2006/9/5

懐かしの街は今・・・  火曜:街ぶら・街ネタ

ヴィブラフォン奏者の駆け出しの頃、最初に記事として取り上げられたのは茨城県の日立・水戸・十王・高萩・北茨城エリアのタウン誌でした。東京へ出てきて半年、週末は関東一円を渡り歩いていた頃の事。

なぜ茨城で?と思うでしょうが、今も同じだと思うけど若手が最初に活躍する場所は都心よりも近郊、近郊よりも周辺、といった具合に“ハコ”を除けばベテランのプレーヤーが集中する都心よりも郊外のライブハウスやジャズファンの方達と「明日の輝く未来」について熱い交流を深めながら日々精進。ベテランプレーヤーのような知名度はなくとも、勢いだけは負けてないし、将来こいつらがどんな活躍をするのかを楽しみに思ってくれる人も多かったし、第一にギャラだって安かった(笑)からみんな無理をしないでもライブが開催できたから気軽に声を掛けてくれた。

その中でも、ひょんな事で交流を持てた茨城で積極的にジャズイベントに取り組んでいたOさんとの出会いが茨城県にも通うチャンスを与えてくれた。
ホームページの音楽体験記-4に書いた初リーダーバンド結成の頃だ。

当時の茨城県には、地元で活躍するミュージシャンのほかにハイスクール・ジャズバンドまであり、二十歳と三年の駆け出しなど、その勢いに目を見張るものがあり、見ず知らずの土地でいろんな人と会うのは楽しかった。

残念なのは今のようにデジカメや携帯のない時代の事、だからその時のいろんな表情を記録した画像は殆ど残ってない。

幸いにも掲載された雑誌を記念に頂いたのが残っていた
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『SPACE MAGAZINE ひたち』(1980年10月号)
結成半年のバンドだとか、ヴィブラフォンの最年少リーダーは若干23歳だとか、当時のメンバーの写真とか、この記事はOさんが僕らのデモ録音に場所を提供していただいた時に取材までセッティングしてくれたのでした。

それが切っ掛けとなり音楽番組で紹介していただいたり、水戸や日立のライブハウスを紹介していただいたり、大変お世話になったのでした。
翌年の夏にはOさんが主催する「お寺でジャズ」のジャズイベントに呼んでくれたり(この時にまだ高校生だったドラムの小山太郎君とセッションしたり、現在北関東で活躍中のヴィブラフォン奏者コバ-K氏と出会ったり)茨城は群馬県や栃木県と同様に深い結び付きを持てたのでした。

その頃の写真(何かの雑誌のコピー)と思えるものも一緒に保存していました。
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恐らくOさん主催の“サマーナイトイン寺子屋”か日立市民会館で高校生のビックバンドと共演した時のものを送ってくれたのではないかと思いますが、他の楽器が写ってないので確かではありません、、、

まあ、そんなこんなで、日立、水戸、はこの世界に入った頃の初心に戻れる場所です、が、一つだけ困った事がありました。
僕が唯一食べれないもの・・・・
宿泊のホテルで翌朝の食事で、納豆が名産の土地ですから、大サービスなんですね。他のメンバーなんか喜んでサクサク食べてる横で、せっかく用意してくれてるのに申し訳ないなぁ〜、と一人浅い呼吸で細々とコーヒーを啜るのでした。

随分久しく行ってませんが、きっと今行っても・・・・同じだろうなぁ、、好きな人、ごめんなさい。

おしまい



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