2008/1/29

さらばラフォーレ!・・・  火曜:街ぶら・街ネタ

一つのビルの誕生から終焉を見届ける事になりました。

なに?それ。。。

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『ラフォーレ原宿・松山』松山市一番町@1/27/08(敬意を表してやや大きめ画像)

日曜日(27日)私用で急きょ実家のある松山に立ち寄ったら近所の「ラフォーレ原宿・松山」が本日限りで閉館に。経営不振での閉館なら諦めもつくが、例の『姉歯』事件の余波による建物の耐震問題だから複雑。大小60店舗はこのところ年商60億で推移していたから寝耳に水だろう。

このビルの事は近所だから新聞にも載らないような事まで知ってる。
元々ココは僕が小さい頃は“悪魔の”歯科医があった。もちろん歯科医さんは悪魔ではなく、自分が初めて虫歯を抜かれた恐怖から「悪魔」と勝手に呼んでいただけ。

それが小学校4年の頃に一帯と合わせて取り壊されて僕は近所から“悪魔”がいなくなってホッとした(笑)。
一年くらい掛けてのビル工事で、この頃は街のあちこちでビル建設が盛んだったので掘り返された基礎工事の現場を学校の行き来に通る内に自然と建築に興味が沸いた。

ココの工事の時も雨の日は工事がお休みで、まだ掘り返しただけの現場に巨大な水溜りがあるので中に入って遊んだ事がある。

この辺りは地下水脈があるので少し掘ると大量の排水の繰り返し。そのお陰で実家界隈は20階建て以上の建物が建てられない。
これも不思議だった。地下を掘ると水が出る?なぜ〜?
小学生の僕は益々建築に興味が沸いたのを覚えている。
ジャズに出会うほんのちょっと前の事だ。

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中心地の顔のひとつだった「ラフォーレ」

よく見るとこのビルは階段状の変則的な形をしている。
それには理由がある。

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アーケード街を挟んだ三越から見た「ラフォーレ」

1967年3月だったと思うが、この看板の部分を境界として東側(写真では向こう側)が広島に本拠地を置くスーパー「いづみ(現・イズミ)」として竣工した。デパートは当時、向かいの三越しかなく、大型スーパーとして中心部に開店した「いづみ」はプロモーション・デパートと名乗っていた。地上7階地下1階で地下に食料品売場を設けたこの街最初の建物だった。
なぜ鮮明に覚えているのかと言えば、「いづみ」開店の日の朝、小学校に行こうと玄関を出たら1ブロック先の実家前まですでに開店記念セールの行列が並んでいてびっくりしたからだ。朝8時ですよ。オバチャマパワーおそるべし。
開店間もない頃5階のレコード売場でビル・エバンスのアルバムを買っている。ジャズに出会って建築からは興味が薄らいだ。

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看板から左側が最初に竣工した。看板の位置は旧・「いづみ」のまま

その開店数日前には同じ広島を拠点とするスーパー十和田がフジの名で別のアーケード街に同じく侵出してちょっとした大型スーパーの出店ラッシュだった。(フジはその後独立して松山を本拠地とするFUJIとなり中四国各県にある)

この時、アーケード街は進出を侵出と受止め、大規模小売店法を制定して「いづみ」の売場面積を削っていた。自衛手段が共存とはほど遠い形だ。

数年すると好調によって西側に増築した。しかし、またも売場面積を削られ最終的には5階建てにまで削られた。(階段状の真ん中の部分)

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階段状に増築した跡

そうこうする内に私鉄ターミナルに「そごう」が侵出して来ると、向かいの三越も全館建て替えで新しくなった。大街道アーケード内にあった手狭な「ダイエー」は近所に新店舗を新築し、市駅前にあった「ニチイ」は銀天街アーケードの中に新店舗を新築した。狭い地方都市の中心部に2つのデパートと4つの大型店が揃い地元商店街も加わって集客を競う高度成長期そのままだった。その時に「いづみ」はどうしてもほしかったアーケード街に面する部分を増築して、現行の階段状のビルが出来上がった。1970年頃の事だ。

その後オイルショックで売り上げが低迷し80年代に入ると「フジ」の店舗数拡大によるネットワーク化とは対照的に単体の「いづみ」には陰りが出てきた。

82年、ついに撤退し、その建物は東京の「森ビル」が買取、翌83年に『ラフォーレ原宿・松山』が誕生した。

なんで「ラフォーレ松山」じゃないの?と、当時みんな首をかしげたが、森ビルでも犬猿の仲のリゾート開発の「ラフォーレ」と区別する為に会社名が「ラフォーレ原宿」だったからと判明。
ともあれ、四国の片隅に突然原宿の「ラフォーレ」出店第一号が誕生したのだから若者が来ないわけがなく、たちまちランドマークに。
TowerRecordsやヴィレッジ・ヴァンンガードなども入店しファッション以外のカルチャーもココが中心となって益々ランドマーク化して行った。

恐らくこの四半世紀のこの街の待ち合わせ場所は「じゃ、取り合えずラフォーレ前で」に固定された。25年だから親子二代「ラフォーレ前で」派もいるでしょう。

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市内各地から市電で降り立つと目の前で待ち合わせ。最終日も同様。

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午後6時〜9時が待ち合わせのピーク(08年1月3日)

忘年会も、新年会も、同窓会も、新歓も、カップルも、オッサンも、オバチャマも、恐らく人口50万の街の半分以上がココで待ち合わせた事があるだろう。

僕はへそ曲りなので通りを挟んだ銀行前やスタバの前が多かったが、それでも目の前にはいつも「ラフォーレ」があった。

いったいこれからこの街の待ち合わせ場所はどうなるのだろう?

「旧・ラフォーレ前で」か?
アーケードの反対側にある私鉄ターミナルの「市駅前で?」、これはあり得ない。なぜならデパートや地下街はあっても飲み屋街がない。夜はガランとしている。
JRの駅前はもっとあり得ない。街の外れにあるから。
威勢のいいお兄ちゃんやオネイサンは最近「三越裏(南口)」というのがあるそうだ。ラフォーレ前は駐停車禁止だからか。
でも、やはりココだろう。
元々ラフォーレの出来る前からココは待ち合わせ場所だった。アーケード街の名称「大街道(おおかいどう)で」と言うと結局同じラフォーレ前に集まる。

さて、泣いても笑っても最終日。
「ラフォーレ」の進出を我家で一番喜んでいたのは父親だった。
昔から男性化粧品を愛用し、ブランド好きで僕の100倍以上お洒落だった父親は何かにつれ最新ファッションが豊富な「ラフォーレ」のノンブランドも気に留めてコソコソと購入していた。
夏暑いと「ちょっとラフォーレを抜けて行こう」。冬寒いと「ちょっとラフォーレを抜けて行こう」・・・。通り抜けるだけのハズがない(笑)

僕もちょっとしたステージ衣装はココで面白いモノを見つけられるので重宝していた。

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偶然にも最終日に実家に立ち寄ったので前を何度か行き来した。
日曜日という事もあって朝から人出が絶えなかったが午後3時頃と閉館間際の午後8時頃は異常な混みようだった。

午後8時過ぎに夕飯をアーケード街そばの洋食屋で済ませて実家に帰ろうとすると、ラフォーレのアーケード口に異様な人垣が・・・

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在民放5社とNHKのカメラ、新聞各社、それに最後の姿を写メールで押さえる人達。
なにやら店長の挨拶があるとかだけど、僕には関係ない。
この店長氏、前任は一昨年に閉めた「ラフォーレ原宿・小倉」の店長さんだったと聞く。赴任先が今度は耐震問題で閉館とは、心中複雑だろう。

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この夜から翌朝のローカルニュースは全て「ラフォーレ」だった。
取り壊されたあとの事はまだ発表されていないが、建直しとなると建蔽率の関係から同じ床面積を建てるには高層化しかないが、その割には土地が狭く難しそうな気配。
いっその事通りを挟んだ中途半端な市営駐車場と土地を交換すれば上モノは建てられるが・・・・他の企業が先に開発を進めるような話しも聞こえている。

ともあれ、これで「ラフォーレ原宿」は原宿本店と新潟店だけになってしまった。
80年代を象徴する「ラフォーレ」。ライバルの「パルコ」と共に新しいファッションビジネスを切り開いてほしいものだ。

さんざん騒がれた一日が終わり、深夜にはテナントの大搬出の音が聞こえていた昨夜。
本当にランドマークがどうなったのか。

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今まで目立たなかった三越のネオンがやたらと目立つが手前はポッカリと空洞のよう。

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近づくと街灯や他のネオンに照らされてまだらしさが漂う

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一晩でショーウインドーは目隠しされネオンは二度と点かない

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翌日は閉館を惜しむかのように一日中雨

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これも時代の変わり目。次に何が出来るのかに期待しよう。

それよりもまた一つ父親との思い出の場所が無くなるほうが僕は残念だ。

おしまい



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