2007/7/12

The most beautiful sound next to silence的策略  木曜:Jazz & Classic Library

表題からピンとくる人は恐らく僕と同じくらいジャズ・キャリアを持つ人でしょう。「沈黙に次ぐ最も美しい音」。そう、70年代を代表するドイツのレーベルECMを語る時に幾度となく使われた言葉で、この言葉からインスピレーションを呼び起こされてレコード店に出向き、ドスドスとLPを探す内に、“あのECMの”ジャケット写真が目に飛込んできて、ついにはドドドッとハマってしまう、、、、そういう経験をお持ちの方も多いでしょうね。

今となっては意外に思われる事だけど、そのECMレコードの原点(スタート、第一作という意味)はピアニスト、マル・ウォルドロンの『Free at Last』(ECM/1969年)。マルと言えば僕はエリック・ドルフィーの『5スポット』のライブ盤が愛聴盤で、世間的には『レフト・アローン』がお馴染み。当時(70年代初頭)ジャズ喫茶に行けば必ず聞こえてきたものだ。とりわけ日本では人気があった。

そのマルがECMの第一作のアーチストとしてラインナップしたのは単純な理由だった。一つは当時アメリカでの不遇の生活から離れてドイツに暮らしていた事。その二にECM創立前のマンフレート・アイヒャー氏と親交のあったミュンヘンにあるレコード店オーナーで自主制作レーベルJAPO創立者と親交があった事。その三はマル氏自身が過去のアルバムから離れて新作を作りたがっていた事。
アイヒャー氏は当時ヨーロッパを訪れる有名なアメリカのジャズバンドでサイドメンを務める若手や若手リーダー達に自らが設立せんとするECMレーベルの話しを持ちかけていたようだ。ピアノのキース・ジャレットやチック・コリア、ヴィブラフォンのゲイリー・バートン。その為にはECMというレーベルがどんな音楽環境を秘めているのかをしらしめる必要があったのは当然の事だろう。
その意味でヨーロッパの若手の演奏を聞かせるのも良いが、いかんせん誰も知らないモノを相手に聞かせても聴いてくれる確証はない。そこでマル・ウォルドロンに白羽の矢がたったのは当然の事だったと予測できる。
なぜなら、ECMレーベルの魅力の一つにはそのクオリティーの高い録音、つまり“音質”も含まれていたからだ。音楽の指向は様々だが、音質に限って言えば全ジャンル共通だ。
だから当時の若手ミュージシャンがマルの事を知らないはずが無く、さらに聴いて彼等が驚くような音質であれば、レーベルを浸透させる事も可能だ、という采配。そしてそれは見事に成功した。

ECM初期の作品を知る人が不思議に思っていたのは1作毎に配給先をコロコロ変えていた事。

初期のECMで唯一と言ってよいほどの売り上げを記録し、その後のECMを生み出す原動力となったチック・コリアの『Return to Forever』(1972年)も実は最初に配給提携したのは日本のポリドール・レコードで、アメリカで発売されたのは70年代の半ばを過ぎてから。
日本のトリオ・レコードが専属配給契約を結ぶまでは国内でもいろんな配給会社を経て発売されていた。

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『THE CALL/Mal Waldron』(GLOBE/1971年)

これは記念すべきECM第一作を飾ったマル・ウォルドロンのECMでの第三作めだけど、グローブという小さな配給会社を経由して国内で販売されていた。

マル・ウォルドロン(el-p)
ジミー・ジャクソン(org)
エバーハード・ウェーバー(b)
フレッド・ブレイスフル(ds)
1971年2月1日 ドイツ(当時は西ドイツ)にて録音

というちょっと信じられないメンバーによるもので、このアルバムのアイデンティテーはマルの弾くエレクトリック・ピアノとエバーハード・ウェーバーの5弦エレクトリックベースの他ならなかった。
この時点で既にウェーバーは“あの”独特のベース・サウンドを作り出していて、何よりもこのアルバムを聴いてその「個性」が真っ先に飛込んできた。他にこんなベースの音は聴いた事がないゾ!何だぁ〜?これは!?
もしも、僕がベーシストなら、この時点できっと5弦ベースに手を出していただろうと思うくらいこのサウンドはソソラレるものがあった。
ドラムのボトムからハイエンドまでストレスなく抜けた、しかも独特の余韻を持つ録音。残念ながら初めて弾いたというマルのエレクトリック・ピアノのサウンドは、普通のフェンダーローズのエレピとは違った何処かピョンピョンした音で余り好きになれなかったのだけど・・・・
見開きジャケットの内側には小さくECM原盤/プロデュース:マンフレート・アイヒャーと。
(ECM原盤ながら今ではECMのカタログには載っていません)

このアルバムを聴いた翌年に手にしたチックの「リターン・トゥ・フォーエバー」の裏ジャケットに小さく刻まれた「ECM」という三文字に注目、さらには「A R C」(チック・コリア/1971年)、「FACING YOU」(キース・ジャレット/1971年)、「PIANO IMPROVISATIONS vol-1」(チック・コリア/1971年)、その直後からトリオ・レコードで専属配給が始まっていた「RUTA & DAITYA」(キース・ジャレット&ジャック・ディジョネット/1972年)、「OPEN TO LOVE」(ポール・ブレイ/1972年)、「CRYSTAL SILENCE」(ゲイリー・バートン&チック・コリア/1972年)。ECM黄金期が幕を明けた。

初期のECM作品はソロやデュオが中心だったのは小予算だった事もあるが、一方ではキース・ジャレットの3枚組のソロ・アルバムを出したりと、少人数による徹底した理想型を実践している。

小さい規模のレーベルのままで今日まで存続させる事が出来た事。
全部にアイヒャー氏の目が行き渡る状態である事。
ECMの成功の秘訣に、ここに書いた初期の段階の先読みも加えると、一段と楽しみ方も違うでしょう。

当時あるピアニスト曰く
「アメリカのプロデューサーときたら自分の趣味的意向をミュージシャンの音楽的なアイデンティテーにかぶせるのが自分の仕事だと勘違いしているんだから困ったもんだ」

この言葉が言い当てている事は、今日の音楽にとって、とても重要な事なのです。

おしまい



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