2006/11/20

信じない人・・・・  月曜:ちょっと舞台裏

昨日留学の頃の事を書いたらこんな事を思い出した。すっかり忘れていたんだけど。。

卒業が迫ると留学先からいろんなところへアポイントメントを取るものだ。今でも多くの留学生がやっている事だと思う。

ボストンから日本のある大手レコード会社のプロデューサーに電話した時の事。
渡米前のANEX'82の時に名刺を交換していたレコード会社の中の一つだった。
それ以来一度連絡をしたきりで特に渡米する事などは伝えてなかったのだが、、

「トゥルルルル・・・、トゥルルルル・・・、」
『はい、●●●レコード制作部です』
「あ、すいません、制作部の▲▲さんお願いします」
『かしこまりました』
・・・・・・・・・・
『はい、▲▲です』
「ヴィブラフォンの赤松です。お久し振りです」
『お、おー。どうしてんの?』
「今、とある所にいます」
『とある所? どこ?』
「ボストン」
『え? ボストンって、あのアメリカの?』
「そうです」

ここまでは普通だった。
しかし・・・

『え〜? ホントにボストン? 』
やけに疑うなあ、、
「そうですよ」
『え〜、だって全然ディレイしないよ』

国際電話は会話が全部ディレイすると思ってるらしい、、、
それはダイレクト回線が混んでて地球の反対側を経由した時だけ。

「だっても何も、今こうして掛けてますから・・・・」

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今なら写メールか何かで何処にいるのかをすぐに説明出来るのだが・・

『おかしいなぁ、これホントにアメリカから? すごく近くに感じるんだけど』

なかなか本題に入れない。しかも国際電話は高いっちゅーの

「・・・・・・」(呆れる)
『何かサー、証明できるものないの?』

まだ疑うか!
ううん、、何か証明ったってねぇ、、
あ、ちょうどテレビがついてたので閃いた。
受話器をテレビに近付けて聞かせれば信じるだろう。
面倒だけど仕方あるまい。

「じゃあ今テレビの音量上げますから」
と、ボリュームを上げて受話器を近付けた。

ちょうどニュースが終わってCMに入ったところだった。

が・・・

運悪く、日本車のコマーシャルで、しかもこの頃は短い日本語がなぜかブームだった。

“・・・・マサチューセッツ・トヨタ。イチバ〜ン”

『うん?なんかトヨタとか一番って日本語が聞こえるみたいだけど』

そりゃ、信じないだろうな。。。

「ちょっと待って下さいね」

と再び別のチャンネルにすると風薬のコマーシャルだった。

『わかった、わかった。アメリカにいるんだ。へぇ〜』

と、やっとこれでやっと本題に入れたんだけど、
確かに突然アメリカから電話だと言っても僕が渡米するのを知らせてなかったら信じないかもしれない。

でもねー、本題の最中でも言うんだよね。。。



『うんうん了解。、、、でも、随分クリアーだなぁ。原宿の駅辺りから電話してるみたいだ』

まだ言うかぁ〜
信じてくれないなら、もう電話しないゾ。

信じない人、いるんですよ。トホホ、、



おしまい

2006/11/19

サード&フォース・セメスターの間の事  ■新・音楽体験記/留学の頃

パートタイム(選択した科目のみ)の履修だったサード・セメスターが終わり短い夏休みを利用して2週間ちょっとの間、日本へ帰った。

ちょうど一年振りだけど、何だかいろんな事が変わっていた
ミニ・浦島太郎だ。

ただ一時帰国するんじゃなくて、渡米前にお世話になった人達に会いに行ったりした。
ピアニスト岩崎大輔氏はライブをセッティングしてくれていた(実は渡米直前に日本で最後に演奏したのが彼だった)。

吉祥寺の“サムタイム”は週末を除いて平日にインストのライブをやっていなかった(平日はヴォーカルや弾き語り中心だった)が渡米直前に岩崎氏が僕とのデュオを試験的に入れたりしながら様子を見ていたようでした。それが一年後にはすっかり定着しているようで、再び岩崎氏とサムタイムでデュオをやる事に。この時に岩崎氏とは六本木の“アルフィー”でも演奏しています。岩崎氏は僕とは入れ替わりにバークリーから帰ってきた。スケールの大きなピアノを弾く人です。

渡米で持ち物を処分していたので東京には何も無く(もちろん住む家も/笑)、楽器は元弟子に借り、車も高校以来の悪友マコティーに借りての大騒動(笑)。ヴィブラフォンが常設してある店など皆無に近いのでちゃんと計画を立てないと気軽にセッションにも参加できない。まァ、ヴィブラフォンの宿命と最初から諦めてはいるのだけど。。。

東京に滞在する時は目黒の吉田さんのスタジオに居候させてもらってました。
居候のお礼に時間のある時は夕飯を御馳走する事になり、権之助坂にある肉屋にステーキ肉を買いに行った時の事です。ボストンで自炊してたので何となく美味そうな肉はわかりますから、よく値段も見ずに「これ、下さい。このくらいのカットで3枚下さい」と言った。ズッシリくるステーキはレアが美味いんだな、コレが、ソースは何が良いだろう、、、などと思案していたら、「へい、おまちどう。こりゃレアだよ、絶対。焼きすぎちゃダメだよ」とオヤジさん。「わかってる、わかってる」と僕。「他は御用ござんせんか?」と言うので「うん、これでいい」というと、「ハイ。じゃあお兄ィ〜さんに免じて今日はおまけしちゃうよ」「そうこなきゃ!」「1万6千円だけど1万2千円でいいよ!」「ほい!」
・・・・とそこで正気に戻った

すっかり物価の感覚がアメリカ惚けしてたんだ。この程度の量の肉ならせいぜい高くて4〜5千円だろう、、、と。

甘い、甘かったァ〜〜!
財布にお金があったから良かったものの、、、、ふうーっ、

それからは何か買う度に「何でこれがこんなに高いんだ!」と、留学惚け無重力症状の連発。吉田さんの奥様と一緒に買出しに行ったら「赤松さんって買い物に行くといつも怒りだすんだよ〜。野菜に向かってブツブツ文句いったり、見てると可笑しいよ〜(笑)」と言われてしまった。反省・・・・

翌週は実家松山に滞在。この時に初めて松山のジャズメンと正式なライブをやった。
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写真を見ると87年8月30日とある。このヴィブラフォンは実家に置いていったMUSSER。それまでは高校の頃からみんなが演奏している場所に顔を出しては飛び入りしてたけど、ちゃんとチケットを発売して一晩一緒にやったのはこの時が初めてだった。伊賀上ひろし(p)さん、渡辺綱幸(b)さん、そして、先日12年振りに共演した堤宏史(ds)さん。そして曲によっては数年前に惜しくも故人となってしまったサックスの倉田さんが加わってくれた。
やたらとマイクが多いのは、この時にFM愛媛のラジオ番組がON AIRする為だった。
17歳の頃からの僕を知ってる先輩達と演奏するのはとても緊張だった。勿論演奏が始まれば普段通りなんだけど。
この時に会場で松山のピアニスト栗田敬子さんとも初対面している。彼女にも1曲参加してもらってセッションした。また、松山のヴィブラフォン奏者宮崎さん(故人)ともこの時に初めてお話しした。
いま考えると愛媛県はヴィブラフォン奏者が多い。宮崎さん、藤井寛さん、僕。たった三人だけどこれはプロのお話。アマチュアの人を入れるとまだまだいるかもしれない。不思議といえば不思議。

さて、そんな感じで短い夏休みを終え、再びボストンに戻るのですが・・・・

その途中でとんでもないアクシデントが待ち構えていようとは、成田を飛び立った時には想像もしていなかったのであります。。。。

この続きは次回


おしまい

2006/11/18

不思議なゾロ目の縁  ■新・音楽体験記/留学の頃

何だか急激に寒くなって12月下旬の気温になってしまった東京ですがいかがお過ごしですか?こう寒いと身体がなかなか馴染みません。。
昨夜から曲作りに没頭してたらもうこんな時間に・・・って完全に朝です

日々いろんな事を書いてたらメールで「そろそろ留学の話の続きなど・・(笑)」と催促が、、。そういえば夏からずっと放置したまんま、、、、。いきます!


前回はサード・セメスター(夏セメ)に入ったところで終わっていました。ドロボーやらややっこしい人間関係におさらばして郊外のNEWTONに引っ越して心機一転。
100%音楽に没頭する体勢が整いました。

バークリーでは1学期の間にリサイタルをリーダーで1回開く事が出来ました。これはアンサンブルのクラスを受講する者であればコンサート・オフィスに企画を申請して認可されれば無料で開けるものなので入学時を除いて毎回行いました。他にパフォーマンス・センターという学内のホールでもオーディション選考で年に一回リーダーのコンサートが開けましたから、こちらも初年度を除いて行いました。

ところが・・・

ナントも不思議な事に、コンサート・オフィスが決定する開催日、これがですねぇ、、、リサイタル全6回の内2回、コンサートに至っては全2回全てが・・・



ゾロ目なんです



残っているものですね、ダンボールの中から出てきました。
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これは学校がリサイタル用に作成した簡素なプログラム

一回目は1月14日、二回目の今回は7月7日(開き直って“TANABATA”とサブタイ)、三回目は10月1日、四回目が2月15日、五回目は10月10日、六回目が1月28日。
まあ偶然でしょう、、、このくらいは。

ところが、コンサートの方は・・・
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学校が作るコンサート用のプログラム 日付けにご注目!

ものの見事に一回目が3月3日、二回目が2月22日。100%の確率です。
まァ、月を数字に置き換えない彼等は何も驚きはしないでしょうが、こちらは「ヲイヲイ」と偶然にしちゃ出来すぎ(笑)。

そんな感じの「ゾロ目」との縁が始まったのがサード・セメスターでした。

その頃、ジャズの演奏に加えて指揮のクラスの先生からの紹介でなぜか現代曲のコンサートにも駆り出され始めました。「隣りのニューイングランド音楽院のナントカ・ビビッチ教授の指揮の下演奏しなさい」というものです。例によって学校からの指示(笑)。ニューイングランド音楽院はクラシックの学校なのでそちらでジャズの要請が掛かるとバークリーの学生が駆り出されるのです。が、、都合良くコイツは両方出来そうだ、と思われてしまったようです。

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教会でのコンサートの様子(珍しくマリンバを演奏中)

この時もう一人マレット奏者が来るというので、誰が来るのかと思ったら・・
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ナント、共演相手はヴィブラフォン科の教授ヴィクター・メンドーサ氏だった(本番後の控室で)

リハの途中、マリンバで奇々怪々な現代曲をやっていると、ヴィクター氏がそっと寄って来て言った。「なァ、トシ。ここの部分はどうやって演奏してるんだ?」
「え?こうじゃないの?」
しばらく僕の手元を観察して言った。
「そうやるんだ〜!知らなかった。そんな手順!グレイト!トシ、それ僕に教えてくれ〜」
@@;
いつも陽気なヴィクター氏になぜか難しいパッセージの指導をやるハメに(笑)。逆だろー、立場が・・・
でも誤解の無いように書くけど、ヴィクター氏のラテンはスゴイ。僕らなんかの似非ラテンとは違う。なので「じゃあ交換に貴方のラテンのグルーヴを教えてくれる?(僕は彼のクラスを一度も取っていなかった)」と出したら、満面の笑みで「もちろん!」と、交渉成立。
本番でそのパッセージが出る度にヴィクター氏が目線で「左、左、右、左からね」と送ってくるので可笑しかった。

その後数回のコンサートの後スタジオで録音してこのアンサンブル・プロジェクトは終わった。

学校の仕事なのでスカラシップとの引き換えでノーギャラだろうと思っていたら、後日銀行のチェックが送られて来た。1曲100$で4曲録音したので合計400$。
これでも学生にとっては十分嬉しいギャラだった。
早速ニューベリー・ストリートのタイフード・レストラン「キング・アンド・アイ」でギャラの1割を使ってたらふくタイ料理のコースを食べて栄養補給(笑)。
留学生なのでお金はセーブしていたけど、当時自分で貰ったギャラの1割は自由に使って良し、と決めていたんだ。


おしまい

2006/11/17

あっ!切れた@@;・・・・・大丈夫、少しも慌てる事なかれ  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。金曜第三十一回目の今日は鍵盤を結ぶ紐、Bar Suspension Cord が本番中に切れた時のお話しです。

先日本番中に突然Bar Suspension Cord(BSコード)が切れてしまいました
この世界に入って本番中にBSコードが切れたのは2回目。最初はまだプロになって間もない頃で流石にその時は焦りましたが、大丈夫、何とかなるものです。それから数十年経ってのアクシデントですから
「ああ、切れたのね」程度で落ち着いたものです。。。

BSコードが切れる要因はいくつかあります。
(1)経年による劣化
(2)張りすぎ
(3)本体のフック、または鍵盤のホールが鋭角(新品の場合など)
(4)分解〜運搬の過頻度
(5)技術・奏法的な問題(無理やり引っ叩く等)

これらが単体、又は複合して起こるのですから(5)を除けば異常ではありません(5.の場合は奏法の見直しやグリップの修正が必要。よく切る人は腕の力を抜くと改善されます)。

(1)は仕方ありませんね。すぐに交換しましょう。
(2)はBSコードを“パンパン”に張ってる人がいますがそれではクッションの役割りを果たしません。すこし緩い程度で十分なのです。
(3)は楽器が新しい場合などにBSコードとフックの接点が鋭利な為に切れる現象です。ある程度経年すると「なめらか」になりますからそのままで使って大丈夫。但し鍵盤のホールが鋭利な場合は素人では手が出せませんからメーカーでリペアして下さい。新品の場合は早めにクレーム交換してもらいましょう。

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フックは金属製の為、新品の場合は角が鋭利な場合も。マリンバとヴィブラフォンのフックで大きく異なるのがヴィブラフォンのダンパー側のフック(写真右)。鍵盤を消音する為に下からダンパーで押し上げられるので鍵盤が飛び出さないようにコの字形をしている。

(4)の場合は、これは仕方ありません。楽器は家具ではないので外に持ち出して人前で演奏する為にあるのです。だからどのメーカーも耐久性に優れるように作られています。コストパフォーマンスに優れたメーカーを選ぶのも楽器選びの重要な要素です。



さて、今回の僕の場合は(4)に(3)の要因が加わって切れたようです。切れた時までかなりタフなスケジュールで使っていましたから仕方ありません。

切れた瞬間には、まず、深呼吸のひとつくらいする余裕を持ちましょう。
ヴィブラフォンやマリンバはパフォーマンス性に優れた楽器であると同時に、客席から一部始終が見られている楽器です。何が起こったのかはみんな見て理解しているのですからオロオロしないで、もしも共演者がいればその時に「何か」を演奏してもらいましょう。ステージの上ではそのくらい機転の効く対応を身に付けておくべきです(いつかは自分がその役割りを持つ事だってあります)。
もしも独奏であったなら、演奏を中断して「修理」もパフォーマンスの一つとして見せるぐらいの気持ちでどうぞ。

ボストン時代にホテルのボウルルームで師匠のゲイリー・バートンとアストル・ピアソラ・バンドの共演を見ていた時の事です。気合の入った曲の途中でヴァイオリン奏者の弦が切れてしまいました。どうするのかな?と思っていたら、ピアソラ氏はサッとバンドの演奏を停め、その瞬間の演奏姿勢のままヴァイオリン奏者が楽屋に戻って弦を張り替えて来るまで待っているのです。勿論客席は少し動揺しましたがピアソラは表情一つ変えず無言のまま彼の帰りを待ちます。5分ぐらいしてヴァイオリン奏者が戻ってくると、ピアソラのキュー一つでバンド全体が「停まった」瞬間からまったく同じエナジーで演奏を始めたのです。これには客席も歓喜しました。その曲が終わるとそれまで以上に熱い歓声が飛んだのは言うまでもありません。これでいいんだと思ったエピソードです。

戻ります。

切れたBSコードは途中で繋ぎ合わせ(結び合わせ)てその日の本番は終了しました。
翌日見てみると
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さらに切れては無かったものの派生音側にも危ない箇所が・・・
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どうやら、この日は鍵盤だけを持参し本体は借りたのですが、借りた楽器がまだ新しくフックが鋭利だったようです。前日まで毎日演奏で鍵盤を脱着していたのでBSコードに異常があればわかっているはずですから。

BSコードはスプリング・フックの先を少し余裕を持たせて長めに残しておくと切れた時に助かります(結ぶ為の余分)。ダラリと垂らすのはあまり格好の良いものではありませんが実用的なのです。

翌日、例によって楽器メーカーのBSコードを装着しましたがやはりノイズが気になるので再び近くのホームセンターでお気に入りのコードを買って張替えました。

今回は気分を変えて「ブルー」!
色で遊べるのが楽しいんです(笑)
1本10mで600円!

ヴィブラフォンだと基音側と派生音側の長さを取ってもまだ1周分余りますから予備として鞄に忍ばせる事が出来ます。これでノイズが出ないのですから。

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かくして、BSコードは代用品のまま、今後も演奏継続となりました。
BSコードの張替えについては5月の金曜特集も参考に。


おしまい

2006/11/16

現代のピアノ・ミュージックでは絶対に外せない・・・Lyle Mays  木曜:Jazz & Classic Library

個人的な事ですが、僕はパット・メセニー・グループを聴いている時に、実はライル・メイズを聴いているような気がしています。
こんな事書くとメセニー・ファンに怒られそうですが、サウンド作りの点で、最良のクッションを作り出している大きな役割を考えると、いつも知らずの内にメイズのアイデアに心踊らされている自分に気付くのです。

しかし、メイズのリーダー作の評判となると極端な評価に分かれる・・・・・これがライル・メイズ(p)の不思議な所。でも、だから好きなんだよね。

今までにほぼリアルタイムでメイズのリーダー作(1996年のThe Debussy Trio - In the Shadow of a Miracle<Sierra Classical>を除く)を聴いてきて、なるほど、と思う事があります。

なぜ、彼のアイデアに惹かれるのか不思議でしたが、その答えはこのアルバムのしかも彼自身のコメントにありました。
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『FICTIONARY/Lyle Mays』(Geffen/1993年)

このアルバムの音楽は、彼が今までにハービー・ハンコック、キース・ジャレット、ポール・ブレイの音楽に触れて育まれたと彼自身がアルバムに記していたのを見て、「まったく同じ物をリアル・タイムに好んで聴いて育った」エリア世代なんだなぁ、、と。
ピアノ・トリオというフォーマットの中で随所に「溢れる」妖気が感じられて好きなアルバムです。

それに対して最新作(現時点での)の次のアルバムは流石にかなりぶっ飛んだ内容で、繰り返し聴く状態には至っていません。

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『SOLO/Lyle Mays』(Warner Bros/2000年)

MIDIグランド・ピアノを使ったインプロヴィゼーションなんですが、確かに普通(アコースティック)のグランド・ピアノと発想もハプニングも異なります。でも、どれもかなり内向的な音楽に聴こえてしまって、なかなか第三者を寄せつけない感じもするのです。

音楽家にはいろんな時期があってしかり。
Fictionaryが発売された頃に同じメンバーでNYのクラブ公演を聴いた友人の話しでは、「とにかくドメスティック過ぎて大半の客が着いて行けなかった」そうです。
いろんな時期は次の展開の為にあるのです。

ライル・メイズのリーダー作で、今でも聴いたらすぐにその頃にワープしてしまうぐらい心に残るアルバムがあります。

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『LYLE MAYS』(Geffen/1986年)

初リーダー作。もう20年も前の作品になってしまいましたが、僕にとっては次に紹介するアルバムとともに正にバークリー時代格闘した、ボストンの音です。
きっとこのファースト・アルバムがお好きな方は多いと思います。全体のサウンドは当時のPMGそのものと言っても良い(逆に言えばそれだけPMGはライル・メイズのサウンドが中心にあった)タッチ。1986年頃のアメリカそのものの音です。

しかし、このサウンドよりも、僕は次のアルバムが大好きなのです。

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『STREET DREAMS/Lyle Mays』(Geffen/1988年)

前作から思いきって離れる指向が見えるこのアルバムには、後にFICTIONARYで彼がインスパイアーされたミュージシャンを書いたヒントが隠されています。
編成も彼のどのアルバムよりも多彩で、1曲毎に違う指向が押し出されています。
この頃、バークリーの授業でビッグバンドを書いていたので、このアルバムのラージ・アンサンブルのサウンドはアイドルでした。なので聴くと殆ど演奏で時間が取られる中で何度も徹夜で仕上げたスコア提出の辛い日々を思い出してしまいます(笑)。

サンバをリズムセクション無しで仕上げている3曲目の“Chorinho”。最後の最後でかすかにクリック代わりのリズムパターンが聴こえてきて、これがサンバだと気付くのです。

スペースをコントロールした2曲目の“August”も、これはもう、ホントに真夏の昼間にクーラーの効いた部屋で聴くのにピッタリ。森林浴の気分になれます。

一点してラージ・アンサンブルでファンキーでコケティッシュな4曲目“Possible Straight”、

スティーヴ・ガッドを起用したのが納得の1曲目“Feet First”、

僕なんかついついマイスル・デイビスの「キリマンジェロ」を思い出してしまう“Hangtime”、

メロウというサウンドを知ってる人にはストライクな6曲目“Befor You Go”、、、ピアノ・ソロはホントに尊敬の念を持ってハンコックそのもの。

こんな感じで、まるでライル・メイズ流の「スタイル&バラエティー」を一枚のアルバムに閉じ込めたような、、そんな意欲作だと思うのです。
そして、その先に限りなく広がっている音像と残像。

次にライル・メイズが何を繰り出してくるのか、、、、、
その時を静かに待っているところなのです。

おしまい

2006/11/15

ソバ+珈琲+JAZZ=SOVA,SOVA  水曜:これは好物!

先月のツアーでは途中二度も松山に行ったので今まで「巷」で噂を聞いたものの行けず終いだった店のいくつかを探索した

場所は最近急激に新規店が開店している大街道三丁目界隈。実家から徒歩5分圏。小中学校時代の同級生の実家が多い街だ。

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まずは近くの交差点までトトトっと徒歩200歩 このスタバの角を右折すると目的地の大街道三丁目(通称:ロープウェイ街)。午後4時過ぎの中途半端な時間帯なので反対側の大街道アーケード街とは対象にまだ人もまばら。

こんな時間に行って店は開いてるんだろうか?とも思うがその名の通り観光地(松山城)に昇るロープウェイ乗り場に続く地域なのでこの時間に店を閉めていたら商売にならない。


で、


やっぱり開いてました。

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正面はこんな感じ
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『SOVA SOVA』愛媛県松山市大街道3丁目2−35

「OPEN」と書かれた札の掛かる左側の細長い路地のような所を入る(一瞬どこが入り口かわからない)と店舗の真ん中に辿りつきガラス戸の入り口がある。ガラガラと開けると右側の通り側は満席で反対側の奥のテーブルが二つ空いてた。この中途半端な時間帯にも関わらず結構繁盛している。
店内は和が基調のモダン系。いいのは奥の先には城山の石垣が見える事。なるほどね、居心地はすこぶる良い。
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BGMはず〜っとジャズ。バップからダンモ(懐ふるッ)、ボサノヴァまで多種多様。これもいいな。

この店を教えてくれたのは先日取材を受けた地元のテレビ局のディレクターM氏。ちょうどこのストリートで撮影してた時に「この店先日取材したんですがいい感じですよ」と。その時は「蕎麦と珈琲の店」との事だったけど、それにBGMは「ジャズ」とくれば好物を一気にテンコ盛りで楽しめる。
ナントいう嬉しい組合せだろう
ココのマスターは松山で知らない人はいない昔から深夜(ほぼ早朝)まで営業しているラーメン店の家系だとか。兄弟はお好み焼き屋をやってるそうで、筋金入りの粉物家系なんだそうな。

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さて、いよいよ主役の登場。僕は初めて入った蕎麦屋では必ず天婦羅付きを頼む。「もり」でいいじゃんって言う人も多いけど、揚げ物が美味い店は「かけ蕎麦」の出汁もちゃんとしてる所が多いケースが全国に多々。
運ばれて来た時にぷプ〜ンと蕎麦の香りがした。
まずは何もつけずに一口。

うん、蕎麦はいい感じ。

次はツユにつけて一口。

お、いい感じ

元来この辺りは「うどん」至上主義で恐らく今でもデパートやスーパーでは「うどん」はグレードが高いが、その影に隠れて蕎麦は冷遇されていた。子供の頃に店屋物を頼む時、蕎麦をチョイスしたのは大晦日くらいのものだったし。
東京に出てから蕎麦の美味さを知って以来、ここで満足の行く蕎麦に出会っていなかった。第一の原因は「つゆ」が甘ったるい事にあると思う。この近くに昔からある店の「蕎麦は美味い」と聞いて行ったらホントに「蕎麦は美味かった」。けど。つゆがダメ。。。

ココは江戸前の「スキッ」とした歯応えとはちょっと違うが、口の中に蕎麦の香りが溢れつゆとのバランスが今までで一番だ。これはこれで美味い!

「蕎麦がダメだったら珈琲はオアズケ」と決めていたから、迷わず珈琲も注文した。
なかなかこの組合せを一つの店で味わうのも珍しい。

この店は喫茶店と蕎麦屋がモダンに合体したものなのだ。隣りの香川県だと普通の喫茶店のメニューに平然と「うどん」があるのだが、流石に蕎麦は無い。

奥の小部屋から学校帰りの制服姿の女子高校生がゾロゾロと出て来た。みんな純朴そうで元気な顔をしている。よくもあれだけ食べれるものだ(笑)という品目の清算が済んで一人が歓喜の声をあげた。

     「え〜ッ!割引だァ〜!ラッキ〜」
     「なんの?なんの〜?」
マスター:「友情割引だよ」
     「なんで友情割引なの〜、私達が可愛いからァ〜(笑)」
マスター:「そういう事にしときましょう〜ね(笑)」

ほのぼの。。

そう言えばこのロープウェイ街の飲食店はBGMにジャズが多い。この前行ったジンギスカンの「坂の上」もそうだし、近くにある喫茶「プレーム」などは看板にこそ書いてないけど紛れも無くジャズ喫茶。僕が小学校の頃もこの道沿いには正真正銘のジャズ喫茶(ブルーノート、モッキンバード、ジャズメッセンジャー等)が軒を連ねていたなあ。そして今と同じように高校生がよく学校の帰りに立ち寄っていた。しかもどの店もフードメニューに必ずパスタがあった。ジャズと麺。なんだか相性が良いのかもしれませんね。歴史は姿形を変えながら繰り返す、、、という事かな。


おしまい

2006/11/14

現代版:ツワモノどもの夢の跡は今?  火曜:街ぶら・街ネタ

今月頭の名古屋@スターアイズの前に時間が出来たのである場所に行って来ました。
早めに店に入ってセッティングでもしようか、と思っていたのですが、昼間にビッグバンドのリハをやってるらしく、あまり本番前にいろんな音を聞きたくないので夕方まで何処かで時間を潰す事にしたんです。

朝、栄にある名古屋に来ると泊まるホテルを出る時に、天気もいいし、どこかでオープンランチでもしようと思いつき、近くのデパート“丸栄”でこの前名古屋に来た時に“ハマッた”名古屋版「かにバッテラ」をゲット。そのまま車で当ても無く何処かオープンランチ出来る場所を探しながら郊外に車を走らせた。不慣れな名古屋なので取りあえず店のある覚王山方面へ。栄から覚王山を結ぶ線上には動物園や植物園がありましたが、せっかくの晴天だからもっと先まで行ってみよう、とどんどん郊外へ。
すると途中から標識で、何処かで見覚えのある地名が出てきました。

「長久手」

うん? なんで不慣れな土地でこの地名に記憶があるんだ??

そう思った瞬間に、想い出しました
愛・地球博の会場だった所だ!

去年の灼熱の夏に移動の途中で家人と立ち寄った愛・地球博。暑さと長蛇の列にヘロヘロになりながら回ったなァ。そう言えば開催期間中に「この博覧会は地球に優しい博覧会で、開催後は会場を元の森に戻す」と。今までの万博の跡地は千里も筑波も記念パークになってるので、これはいいかもと一路「長久手」へ。

はいはい、見覚えのある駅とリニアモーターカーの“リニモ”は健在です
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この“リニモ”ってホント滑るように走るンですよ、去年乗り心地に感動しました。今は名古屋の近郊路線として活用されているようです。

しかし、駅の周りを見渡すと・・・・

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なァ〜んにもありません。あのブルーの建造物は給水塔だったのですね。唯一記憶にある物ですが、てっきり何かのパビリオンだと思っていました。

今はまだ復元工事の最中で更地か広がっていますが、基本的な地形は開催前〜開催中〜開催後と同じ姿に保たれているようです。
昔の大プロジェクトだと、開発されたら二度と元には戻らないケースが多かったですが、100%は無理としても元の森に戻そうとする方針には関心です。

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ココはイベント会場や飲食施設のあった場所ですね

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この山の上を会場を結ぶロープウェイが行き交ってましたね

こうやって見ると昨年の光景がわかる地形が随所にあるというのは、最初から大きく地形を変えないで開催していた事がわかります。

車を広大な駐車場(一日500円とは、安ッ!)に置いてまだ整備中の開催記念公園もぶらついてみました。もちろんオープンランチをしたのは言うまでもありません。

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名古屋都心に向けて走る“リニモ”。途中一度乗り換えを強いられるがこれからの地球環境を考えるとこの駐車場を利用した「パーク&ライド」が万博によって整備された事になる。都心部で駐車場探しで困るくらいならココに車を置いて“リニモ”に乗り換えるのがbetter。欧米では随分前からそうした環境が整っているので、考えようによっては今、名古屋は日本で一番先進的な都市環境が万博開催によって整備されたのかも。

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駐車場の先には遊園地。幼稚園の遠足と思われる団体が幾組も来ていた。

昨年の万博以来、他の都市の低迷をよそに名古屋は勢いが止まらないらしい。音楽でも独自のやり方が成立する良い機会だと思う。
少なくともあと数年は名古屋から目を離せない状況が続くように思っているのは、どうやら僕だけではなさそうだ。(K氏。メール見ました。thanks)

ゆっくりオープンランチして、緑に囲まれた車で風に吹かれながら昼寝もし、さあ英気を養って準備万端。そろそろスターアイズに向かおうと来た道を戻ったら、、、、

途中で(数メートルの中央分離帯の)工事による渋滞に巻き込まれ、結局予定していた時間に20分遅れで到着というオチ付きでした。
せっかくいい気分で本番に向かったのに、地球に優しい道路工事やってよ〜、ったくう〜。

おしまい

2006/11/13

地域のサウンド  月曜:ちょっと舞台裏

昨日夕方は名古屋を中心に活躍しているヴィブラフォン奏者の山下真理ちゃんが関東遠征に来ていたので、その最終日をお馴染みのライブハウス横浜エアジンで観てきました。なんとこの時代に今日(山下さん)、火曜日(有明さん)、水曜日(僕)とヴィブラフォンが立続けに出るという“太っ腹”なお店です。(エアジンのURL最近代わりました。太っ腹なマスターだけに誰にも教えてません/笑)
ギターの阿部大輔君とのデュオで、関西〜中京〜関東と16日間の長丁場。聴いていて思ったのは「余計な飾り気の無い良さ」という事。レパートリーも二人のオリジナルのみを淡々と綴るという、それでいて聴き手にまったく威圧感を与えない、ともすれば聴き手がうかつに物音でも立てようものなら(弱いという意味ではなく)壊れてしまいそうな、、、そんな空気が漂っていました。ちょうど昨日のブログで偶然にも「演奏で主張しつつも空気のように」なる難しさに触れたところだったので、こういう形もその一つなんだなぁ、と思いながら楽しみました。
この空気って何処かで経験あるよなぁ、、、、と聞きながら考えていたんですが、今やっと思い出しました。そう、それはクラシックのリサイタル!。いつものエアジンがそんな空気で包まれてしまうなんて、やはり音楽は面白いですよ。
ともすればブログやmixiに溢れる、主語と形容詞の無い“凄い!”とか“最高!”という余計な冠の付く音楽に振り回されて「何が凄いのかわからないけど取りあえず凄い」というのに飽きてきた人達は是非一度聴いてみてほしい音楽だと思いました。
そうそう、客席に関西で演奏する時には必ず来てくれる神戸のhide君がいたのにはびっくり
週末なら何処へでもヴィブラフォンを聞きに出掛けるというツワモノです(笑)。昨夜の飛行機で帰ったと思うので、きっとこのブログも観てる事でしょう。


山下さんもそうですが、先日名古屋で共演したピアノの後藤浩二君やその周りにいる人達は、僕はとても良い音楽をやっていると思うんです。
東京と大阪が二大拠点となっている日本の音楽シーンで、最近名古屋には何か独自の音が育まれているようで大変興味があります。横浜は以前から東京とは違う音が存在していてお客さんも自分で楽しむ方法を熟知した人が多い(10月16日のブログでも少し触れました)ので演奏するのが好きなのですが、名古屋は今まで個人的には未知のベールに包まれていました。

地域毎に特色のある音楽が生まれるというのは、とても良い事で、札幌、仙台、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、広島、福岡、と都市圏に限らず全国の街で「そこにしかない音楽」を作る人達が増えると音楽ファンももっと増えるんじゃないかと思います。虚勢を張ったスカスカの音楽とは別の存在として。

そう言えば、アメリカでもニューヨーク、フィラデルフィア、メンフィス、シカゴ、という都市部、ナッシュビル、ウエストコーストという広域にちゃんとその土地ならではの音楽が存在していて、それがエリアを超えて多くのファンに支えられているんですね。

そんな中にボストン・サウンドというものも存在しています。家人に言わせると「ボストンに関わりのあるミュージシャンの作る曲やサウンドには必ずソレがある」そうです。
なるほど、昨日の山下さんと阿部君の演奏にも、僕はとても懐かしいサウンドがありましたが、それがそうなのかもしれません。バークリー音大の影響が強いのかもしれませんが。
ドラムの小山太郎君とレコーディングの時に話しをしていたら、シンバルの叩き方(サウンド)にボストン・スタイルというのがある、と言って実践していましたから、かなり認知されているものなのでしょう(自分ではわかりません)。

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街でもあり少し郊外に足を向ければ田舎でもあり、大学だらけの街でもあるボストン。日本で言えば京都の感覚かも。

ボストン市は人口約58万人、都市圏人口は500万人。街自体は大都市ではありませんが周辺部に旺盛な住居地区を持つバランスの良い街。ひょっとすると名古屋ってボストンのように独自性が成立する街なのかもしれないですね。

それぞれの土地に根付く音楽はそこで活躍するミュージシャンが築き上げるもの。東京一辺倒の時代からそろそろ視点を替えて物事を見てみると、そこかしこに「これはいいな」という音楽に巡り合えるかもしれません。
舞台裏というカテゴリーとは関係ないようで、実は深く結び付いている事かもしれませんね。ジャズという音楽は演奏者のその瞬間の感覚が主体だけにそういう地域の空気を感じさせてくれるのに向いた音楽だと思うのです。歌詞や方言よりも現代らしく、ね。

おしまい

2006/11/12

続・やっぱりこの時期は山!  日記

快晴の朝を迎えた東京地方ですが、みなさんいかがお過ごしですか

と、書いて、「みなさんは」+「いかがにお過ごしでしょうか」ではないのか?
いや、「みなさん」+「いかがでしょうか?」でいいんじゃ?
まてよ、「みなさん」+「いかがですか?」??
段々省略形に小さくまとまりつつある11月12日の午前8時です。

小さくまとまりそうになったら遠くを見なさい

いいですねぇ、格言にしましょッか〜

そんな事を思うのも、やっぱり山を見たからでしょうか。

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ここは、“ひるがの高原”。何処にあるかは地図で調べてみましょう
紅葉もいい感じで進んでいます。

森の空気に触れるとなぜだかとてもイマジネーティブになります。僕が勝手にイメージするヴィブラフォンやマリンバの音色って、こういった空気みたいなものなんですよ。

全然違うじゃないか〜って?ソコ、ツッコミな〜し

誰がなんと言おうとも、例えバンドがグリグリにグルーヴしてようが、ホロホロにブルーノートは聞こえて来ようが、



いいんです。





空気なんです。(キッパリ)





そんな空気になるのはとても難しい・・・
演奏、インプロで主張しながら空気になれ!なんて矛盾してますよね。

しかし、これは永遠のテーマ。(個人的にですけど)




森の中に入ると静寂に包まれます。



でも静寂って、無音という事じゃないんです。
静寂な音・・・・・・森の中にはたくさんありますね

その一つでもいいから、切り取って持って帰りたくなります。(熊は怖いですけど)

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ううん、、、

山を見ているとちょっとロマンチックな気分になれる事だけは確かなようです 



おしまい

2006/11/11

やはり山!  日記

この時期は何処に行っても自然の織り成す風景に感動させられるものですね
普段は街や人のウォッチングで結構楽しいのですが、やはり自然と仲良くする時間も大切。
日本に絶景数あれど、そんなに簡単に秘境まで足を延ばす訳にも行かないわけで、そうなると普段使っている“足”で触れられる場所に個人的な「お気に入り」が存在してくるものです。

僕の場合はココ
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東京から中央自動車道を進んで「長坂・高根IC」手前から八ヶ岳が見渡せるこのポイント。
中央道は仕事にレジャーに一番よく使う道ですが、
いつもこの手前のカーブに差し掛かるとドキドキします。

「今日はどんな姿を見せてくれるかな?」

運転中だけど、その先の光景をワクワクしながら予想してハンドルを切るのです。
「ありゃりゃ〜」・・・時には一面雲に覆われてその姿形を隠している事も。
「うっひゃ〜!」・・・雲一つ無く鮮明な姿を現してくれることも。

今日はどうかな〜?

そう思いながらパチリ

っん、今日はまずまずだ!

この場所に初めて来たのは東京に出て来た頃の初秋。その夏に仕事で移動中の中央線の電車から見た八ヶ岳に滅法感動して休みに一人ドライブと洒落込んだ時だった。東京以外の人ならわかると思うけど、休みに何時間も掛けて渋滞の中をやれ軽井沢だ、清里だ、と出掛ける「都会人」のレジャー思考に理解が及ばなかった。だって地方だと数十分も走れば十分に自然がある。そこまでして・・・・と思っていたのだけど、こうやって東京から2時間近く走ってみると、なるほど、これは感動するなァ。
ここまでの疲れが帳消しになるような瞬間だ。

それから半世紀近く経った今でも、やはりこの場所に来るとドキドキしてしまう。
全国各地の道や鉄道で感動しながら眺めた景色はたくさんあるけど、やはりココが一番好きかもしれない。

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もちろん、ココは高速道路の真上。時速100kmで足早に通り過ぎなければならない。じっと眺めてはいられないのだ。刻一刻と少しずつ「自分一番のポイント」から八ヶ岳が遠ざかってしまうのだけど、また今度のお楽しみっ・・と!

この先で中央道は右に行けば信州方面、そのまま進めば名古屋方面へと続く。

さぁて、

今日はどっちに進むもうか。。。


おしまい



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