2006/8/22

思い出の・・・・隣街  火曜:街ぶら・街ネタ

若かりし頃によく通った街というのは今ではよっぽどの用事が無い限り行く事がありませんね。
今さら行ったところで、何がどう、という事でもない場合も多いのですが、やはり「怖いもの見たさ」みたいな感じでちょっと覗いてみたくなる時もあります。

で、隣街の府中市なんですが、このところ通るのは甲州街道か、あっけなく中央道で通過。。。。。。。。

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夕暮れの旧甲州街道(府中と言えば大国魂神社でしょー)

突然パソコンの記録メディアを交換する事になり、行きつけのパソコンショップへ
ここまでは、いつもの感じなんですが、夕方の暮れなずむ時間帯にあまり府中方面を走る事がなかったので、あ、そう言えば、あのライブハウスの跡ってどうなってるんだろ?と、せっかくその方面へと向かっているので足をのばしてみる事にしました

夕暮れの、ちょうどこの時間帯でしたねぇ。。よくココまで車で来たのは。
当時、20代前半で、東京にさしたる知合いがいるわけでも無く、ある意味「悶々」としながら演奏活動のエリアを広げていた頃でした。
当時一緒に演奏をやっていたドラマーの鈴鹿さんに紹介されて行ったのが最初でしたね。ハタチ過ぎのかなり生意気でヴィブラフォンがちょいと得意な若造でしたが鈴鹿さん他、周りの先輩ミュージシャンがいろんな人を紹介してくれました。今でも感謝です。

その時は店の名前が「ナチュラル・ボックス」と言って、細長いカウンターの奥にステージがあるという、やや狭い感じの店でした。(確かそのビルの2Fに住んでたのがマスターだったかな)。
やがてそのお店のレギュラーとなって、自分のバンドとして初めて出演した店でもありました。郊外は小さな店が多かったのでグランドピアノが入ってるとヴィブラフォンを入れられる店が少なかったのです。

ところが、数年も経たない内に経営困難となったその店は、当時府中で人気の喫茶店を経営していたマスターにバトンタッチ。そして店名も「バベル2nd」と変り、さらに“素敵な”事に、隣にあって僕らが楽器搬入で駐車すると「おまいら商売のジャマダ光線」をキリキリと発していたクリーニング屋まで買取り、店は一気に2倍以上のスペースとなって音響も充実、防音も充実、駐車スペースもあるし、メニューも充実したオサレなライブハウスに生まれ変わったのでした。

ただ、一つだけ、残念にも充実していなかったのは・・・・






お客さんの入り具合

府中とは言え、もう、南武線の踏切の横ですし、かなり中心地から離れていましたから、ココにライブハウスがある事自体が奇跡な立地でした。
それでも近くの某大手家電メーカーの社員やら、ちょっと追っかけ風の女史やら、心ある数少ないファンのみなさんやらで、細々と、しかし、音楽は「どデカく」「元気に」「超カシムズな曲の応酬」にて熱く燃えていたのでした

そんな、一向に「営業方面」に無頓着な新米ジャズメンを、客の入りが良かろうと悪かろうと「ココでは好きな事をやればいい」と鋭くも温かい視線で見守ってくれたマスターがいなかったら、ホント、何十人、いや何百人という当時の新米ジャズミュージシャンが志し半ばで「別の人生」を歩まずにはいられなかったでしょう。「どーせ僕らは社会のなーんの役にも立たないものね・・・」とか言って。
まぁ、マスターも、もう開き直って「客入りワースト・ランキング」などを付けていましたが(笑)。

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わぉ〜
建物はちゃんと健在ですよ。踏切の手前なので一旦停止しか出来ませんが、確かに「ナチュラルボックス」改め「バベル2nd」の跡。今はまた店鋪を2つ入れているようです。やはりコノ立地では広すぎたのかなぁ。
でも、なんだか、ちょっと嬉しいですね。
ココでもいろんな出会いがありました。
当時に比べれば、こんなに近くに住んでいるのに、この前の道を通る事はまず無いですね。だからわざわざ来た感じでちょっと旅行のような気分でした。

府中にはもうひとつ、駅前のビルの2Fにあった「JAZZ INN」というお店でも若かりし頃にライブをやったものですが、こちらはバブルの頃に駅前再開発とやらで、跡形も無く
なっています。

バベル2ndは89年の帰国直後に久し振りに顔を出してマスターと話した記憶が最後で、その後しばらくして閉店したそうです。六本木ピットインといい、そうした僕らの思い出の多い店が無くなっては、また新しい店が生まれつつ、時代は変って行くのですね。

府中に来ると、その頃の記憶と現在の記憶がゴチャゴチャになります。
あ、府中には「暗闇祭り」というのがありますよ。一度行ったら突然の雷雨でズブ濡れになりました(笑)


おしまい



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