2007/5/22

世にも不思議な三つ又橋  火曜:街ぶら・街ネタ

先日、アルバムのマスタリングの時に訪れた音響ハウス。レコーディングスタジオとマスタリングスタジオが備わった総合施設で、古くはジャズピアニスト市川秀男さんのCMレコーディングなどのスタジオワークから最近では自分のアルバムのマスタリングで、と度々お世話になってる。

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音響ハウス/ONKIO HAUS(中央区銀座1丁目)

設立以来35年になろうとする独立系総合スタジオの老舗。

アルバム2枚分のマスタリングなので長丁場の為に途中で一区切りを兼ねて音響ハウスの近辺をブラブラウォッチング。いくら自分の音楽であるとは言えヴィブラフォンやマリンバ、ドラム等の打楽器系のアタック音を何時間も聞き続けていると耳が麻痺してくる。

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前面のスピーカーに向かってあ〜だこ〜だ、とそれを背中で軽く交す(笑)石井エンジニア

レコーディングの時は音楽の流れ中心に耳を集中させるから長時間でも聴き所は様々。ミュージシャンやスタッフと和気藹々な雰囲気の中での音のシャワーは調子が良いとあっと言う間(調子が悪いと煮詰まるけど/笑)。随時変化するから飽きないのかもしれない。でもマスタリングとなるとソコにある音を何度も聞き返しながら隅々に耳を凝らすので、順調な時はいいけど、たまに重箱の隅を突っつきひっくり返しては小言を言う小姑の気分になるようなシーンもあるのでストレスも生まれようと言うもの。毎度ながらエンジニアの石井さんに無理難題を吹っかけては宥めてもらう始末(笑)。無事に1枚目が終わって一息の時間に気分転換を兼ねて外の風に吹かれると気持ち良い。

その音響ハウスの袂には、世にも不思議な三つ又橋がある。

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日々何かと使う首都高速。やれ渋滞だ、やれ車線規制だ、車線が狭い、一体いつから無料化になるんだ、と言ってもやはりこの道無くしては生活できない。僕がこの道のお世話になり始めた頃の料金が確か均一400円。今が700円。四半世紀を過ぎた時点で物価と比較して高いか安いかと言えば、、、安くはないが高くも無い。妥当な料金という事になる。

この首都高は1964年の東京オリンピックに合わせた突貫工事によって主要な部分が開通している。当時の都電の線路の上には高速、下(地下)には地下鉄。いくつものビルが取り壊され半ば強引とも思える整備は今では考えられないが、街の真ん中に一挙に高速と地下鉄を開通させる事が出来なければ今の東京はあり得なかったのかもしれない。小学校の頃にそんな映画を見た記憶がある。テレビだったか映画館だったかは定かではないけど東京オリンピック開幕に至るドキュメンタリーだったか。
確か教育映画風の作品で何をそれで伝えようとしていたのかは判らないが僕には破壊にしか見えなかったので鮮明に覚えている。きっと逆の事を伝えたかったのだろうね。

首都高の西側(中央区側)は走っていてもクネクネしていて走り辛い。僕が東京に出て来た頃に一緒に演奏していたドラマーが「あそこ昔は川だったんだよね」と教えてくれた。彼は神田の生まれで子供の時に毎日工事現場を見ていたという。
その言葉通り中央区付近の首都高は江戸時代に作られた運河を埋め立てて作られている。なので首都高全般のランプやジャンクションには●●橋という地名が多くそこが昔は川や運河だったという事が窺い知れる。その中でも銀座近辺は土地がソコしか無かった為に運河に沿って道もクネクネ。掘割という事で一般道よりも低い所を首都高が走る。

音響ハウスのある交差点は隣りの首都高を跨ぐ橋の名前から「三吉橋」と名付けられている。
三吉橋は一見すると掘割に架かる普通の橋に見えるが、全容はこれが実に不思議な三つ又橋になっている。

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音響ハウスを背に新富町方面を望む。ココがY字の根元側。この先で左右に橋が分かれる不思議な構造。

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橋の下は首都高(三吉橋から銀座ランプ方向を望む)

どう構えてもこの不思議な三つ又橋の構図をカメラに収める事ができないのですが、橋の袂に記念碑があったのでちょっと大きめにパチリ!
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ちょうどこの図の一番下から上を向いているわけです。
築地川(右下から)がココで直角に曲がっていて(L字)、L字の先左側は運河だったそうです。首都高はそこを一直線に結んでいるのですね。そこに架かる橋が三つ又になっているのがお分かりでしょう。

もしもココに川と運河が残されていたら・・・と考えるだけでも興味深い光景で、ひょっとしたら東京の観光名所になっていたかもしれませんね。
首都高の地図で見ると今の状況がわかります。

築地川もこの先入船橋まで首都高が覆ってしまい見る影もありませんが、江戸時代の水運で栄えた名残を首都高という形が残していなかったらこんな事に気付かなかったかもしれません。
橋に歴史あり、というのは本当ですね。

おしまい



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