2007/8/23

ちょいワル風なジャケットの・・・・・・Joao Gilberto  木曜:Jazz & Classic Library

昨日ゴゴイチは『ジャズライフ』誌のインタビューでした。(無事に起き顔で/笑)
新しいアルバム「TIDE GRAPH」の事やヴィブラフォンやマリンバの事など、いろいろと喋ってきましたので発売をお楽しみに。9月14日発売『Jazz Life 10月号』(三栄書房)

さて、

本日はもうお馴染みのジョアン・ジルベルト。
ところが、ちょっとこのアルバムのジャケットに見るボサノヴァの神様は普段とは少し様子が違います・・・

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『Ela E' Carioca/Joao Gilberto』(ORFEON/1970年)

数々の奇行で有名でもある神様ですが、このジャケ写は神様と言うよりも「ちょいワル」風な出立ちで、おやおや? と思わせます。

ボサノヴァがブラジルで盛んに生まれていたのは1950年代の後半、それがアメリカに渡りビジネスに乗って世界中に広まったのが60年代前半。ブームというのは一過性の姿ではせいぜい2〜3年、ブラジルのミュージシャンが大挙してアメリカに移り住んだのもこの頃で、ブームの終焉と共に再びブラジルに戻ったのでした。
その中でも台風の目だったアントニオ・カルロス・ジョビンは作曲家としてマイペースな活動を行っていましたが、もう一方の台風の目(のはずだった)ジョアン・ジルベルトは60年代中盤からしばらくの間はまったく消息不明の時期があるのです。

(はずだった)と書いたのは、スタン・ゲッツと組んだアルバム「ゲッツ〜ジルベルト」は(今となっては)紛れも無くジョアン・ジルベルトにスポットが当たったアルバムと見てもよいでしょうが、当時はアメリカ人に意味のわからないポルトガル語で歌うジョアンよりも、キュートで愛らしいブラジル訛りのある英語で歌っているジョアンの奥さん(当時)だったアストラッド・ジルベルトをアメリカのレーベルが売り出す構図が見え隠れします。

そんな状況であった事は誰でも想像出来るものですから、当然本人はブームが去った後の不遇の時代に陥って行ったようです。アストラッドとの離婚や自分を取り巻く由々しき環境。73年の『おいしい水』やゲッツと再び組んだ76年の『ゲッツ〜ジルベルト'76』、さらに名盤の誉れ高い77年の『イマージュの部屋』という完全な復活までジョアンはまったく消息不明になっていたようです。
このアルバムのライナーノーツによれば、ブームが去った後にアメリカから離れてスペインを放浪していたようです。

その為か、このアルバムは長らく陽の目をみなかったらしく、この「荒れ果てた」出立ちの神様がジャケットに登場しているわけですね。

では、内容も「荒れ果てて」いるのか?

いやいや、これがそんな上辺の事とは別に、実にマイペースなジョアンなのですね。
きっと神様の中では、そんな事はどうでもよかったのでしょう。
精神的には打ちのめされていたと想像出来ますが、それで妙に変わってしまうようでは僕らから神様とは呼ばれないでしょう。
今だって開演時間にステージに現われたりする事のない神様ですから。
だから来日公演のチケットでも「開演時間は目安です」と記載されていましたね。
現実味の無いところに、この神様の魅力はあるのです。

この後に続く「イマージュ」までの作品と比べても何ら遜色がありません。ただ、少しだけブランクの影響か曲によっては珍しく音程が定まっていない曲もありますが、それは続作でどんどん払拭されて行くわけです。

2曲目“ELA E CARIOCA”のイントロで見せるトロンボーンのようなスキャット、3曲目“O SAPO”(カエルという意味)のユーモラスなスキャット、ボサノヴァの真骨頂のような4曲目“ESPERANCA PERDIDA”でも見せるトロンボーンのようなスキャット、さらには後のMPB(Musica Popular Brasileira)に繋がる作家アルベルト&ヴァスコンセロスの“ASTRONAUTA”を取り上げる先進性、ボサノヴァのルーツの一つにあるボレロ“ECLIPSE”(10曲め)など、ボサノヴァがブームから離れて向かうべき流れをしっかりと捉えていた事がわかる興味深い内容です。

秋はボサノヴァの季節。
(南半球のブラジルは北半球とは季節が逆)
ボサノヴァやMPBではよく「3月」が歌詞に登場します。
日本で言えばそれは「9月」。
一番ボサノヴァが心に染みる季節は、もうすぐそこなんですね。

おしまい



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