、民宿、背面は日本海、、、

「おい、あかまつ、俺の言った通りだろ」
S氏は降り際にタクシーの運ちゃんに「この辺りホテルってありますか?」





「この町は無いな。隣町の先には一軒あるがこの時間じゃもう中に入れんです」




「そうですか、、」




諦めて宿に入る。完璧な船宿だ。
部屋に通され、階下に用意された食卓で食事となる。
「熱燗ひとつー」「あ、ビールも」「こっちもねー」
と流石船宿だけあって魚介類が豊富に並ぶ。
一同機嫌を直し、「じゃ、取りあえずお疲れさまー、明日よろしくー」
と乾杯。
食事すると人間元気になる。
バカ話しでワーワー騒ぎながらの夕食。
アルコールも回ってきた。

ゴホン。ゴホン、、

わーいわーい、

ゴホン。ゴホン。


ウン? 誰か風邪ひいてる人でもいるのかな?

「あ、熱燗おかわりねー」

すると、突然S氏が征する。

「おい、あかまつ。ここは船宿だろ。どうもさっきから咳が聞こえると思ったら、もうみんな寝てる時間じゃないのか。ヤバイぞ、騒ぐと」

シ〜〜ン


道理で料理を運ぶ女将が不機嫌なはずだ


これはほんの序の口

そろ〜りとつづく

2006/7/2

夜の大捜査線・・・・戦?  日記

昨夜からちょっとやり取りで振り回され気味
締切り指定された日を急に思い出し殆ど徹夜で原稿を作ってPDFに変換し、「さて、今日中に届けばOKだったよね」と伝えられたサイトにアクセス。そこに入稿先のアドレスがある、との事だった。だった。だったよね〜

何処にも無いじゃないかー。

くーっ

ひょっとしてMacだとリンクが認識出来ないのかと思って、Winを立ち上げて、、、

何処にも無いじゃないかー。

くーっ

仕方ないので午後からするものの、ずっと出ない。とうとう午前0時を超えてしまった・・・・、シランケンシュタインになろーっと。(週明けに連絡するけどね)

そんなタイミングの悪い中、帰ってからメールを開くとその中にピアニストM君からのメール。今度の打ち合わせなんだけど「カクカクシカジカの音資料があれば聴きたい」という。受けてから20分後だったが
するとあいにく留守電。ヲイヲイもう寝ちゃったのか?

「残念ながら今手元にあるのはカクカクだけで、シカジカは無い」とメッセージ。
そう、メディアが無いんだ。あれはLPしか持ってない。先日ブログで紹介したのはLPのジャケットをデジカメで撮ったものだ。しかもそれは実家にある。東京から四国までは遠い。だから、「無いよ」って言ったんだけど、、、、



ちょっとまてよ


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記録メディア関係を保管しているクローゼットを開ける。

確か、アメリカ時代に買ったミュージック・カセットテープがあったはず
それにしてもこのカセットの量・・・・見るのもうんざりするんだけど、折角聴きたいと言うのだから、探すのがリーダーの役目でしょー。
で、手前から少しずつ引っぱり出してる内に見つかるだろー、と

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一応メディアは項目毎に区分けして入れてあるので、一束ずつ出して行くんだけど、
なかなかお目当てが見えてこない。

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だいぶ手前の方は出せたけど、まだ見えないなぁ。。。

って、足元は・・・
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既に廊下を塞いでおります。乱雑に見えますが、項目毎の固まりが重なって、山となって、いえ、まだ何が何だか把握してますが。。。

結局30分かかって一番奥の列まで到達したものの、、、、、

見つからず

再び30分かけて項目毎に元の位置に戻す、戻す、もどす。。モドス、、

途中で飽きてきて、ミュージック・カセットテープで流通していたものをちょっとピックアップ

ホラ、ECMのミュージック・カセットなんて珍しいでしょー
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オレゴンにキースにゲイリーに、、

こちらはCBSのミュージック・カセットクリックすると元のサイズで表示します

Mカセットの特徴は背の部分がレコードやCDに比べて大きい事。だからレーベル毎にカラーリングされてて見つけやすい。
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手前のブルー地に白文字はECM、向こうの白地に赤文字はCBS等。作品のタイトルもひと目でわかる大きさ
しかし、分厚い! でも、これら純正のMカセットはCDよりも音が艶っぽくて好きだ。
でも、もう我が家ではカセットデッキは一台がかろうじて現役。しかしこれももう余命幾ばくもない感じ、、、

我が家で保管している記録媒体。大はANPEX456から小はチップまで、、
カセットは恐らく1000本以上は軽くある。スタジオに行くと「ハイ」とラフミックスもカセットでくれたものだ。それがDATに変り(これも数百本あるがもう生産中止)、MDからCDR、そしてマクロメディアへ、、、。この10年で目まぐるしく変った。

どーする、このメディア。譜面は少しずつPDFデータにして保存しているのだけど、、

と、遂に見つからなかったので開き直っていたら、、
デスクの下のボックスに目が行った




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DATばかりだと思っていたら、下の段はカセットだ!

そして

はい。M君、見つかりました。
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これもECM。
これを何とかして届けるように奮闘したいところだが、、、
今日はもうそろそろダウン
明日以降に対策を嵩ずる事に。

ちなみにMカセットを開けると、色気も素っ気もないテープが出てきます。
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なになに“ドルビーB-Typeで聴くべし”の記載。ノイズリダクションが懐かしい

おしまい



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