2007/8/20

顔色が変わるとき・・・  月曜:ちょっと舞台裏

みなさんも冷汗も出ないほどの失態に遭遇した事があるんじゃないかなぁ。(ないほうがいいけど)
僕らの世界では、その多くの場合が「遅刻」にまつわる事件。
これは若ければ若いほど経験があって、思い出して今でもヒヤリとしている人も多いんじゃないかと。若いと無茶な計画を組むものなんですね。

今までで一番コリゴリした遅刻は、まだバークリー音大に在学中の夏休みに。
留学2回目の夏の1988年。
2006年11月19日のブログ「新・音楽体験記/留学の頃」でも書きましたが、留学1回目の夏(87年)は夏季セメスターを終了してからの二週間の休みに一時帰国して東京と松山の知合いのミュージシャンとライブをやらせてもらったんですが、二回目の夏は全休にしてツアーを計画したんですね(このツアーはいろんなハプニングが起こって大変だったのですが、とても楽しかったので後日「新・音楽体験記」で書きたいと思っています)。

留学生と言うのは2年目くらいになると、卒業後の進路についていろいろと準備を始めるわけで、その国に残って活動するか、それとも帰国して活動するか、をいろんなプロモーションを行って探るのです。この年のツアーもその一つで、当時バークリーで一緒に演奏していたメンバーで新潟から始まって関東〜四国までグルグルと回るものでした。

その中でも一日スケジュールがとてもタイトな日があり、計算上は上手くリレー出来るハズでした。
当時の手帳を見ると7月30日の六本木『アルフィー』と8月1日吉祥寺『サムタイム』でピアノの岩崎大輔氏と共演した後にバークリー・メンバーと合流して5日新潟、6日館林、7日前橋と進んで21日の松山までの間、前半はヴィブラフォンを元弟子に借り、後半は実家のヴィブラフォンを使ってレンタカーでグルグル。
共演はバークリー同期のギタリスト道下和彦、ベーシスト納浩一。

忘れもしない8月10日。僕らは渋谷の道玄坂にあるTHE PRIMEの5階に当時あったライブレストラン『せいよう広場』でライブ。
当時バブル景気の真只中といわれた東京は、ボストンの田舎で暮らしている学生にとっては目新しいものばかり。

『せいよう広場』はライブの合間にパントマイムやらマジックやらが客席を回りながらパフォーマンスするという、ジャズでコチコチの僕らの頭の中では想像も出来ない「御伽(おとぎ)の国」のような光景に一同「日本って無茶苦茶凄いなぁ」と目をキラキラ。
この時は1曲スパニッシュなオリジナル曲にタップダンサーの森久美さんが加わるという、これもボストンでは考えられない企画が入っていた。タップのステップ音をフラメンコのように使ってみたチャレンジだった。

クリックすると元のサイズで表示します
左から:道下和彦、吉田哲(プロデューサー)、森久美(タップ)、納浩一、僕
後の大失態も知らず余裕で渋谷プライム楽屋にて(1988年8月10日 7:30pm過ぎ/納くん撮影)

この日は6時台と7時台に2回ステージを行って、着替えも終え森さんや吉田さん、せいよう広場のスタッフと別れを惜しみつつ楽器を撤収して午後8時前には全員楽器車の中に集合。

実はこれからもう一つのコンサート出演の為に茨城県の高萩というところまで行くのだ。渡米前からジャズフェスティバルなどに呼んで頂いたりいろいろと応援して下さっていたOさんに企画して頂いた「遅めのライブコンサート」。
どうしても日程調整が出来ず「夏休みだし少し遅めに始めましょう」という事で午後10時過ぎ開演の1ステージライブという企画。

渋谷から高萩までは約150キロ。渡米前に何度も伺っていたのでボストンで計算して2時間以内には到着出来る見込み。

さて、道玄坂を出て、首都高に上がると、、、あれれぇ?
予想よりも混んでいる。渋滞のマークがけっこうあるし。。

一路三郷ジャンクションを目指すのだけど、1時間過ぎてもまだ向島。向島を過ぎるとスイスイと流れるハズの首都高がビッチリ渋滞。ううん。。
車の中で「なんでこんなに混んでるんだ? おかしい」
とボヤきつつも、常磐道に入ればスイスイ流れるサー、とひたすら我慢。

この時代、今のように携帯電話が無いからさっぱり連絡が取れない。
ひたすら進むしかないのだ。。

松戸を過ぎてもまだ渋滞は続く。
これはおかしい。。。

なぜだ?

と、そこで初めて気が付いた・・・・

「これって、お盆の帰省ラッシュちゃいますの?」

一同絶句。


そう、お盆。この年の8月10日はちょうどお盆の入りだったのです。
留学ボケの僕らは、すっかり「お盆」という事を忘れてしまっていたのですね。

延々と続く渋滞の中を悶々としながらも亀の歩みで、やっとの事で着いたのは、
もう、日付けも変わらんとする午後11時50分。トホホ、、

集まっていただいた方々は午後11時半の段階で解散、後日改めて、、という事に。。
ホントに申し訳なかった。今でもその時、血の気が引いて顔色が変わった事を覚えています。

クリックすると元のサイズで表示します
深夜、大遅刻でも残ってくれていた方々と記念の「あ〜あッ!」ショット
ひたすら謝り、もうニガ笑いしか出来ない僕(←アホ)

そして、Oさんから「では、リベンジをしていただきましょうかねぇ〜」と救いのお言葉。
5000回くらい地球上を駆け巡る勢いで「はい」と。

急きょ日程を調整して21日の松山の後に全員茨城に集合する事になった。
申し訳なさと、不甲斐無さでリベンジに挑む僕らが再び茨城県の地を踏み、Oさんが指定した場所に向かうと、全員「唖然」とさせられてしまった。
こ、、ココでやるのか???

道下くん曰く「Oさん、しっかりやりよったなー」(笑)。
そう、Oさんはしっかりと僕らにリベンジする事も忘れていなかったのだ。

後日「新・音楽体験記」に続く・・・



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ