2008/2/6

行列の絶えない店の隣りの行列の出来る店・・・  水曜:これは好物!

農薬検出の餃子のニュースはどこまで広がるのかわかりませんが、意外だったのが消費者は商品の裏書を見ないで買ってる、という事。

昔から、何処で製造したのか?、なぜ販売主と製造主が異なるのか?など裏書を見るといろんな情報が書かれてあるので必ず見てから買う習慣。なのでテレビで中国産の冷凍食品のシュアが大きい事に今さら驚きはありませんでしたが、アレ、見ないで買う人のほうが多いのだそうです。中国産、タイ産、鮮魚だと北欧産、地中海産、、、実に多くの国から輸入されて食卓を飾っているのです。

ガード下の暖簾をわけ入ってちょっと一杯・・・な〜んて引っ掛けて帰ってるオトーサンが肴につまんでる中トロもクロアチア産だったり。「クロアチアってどこよ〜?」な〜んてまったく見ず知らずの国の食べ物を毎日食べているのですから。
コンビニで買ったお弁当の鮭が何処の国から来てるなんて、誰にもわからないよね。

もっとも、僕の場合は食べて美味しい時の法則を知る為に見ているわけで(国内産の製品に限られますが、コレならどのメーカー、とか、どの地域の工場とか、製造された場所によって好みが分かれる)、成分表とかは見てなかったかなぁ。。

ともあれ、冷凍食品に関して言えば、今回の問題は品質管理システムが甘い企業が招いた事件とも見えるのです。
「大丈夫(そう)だから・・・」と言う、日本特有の甘えが裏目に出てしまったのでしょう。

でも、餃子。
美味しいよね。
ちゃんと作ってる所でバリバリ食べましょう!
街の餃子屋さん、頑張れ!

本日の“好物!”

寒い時期になると、ついつい食べたくなるのが甘味系。

本日はもうすぐドイツとバルト三国をマレット片手に巡るヴィブラフォンの弟子、AOKOことA嬢のお薦め品。これが美味いんだな。

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なにやら円筒形の変わったパッケージです。
ほう〜、どれどれ。

この風変わりなパッケージを開けると、この形の意味がわかります。

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『小ざさの“最中”』(東京・吉祥寺 小ざさ製)

吉祥寺を歩くとアーケード街が途切れた所に、いつも数十人が行列している場所があります。その行列の先は最近不法就労で訴えられた「ミートショップ・サトウ」で、ここは松坂牛を混ぜた挽肉(松坂牛100%ではない)を使ったメンチカツが飛ぶように売れるお店。昔からの人気店で訴えられる前までは一日に3000個も売っていたそうです。今は多少減っているでしょうが、多くのファンを持つお店には変わりありません。

で、その隣りに、ある時間帯だけ別の行列が出来る、それがこの「小ざさ(おざさ)」菓子舗。

それにしても吉祥寺は行列好きですね。

ある時間帯というのは、店頭販売のみの“羊羹”が出来た時。
午前中に製造して午後には完売してしまうほどの人気ぶり。

「最中」はいわばその羊羹のインビテーションとでも申しましょうか・・

しかし、この「最中」が御機嫌なのです。

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どちらかと言えば、僕は「最中」は甘い、甘すぎる、と元来避けて通って来た派なんですが、以前、九州の悪友?カーコことマリンバ奏者田代佳代子さんが京都土産で届けてくれた(なんで九州の彼女が京都土産を持って来たのかはコチラで)仙太郎の「最中」辺りから見直している和菓子。

美味しい「最中」には共通する外見があります。

それは、

餡を挟む二枚の種(皮の事)が閉じてない事。

ちょっと中の餡が飛び出し気味に見えてる感じの姿。
実はこの二枚の種が食べる時にパリッ、サクッ、としてないと中身の餡との対比がなく、マタ〜リしてしまうのです。
マタ〜リするとヘヴィーに感じて、しかも餡の甘さが種に染込んで「甘い、甘すぎる〜」となるのですね。

いわばウエハースのような役割りを持っている重要なパーツ。
美味しいと感じるようになって初めて気付く職人技。

元々、(餃子ではありませんが)饅頭や羊羹が中国から渡来した食べ物をルーツとするのに対して、「最中」は日本独自の食べ物と言われています。
餡を包み込むのではなく、餡を薄皮で挟んで食べるというのが「最中」のルーツ。

種のパリッ、サクッ、の食感と餡のガッツリした食感を合体させた融合美、というものが本来の姿だったのですね。

種だけではありません。
餡がこれまた御機嫌なのです。

小豆などの粒立ちが伝わってくる感触、すっきりとした後味。
ついつい次に手が出てしまうリピート感覚に誘われてしまいます。

種と餡の異なる食感を同時に楽しませてくれる、音楽で言えばジャズのレガートスタッカートのような、そういうスイング感を楽しむ食べ物なのです。

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この形がまたいいですね。
きんとん雲のようでもあり、ハートのようでもあり。。。

あの円筒形の風変わりなパッケージは、この形を持ち運びなどの衝撃で崩さないように工夫されているのです。それだけ種が繊細でパリッ、サクッ、お店のこだわりなのですね。

大量生産の歪みからいろんな弊害に翻弄される御時勢、些細な事にもこだわり抜いた味と形を賞味すると、やっぱりいいなぁ、と思います。

おしまい

2008/2/5

もうすぐ消え去るものへ・・・  火曜:街ぶら・街ネタ

モノには誕生があれば最後もあるのが当然で、永遠というものは物質にはありません。
永遠というモノがあるとすれば、それは人間の心だけなのかもしれませんね。

先月、偶然にも「もうすぐ消え去るモノ」に遭遇しました。
街もそうですが、日常の何処かで見掛けていたものが消え去るのはちょっとだけ悲しいものです。悲しいのは思い出があるからで、思い出のないモノが無くなってもど〜と言う事はないのです。だから個人個人毎に消え去るモノへの思いは異なって当然。

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揺れます〜、激しく。だからブレますぅ〜。
東京と成田空港を結ぶ京成電鉄の「スカイライナー」。東京の出発点が上野というのがまたいいですね。

専門的にはAE100形と呼ぶのだそうです。AEはエアポート・エキスプレスの略、なんのひねりもないのでわかりやすいです。

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この車両もそろそろ引退なのだそうです。
パッと見はまだ使えそうな内装ですが、よく見ると何処となく時代を感じさせてくれます。

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座席の肩の部分を見ると、角が丸くなっていますね。
最近の新幹線やJRや私鉄の特急はバケット式と呼ばれる車のシートのような身体をホールドする形状が主流ですから、何となくボワ〜ンとして角が丸く枕の部分が扁平な座席は珍しいといえば珍しい。

網棚(と言うのもおかしい気がしますが・・)も当時最新流行のFRPでプラスチック感バリバリで間接照明が少し前の飛行機のような丸っこいスポット式というのも懐かしい気がします。

天井も間接照明で、これぞ「バブル時代の電車」という感じがいいです。

僕が頻繁にこの「スカイライナー」を利用してアメリカとの往復をしていた時代に、このAE100形は最新式の車両でした。もう一世代前のAE形という「スカイライナー」が多かった記憶があります。

それにしても、よく揺れます(笑)。
速度は大して速くない(最高110km/h)のになぜ?
やはり座席のホールド感が足りないのでしょうね。カーブになるとゆっくり走るのに身体が外へ持って行かれる感じです。
JRの特急のような車体傾斜装置+バケット式座席ならもう少し揺れても何とかなるような。。。
それにしても、、、直線でも揺れが激しい、、、、こんなだったかなあ?

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もうすぐ引退に敬意を表してクリックで少し拡大

この京成AE100形は本来なら都心の地下鉄区間に乗り入れる予定で作られたようです。前面に非常ドアが着いているのがその証拠で、きっと地下鉄区間を経由して羽田空港との間を結ぶつもりだったのでしょうね(実際には京急電鉄が京成線に乗り入れて羽田〜成田間を結んでいる)。その役目を遂げる前に引退とは残念。

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登場から18年。数年後には新路線を経由して日暮里と成田空港を160km/h運転で36分で結ぶ「新・スカイライナー」に生まれ変わるそうです。
ともあれ、バブル時代の生き証人がまた一つ街から姿を消すのももう間もなくという事のようです。お疲れ様。

しかし、

京成「スカイライナー」はまだ若い!

正月に金毘羅山に行った時の帰りに、こ、これは・・・

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「まだ走ってたんだ〜〜!」

やって来た快速列車を見て思わずそう叫んでしまいました。
特急でも普通でも何でも銀色のステンレス車全盛の四国で異彩を放つこの列車。

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非常灯、「自由席」表示、ベージュの内張り、、

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キハ65ー69

これは懐かしさを通り越してしまう。
かつては全国津々浦々までネットワークを広げていた旧・国鉄の急行列車でお馴染みだった車両。
この中でも、このキハ65という形式は一番お世話になった。
本線からローカル線まで縦横無尽に走っていた急行列車。
ボックス席と呼ばれる向かい合わせの座席、窓にはテーブル、、、、

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飲み物や駅弁を置くには好都合だった窓際の小型テーブル

高校時代から学割と「周遊券」を使って全国あちこちに旅した時代の残像が目の前にあるんだから信じられない。

キハとは気動車の「キ」に座席車を示す「ハ」(ハザ)という形式。これは京成のAEよりも難解だ。

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天井には当時のままのクーラー吹き出しカバー

なぜこのキハ65という車両が懐かしいかと言えば、当時コレよりも古いキハ58形というディーゼル車が急行列車の大半だった中に所々このキハ65が組み込まれていた。「周遊券」というのは文字通り観光であちこち周遊する切符なのだけど、始発駅から何処までも急行列車だとタダで乗れたわけ。学割を使う身だから当然お金はない、でも旅をしたい、というバックパッカーの強い味方だった。

そんな中でキハ65を選んで乗った理由が一つだけある。
それは他の急行列車の車両よりも座席の幅が格段に広かった為。

横もさることながら、向かい合わせのボックス席だと前の人との間隔が長時間乗車の決め手になる。
キハ58形だとどうしても膝と膝がぶつかってしまうのだけど、このキハ65形は座席の間隔が広く余裕があった。
但し欠点もあって、台車に特殊なエアサスを着けていたので上下動が他の車両に比べると大きかった(フワフワとした感じ)が、ゴツゴツとした不快なものではなかったので我慢(笑)。

いや〜。残ってるとは思っていたけど、まさか乗れるとは思ってなかった。

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急行の名残りは・・・

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指定席にも使えるように座席番号が・・・最近の特急のようなチープなシールじゃなくプレートとは立派です

「ふわふわ」とした独特の揺れを何十年ぶりで味わいながら、一瞬昭和にワープ。
ブルンブルンと腸に響く迫力のエキゾートも「いい日、旅立ち」時代のまま。快速の為か案外飛ばします。

ローカル輸送で余命を送っているこのキハ65も今年の秋で引退らしい。製造の最盛期が1970年頃だからもう40年の覇者。

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ドアも折り戸式の珍しい自動ドア。この形は当時の特急や寝台車にもあった。

昔は全国何処へ行っても旧・国鉄の車両は色調や作りが同じだった。
その中で、ほんのちょっとの違いがやたらと目立ったキハ65だった。

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赤とクリームのツートーンがオリジナルだったが、今はJR各社の色に染まっている。
もうすぐお別れ、お疲れ様。

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急行時代のままの車内(座席のモケットは異なる)。敬意を表してクリックで拡大

この車内のレイアウトは他に存在したオレンジとグリーンのツートンの急行電車とも似た雰囲気があるので懐かしい人もいるでしょうね。

今思い出しましたが、国鉄時代は車内の色調も新幹線、特急、急行はこのベージュに白天井、快速や普通はペイルグリーンに白天井と明確に区別されてましたね。
有料の列車は暖色、無料の列車は寒色という事だったのでしょうか。。

無機質な造作なのに何処か人の手を感じる、今の鉄道車両にはない温か味。高度成長期の遺産と言うと少し大袈裟かもしれませんが、その頃のモノは全てどこか共通してますね。

そういうのをネオ・アナログと呼んでみましょうよ。

おしまい

2008/2/4

あ!・・・・抜けた!  月曜:ちょっと舞台裏

久し振りの雪景色の中、強烈なレフレジレーターの氷結温度で過ごす深夜です。
もしもこれが一日遅かったら、、、休日に降ってくれた事に感謝の月曜日

ハプニングとも言えるアクシデントのお話し。

レコーディングではヘッドフォンをつけて演奏するのが常ですが、このヘッドフォン越しの演奏というのは、意外と慣れないと難しいのですね。

僕は学生時代にオープンデッキを持っていて自分で弾いた伴奏(時にはベースまで弾いて重ねましたが)を流しながらヴィブラフォンを録音して練習しました。
当時はまだウォークマンなど無かったので2トラックのオープンデッキの片側(L−Rの)に伴奏、片側に演奏を録音していたのですね。
当然ヘッドフォンをしないと伴奏が聞こえませんから必然的にヘッドフォン越しの演奏という状態に慣れていたわけです。

よく「楽器は生音が命」という人がいますが、レコード媒体で育った僕らは「生の音」と「録音された音」の違いを区別しながら育ったのでマイクの音にそれほど抵抗がないのです。
むしろ、ライブのように大雑把な音環境の中では繊細な表現を心がけるよりも全体のダイナミクスを優先してある部分の音環境を「捨てて」演奏する事のメリットを知っているのです。

音にこだわったら最後、「これは私じゃない!」と言うライブ環境を打ち消すような姿勢になってしまいます。
なんでも「生」が良いという観念はレコード媒体を聞いて育っている内に消え去りました。かと言って音楽ホールの乱反射する音環境が最高だとも思わないのです。
どんな環境でもOKなのです。

さて、ヘッドフォン。

偶然にもそんな状態(ヘッドフォン越しの練習)で育ったものですからスタジオの仕事に入った時は何の抵抗もありませんでした。

マイクに乗りやすい演奏法という事にも気付きました。
生楽器ながら、そういう方法があるのですね。

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そんなヘッドフォン越しの演奏はスタジオのブースという小部屋の中と外とを繋ぐ重要なライフライン(笑)。
ポップスのレコーディングはオーバーダブが主流(ヴィブラフォンの場合)で、録音するミキサーとの間は時にスタジオのレイアウトの関係で直視できない場合もあります。
メインブースと呼ばれる大部屋とミキサールームは直視出来るレイアウトでも、多くの小部屋を持つスタジオではモニターカメラでブースの中の様子がミキサールームに写される仕組みになっています。

小部屋にヴィブラフォンをセットして事前に録音されているオケを聞きながら演奏して録音するのですね。
その時に何かあれば「お〜い!」とカメラに向かって動作すれば「ハイ、なんでしょう」とトークマイクでお互いに伝達しあえるわけです。

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オーバーダビング(重ね録り)の場合は「ココね、どうなってるの?もう一度オケを聞かせて」とか途中でストップしながら確認も出来ます。

ところが、ジャズのような録音となると演奏者はそれぞれのブースに入っていても演奏は同時にその瞬間に起こった事を記録する事が重要なので実は大変なんです。

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そうなると、ますますヘッドフォン越しの音環境は重要になります。

楽器の横にあるキューボックスと言う全体の音のバランスを楽器毎に調整するモニターにヘッドフォンを差し込んで自分の音や他の楽器の音の聞こえ方を調整して録音に入るわけです。いわばレコーディングの生命線、やっぱりライフラインです。

ヘッドフォンとキューボックスの間は当然シールド(コード)で結ばれます。
ヴィブラフォンを演奏するからか、僕が演奏中に動き回るからか(笑)、このシールドがブラブラすると邪魔なんですね。
癖でいつもキューボックスは自分の左側のセットするのですが、動きの激しいパッセージの時などにこのシールドが左腕に絡んだりするのです。

それが嫌で、どこのスタジオに行ってもヘッドフォンを装着する時に「すいませ〜ん、なにかガムテか何かでシールドを止めるモノくださ〜い」。

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だいたいのスタジオではガムテープでヘッドフォンからダラリと垂れるシールドを背中や肩の部分で固定しキューボックスとの間で演奏中にシールドが腕に絡みつかないようにします。何度も行くスタジオでは僕専用(?)のクリップを用意してくれていて、シールドを通したクリップを腰のベルト受けに固定して常に身体の後ろにシールドが垂れるようにします。
これでシールドに悩まされる事もなし!

で、話は最新アルバム『STREAM OF LIFE』の時のこと。

僕の正面のブースにはピアノの市川秀男さん、左のブースにはベースの鈴木良雄さん、右のブースにはドラムの大坂昌彦くん。
それぞれのブースがガラス越しに見渡せるのでキューボックスからの音に加えアイコンタクトもバッチリ。

さて録音は順調に進みガーシュインの“My Man's Gone Now”に。
この曲はアレンジの都合で譜面が5ページに渡りフォームなどの打ち合わせをやりつつ、「じゃ、一回通し(最初から最後まで演奏する)てみましょう」と音を出しながら分数の目安(アルバム制作では重要)やそれぞれのソロの感じなどを試す。
仮の録音と言ってこの時の状態を録音して(もちろん初見状態だから本採用は考えていない)最終的な演奏構成や録音される音に関してのチェックを行う。
ひとしきりミキサールームでプレイバックしながらの作戦会議(笑)が終了すると、さあ本番。
何度もテイクを録るとまとまりは出るが新鮮さが失せてしまうので多くても2テイクしか録らない。

さあファーストテイク。
まだ曲の構成に慣れてない部分がある。

続いてセカンドテイク。
これは演奏中から「決まり!」の予感に満ちていた。
「よ〜し!これでバッチリだ」

そう思いながら、最後のエンディングに入った時だった・・・・

最後はイントロと同じ部分を繰り返しながら僕と市川さんがチェイサー(掛け合い)に突入してフェードアウト、という構成。

エンディングに入って暫くした時の事だった・・・・

佳境に突入して「これから」という瞬間に・・・・

「あれ」

突然僕のヘッドフォンから何の音も聞こえなくなった

どひゃ〜

他のメンバーは何事も無く演奏している。
しかも物凄いヴォルテージで。

キューボックスのほうを見ると・・・
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ナント、事もあろうか、ヘッドフォンのシールドを足で引っ掛けて抜いてしまったのだ

とっさにヘッドフォンの片耳を外し、耳を澄ます。

すると隣りの大坂くんのドラムの音がかすかに聞こえる

しめた!

ベースもピアノも聞こえないけど幸いにもリズムのアクセントが決まっている繰り返しの中、しかもコードも同じコードの繰り返し。

この間あとで録音を聞くと0コンマ何秒。自分では随分間が空いた気がしたが、火事場の馬鹿力とでもいうのでしょうか・・

かすかに聞こえるドラムのキックと叩いている大坂くんの動きを見ながら演奏を続行。合っているのかどうかもわからないが、キックを頼りに確信をもってチェイサーにもつれ込む。もはやヴォルテージの上がったバンドを止める事は不可能。しかも曲の最後の最後だ。自分の長年の勘を信じるしかない。

そんなドキドキの状態で演奏したテイクをプレイバック。
一瞬動揺した瞬間もあるが、不自然ではなかった。
よってそのまま本採用。アクシデントとならずハプニングに。

こんなウラ話を見ながら聞くと、「STREAM OF LIFE」が一味違って楽しめるでしょう。

気をつけよう、足元とシールドの絡み具合!

おしまい

2008/2/3

地デジテレビ買い替えはムダ?・・・  日記

やけに静かな東京の朝です。。。。。

なぜって?



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2/3/08 5:06am 自室から

只今降雪中
向こうに見える中央高速からは時折チェーンの音が聞こえてきます。
予報では今日一日降るのだそうです。

こういう日は家にこもって音楽を聴いたり、整理整頓をしたり、普段作らないような御馳走を作ったり、思いっ切り練習したりするのがいいですね。
ボストン時代も雪が降ると家ナカで楽しめる事をして過ごしました。
こういう時の家の暖かさが好きです。

しかし

このところ情けない事件の連続ですね。
農薬入りの餃子事件から中国製品があっと言う間に締め出されてしまいましたが、ホントにそれでいいの?
そもそも(故意に混入させられた場合を除き)異物や毒物の混入をチェックできない体制に問題が山積。でもマスコミの報道は中国の工場への疑いの一本調子。
自国で生産するとコストがかさむから人件費の安い国で生産して儲けを出そうとする企業の製品管理モラルを問うべき事。
リスクをともなう時のバックアップにまで目が行き届かなかった事が元凶。
要するに製品に対する“愛”だと思うのですよ、足りないのは。

「半額セールばかりに期待する消費者にも責任がある」
こう言ったのは昨年のミートホープ事件の当事者だった事を思い出しました。

音楽でも安い人件費の国でCDをプレスするとその工場から海賊版が周辺に出回る事は知られた事実。そういう場所に足を踏み入れるなら何があってもリスクを背負って立つ覚悟が必要な事くらいわかっているハズなんだが・・・・。
被害に遭われた方々の回復を祈るのみ。

被害
と、いう事とは違うかもしれないけど、
このところ面倒なシステム化で何も信用できないようになった。

システム自体は悪いものではないが、要するに優柔不断な運営サイドに対してだ。

その代表が・・・・・
地デジテレビ

我家ではアナログテレビが突然昇天して“仕方なく地デジ”したのが06年6月の事。
僕はニュース以外は殆ど決まったテレビは見ないからテレビが無くてもネットがあればいい。家人もそんなにテレビは見ないし、かと言って無くしてしまうと台風や地震の時に不便。なので「どうせ買い替えなら微妙な時期だけど地デジにするか」と購入。ところが購入初日にテレビ本体とはまったく関係の無いNHK受信登録ICチップ(B-CASカード)のエラーでまったく映らなくなって翌日にテレビごと交換した経験の持ち主。

カードリーダーのICチップはテレビを作っている家電メーカーとは別にNHKが別の業者に発注しているとの事でメーカーではお手上げ。正直なところ本体に無理やりくっつけられているのがこの時に露見して激怒した。
「こんなムダなもの取ってしまえ!」
そう思った。

そう思って地デジテレビを買う人には「あまりお薦めしません」と答えていたら、こんな記事が・・・

題して「今使っているテレビでも地上デジタル放送は見られます

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要するに、デジタルコンバーターを付ければ地デジは普通のテレビでも見られるのだ。

総務省までもが・・・・

題して「地デジ完全移行に向けた“簡易なチューナー”の仕様ガイドラインの公表

ヲイヲイ、地デジテレビ買い替えを斡旋する前にアナログテレビを地デジ対応にするチューナーが開発されていて当り前じゃないの?
地デジシステムが重大な欠陥を抱えていたらアナログ放送を延期するのが筋。
順序が逆だ。


さらにこんな記事もある。

題して「地デジ放送違法複製防止、ICカードも個人登録も不要

つまり「B-CASカード」を入れなくても地デジが映るって事!
途中でシステムを変えちゃってる。
じゃ、最初に「こんなモノいらない!」と言っても無理やり登録させられた僕らはどうなるの?
ムダに個人情報を提供してる事になる。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。

で、もっと驚いたのが、肝心の地デジ放送でカバー出来る聴取エリアの事。
盛んに2011年にアナログ放送が終了で「完全デジタル化」と唱えているが、実際に電波を受信出来るのは現在の8割程度。
「え?」

じゃ、2割の人はテレビが見れなくなるって事じゃない?
多く見積っても9割に届くかどうか・・・ですと。

少なくとも10%は見れなくなるらしい。

これはおかしい。

100%でなければ不平等だし、民放の広告収入だって減る。
単純に広告料が現在の10%減ることに直結しかねない。
映らない=視聴率が下がる。だから当り前の事だ。

このままアナログでいいんじゃないの?
なぜデジタルにする必要があるのか、現在地デジテレビを使ってる立場から疑問。
そりゃ交通情報とかエリア天気とかボタン操作で見れるけど、ハッキリ言って反応が遅い。光で繋がっているネットで見たほうがストレスも少ない。

番組とインタラクティブに繋がるったって、ニュースしか見ない人間には無駄な装置。

画像が多少綺麗なだけで、メリットは殆どない、と言うのが地デジ生活1年半の正直な感想。

これならアナログテレビ+簡易デジタルチューナーで十分だ。

本当のデジタル放送化の理由が他にあるなら、イメージだけのCMをやめてユーザーの理解を得るようなCMに替えるべきだと思う。

まあ、これから3年ちょっとの時間で聴取エリアが全国100%をカバーできるようにするのも難しいというのだから、完全移行とは行かなくなって部分移行じゃないかと、ここまでの流れから予測するのは強ち間違いでもなさそうな気がする。ガソリン国会(笑)がスローガンになる国ですから、地デジ国会もありかも・・。

だって最初と随分地デジのシステムや方針がブレて来てるものね。

ココで焦って地デジテレビに走らないように。
まだまだ優柔不断に変わって行きそうなので今テレビが壊れない限り静観を。

おしまい

2008/2/1

究極の練習その9・・・・難関も景色を読めば怖くない  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。早いものでこの特集も八十回を迎えました。今日は「究極の練習」シリーズの9回目、難関が立ちはだかったら「景色を読め」です。

楽器が弾けるようになると腕試しをしたくなりますよね。
僕も18歳の時にドキドキしながら地元のプロのジャズミュージシャンの中へ飛込んでこの世界の色々な事を学びました。今のようにアマチュアのジャムセッションなど無く、あるのはプロとして演奏している人達の仕事場。演奏してお金を頂いている現場ですから当然遊びじゃないのでそのプレッシャーは音楽学校のリサイタルやコンサートの非ではありません。
そのようにして「学校」では教えてくれない貴重な経験を積みながらヴィブラフォン奏者としてスタートを切りました。
どんなテクニックよりもキャリアが優る世界。
それを嫌というほど味わった瞬間でした。

ところが、最近はアマチュアの為のセッションというのがあるんだそうです。演奏キャリアのある人が仕切るセッションは僕が味わったような緊張感に満ちていて刺激になるようですが、中には「ナイスなジャズおやぢ」が無責任な事をのたまうものまであるようで、それはそれで軽く受け流して良いでしょう。

大体想像がつきます(笑)
「ジャズじゃねえーよ」「フィーリングが足りねぇーよ」。
この種の「おやぢさま」達に共通するのが抽象的な表現の前に「なぜ」という具体的な指摘が無い事。気分や趣味からくる発言なので若者はこれに翻弄されやすいのです。
「どうすればよい」という指示もありません。
まぁ、それは好みの問題だから「ジャズに一つの形はない」という事で僕は聞き流していました。
ちゃんと演奏キャリアを積んだ人はそんな言い方はしません。
言葉の前に素晴らしい演奏で示してくれるのです。

でも「聞くは一時、聞かぬは一生の恥」という言葉があるように「ナイスなジャズおやぢ」の言い分に真意があるのも事実。

その昔、まだ自分の楽器にファンを駆動させるモーターを取り付けていた頃、当然使わないので電源コードを楽器に巻き付けて組み立てて車を置きに駐車場まで行って帰ってきたら・・・ちゃんと電源コードが繋がれてファンがクルクル回っていた事があります(笑)。
親切にもセッティングしてくれたのですね。
その日、家に帰ってから楽器のモーターとコントロールボックス(電源コードも)を取り外したのは言うまでもありません(爆)。

確かに今思えば、18歳の若造の「腕前」ではまだヴィブラートの力を借りないとまともにジャズの演奏として認知させるだけの表現力が無かったのかもしれません。
自分の「腕前」に自信が付くと同時にファンが回っているか否かなど誰も気にする事がなくなりました。

そんなものです。

迷わず自分の道を極めよ。同じ物が世の中に氾濫したらこれからの若者が存在する価値が無くなるだけです。誰も聞いた事のない「どきどき」する音を求めるのがジャズの基本姿勢なのです。

対人関係(?)とは別に音楽での難点に遭遇した時にどうするか?

こんなコード進行が目の前に飛出して来た時、どうしますか?

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(クリックで拡大/以下同じ)

ここまでのこの特集や『ジャズマリンバ&ヴィブラフォン』の読者ならこう考えるでしょう。

この曲はKey of F (F dur)。
と、言う事は本当のドミナント・コードは最後のC7だけ。
あとのコードは全部クロマチックに平行移動してるだけ。
てぇ〜事は「ジャズマリ」の“ソフィスティケイテッド・レディー”の解説(p.19)のアレだ、あれ。ペンタトニックでアプローチコードを繋いで行けばってヤツ。
ど〜よ!

はい。
確かにそれはかなり有効。
では、それを応用すると次のようなペンタトニック・リックが出来ます。

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うん、なかなかいいね。

でも、これテンポが早いとかなりビジーじゃない?
それにコードとずっと平行移動だからなにかパッとしない。

じゃ、こんな法則でペンタトニックを展開してみましょう。

・コードの上行、下行の動きに左右されないメロディー
・ペンタトニックをいちいちルートから始めずに次のペンタトニックを近い位置から繋ぐ

するとこんな事になります

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なかなか奇想天外なフレージングで面白い(笑)
スムースにコードの間を繋ぐ練習としては試す価値が大です。
確かに音楽性はともかく、ペンタトニックを自在に一直線に並べるというのは音感の訓練になるのでどの曲でもチャレンジあるのみ!

しかし、練習としては万全でも、実際の演奏となるとかなり強引な感じもあります。
しかもテンポが早い、そうなるとかなりメカニカルな感じ(練習と頭の訓練には最適)。

そもそもこういうコード進行が出て来ると焦ってビジーになってしまう点の解消には至らない。

ではどうするか!

まず最初にコードの動きを冷静に見ると、各小節の後半のコードは次の小節の頭のコードに対するアプローチ・コードという事に気付く(気付いてね)。
安定しているコードは各小節の頭のコード、つまりA7、B7、A7、G7、という事になる。
不安定なもの(コード)をそのままに放置しておくと気持ちも焦る。
だから安定しているコードは大きな動き(例えばあまり動かないとか)、不安定なコードは補足の意味で安定したコードに向けて動きを作る。
最後のC7は本来のKey of Fのドミナント・コードなので他のコードと区別する為にここではHMP5を使う。

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1小節に2つあるコードに「静」と「動」という異なる役割を持たせて2つで一つの動きとなるようにまとめた事でビジーさが無くなる。
ベースライン(コードの上行、下行)の動きとも独立してメロディーラインが安定。

コードがたくさんあるとバタバタと動き回らないといけないような錯角に陥りますが、「その先」に何があるのかを意識して演奏すると焦りは消えます。

さらに2小節で一つのメロディー・モチーフを使うとより大きな流れを作る事が出来ます。

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難解に見えるコードの連携が出て来たら、まずそれぞれのコードがどんな意味合いを持つのか、さらにどんな「景色」をイメージして演奏すれば良いかを考えてみるといいでしょう。

難しいコードを難しく弾くのはとても簡単な事。
だってコードトーンを弾くだけでそれは難しい音が鳴るようになっているので、それは音符に書かれた音を弾くのと何も変わらないのです。

肝心なのは、コードの流れの中で最良と思えるシンプルなメロディーラインを描く事です。これが出来ないと、本当にコードでインプロヴィゼーションをやっている事にはならないのですね。

その為には、目の前でガッツリと連鎖している奇々怪々なコードの連携を少し離れて見る事が最良の結果と自信を生みます。

焦らず、慌てず、自分を信じて・・・・・ですよ。
人と同じ事をやって新しい事を手掛けた人はいないのです。

おしまい



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