2006/9/20

うる星やつら、じゃないよ  水曜:これは好物!

吉牛が一日だけ牛丼を販売したら飛ぶように売れたらしい。
吉野家って夜中に突然ソソラレる時があった。
深夜帰り道を飛ばしていると、あのオレンジ色の看板が“ソソル”のだな
20代は大変おせわになりました!
80年代中盤の池袋“デるブ”の週末オールナイト・セッションの後などは、みんな西口の吉牛でお開きやってたもんなぁ。徹夜で演奏してモウロヲとした中で“朝定”とか牛丼食べながらアーダ、コーダって(笑)。その頃早朝に開いてる店って池袋でも吉牛くらいだった。日曜早朝の西口ロータリーに車を駐車しても誰もいないし「こざかしい」事を言う法規もなかった。臨機応変で良い時代だった。

留学中の一時帰国の時にスカイライナーで夕方上野に着いたら真っ先に飛込んだのは釜飯「春」、続いて目黒の吉牛でした。ドンブリって海外で夢見るんよねー。

で、我が家の食卓に最近牛肉が登場する回数が減っている。例のBSE問題以来、某国の「穀物を食べて育ったギュー」が所狭しと店頭に並んでいるが、どーも「穀物」のせいか味が口に合わない。僕は豚肉よりも牛肉好きなのであんまり安いギューは避ける。すると但馬ギューが好きなんだけど、ちょっと高い。しかも哀しいかな、ギュー離れからかいつも但馬ギューを買っていた肉屋さんから但馬ブランドが消えてしまった。。。トホホ。
ちょいと「肉じゃが」程度ならいいだろう、と某国の「穀物を食べて育ったギュー」を買ってはみたものの、普段肉にはうるさくない家人も「臭い、臭い」と言って食べない。僕は臭さには寛容だけど、確かに臭い。こりゃ、臭いゾ!しかもパサパサ。
これではBSE問題以前にギュー離れが進んでしまうかもなぁ、、、、。
でも、10年以上前に某国の●ドニーで食べた肉はすこぶる柔らかくて旨味があって臭くないどころか安い国産ギューよりも美味しかった。
ううん、、、どーなってるんでしょー

さて、そこでギューの代わりに登場しているのが、コレ
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『北の大手門・塩ラム』(北海道 旭川市・小滝畜産製)

ラム? ギューより臭いでしょー
いえいえ、それがこのメーカーのは臭くないんですよ。
数年前から東京ではジンギスカンがブームで最近は下火になりつつも、けっこうな数のジンギスカン専門店があります。この夏松山に行ったらキーストン常連の“F岡さん”や“ヘーさん”から「あの、ロープウェイ街の坂の上にめっぽう美味しいジンギスカン屋が出来たんですけど行きましたか?」と言われて気になったままでもある(いずれ制覇しまっス!)。

そんなこんなで肉売り場でもギューのコーナーの横に生ラム肉が陳列してある御時世。美味しく食べたければ専門店に行けば良いのだけど、なかなか時間も無い時には代用品という事になる。
で、昔から並んでいるラムの加工品は、かつての印象が悪く手を出す勇気が無かった。でもギューがどんどん隅っこに追いやられてしまうと、勇気を持って試したくなるものです(ィヨ、食のチャレンジャー!)

そんなに頻繁ではありませんが、いくつかのラム加工品を買っては・・・「あ、やっぱり昔とチーとも変っとらんゾ」と臭さに食欲ダウン
ラム肉を食べ慣れない家人は見るのも嫌そう、、、

そんな時でした。

ちょいと遠くの店の店頭に目新しいパッケージのコレがあったので「ダメ元」で買ってみたんです。鶏−豚−魚−鶏−豚−魚じゃ悲しいですから。。。

すると〜〜〜


これが臭みというものが殆ど無いのです。
肉臭さに敏感な家人に「これ、旨いかも」と勧めると、恐る恐る口に運んで・・・・・
美味しい〜

それ以来、我が家でラムと言えばこの「大手門・塩ラム」なんです。
ラム肉嫌いが1人減りましたとサ。


おしまい

2006/9/19

飛んで飛んで・・・・  火曜:街ぶら・街ネタ

昨日のブログで国際線と書いて、あ、そうだ!と思い出したのが今日のネタです。

海外で最初に行った街。
それはシンガポールでした。
もちろん国家ですが、いわゆる一つの街が国家になっているわけで、本日の街ぶら街ネタはシンガポール変、もとい、シンガポール編。

さっきワサワサと探したら、ありましたその時の写真

勢い変な奴、登場

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(恐らく)タイガーバウム・ガーデンの何処か
余りの眩しさにテキトーな店でテキトーに買ったサングラスで登場(笑)

1985年1月5日とあります。
家族の正月旅行で行った時のもの。

両親は海外へよく出掛けていましたが僕はま〜ったく興味無し。実家に帰るといろんな国の話しを聞かされましたがそれでも全然興味無し。今度ドコソコの国に一緒に行こう、と誘われても「忙しいから」と断り続けてました。1984年までは。
ある時実家から電話が掛かってきて「今度の正月は松山に帰らなくてよろし。その替わりパスポートを用意して送るべし」とのお達し。。。
84年は前年倒れて手術を受けたりと散々で「おとなしい正月」だったのに、もう大丈夫でしょー、とばかりに家族旅行を計画。今思うと僕に元気になれとばかりに計画したんだろうと思う(でもブランド好きの両親の事だから半分以上は買い物が目的であったと察する)。
こちらも本調子になって来たところだったので、ちょっと誘われてもいいかなぁ、と。

で、正月早々に伊丹(当時)空港で合流し、行きましょう何処へでもと。

そして着いたのがシンガポール。1985年1月2日の事。

もちろん由緒正しく記念撮影
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シンガポールのランドマーク、マー・ライオン(左に小さく見えます)
現在はこの位置とは違うらしい

今でも覚えているのは、ウォークマンでこの道中ず〜っとD・サンボーン(as)の“バック・ストリート”というアルバムを聴いていた事。サンボーンのアルトサックスが何故かシンガポールにマッチしてたんですねぇ。

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これはチャイニーズ・ガーデンの橋で。いつも仲の良い両親の横で息子はイジケルの図(笑)

で、観光地はそれとして、やはり天の邪鬼なんでしょう、カメラに納めたシンガポールの街の印象とは・・・・

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泊まったマンダリン・ホテル(奥に見えるタワーが)から何処かに出掛ける時に道の左右で建物があまりにも違うのでパチリ。右は再開発ビル群、左は昔そのままのインド人街。僕としてはこのインド人街にソソラレるものがありましたが、ガイド嬢は「ここも数年の内に立派なビルになります」と一言で片付けられてしまった
シンガポールというイメージにピッタリだったんだけどなぁ。

滞在中の夜にレストランシアターに招待されました。父親の知合いの方がお嬢さんを連れてホテルにまで迎えに来てくれたのです。レストランシアターは円形の大きな建物で、ステージではバンドが演奏。僕らはバルコニー席のテーブルに。ツカツカとウエイトレスがやって来て「アナタ・トシヒロサン?」と声を掛けてくるので「ハイ」と、、

突然ステージのバンドが演奏を止めて、ドラムロールが始まりました
マジック・ショーの始まりかな、と思っていると、突然シアター内の照明が消え、一瞬真っ暗に
バンドのリーダーらしき人がマイクを持って、声高々にMCを始めたのです。



やっぱマジックショーだな



かな〜り聞き取りにくい英語(ブリテンだったかも)のMCは続き




突然、こちらに向けて強烈なスポットライトが



その、とっても聞き取りにくいMCで「ト〜シ〜ヒ〜ロ〜、アキャマ〜チュ」
ドロロロロロロロ(ドラムローム)・・ドタンッ!

うん?

なんか呼ばれてるよーな

再び「ト〜シ〜ヒ〜ロ〜、アキャマ〜チュ」!!


やっ、やっぱ




オ、オレだ


するとバンドがハッピバースディを演奏しはじめた。



突然のサプライズで、どーすりゃいーのよ、オレ、状態。
小声で両親に
「どーすりゃいいよ?」
と、問うと。
「と、と、取りあえず、手でも振ってなさいよ〜」
親も知らされていなかったようで動揺してる

取りあえず手を振って応えた“”

ふうーっ

そう、ちょうどこの日は僕の誕生日。すっかり忘れてた。

まぁ、今なら調子にのってナイトよろしくバルコニーから騎士風の挨拶などするところだけど、この時はホント冷汗タラタラ。

シンガポールもあちこち行く内に「街ネタ」をパチリ

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セントーサ島とかジョホールバールとか行く道すがらやたらと目につく光景。新年を祝って国旗でも掲げているのかと思ったらナント洗濯物でした。

太陽に向けて、みなさん窓から洗濯物を突き出して乾かすのだそうです。

ところ変れば洗濯物の干し方も違うのでありました

かくして初めての海外で始まった1985年。
確かに海外も「ちょっと」面白かったな、と思いながら帰途に。。。

まだこの時は、夏にまさかあのゲイリー・バートン氏にヴィブラフォンのレッスンを受けるとも、まさか自分がわざわざアメリカに渡ってバークリーに行く事になろうとも、予想していない海外欲ゼロ。人生明日は何が起こるかわからない。

おしまい

2006/9/18

6分間の攻防・・・・・  月曜:ちょっと舞台裏

なんか無っちゃバタバタしてるんですけど・・・
で、更新も無茶苦茶時間にバラつきがありますが、どうか御勘弁を。

で、こういうのも舞台裏と言うんでしょうか・・・
ま、利用してる人しか知らないから舞台裏と勝手に決めてしまいましょう

頻繁に利用している寝台列車ですが、何も寝てる時間帯に移動しなくても、、と言われる事もありますが、夜行性の僕にとってはありがたい移動手段なんです。
第一に、早起きが何よりも苦手という有史以来の夜行性民族(?)の為、早朝の羽田に駆け込むとその日一日ボヲ〜っとして殆ど使いモノになりません。
それに長距離と言っても日本程度の距離なら朝イチの飛行機と大差の無い場所も意外と多いのです。
ならば朝4時半頃に起きてボヲ〜っと羽田を目指すよりも前夜に乗り込んで寝てる間に勝手に移動してくれるというのはありがたい。長い通路を歩かされる事も無いし出発時間の20分前に行く必要もない(飛行機の掲載ダイヤは搭乗手続き終了の時間にしてほしいと要望)。空港から都心への面倒な乗換えもない。

で、この寝台に乗り込むと「6分間の攻防」というのがあります。

昔の寝台と違って今は個室ですからまずは乗り込んで車掌の検札が終われば、部屋のドアをロックして自由な空間に早変わり。僕はパソコンをセットしてデータ処理やメール、音楽を聴いたりDVDを観たりします。まぁ、小さな移動式の自室を持つようなものです。ネットも走行中に無線LAN使える場所もあります。
車内で可能なもの・・・・


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流れ行く街の灯をみながら音楽を聴いたり、天井から見える星空や月を眺めながら構想したり、と普段自宅で深夜にやっている事と同じ時間が出来ます。

で、さて、そろそろ寝ようと思ったら何か一つ足りない、、、、





そう、、シャワーを浴びに行かなければ・・・


個室をテンキー(暗証番号式)でロックしてタオル片手にシャワー室のある車両へ。

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この奥にシャワーがあります。
が、只今先客あり・・・・

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予約制ではないのでこういう日もあります。
が、同じ車両にベンダーのあるミニロビーがあるのでここで待機します。
事前にシャワーカードを買っておけば乗車して一番最初に利用できます。

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待つ事しばし、空いたようなのでいざ突入

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ロックして脱衣場のカードリーダーにシャワーカード入れると使えるわけです。
さぁ汗を流そう

と、シャワー室のドアを開けると、、、、、、、



そこに「6分間の攻防」が待ち構えているわけです



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はい、シャワーの右手、赤いデジタル表示に注目

「6分間お湯が出ます」

そう、列車のシャワーは1人6分間なわけです。
緑と赤のボタンがあって給湯のトータルが6分。自由に止めたり出したり。

「ただし・・・6分間」

これ、最初の頃はかなりプレッシャーでした。
寝台列車の内装は住宅メーカーが請け負っているらしく、そこでシャワーを1人何分にするか女性社員があれこれ試して出た結果が「6分」なのだそうです。

もしも・・・・シャンプーアワアワ頭の途中で止まったらどーしよう。。。
もしも・・・・ボディーシャンプーの途中で止まってシャワシャワになったらどーしよう。。。

最初はドキドキでしたが、今ではかなり余裕。

本日は・・・・

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バッチリと仕上げました。
ハッハッハ〜、今夜も「勝ち」です
最近この「あと何分何秒」というのが記録のようになってきました。

脱衣所にあるドライヤーで髪を乾かして

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再び車内(といっても個室だけだから誰にも会いません)を通って部屋に戻り、

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用意されている寝巻きに着替え、軽〜く一杯やりながら電気を消し、

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DVDや音楽を聴きながら、「6分間の攻防」の勝利に浸るわけです。
寝台列車(利用者)の舞台裏・・・・の巻でした。

国際線の飛行機にシャワーあるといいですねぇ。。航空会社さん、このアイデアどうでしょう?寝台列車で350円ですから1000円とか1500円でも利用者はいると思いますがねぇ。。


おしまい

2006/9/17

上場しましたか  日記

mixiが東証マザーズに上場したそうです。
利用者数では先行するYahoo等検索ネットワークには及ばないものの、ユーザーがコンテンツに滞在する時間ではYahooを抜いたという説明があるマスコミであった。いわゆるSocial Networking Siteというジャンルとサーチエンジンの仕組みの違いがよくわかっていない為に無駄な比較をしてる感じではあります。マスコミよりもネットの方が情報先行しているので焦ったか?(笑)

元々Social Networking Site(SNS)はアメリカ生まれで、2004年頃から海外のサイトのコンテンツでOrkutというシステムを見掛けたり、時々楽器の関係者から「招待状」のような物が届いて覗いてみたりしたものの、何だろう? と思っていた(掲示版のようだけど登録制)んだけど、どうやらこれがmixiの元らしい。(ちなみに英語圏では圧倒的なシェアのあるOrkutだが日本語フォントへの対応が無く日本では殆ど知られていない)

僕もちょうど去年の今頃はblogとmixiについてあれこれ調べていたので、少しは詳しい。
今のところSNSではmixiが圧倒的な認知度で、中にはその機能自体をblogやBBSと同じに勘違いしている人もいるくらいだから凄い事だ。
これは「ちょっとちょっと、そこのサランラップ取って〜(実はクレラップだったりする)」「あ、痛ェッ!そこのバンドエイド取って(実はカットバンだったりする)」と同じくらいの認知度ですよ。
ひゃ〜

SNSは閉鎖的で僕は好まないんですが、例えば遠隔地で離れて暮らしている家族のコミュニケーション手段としてmixiを使っている人も多いと聞きました。これはいいですね。誰にも邪魔されず家族との会話がネットで出来るんですから。海外にいる家族との連絡に使っているケースも多いようです。僕が留学していた頃は国際電話か電子郵便。帰国間際に家庭用のFaxがようやく登場して「へェ〜」と思ったほどです。Faxを買ったばかりの僕の友人の父親などは何枚も同じFaxを送ってきたあげくに「息子よ。さっきから試しにFaxを送っているのに何度やってもこの紙が戻ってくる」と国際電話してきたくらいです(笑)。それに比べたら便利な時代になりました。
また、サークルなど仲間同士での連絡用に使っているのもSNSの得意技でしょうね。

いろいろと昨年調べた時に、それらは「なるほどSNSじゃなきゃ出来ないね」と思いました。

SNSは何もmixiだけじゃありません。国内でも「GREE」というSNSもあります。それ以前にもYahooのグループツールや、もっと以前に遡ればNiftyのパソコン通信のフォーラムもありました。いずれも僕は参加していません(理由は先に述べた通り)が、mixiほど一般に普及したものはありません。

一つには携帯電話という末端機器の接続環境が整ったという事で、実際に携帯電話の利用度数の中で通話よりもメールとネット接続が若い人を中心に増えていて、もはや電話という本来の使い方の方がサブに回っている感じがします。
右肩上がりで来た携帯電話産業が分岐点にあるわけです。

上場まで成し得たmixi(SNS)の次には何が広まって行くのでしょうね。
ホントに面白い時代になりました。

おしまい

2006/9/16

そろそろいいんじゃない?  日記

アメリカではニューヨークを中心とした音楽ムーブメントがあるのと同様にウエストコーストを拠点にした音楽ムーブメントもある。ニューヨークと同じイーストコーストでもボストンを中心とした音楽ムーブメントがある。広いアメリカ大陸の事、シカゴ、テキサス、ニューオリンズ、とそれぞれの地域で独自の音楽ムーブメントが存在していて聴くと楽しい。ジャズ一つとってもそれらは明らかに違う個性を持っている。ジャンルを外せばそれこそ無限大だ。

じゃ、日本はどうなのかな?
そんな事をここ数年知りたいと思っていろいろと聴いている。
それと言うのも、やはりネットによって各地のミュージシャン達との繋がりが広がっているから東京にいても他の土地で何が起こっているのかがわかる時代になったからだろう。ましてマスメディアというフィルターを抜きにしてダイレクトに繋がれるんだから便利な時代になった。

垣根が無くなったのは地理的な事だけじゃない。
東京にいるジャズミュージシャンだって全員に会う事などないのだけど、ネットでそれぞれが思う事を自由に発言しているから興味のあるミュージシャンのサイトを見れば納得する事だらけ。年代もキャリアも関係ない繋がりが出来る。

若手ドラマーに橋本学君がいる。数年前に何度か一緒に演奏した時の印象が残っていたので、ある時、彼の名前をGoogleで検索したらすぐにサイトへ辿り着いた。
見ると子供の頃からECMを聴きながら育ち、かなりコアなフェバリット・アルバム(オレゴン)の紹介コラムなんかがあった。「ほっほう〜」と時々見ているのだけど、つい先日は「マイケル・フランクスが大好き」とあった。「へっへ〜」。一緒に演奏した時に「何か」印象に残ったのはソレだったんだなぁ、と思いながら読んだ。いわゆる「聴いてきた物」が一致しているという事なんだろう。それにしてもオレゴンとマイケル・フランクスが繋がるというのは僕と彼ぐらいのものだろう(笑)
早速に11月に彼と共演する事を楽しみに決めた。(11月25日土@横浜KAMOME)

先日名古屋の若手ピアニスト後藤浩二君のライブを観に行った。随分前から友人のピアニスト小曽根真氏のサイトなどでも名前を見掛けて「どんなピアニストなんだろう?」と思っていた直後にバークリー時代の同窓生でトロンボーン奏者の谷口知己君がプロデュースするレーベルから彼のアルバムが発売されたので買ってみた。そしてそのピュアな感性がとても気に入っていた。2年前に神戸で谷口君と共演した時に彼とプロデュース談義をした事もあってどんな作品をリリースしているのかに興味もあった。
その後名古屋に行った時もお客さんから後藤君の名前を何度も聞き、名古屋をベースに活躍中のヴァイビスト山下真理ちゃんからも幾度となく彼の素晴らしさを聞いていた。

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『Reminiscence/後藤浩二』(Newburry Street Music/2003年)

東京には東京の、名古屋には名古屋のミュージシャンがいるのだから、当然音楽の何処かに違いがあってしかり。食べ物も言葉も違うのだからそういう部分ってこれからもっと自然に生かすべき時代だと思う。先日やっと会えた後藤君のステージは溌溂としたもので、今度二人で何が出来るんだろう? とイメージを浮かべながら楽しんだ。もう彼等の世代になれば名古屋も東京も大阪も全てホームグラウンドだ。
彼とは11月に名古屋でデュオを(11月1日水@名古屋スターアイズ)

そんな風に考えてたら、この秋は久し振りにいろんな「初」が生まれそうだ。
松山の若手ミュージシャンともツアーをするし、今はちょうどピアニスト川上さとみさんとの打ち合わせを行っている最中(10月20日金@新宿・西新宿三井ビル・サロンコンサートでDuo)。この数年考えていた事やそのままになっていた事が少しずつ形になる気配。

昔は何処かで共演した事が切っ掛けでそれから何かが始まるものだったけど、今は会う前にいろんな事がダイレクトに飛込んで来るし、自ら興味を持てば何処へでも、誰とでも繋がる事が出来る。そういう時代がやっと来たんだねぇ。
ホント、楽しみが増えます。いいんじゃない、そろそろ自由にやったって


おしまい

2006/9/15

ヴィブラフォンとギターの相性  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

毎週金曜日はヴィブラフォンやマリンバをやっている人向けのお話し。金曜第二十五回目の今日はヴィブラフォンと相性の良い楽器のお話しです

相性の良い楽器には二種類あります。
一つはお互いの楽器が持ち合わせない領域を出し合って「ひとつ」のサウンドを生み出す場合。例えば管楽器とピアノ、ドラムとベースなどのように和音の出ない楽器と出る楽器の組み合わせとか、音程のある楽器と無い楽器の組み合わせとか。
もう一つはお互いの楽器が共有する領域を出し合ってサウンドを構築する場合。例えばギターとピアノ、マリンバとヴィブラフォンとか。
前者が「分担」という明確な役割を持っているのに対して後者には明確な役割がありません。つまり後者の場合は、楽器の相性と言うよりも演奏者の相性という事にウエイトが置かれている場合が多いのです。

ヴィブラフォンの場合は楽器の機能から見るとピアノに近い性質を持っています。メロディーもハーモニーも弾ける(つまりソロもカンピングも出来る)、そしてペダルで音をサスティーンさせるという共通した機能が備わっているわけです。
ところが、これだけ共有する部分が多いと和音をどのように組み合わせるかとか、音域をどうするかなど、お互いの音が「ぶつかる要因」も増すわけで、演奏者同士の持つ音楽的なセンスの相性というのが何よりも重要性を帯びてきます。
特にヴィブラフォンが4本マレット奏法の場合は「分担」という役割を超えてサウンドを出すのでピアニストがどのように「隙間」のサウンドをコントロール出来るかで演奏の印象は大きく異なってきます。

対してヴィブラフォンとギターの相性を見ると、お互いにメロディーもハーモニーも弾けるものの、特にハーモニーの出し方に違いがある事がわかります。ひとつはヴィブラフォーンがどのような音形の和音でもサスティーンペダルを使って弾けるのに対して、ギターは運指(ポジション)によって出せるサウンドに限りがある事です。対してギターはどの調でもほぼ均等な形(ポジション)でヴォイシングが出来るのにヴィブラフォンは鍵盤の位置で形が固定されている為に調によって不均等な形(フォーム)となります。
フレット楽器とキーボード楽器の成立ちの違いが大きいという事になりますね。

さて、そうは言うものの、ヴィブラフォンとギターは、ピアノよりも近い性質を持っているのです。そう、ピアノは10本の指を同時に操る事が可能な事に対して、ヴィブラフォンとギターは同時に4〜6個の音しか出せません。この「出せない」ところが、この二つの楽器の相性の良さに結び付いているわけです。サウンドが「ぶつかる要因」は同時に発せられる音の数が少なければ少ないほど減るわけで、ピアノとの組み合わせほど細かい選択を迫られる事がないからです。つまり二つの楽器が揃っても最初からサウンドに隙間がある、という事ですね(初級以外の音楽ではこの“隙間”の演出が最大のポイントになります)

ジャズのギターとヴィブラフォンの組み合わせで、その面白さを最大限に引出した演奏と言うと、僕はラルフ・タウナー(g)とゲイリー・バートン(vib)のデュオだと思います。

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『MATCH BOOK/Ralph Towner & Gary Burton』(ECM/1974年)

曲によってはタウナー氏がギターをオーバーダブしいますが基本的にはデュオそのものです。74年5月のバートン氏のクァルテットの来日公演にタウナー氏がゲストで加わったステージで初めてこの二人のデュオを聴きましたがバートン氏もさる事ながらタウナー氏がギターで奏でるそれまでのジャズギタリストが弾くコードサウンドとは明らかに違う世界に驚いたものでした。

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『SLIDE SHOW/Ralph Towner & Gary Burton』(ECM/1985年)

前作から約10年を経たこのデュオの二作目は、よりワイルドでダイナミックな音作りとなりタウナー氏の曲作りが益々冴えています。いわゆるエレクトリック・ギターの世界とは違うアコースティック・ギター(クラシック・ギター)のコンテンポラリーな作品としてジャズと締めくくるにはもったいないほどの作品が並びます。ここではタウナー氏のオーバーダブに加えてバートン氏も曲によってはマリンバを使っています。
89年にボストンでこのデュオのコンサートを見ましたが、CDそのままのサウンドがステージに並べられたタウナー氏のエフェクト・セッティングから聴こえて来るのでエンジニアの友達と「凄いねぇ」と感心しました。スタジオとライブは異なるんじゃないかと思ったんですが、ホントそのまんまでした。エフェクトも含めて「楽器」なんですね。

これらの作品ではこの二つの楽器の隙間にどのようなスリルを与える作品(曲)が相応しいのか、その作品をジャズの用法(つまりはコードインプロ)を使って何処まで高められるのか、それらの極限が聴こえてきます。もちろんジャズのスタンダードもその「隙間」の演出にかかるとまるでマジックのように変身しています。そう、あくまでもこれはジャズなんです。


おい!じゃあ、日本じゃどうなのよ・・・・




はい、いますよ






僕(笑)




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『Nows The Time Workshop - Vol.2』(BMGファンハウス/1991年)

帰国直後にリリースされたオムニバス・アルバム(リーダーセットで3曲収録)。この中に1曲ギターの道下和彦君とのデュオがあります。タウナー〜バートン組とは違いますが、これも「隙間」の組み合わせとして何処かで見掛けたら聴いてみて下さい。自分でもこのトラックは残しておいて良かったと思っているのです。ギターとのデュオ、いいですねぇ。今ちょうどいろんな若手ギタリストを聞きに出掛けてるところなんです。

おしまい

2006/9/14

ついつい嬉しくなってしまうアルバムって・・・M.Franks  木曜:Jazz & Classic Library

先日買いだめしたアルバムはかなりゴキゲンにさせてくれてる

その中でもオレゴンの結成30周年記念アルバムと双璧なのが今夜紹介するコレ

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『RENDEZVOUS IN RIO/Michael Franks』(Koch/2006年)

前作「Watching the snow」から約2年振りの最新作は近年の傑作と誉れの高い95年の『Abandoned Garden』(アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げたアルバム)に次ぐ「吹っ切れた」内容が心地良い。

「マイケル・フランクス! 懐かしいねぇ〜」

と言う古くからのファンであれば、1曲目など77年の傑作『Sleeping Gypsy』の最終曲“Down In Brazil”を思い出しておもわずニヤリとしてしまうでしょう。
それもそのはず、今回はBPMの名曲“SAMBA DE SOHO”までカバーしてるくらいだからテーマはRIO。
いや、そればかりじゃないよ。80年代のアルバムのニアンスも散りばめられていて、まるで総集編のような出来栄。
それでいて、しっかり2006年の音になってるところが、いつものマイケル・フランクスのセンスの良さだと思う

ほぼ2年に1枚のペースでコンスタントにアルバムをリリースしているからと言って、毎回奇抜な事をするわけじゃない。十分に練られた曲とサウンド・コーディネートで最新の「その時」をいつも聞かせてくれる。「その時」というのが、いつもアメリカの音楽業界のブリリアントなサウンドなんだ。

それもそのはずで、曲毎にプロデュース&アレンジメントを替えて最も曲にフィットするサウンド作りをしている。Chuck Loub、Charles Blenzig、Scott Petito、Jimmy Haslip、そしてJeff Lorber。5人のプロデューサーを核としたチームがアルバム(10曲)を仕上げている。前作の「Watching the snow」がCharles Blenzigとマイケルの二人だけのプロデュースだったので「おや?」と思っていたんだけど、やはりそれは例外だった。正直なところ、前作はずっと聞き通すと少々退屈に感じたのも、実はこんなところに原因があったのかも、、、と改めて思わされてしまう。

このようなやり方(複数のプロデューサーとのコラボレーション)は1枚のアルバムの中にいろんな世界があって飽きない。そしてプロデューサー=ミュージシャンであるから、一番フランクスの曲に合うサウンドを知っている。
だから、聞いているとついつい嬉しくさせてくれるツボがあるんだ。
そしてプロデューサー毎にカラーが異なるのも、聞いていて飽きさせない大きな要因だと思う。もちろんプロデューサーが替わればミュージシャンも替わる。そういうブレーンを持っている事が重要なんだ。

例えばポップで口当たりの良いボサノヴァタッチの曲にJeff Lorberがプロデュース&アレンジで仕上げたかと思ったら、次の曲ではいきなりヴェニー・カリューダのアグレッシブな5拍子のドラムが炸裂。プロデューサーJimmy Haslip & アレンジRoger Burn組に替わっただけでこんなに違う世界が出来上がるんだから、曲毎のコントラストが楽しい。

今後、この方式はもっといろんな音楽で採用されるべきだと思う。
メイン・アーチストの姿がよりくっきりと浮かび上がる方法だから。

マイケル・フランクスの新作は、70年代から2006年までを、肩肘凝らずに難なく駆け抜けてくれる、そんな爽快なサウンドとアレンジメントの光るアルバムですよ〜。お薦め

おしまい

2006/9/13

秋茄子は・・・・・・・  水曜:これは好物!

秋です。

1年を通じて一番好きな季節がやってきました

先日ヴィブラフォンのレッスンの時に王子ことSINSKE君が知合いの作った無農薬栽培の野菜を差し入れしてくれました。

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ちょうど某Y社のマコティーがやって来たので、さっそく料理する事に。
家人がおりませんでしたから、何を作るかはシェフの僕任せ。

茄子って和でも美味しく、中でも美味しく、洋でも美味しくいただける万能選手なんでねぇ。みなさんは何で食べますか?

僕は、まずキッチンに何があるかな、、、と見たところ、カットトマト缶が真っ先に目に入ったので、マコティーに「パスタってど〜よ」と声を掛けたら「僕、パスタは大好きやねん」って。
この男、ワイン片手にやって来て、ここまでに前菜の中華風レタスの紹興酒蒸しに、豚肉唐揚げセロリソース掛け、魚介類のワインソテーとたいらげ、まさに胃袋は絶好調である

まぁ、そのむかし、まだ彼が学生の頃、ヴィブラフォンのレッスンに通って来ていた時に「今日は人間何処まで食べれるかやってみよう」とレッスンの後に料理を出したら12品目ペロリとたいらげた記録を持つ。恐るべしセント・ストマックの持ち主なのだ。しかも先日荷物を整理していたらその時の「おしながき」が出てきた、と言っているから3品目程度ではビクともしないのであろう。

で、話しで盛り上がりながらワインを飲みィ〜の、で、こちらがキッチンに入って料理している間もず〜っと喋りかける。我が家は対面式のキッチンなんだけど料理するには換気扇がゴーゴー鳴って彼の話しが聞き取りにくいんだ。それでも一人でワーワー言ってるから「食べる」か「喋る」しか彼の中には選択がなさそうである。

そんな中、パスタをずんどうで茹でつつ、茄子を切りガーリックオイルで炒め、ワインで香り付けをしバジルペーストで味を整えてソースが完成。

「どおよ」

「秋茄子」



「うまい!」

「こりゃ〜サイコー!」

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男二人で思わず

秋茄子は嫁に食わすな、とはこれいかに!

静かに、と文献のように言いたいところだけど、
ガーガー賑やかに喋りながら秋の夜はふけゆくのでありました

おしまい

2006/9/12

こういうのは悲しいね。。。  火曜:街ぶら・街ネタ

本日は実家松山から。
いやあ、悲しいなぁ。。。

ナニがって?

実家から100mもない所にある「ナイトショップ」が今月16日を最後に閉店してしまう。
「ナイトショップ」って何? 
と思う人も多いよね。
要するに夕方から朝まで営業するコンビニ。

今ではチェーンのコンビニが全国津々浦々まで24時間営業だけど、1960年代なんてコンビニそのものが無かった。

70年代に入っても24時間営業のコンビニは東京ですら殆ど無し。店名の通り朝7時から夜11時まで。夜間に開いている店は皆繁華街の個人商店だった。

80年代に入ってやっと24時間の店がポツポツ主要都市に点在する程度。東京でも大半は午前1時には閉まっていた。いわゆるTBOでサンチェーンがローソンに統合されたりもした。

90年代に入ってそれが24時間で当たり前になって、今世紀になってからはどんな山奥でも24時間営業するようになった。しかし実際にはどう見ても過剰供給気味で店舗の閉鎖と新規開店を繰り返している。

で、実家の近くの「ナイトショップ」も1960年代に誕生した。
「日が暮れてから営業する店ってど〜よ」
と思われつつも、繁華街の中という事もあって深夜族から綺麗なおねィさんまで足しげく通い大繁盛。その内に隣りにまで似たような「ナイトショップ」が出来てお互いに競った。

僕がこの「ナイトショップ」に通うようになったのは70年代中盤の高校の時の帰省中から。夜中にお腹が空くと、ホイホイと出掛けいろんな食品や惣菜を買った。
午前2時だろうと午前4時だろうと、店内は買い物客で溢れていた。まあ店の外も不夜城なんだけど。

少なくとも30年以上も続いたこの「ナイトショップ」が閉店するには訳がある。


コンビニだ 

実家界隈の200m四方に現在何軒のコンビニがあるか?・・・

軽く10軒はある。Lの付くコンビニなどは電車通りを挟んで同じ●ーソンが向かい合っている。しかも両方とも同じオーナーだ。その周りを今度はFの付くコンビニが取り囲んでいる。。。その隙間にSの付く店やPの付く店、Dの付く店が入り込む。
いつの間にかコンビニ激戦区になってしまった。
繁華街だから朝まで人が絶えないので商売になるんだろう。

コンビニは確かに便利。無いと困る時代だ。
しかし良い面だけでは無い事も確か。
風紀上の事は仕方ないとしても、全国津々浦々までまったく同じ造り、同じ商品、同じ味。
コンビニの弁当って温めないで食べるととにかくまずい。温めたからって旨くなるわけじゃなくて誤魔化されてるだけ。こんなので満足してたらブロイラーだよ。これは仕方がなくて食べるもんだよ 僕もそう言う時は食べる。

その点「ナイトショップ」の弁当は(これだってそう美味いものではないけど)温めなくても食べられる最低限の味覚を保っている。

味覚って大切だよ。人間の五感に影響を与えるし、全国一律の味覚なんて「ありえない」し、あったら非個性の固まりになってしまう。だから地方に行くとどうしてもその地域だけのコンビニやナイトショップが贔屓になる。

全国一律の物もあって、地域独自の物もあるのが一番正常な形だと思うのは僕だけじゃない。「比較対象」を失ったら文化は滅びるだけ・・・・。

さっき(午前2時半)に行ったら、殆どの惣菜は売り切れ。店の人に「なんだか今夜は凄い事になってるねェ」と声をかけたら、今朝の新聞で記事になって今日は入る商品は瞬く間に売れてしまって困惑している、という。「閉店って騒がれてもちっとも嬉しくないのよね〜」とも。
明日には東京に戻るので、唯一残っていた弁当を購入。ホント、これが今夜最後の一品だった。

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『巻盛弁当』(ナイトショップさくら)
温めないでも食べられる弁当。巻き寿司に10種目のオカズ。ボリューム満点。これで税込み525円

もう無いよ、これで最後よ、、、
こんな時間にさようなら・・・と味を記憶に残しつつ、、、いっただっきま〜す。

ああ〜、うまかなし〜

おしまい



2006/9/11

そうだよなぁ。。。  月曜:ちょっと舞台裏

音楽用語を日常用語に代用して暗号化していた時代があります。今頃そんな隠語を使う人がいたら「ヲイヲイ」とセンスを疑いますが、みんなが(いや、音楽業界の関係者という意味です)使っていた時代はこれが元でのハプニングも多かった。

数字に音名を使っていた時代がありました。
基本的には、なぜかこれがドイツ音名のC D E F G A H (ツェー、デー、エー、エフ、ゲー、アー、ハー)。一番これで多かったのが金額に置き換える会話。

基本的な例文:

A:「Bちゃん、ひとつゲージュウでよろしく」
B:「ゲージュウ?スイヤだねえ」

解読するとAさんの『50万円でやってくれまいか』という頼み事に対してBさんは『50万円では安い』と不服を述べています。

ドイツ音名のG(ゲー)が“5”という数字の代わりに使われています。それに位の十
(ジュウ)が付く事によって50という数字を示す事がわかります。しかし「万」という単位が出てきませんが、次のように解釈しなければなりません。
日本では位がイチ、ジュウ、ヒャク、セン、マンとありますが、マンの位を超えないと単位にジュウを使いません(この場合大人の会話なので50円という単価は省略)。すると必然的に50というと50万になります。もっとも大企業がこんな会話をするとなれば50億円もありうるわけですが、そんなジャンキーな企業はありません。
 
この場合、数とは関係のない“スイヤ”という言葉にも注目しましょう。これは「安い」という単語のアナグラム。数の置き換え以外にも隠語を使うとなると、Bさんはかなりの上級者とみなします。

日本では金銭を口にするのはタブーとされた時代が長かったのでこう言う表現が出来たようです。昔は喫茶店が打ち合わせの場所の代表だったので、隣りの席で誰が聞いてるか分からない環境。そうなると知らない相手にはわからない「暗号」が便利なわけです。

この隠語はクラシックのオーケストラから始まったと言われています。ドイツ音名なのはそこに起因しているのでしょう。

ところがこのドイツ音名のクセモノが“E=エー”と“A=アー”。
ポピュラーだと英音名が基本なので慣れないといろいろとみんな「やらかす」ので“E”と“A”だけは英音名(イー、エー)になっていたり、、と、なかなか単純解読とは行かないようになっています。

ちなみに英音名だとC D E F G A B(シー、ディー、イー、エフ、ジー、エー、ビー)。

実力テスト:
次の金額を正しい隠語でそっと相手に伝えましょう

   35.000円

------------------------
(正解は最後に)


しかし、僕はあんまり使ってなかったせいか、一つの未完のままです。
8は音楽用語のオクターブを使います(8千円ならオクターブセン)が“9”って何だったのだろう?? 音階が7音で出来ているので1オクターブ上の8までしか音楽用語にないのです。

・・・・・・・・・・・・・・

バブルの頃に日本に帰ってきたら、業界の言葉も随分変わっていました。
浦島太郎みたいでしたが、それも今では見かけなくなりましたので参考までに載せておきます。

あるプロデューサーに演奏が終わったところで指を1本立てて「イッポ〜ン!」と言われ、最初は何のことかわかりませんでしたが、このころの最小単位が10万との事。「イッポ〜ン!」と言われれば10万円、2本なら20万円、、、、話しが大きくなると「イッポ〜〜ン!」が100万、場所によっては1000万なんて事らしかったのですが、その後バブルが弾けると共に「イッポン」が丸一つずつ消えて行き、その内にこの言い方は泡の如くに消滅しました。

今ではちゃんとした言葉で話しをするのが常識で、ココに挙げた隠語などを使う人がいたら「ひんしゅく」モノです。

でも、こうやって書いている内に思いました。そういう遊び心で仕事をしていた時代って、ひょっとするとみんな幸福だったのかもしれませんね。しかもコレなんか日本独自の文化かも? やはり「遊び」がないと面白い発想や文化は生まれないのかもしれませんよ。
みなさんもこれからは真面目に遊んで新しい業界用語を作ってみましょう。うん?


正解:イーマンゲーセン

おしまい



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