2006/9/10

括りは「昭和」じゃなくて「1960年代」でしょー  日記

只今名古屋駅に滑り込んだところ。時刻は午前2時24分。広い構内には誰もいません。

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昨日に引き続きヴィブラフォンのレッスン生が攻めてくるゾ〜(笑)。

ゴゴイチはI本君。ヴィブラフォンだけでなく最近はドラムセットも習っている。ドラムの先生には小山太郎君を紹介した。全身を使ってリズムを体得中で、最近ヴィブラフォンのアドリブがそれらしくなってきたところ。

続いてやって来たのはASUKAちゃん。最近いろんな事で疲れ気味のようです。若い時は何かと悩むものだけど勇気を持って自分を信じて乗り越えて行くのだ〜。がんばれ

次のNATUMI嬢がやって来た。ドアをあけると満面の笑顔。ホントに周りまで明るくさせる子です。さっそくリビングでASUKAちゃんと盛り上がっているから女性というのはやはりお喋りが何よりもストレスの発散のようです。昨夜客人がお土産に持ってきたチーズケーキ・ファクトリーのスティック・チーズケーキを出したら
二人とも“あっ”と言う間にたいらげた 
ううん、、お喋りに油を注いだようなものだ(笑)。

「はいはい!じゃレッスン始めるよ」と“お開き”にしてNATUMI嬢とレッスン室へ。このところNATUMI嬢もアドリブがそれらしくなって来た。確実にみんな前進している。

NATUMI嬢が帰ってからそそくさと旅支度。必要最小限の身支度を完了しタクシーで駅に向かう。時刻は午後7時半。

京王線で新宿に出て駅の横の「黄色い」CDショップに駆け込む。今夜個室で聞くお供を買ってから列車に乗り込もうというわけだ。こういう時は思わぬ物に出会う確率が高い。ザザザ〜っとジャズとブラジルのコーナーを見ていたら「へぇ〜」というアルバムを見つけてしまった。

中央線で東京駅に向かい構内のチャイニーズレストランで遅い夕飯。構内の本屋を覗いたりする内に出発の午後10時ジャスト。

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個室でいつものようにパソコンをセットし、備え付けの寝巻きに着替えるとちょうど車掌の検札タイム。これを過ぎるともう誰もこの部屋にやって来ない。冷たい飲み物を飲みながらさっき新宿で買ったCDをベッドに転がって聞く。列車は横浜に着いた。

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『メガロポリス/松本浩・市川秀男カルテット』(Victer/1969年)
このシリーズタイトルが凄い!
題して「昭和ジャズ復刻シリーズ」。時代はノスタルジックに昭和なんでしょうか?そのあたりは疑問もありますが、とにかく市川さんは現在演奏を御一緒させてもらっているし昔から市川さんの曲は邦楽ジャズっぽくなくて好きなんですが、この松本さんという方、実はヴィブラフォン奏者なんですね。時々お名前は耳にしていましたがまったく演奏を知らないのです。当の市川さんからも出なかったし。それで今夜の就寝までの楽しみに。

1969年ですよ。僕は子供ながらに記憶があります。アメリカは月にまで人類を送り込んじゃうし、学生運動しきりで僕の通う小学校の隣の大学もバリケード封鎖されて授業中に火炎ビンが飛び交ってました。凄い時代だったのですね。空模様に例えると「どんより曇り」かな。

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ここで聞ける音楽にどのような意図があるのか、僕は正しく理解してないかもしれませんが混沌とした音楽。ああ、これがきっと当時の東京のジャズの音なんだろうな〜、と感じさせてくれます。もしも10年早く生まれていれば、僕も間違いなくこの音の中に身を投じていたのでしょう。
24歳の市川さんの演奏。「あ、これこれ」という感じがそこかしこにありますが、まだいろんな事を試している姿が聞こえます。松本さんのヴィブラフォンは初めて聞きましたが、そうか〜こういう演奏だったんだぁ〜、と思いながら楽しみました。

21世紀風のハイテク寝台列車で昭和を聞くというのも不思議です。藤沢を過ぎ車窓から大きな建物が消え、個室の照明を消して真っ暗な中で月夜を見ながら昭和の音を聞くと昔二段寝台で東京にレッスンに通った頃の事を思い出しました。

このまま昭和のままでは混沌として寝れないのでパソコンに入れてたマイケル・フランクスの新譜を聴いて寝る事に。。。。うん。今のアメリカが見えます。

あ、あの「昭和」という括りですが、「復刻1960年代の東京ジャズ」が正しいと思いました。1970年代で音楽が一層進化の速度を速めたのと一致しませんね。


おしまい

2006/9/9

疲れた〜  日記

今日は一日家から出る事が無かった
家にいるんだから、のんびりでしょー

いえいえ、まったく逆。
正午からヴィブラフォンのレッスン生が攻めて来る(笑)。

トップバッターは目下音感強化月間のA木さん。2曲課題を渡した。「大人な」感じで頑張れ

次からは今年の横浜ジャズプロムナード(YJP)出演組が続く。。。

いづれHPやDMで詳細を公表しますが、まずは10月8日の午後2時からZAIMビル前会場で演奏するハヤタさん。Vib+p+b+dsで出演する。曲は・・・・おい、こんなに多くて間に合うのか!?

次もYJP2006出演組のナカジマさん。何やらプログラムを考えているようで曲の演奏時間をメトロノームを使って割り出し中・・・・・おい、その曲、そんなに早くやって大丈夫か!?

次もYJP2006出演組のナガサキさん。え?ベースの人にメール出したけどレスまだ来ません? そ、そ、そういう時は携帯に電話するもんです!? 早くかけなさい。アレ、留守電だって・・・。

ナカジマさんとナガサキさんは合同でVib2台を並べてp+b+dsの編成で10月7日の午後3時から赤レンガ倉庫前会場。赤レンガの中ではデイブ・パイク(vib)も午後3時30分から演奏中。
(ちなみに僕は同じ10月7日午後5時30分から横浜情報文化センター情文ホールに出演)
10月7日は午後3時から6時半まで確実にヴィブラフォンが横浜で響きまくる
皆リビンクで打ち合わせ等バタバタしている。弟子達のステージはフリーなのでどなた様も是非応援ヨロシク!もちろん僕らの会場へもYJPのフリーパスを持ってドゾ!

→ 横浜ジャズプロムナード公式サイト

そこへ王子ことSINSKE君が登場!王子が差し入れで友人が作った自然栽培の野菜を持ってきてくれた。(後で食べたら無ッ茶旨かったよ!サンキュー)

王子のレッスンが終わってしばしリビングで談義。若い彼の将来に期待がかかる。

王子が帰ったと思ったら、今度は久し振りに会う親友がやって来た。もう20数年になる。しかも大食い(笑)。今日は家人がいないのでサササッと料理をしィ〜の、食卓に出しィ〜の、ワインを注ぎィ〜の、話しをしィ〜の、再び料理をしィ〜の、食卓に出しィ〜の、ワインを注ぎィ〜の、話しをしィ〜の、、、、、
午前1時前に親友が帰った後で皿洗いをしィ〜の、ゴミを捨てェ〜の、風呂をセットしィ〜の、メールチェックをしィ〜の、明日までにパソコンで譜面におこす音源を聴きィ〜の、ブログを更新しィ〜の、、、、、、

ふうーっ

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外で演奏してる時の方がず〜〜〜〜っと楽なんだなぁ、こりが。

しかし、みんな頑張れ! 明日は君達のためにある!! きっと。




僕は、疲れたので・・・・・・・




寝ます



おしまい

2006/9/8

モダン・ジャズヴァイブの巨人の1/2・・・・  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

毎週金曜日はヴィブラフォンやマリンバをやっている人向けのお話し。金曜第二十四回目の今日はヴィブラフォンの演奏スタイルを確立したモダン・ジャズヴァイブの巨人のお話しです。

コンテンポラリー・ジャズヴァイブの創始者はゲイリー・バートンと今までにも紹介していますが、コンテンポラリー・ジャズも含めた今日の全てのヴィブラフォン奏者に影響を与えているモダン・ジャズヴァイブの巨人はミルト・ジャクソン(Milt Jackson)です。

このブログを見ている人には、根っからジャズヴィブラフォンが好きな人もいれば、他のジャンルからヴィブラフォンに興味を持ってみている人、打楽器のひとつとして見ている人、何となく通りかかってみている人、、、と様々。
ジャズのヴィブラフォンと言ってもいろんなスタイルが演奏にはあるので紹介しているアルバム等を是非聴いてみて下さい。

さてミルト・ジャクソン氏の事を紹介する時に、大きく二つの説明をしなければなりません。

ひとつはジャクソン氏が参加し解散後数十年経った今日でも世界的な人気を博するグループ“Modern Jazz Quartet”(通称MJQ)。このグループについては、沢山のサイトやブログで説明されているので僕が今さら何か付け加える事はありません。一言だけ加えるとすれば、このグループはChamber"Jazz"musicの原点にある、と言う事です。このChamber"Jazz"musicについては7月28日のブログでも触れていますから参照して下さい。

もうひとつはMJQ以外のジャクソン氏。自らのリーダー作からセッションまでこれも多数あります。僕はヴィブラフォン奏者としてこちらのジャクソン氏が好きです。MJQは音楽監督兼ピアニストのジョン・ルイスが描く世界で統制の取れたサイズの中でのジャクソン氏がいますが、MJQの枠が外れたジャクソン氏の演奏は自由奔放。

実はヴィブラフォンを始めた頃からしばらくの間はジャクソン氏の演奏に興味がありませんでした。自分は4本マレットだし、ブルースよりもロックやボサノヴァにより親近感を持っていたからです。高校を卒業する頃になって、地元の松山に長期滞在で演奏していたヴィブラフォンの藤井寛さんを紹介してもらい初めて自分の知らないスタイルの演奏を見る事に。藤井さんが出演しているライブハウスや“ハコ”に出掛けては時に一緒に演奏させてもらったり大変お世話に。ある日「ミルト・ジャクソンを聴いた事がないのですが、何かお薦めはありますか?」と生意気な高校生の質問に応えて推薦してくれたのがこのアルバムでした。
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『PLENTY,PLENTY SOUL/Milt Jackson』(Atlantic/1957年)

クインシー・ジョーンズのアレンジによる5管編成3リズム+ヴァイブというもので、早速レコード屋で買ってきてターンテーブルに乗せて聴いたものの、、、、エレクトリック・マイルスやリターン・トゥ・フォーエバーに馴染んだ高校生の耳には、さっぱり理解出来ませんでした。録音もヴィブラフォンの音色がやや硬質で、好みではなかったというのも馴染めなかった理由かもしれません。

しかし、それから数カ月後に再びジャクソン氏の演奏をFMで聴き「これ、これ!」と思って購入したのがこのアルバム。

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『The Milt Jackson Big4 - Montreux Jazz Festival』(Pablo/1975年)
ジャズフェスのライブ盤なのに、不思議と耳に馴染みやすいサウンド、その頃始めたジャズ・スタンダードの数々、心地よいジャクソン氏の打撃音、、、、この時に思いました。
録音は新しい方が良い

「プレンティー〜」の時は録音の好みが合わずジャズ喫茶でよく耳にしていたMJQのヴァイブの音とも違う事で「耳」が拒否してしまったのですが、このライブ盤に聴こえる音は普段自分の周りから聴こえる耳慣れたサウンド。すると不思議な事に、それまで興味を持たなかった事が嘘のようにジャクソン氏の演奏を楽しむ事が出来たのです。

続いて買ったのも同じレーベル
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『Feelings/Milt Jackson and Strings』(Pablo/1976年)
ストリングスとの共演として好きなのが(録音は良く無いけど)チャーリー・パーカーのストリングスものです。それを言うと「ふん、君はパーカーをわかっとらんナ」と言われた事がありますが、なぜか好きなんですね。ジャクソン氏のこのアルバムもそんなに注目されたものではありませんが好きなのです。

他にもジャクソン氏のアルバムを購入し、この頃になって自分でもヴィブラフォンのファン(プロペラ)を回してヴィブラートをかけて演奏してみました。プロペラの回る速度、ハーフ・ダンプリング、打撃音、ブルーノート、、、、それはとても短い期間でしたが、ノン・ヴィブラートで始めたヴィブラフォンが別の楽器のように響くのでびっくり。ジャクソン氏が如何にヴィブラフォンの機能をフルに使っていたのかを検証してみたのです。プロペラもあの速度以上の回転では細かいニアンスが付けられない絶妙のバランスとどんなテンポの曲でも対応出来るなどよく考えられている事がわかりました。
その耳で再び「プレンティー〜」を聴くと、前とは違ってジャクソン氏が何をやっていたのかがハッキリ。

しかし、少し耳がヴィブラートに馴染んだ時に、ふと止めて演奏した瞬間、とても不安にかられたのです。全てのニアンスが消えてしまった、、、錯角なんですが。
その不安を感じてから、ノン・ヴィブラートでも「あのようなニアンスのある音を作ろう」と開眼させてくれたのです。

一番好きなのはライブ盤の「ステラ・バイ・スターライト」。炎のソロリレーが痛快。

おしまい

2006/9/7

久し振りにグッときた・・・・・・・・ENIGMA2  木曜:Jazz & Classic Library

1994年のある冬の朝6時過ぎ。
目黒の吉田さんのスタジオにこもって徹夜の録音を終え、ようやく寝むそうな太陽が昇った朝靄漂う川越街道を自宅(当時)に向かって車で走っていた時の事だった。

この頃はほぼ毎日深夜に新曲を書き、ライブの隙間にベーシックなオケを録音しては深夜スタジオにこもってヴィブラフォンやピアノといった生楽器をオーバーダブし、スタジオ配給用のPVやコマーシャル、ジングルなどのサウンドエフェクト集を録音していた。バブルの後遺症があるとは言え、通常の時間帯は誰もが忙しいのでエンジニアもミュージシャンも空いている深夜の時間帯にスタジオを自由に使って良し、という許可をもらっていたのでした。恐らくトータルで100曲近くの作業をしたと思う。

機材のトラブルで途中何時間か中断した録音のラフミックスを聞きながら走っていたんだけど、サウンド・エフェクト曲だから短く20分もすれば終わってしまう。この頃はヴィブラフォンのマレットを綿巻きのマレットと毛糸巻きのマレットの両方を試していたのでテイクは2つずつ記録していた。だから車内には同じ曲が2回ずつ流れるのだ。シーケンサーと同期したサウンドが多かったので機械の音を一晩中聴いていると、かなり耳が疲れていた。おまけに同じ曲が2回ずつ流れてくるのだから・・・・・まぁ、飽きるわな(笑)

さて、そろそろ自宅まであと少し、というところで車中音源をFMに切替えた。

その時、突然流れてきたのがコレ
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『the CROSS of changes/ENIGMA2』(Virgin/1994年)

流れていたのはこの中の“Return To Innocence”。
疲れ切った頭に何のストレスもなくストーレートに入ってくるものだから、もう1分もすれば自宅というのにそのまま車を走らせて近所を一周して最後まで聴いた。

これは・・・・いいゾ

しかし普段ロックを聴いているわけでもないので、これが誰だかさっぱりわかんない。
即J-WAVEに電話して聞いたら「エニグマ2」との返答。

えにぐま?
ちょっと僕の米国生まれの文字変換の得意なMac君に聞いてみましょう。

絵に具間、、餌に具間、、柄に具間、、枝に具間、、繪に具間、、得に具間、、獲に、、、もういいか

Enigma。第二次世界大戦中にナチスで使われた暗号機の事らしいです。由来はギリシャ語の「謎」という意味。今でこそ日本でも幅を効かせているサウンド・クリエーターという職業のハシリと言えるドイツのサウンド・クリエーター集団。実際には1990年にマイケル・クレトゥが立ち上げたプロジェクトでバンドではない。

早々にアルバムを手にして1曲目が始まった瞬間に、自分がなぜ「エニグマ」に惹かれたのかすぐにわかった。ドイツなんだ、中身が全て。
僕の中には70年代のECMサウンドがある。まるでエバーハード・ウェーバー(b)やヤン・ガルバレク(sax)でも出てきそうな出だしじゃないか。(もちろんシンセとサンプリングの世界だけどね)
こういうスペースとステイ・ビートの音楽は大好きだ。
やがて3曲目でその後大ヒットした“Return To Innocence”。この曲がどれだけ世界中のポップスに影響を与えたか計り知れない。ヒーリングという言葉もこの頃から世間で飛び交うようになった。その後エニグマはグリゴリオ聖歌を盗作したとか、訴訟だとか、いろいろと言われたようだけど現在では全てクリアーされているようだ。

このエニグマのマイケル・クレトゥという人とはどんな人なんだろう?
ネットの時代になってからいろいろと調べてみたけど、とにかくエニグマでの彼は「謎」がテーマらしく「何処の誰がやっていようとこういう音楽があってしかるべきだ」という姿勢を貫き通している。いわゆるミュージック・ビジネスに背を向けたまま。もちろんネットにも。と、言うよりもそれでいいのではないかな?
「謎」があるから人々は興味を持ち、次の「謎」の登場に期待する。
クレトゥからすれば、ミュージック・ビジネスは単なる伝達の手段でしかない、という図式が感じられる。コンサートツアーも行わず(いや、それは作品のクォリティーを考えると不可能)、何でも「パフォーマンスを良し」とする今日の傾向に警告を鳴らしているようにも思う。そう、本来音楽は「音を楽しんで聴く」ものなんです。作品を何処かで耳にして、好きになって、聴く。それで十分なんです。創造力から言えば見るのは本当は「おまけ」なのかもしれません。
アルバムの収録時間の44分も、ちょうど全てを聴いて程よく満たされる時間(LPの収録時間と同等)という点にも注目。

最近「裏方」のサウンド・クリエーターとかプロデューサーが前面に出過ぎて本来のバランスが崩れている物もありますから、このような「謎」を維持している人は正しい。
自分を「謎」とする事で、何のプレッシャーもストレスも無い音楽が聴こえて来る「エニグマ2」。2006年のこの時点で改めて聴くともう一度原点に戻った図式を期待してしまいます。

冒頭に書いた目黒の吉田さんのスタジオなどは今日でも「謎」を多く持った作品をリリースしている日本では数少ない制作集団に思います。エニグマと言うと、聴いた時期が一致している事もありますが、それを思い出させてくれます。

まだ青梅までだった夕暮れの圏央道を走りながら大音量で聴いてからもう10年以上も経った。

おしまい

2006/9/6

巨峰と言えば・・・・・  水曜:これは好物!

今朝の東京は怪しい鉛色の雲がモクモクと、、、、
天気予報を聞いていたら、この鉛色の雲が環八道路沿いにモクモクと広がっているとか。ううん。。。排気ガスと雲の間に何か関係があるのでしょうか。その後お約束のような
何となく濡れたくない雨です。


全国各地からヴィブラフォンの弟子達が届けてくれたこの夏の味・第三弾

北海道、東北と来て、今回はポ〜ンと九州に飛びます

巨峰と言えば、山梨県の名産として有名ですが、南にも素晴らしいものがあります。西日本でフルーツ県(東日本だと山形県)と言えば岡山県ですが、もっとその先へ

九州は福岡県、八女郡黒木(くろぎ)町の巨峰です
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『黒木巨峰』(吉田巨峰園/福岡県八女郡黒木町)

黒木町出身で東京で活動する女性4人のマリンバ・グループ“FLY”のメンバーでもあるyuriちゃんが送ってくれたもの。

この“八女”という名前に見覚えがあると思ったら日本書紀に出てくる地域なんですね。九州は歴史が深い。
昨年初めて食べて、そのたっぷりジューシーで甘く、果実ひとつひとつの弾力があってこりゃ凄いゾ

まさに脱帽の味。

あっと言う間に無くなってしまいました。
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こういう季節モノって年に一度だから楽しいですね。
普段あまりフルーツを食べない(男性って意外とそうなんです)僕でも美味しくいただいてしまいました。

みなさんも来年の夏のお楽しみに、是非どうぞ

そうだ、八女は“八女茶”でも有名な所でしたね。
ううん、恐るべし“八女”文化


おしまい

2006/9/5

懐かしの街は今・・・  火曜:街ぶら・街ネタ

ヴィブラフォン奏者の駆け出しの頃、最初に記事として取り上げられたのは茨城県の日立・水戸・十王・高萩・北茨城エリアのタウン誌でした。東京へ出てきて半年、週末は関東一円を渡り歩いていた頃の事。

なぜ茨城で?と思うでしょうが、今も同じだと思うけど若手が最初に活躍する場所は都心よりも近郊、近郊よりも周辺、といった具合に“ハコ”を除けばベテランのプレーヤーが集中する都心よりも郊外のライブハウスやジャズファンの方達と「明日の輝く未来」について熱い交流を深めながら日々精進。ベテランプレーヤーのような知名度はなくとも、勢いだけは負けてないし、将来こいつらがどんな活躍をするのかを楽しみに思ってくれる人も多かったし、第一にギャラだって安かった(笑)からみんな無理をしないでもライブが開催できたから気軽に声を掛けてくれた。

その中でも、ひょんな事で交流を持てた茨城で積極的にジャズイベントに取り組んでいたOさんとの出会いが茨城県にも通うチャンスを与えてくれた。
ホームページの音楽体験記-4に書いた初リーダーバンド結成の頃だ。

当時の茨城県には、地元で活躍するミュージシャンのほかにハイスクール・ジャズバンドまであり、二十歳と三年の駆け出しなど、その勢いに目を見張るものがあり、見ず知らずの土地でいろんな人と会うのは楽しかった。

残念なのは今のようにデジカメや携帯のない時代の事、だからその時のいろんな表情を記録した画像は殆ど残ってない。

幸いにも掲載された雑誌を記念に頂いたのが残っていた
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『SPACE MAGAZINE ひたち』(1980年10月号)
結成半年のバンドだとか、ヴィブラフォンの最年少リーダーは若干23歳だとか、当時のメンバーの写真とか、この記事はOさんが僕らのデモ録音に場所を提供していただいた時に取材までセッティングしてくれたのでした。

それが切っ掛けとなり音楽番組で紹介していただいたり、水戸や日立のライブハウスを紹介していただいたり、大変お世話になったのでした。
翌年の夏にはOさんが主催する「お寺でジャズ」のジャズイベントに呼んでくれたり(この時にまだ高校生だったドラムの小山太郎君とセッションしたり、現在北関東で活躍中のヴィブラフォン奏者コバ-K氏と出会ったり)茨城は群馬県や栃木県と同様に深い結び付きを持てたのでした。

その頃の写真(何かの雑誌のコピー)と思えるものも一緒に保存していました。
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恐らくOさん主催の“サマーナイトイン寺子屋”か日立市民会館で高校生のビックバンドと共演した時のものを送ってくれたのではないかと思いますが、他の楽器が写ってないので確かではありません、、、

まあ、そんなこんなで、日立、水戸、はこの世界に入った頃の初心に戻れる場所です、が、一つだけ困った事がありました。
僕が唯一食べれないもの・・・・
宿泊のホテルで翌朝の食事で、納豆が名産の土地ですから、大サービスなんですね。他のメンバーなんか喜んでサクサク食べてる横で、せっかく用意してくれてるのに申し訳ないなぁ〜、と一人浅い呼吸で細々とコーヒーを啜るのでした。

随分久しく行ってませんが、きっと今行っても・・・・同じだろうなぁ、、好きな人、ごめんなさい。

おしまい

2006/9/4

変身ハリケーン  月曜:ちょっと舞台裏

ハリケーンから変身した台風12号。
ハリケーンが台風に変わる事があるのを今まで知っていた人がどのくらいいるのかはわかりませんが、僕は知らなかったので数日前の気象解説で知って「ほう〜ぉ」と思っていました。
まあ、元々「ハリケーン」も「台風」も、嵐という自然現象の事を言うのだから同じなんですが、固有に名前を付けたものだからややっこしくなっているんでしょう。

それがご丁寧に日付け変更線を跨いでしまった・・・・・・
日付け変更線を越えると「ハリケーン」が「台風」と呼ばれるんだ

と言う事はですよ、この「ハリケーン台風」は昨日から今日に移動して来たわけですね。
じゃ、もしも(自然現象だから100%無いとは言えない)この日付け変更線を逆に跨いだら今日から昨日へバックする事になるのかなあ?
ジグザグに移動したとしたら・・・・な〜んて、まるで小学校の地理の時間のような創造をしてしまうのですが、、、、、

うん、そのままのモードで考えると、なかなか楽しいので続けます

そう言えば日付け変更線って気になりませんでしたか?初めて地理の時間で出てきた時に「なんで直線じゃないの?」って思いませんでしたか?
その理論がどうなっていたのかはすっかり忘れてしまいましたが、何か理由がありましたね。

洋上なので当然日付け変更線を行き来する飛行機、いや、漁師さんなんかはジグザグに操業する事もあるだろうからこの理由をしっかりと理解してるんだろうなあ・・

日本が南北に細長いから生活に時差がないのでこういう感覚が理解できないんですね。でも海外に行った時は「何処か」で日付け変更線を越えたり「時差」の調整をしたりしてるんですが、明確に「ココ!」という区切りを意識した経験はありません。

人間でそれですから、名前というか種族を変えられた「ハリケーン台風」はどうなるんでしょう。
他にも出世魚のような物も分類上で見ると不思議ですね。

音楽にはそういう物って、、、、、、、

あ、ありました

ある曲のコード進行をそっくりそのまま使ってメロディーだけ換えて「べつの曲」になってる物。
ビーバップに多いですが、
これは「コードには著作権がない」という盲点をついたもので、
自然現象と比べると随分ちっぽけなものですが、
それによって音楽の歴史が(特にジャズでは)進化したわけですから意味がないわけでもなさそうです。

せめて「友好活用」であるように、原曲に敬意を持って、ですよ。


おしまい

2006/9/3

目撃者  日記

何気に見ていると時々ハプニングを目撃することがあります。

微妙な位置で車から人を降ろす、、、、ドライバーの人ならきっと心当たりがありますね。
今日休憩でぼんやり外を見ていた時の事です。

そこは車同士が何とかすれ違う事の出来る交互通行の道。
微妙なのは踏み切りの間近なので停止線がある事。
一台のおばちゃまの運転する車が停止線の所でゆるゆると停車。。。
後続車はおばちゃまが停止線で停まったものと思い後ろに続いて停車。
対向車も来ます。
しかしおばちゃまの車は一向に動こうとせず、どうやら停止線のまん前の家に人を送ってきたようで、もじもじしています。

ううん。。。こういう時は「ハザード」を点灯させれば後続車に意図を知らせられるんですが、、、どうやら対向車や後続車の往来の多さにパニックになって忘れているようです。
後席から人が降りようとしているのが分かり、後続車はちょっとイライラしながらも対向車の切れ目におばちゃまの車を追い越して行きました。

その間も続々と後続車が来ます。そしておばちゃまの車の後ろにピタリと停まります。おばちゃまがずっとブレーキを踏んだままハザードを点灯させていないので、皆、踏み切りの一旦停止をしているのと勘違いするのです。
対向車の切れ目に続々と「やや」イライラした感じで追い越して行きます。

ううん。。。おばちゃま・・・ど〜する

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動揺するおばちゃまはまだ発進出来ません。
そこへ、また後続車が来ておばちゃまの車の後ろにピタリと停まります。
「ハザード点灯させないとぉ・・・」

一向に発進しないおばちゃまの車に、後続車のおにィさんはかなりブチ切れています。対向車もどんどん来ますからおばちゃまは発進のタイミングを失っているようです。
。。。。
っと、次の瞬間でした・・・

ブチ切れたおにィさんは二三度クラクションを鳴らし、物凄い形相でおばちゃまの車を追い越そうとハンドルを切り、怒りとも思える急発進で威嚇しようと追い越しにかかりました。

と、

その時です


怒りのあまりに急ハンドル、急発進をした為に、切り替えしの角度が甘く、おにィさんの車がおばちゃまの車の横をガリガリと擦ってしまったのでした

さっきまで物凄い形相をしていたおにィさんは慌てて車から飛び降り、おばちゃまの車の所に駆け寄ります。
今度はおばちゃまが物凄い形相で待ち構えています


おにィさんは自分の名刺らしきものを差し出し平謝り
おばちゃまは傷の箇所を指差しながら怒り沸騰

結局、イライラしたおにィさんは自分の車とおばちゃまの車の二台分の修理代を払うハメに。。。。
ううん、、、この場合、無駄に威嚇したおにィさんが悪いのだけど、そのおにィさんをイライラさせたおばちゃまの責任はどうなるのかなぁ、、、。
ハザードさえ点灯させれば、このトラブルは未然に防げたハズだよねぇ。

目撃者はそう思いながら現場を後にしたのでした。

おしまい

2006/9/2

すいません・・・・・  日記

日常でよく耳にする言葉ながら、意味がわかっていても、なるべく使いたくないナ、と思う言葉に「すいません」がある。

「すいません」

謝る「すいません」じゃないよ、「ごめんなすって」(笑)のすいません。

この「すいません」は謝罪じゃないので、本当は何ナノかなぁ。。と、耳にする度に思ってしまうんですねぇ
今日もそうだった。
エレベータという密室で。

よく乗り込むと、後から入ってくる人が「あ、すいません」と言って入ってくるじゃないですか。「あ、どーぞ」という訳でもなく、別に「いや、もう乗っちゃダメよ」と拒否するでもない。

僕はこの時に、一度「すいません」が耳につくと、自分が降りる階まで気になって仕方が無い
まあ、江戸時代ならきっと「へい!ごめんなすっておくんなはい」なんだろうな〜、などと気に掛けるともうダメです。

次の階で降りる人も「あ、すいません」って人を掻き分けて降りて行く。
で、また乗ってくる人も「あ、すいません」って入ってくる。

ううん、、、こうなると、狭いエレベータの中で人が動く度に「すいません」がそこかしこから溢れ出してくる。。。。
ああ、、、気になって仕方がないゾ、、、「すいません」の後の言葉を誰か言ってくれ〜!

いよいよ僕が降りる階になった
随分奥に入ったものだから、前の人に何か言わないとどいてくれないゾ。
ううん、、、「すいません」は言いたくないなぁ・・・

どうしよう。。。。
妙にドキドキしてきます。

よし

意を決して・・

「あ、降ります、降りま〜す」
どいてくれた人には
「ありがとう」

いいじゃん。この方が。
ね。

要するに「すいません」の後には「お邪魔します」が来たり「お先に失礼します」が来たりするんだよね。それを謝罪語の「すいません」で察して下さい、と言うんだろうなぁ。どうもこう言うの、、、、苦手です。

まあ江戸時代の「ごめんなすって」の「ごめん」も謝罪語だから、、、、同じと言えば同じなんですが。

見知らぬ人が集まる所では、どうしてもこの「すいません」が聞こえてしまって、「その後の言葉は?なに?」と、一人頭の中でグルグル回ってしまうのでした。

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電車の入り口でもそうだろうなぁ。。。。

おしまい

2006/9/1

ヴィブラフォン奏者のマリンバ開拓史  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。金曜第二十三回目の今日はヴィブラフォンと同じマレットキーボード楽器のマリンバをヴィブラフォン奏者が使った演奏スタイルについてのお話しです。

そもそもヴィブラフォンもマリンバも1930年代までは今のような形(含む音域)ではありませんでした。ヴィブラフォンなどは30年代に生産が始まったくらいでそれ以前は楽器そのものが存在していないのです。マリンバも今のように豊かな重低音を発するものではなく、この時代のマレット楽器と言えばシロフォン(木琴)がメインでした。

ジャズでこの時代の演奏を色濃く残していた奏者にレッド・ノーヴォ(Red Norvo)がいます。幸いにもノーヴォは数多くのアルバムを残しているので今日でもその演奏を聴く事が出来ます。
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『RED&ROSS/Red Norvo & Ross Tompkins』(Concord/1979)

ともすれば、ヴィブラフォンがジャズで注目され始めた時代以降の事に歴史が偏り気味ですが、シロフォンの時代から受け継がれたノーヴォの演奏にマレットキーボード・ジャズの原型があるように思い、ジャズそのものの原型とも言えるラグタイムに通ずる雰囲気があります。一度聞いてみると良いでしょう。

さて、ヴィブラフォンという楽器がライオネル・ハンプトンによってジャズで紹介されると、残響の少ないシロフォンから一気に残響のあるヴィブラフォンに注目が集まり、様々なプレーヤーが現れました。同じようにマリンバも残響や材質に改良と工夫が加えられ、より豊かな音色を得てシロフォンとは違った楽器となりました。
1940年代以降、マレットキーボードはヴィブラフォンとマリンバという二本柱で進化を遂げるのです。

お互いに別々の発展を遂げたマレットキーボードですが、ジャズの世界では1970年代になってヴィブラフォンをエレクトリック化する反面、アコースティックな表現としてマリンバの音色に注目する奏者が現れました。


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『FUTURES PASSED/David Friedman』(enja/1976年)

7月28日の金曜特集『Chamber"Jazz"music とヴィブラフォン&マリンバ』でも紹介したデイビッド・フリードマンはドラムの補助楽器としてマリンバを習った事が切っ掛けでマレットキーボードも始めジュリアード音楽院でパーカッションを専攻、卒業後ニューヨークフィルのトラ等音大を卒業した学生の多くと同じコースを歩んでいましたが、ある日見たスタン・ゲッツ(ts)のバンドのゲイリー・バートン(vib)に魅了され、即ヴィブラフォンの弟子入りをした経歴のある新世代感覚のプレーヤー第一世代です。
マリンバという楽器をみっちりと学んだ経験と、元々ジャズドラマーがアイドルだった事を生かして、木琴的な印象を拭い去ったマリンバの豊かな表現方法をジャズに持ち込んだ第一人者。彼はヴィブラフォンとマリンバの長所を適材適所で引き出すセンスが抜群で、作曲に於いてもそのバランスのよいサウンドが人気です。


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『LINGER LANE/Bobby Hutcherson』(Blue Note/1976年)

ボビー・ハッチャーソンは純粋なヴィブラフォン奏者でデイヴ・パイクにヴィブラフォンを習っています。1960年代から活躍しヴィブラフォンとマリンバを最初から併用するスタイルでスピード感溢れた演奏に人気があるプレーヤー。60年代のアルバム『HAPPENINGS』は特に人気があり、このアルバムでも二つの楽器を使い分けている。スタイルとしては、比較的オーソドックスなマリンバの使い方で、特にマリンバとしての特徴はない。むしろ、シロフォン的なスタイルを発展させてヴィブラフォンのハッチャーソン・スタイルが出来上がっているようで、単調になりがちなヴィブラフォンの音色にアクセントを加える意味(アルバムとして)でマリンバを使っている。紹介したアルバムはコレに続く『KNUCKLEBEAN』(blue note)と共にハッチャーソンが一番コンテンポラリーなアプローチを目指していた時期のもの。このアルバムではマリンバの方がメインでヴィブラフォンがサブに使われている。


代表的なスタイルとして、また、アルバムの発売時期も70年代半ばに揃えてジャズで使われるマリンバのサウンドを比較してみましたが、マリンバに対するイメージがこの二人の違いのように大きく二つある事がわかります。
その後、ヴィブラフォンもマリンバもこなすプレーヤーが増え、益々新しいアプローチが相互に行われています。

現在もこの2つのマレットキーボードは有機的に融合しながら、さらに新しい発展に向けて進化しているわけですよ〜。

おしまい



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