2007/8/6

入り口は・・・  月曜:ちょっと舞台裏

takiさんのコメントにレスを書いていて、情報の多い都会に育ったわけでもないのに、よくもまぁ、四国の片隅でジャズなんかに出会ったなぁ、と思った。
しかもヴィブラフォン。

ジャズやヴィブラフォンの楽譜や専門書はまったくと言ってよいほど街の店頭では見かけませんでしたが、ジャズと言う言葉は街のあちこちにあったジャズ喫茶(当時人口が30万人足らずに対して12〜3軒というのは珍しく多くしかもその中の一軒が実家のテナントだった)と、何といっても月刊誌。
そう、毎月一般の書店に並ぶ『スイングジャーナル』。
(ただし、当時四国は本州と陸続きではなかったから発売日が25日と遅かった)

小学校の時に買い始めたこの雑誌が唯一のジャズエキスだった。

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左から:初SJの1968年10月号、同11月号、同12月号

こういう雑誌を小学生が読むというのも不思議かもしれないけど、大人の読む雑誌に興味があった事と写真が多数あった事、そして何よりもジャズの新譜の情報が個性豊かなレビュー付きで載っていたのが「情報収集」として欠かせない魅力だった。だから多少難しい言葉はあったけど、学校の教科書よりも夢中になって読めた。

また、偶然にもこの頃の誌面では頻繁にヴィブラフォン奏者が登場していて興味が沸きつつあったこの楽器の状況が毎月のように更新された。

68年10月号(表紙はジム・ホール)をあけるとパリのジャズレポートが巻頭カラーで紹介されMarion Brown(as)のレポートにGunter Hampel(vib)が登場する。

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しばらく進むと今度は児山紀芳氏のインサイド・レポートに「エレクトリック・ジャズ/可能性と問題点」という記事が目を引く。

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以前書いたエレクトリック・ヴィブラフォンの言葉を初めて見たのはこの号で12月号と記憶していたのは間違いだった。今見て興味深いのは「エレクトリック・サキソフォンが開発されたのは1966年夏の事だった」という記載があり、楽器のエレクトリック化は想像よりも早い時期から行われていた事がわかる。

68年11月号(表紙はリ・モーガン)を見ると、巻頭のカラー広告に「キース・ジャレット登場!」の文字が躍る(勿論LPを買った)。

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新譜のレビューに進むとそこには「ゲーリー・バートン/カーネギーホール・コンサート」と「キース・ジャレット登場」が並ぶ。

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ゲイリーのレビューは植草勘一氏、キースのレビューは児山氏だ。お二人とも「コレクティブ・インプロヴィゼーション」という言葉を引用されているのが偶然とはいえ興味深い。

68年12月号(表紙はゲイリー・バートン)を見ると来日直前のゲーリー・バートンの特集とニュージャズ集団JCOAの特集。さらにヴァイブサミットと題された巻頭写真には複数並べられたヴィブラフォンを演奏するボビー・ハッチャーソンのカット。

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また毎回楽しみに読んでいた植草勘一氏のコラムは「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラの野心的な演奏はヨーロッパ前衛ジャズの方向を感じさせられたりしておもしろかった」という表題。

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内容はゲイリー・バートンとマイク・マントラー(JCOAの主幹者)について書かれていてこれが今読んでも面白い。

ゲイリーのアルバム「サイケデリックー・ワールド(原題:Lofty Fake Anagram)」最終曲のエピソードが紹介されていて、作曲者のS・スワローが録音したテープを寸断して1000くらいのコマ切れにしたものを数週間かけて繋ぎ合わせ、それをニューヨークのバートン・カルテットのコンサートの時にヴォリュームを上げて会場に流しそれだけをバックにソロイストが順番に演奏するシーンがあったそうだ。

これがプログラムの最終曲だったので、その時に演奏が終わったメンバーが手持ち無沙汰だったのでそれぞれの楽器の分解を始め、そのパーツをステージの真ん中に積み上げた。すると観客が大笑いして「なんだか喜劇役者の気持ちになったようで面白かった」というゲイリーのコメントが紹介されている。

こんな本を読んでいると、ジャズっておもしろそうだなぁ、ヴィブラフォンってやってみようかなぁ、と小学生が思っても不思議ではなかったのですね。

おしまい



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