2008/10/20

楽屋では・・・・  月曜:ちょっと舞台裏

さすがに長距離運転の疲れがドドド〜ッと出た土曜日は、昼から夜までヴィブラフォンのレッスン漬けで終わった。
終わると殆ど意識無し(笑)

明けて昨日は再びヴィブラフォン担いで横浜に直行。

。。。

ピアニスト、市川秀男さんのライブだ。

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「エアジン」のマスター梅本さんが「今日は窓を開けたまま生でやろう!」と、発案。
窓を開け放ったせいか、時折心地よい風が吹き抜ける。
普段よりも灯を暗めにして、まるで野外でやっているようなちょっと贅沢な感じ。
こりゃ気持ちいいや。
生音だけのライブは久しぶり。

一週間前の「横濱ジャズプロムナード2008」の楽屋は賑やかだった。
同じホールの出演者がみな知り合いという偶然。

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リーダーの名前は事前の資料に載っていたので、僕ら(赤松・アリマサDUO)の次がドラムの小山太郎君のグループという事や、その次がサックスの早川紗知ことサッチャンという事はわかっていたが、みんなどんなメンバーで来るのかまでは知らなかった。

最初に現れたのは、ナント“ムーグ博士”こと新澤健一郎。別の会場で自己のバンド“Nervio”の出演も同日にあるというのに、なぜ?
答えはサックスのサッチャンのバンドに加わっていたからだ。
かつてNEXT DOOR初代キーボーディストの彼は、アリマサとのDUOの後半を聞いていたらしい。「懐かしかった〜!」と。

次に登場したのは・・・深々と帽子をかぶっている男がなぜかこちらを見てニヤニヤしているので「だ、だ、誰だ?」と一瞬ひるんだ。
すると・・・

「オバタデス」

お〜!なんとギタリストの小畑和彦氏ではないか〜!

「帽子で誰だかわからなかったよ〜!元気〜?」

小畑さんとは池袋にあったライブハウス“デるブ”時代からの知り合いだから25年くらいになる。
最近はご無沙汰していて、最後に会ったのは、90年代終わりのアコーディオンの大塚雄一君のレコーディングの時になるか。

「いや〜久しぶりになったねぇ」と。

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横濱ジャズプロムナードのプログラム。上から「赤松・アリマサDUO」「小山太郎カルテット」「早川紗知MINGA」
同じ日の同じホールで楽屋も隣同士だった

80年代の前半は僕も東京に出て来て慣れた頃だった。深夜1時から朝5時までのオールナイト・セッションのハウスバンドでも一緒だった小畑さん。

「あの頃は面白い奴が街にウヨウヨいたねぇ〜」
「いたねぇ〜!」
「夜中でも何処でも演奏したね〜」
「やったねぇ〜!」
「今考えたら信じられない時代だったねぇ〜」
「ホント、ホント!」

今の時代にはもうあんな事はないだろうね、としばし懐かしむ。
駐車違反摘発強化の影響で深夜にミュージシャンが溜まる場所さえ無くなって久しい。
ベーシストでさえ電車でやって来る時代だ。
街にも活気があったし、世の中かなりアバウトながらミュージシャンには住みやすかった。
いろんな意味でバランスが取れていた80年代前半の東京のミュージックシーン。
今の若手ミュージシャンは同胞と出会う機会や場所で皆一苦労している。

そうこうする内に、サウンドチェックを済ませた小山太郎くん登場。
太郎くんと最初に演奏したのは彼がまだ中学生の時に茨城のジャズフェスのアフターアワーズだった。
来年の春には久しぶりに一緒に演奏する予定だ。

今度はこちらが二つ隣のサッチャンこと早川紗知の楽屋を訪ねる。

「お〜お〜お〜!元気〜!」

サッチャンとも“デるブ”時代からの知り合いだ。小畑さんもこのバンドに加わっている。
話をする内に、どうやらピアノのアリマサ君とサッチャンは同じ大学の同じ学部、しかも二人とも同世代という事が判明。
さっそくアリマサをサッチャンに紹介して二人で「全然知らなかった〜!」と同窓的会話に。

こうやって見ると、あの頃から一貫して変わらなかったミュージシャンが生き残っている。
みんな昔とちっとも変わらないんだ。

小畑さんが昔を回想して一言、
「あの頃は近寄りがたかった。そっちは勉強のムシだったからなぁ」と。
「ひぇ、そんな事なかったよ」
「いやいやいや」
「フン!」(笑)
四半世紀の時間がそういう事もま〜るく納めてくれる、というわけかな。

若手のみなさん、思いっきり自分の信念を持って突き進め!デス。

と、、

その後の松山・シュガービレッジ2008では、こちらは出演する店以外には行かなかったので他は誰が演奏してたのか知らなかった。

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後でパンフレットを見ていて、アレレ〜〜!っと。

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僕が出演していた「キーストン」の斜め前の店には、ドラマーの“つの犬”が出ていたとぉ〜@@;
伯父さんがドラマーの“つのだ★ヒロ”という彼は、僕がバークリーに行く前まで出ていた府中の“バベル2nd”というライブハウスでアルバイトをやりつつドラマーとしての修行をしていた。
確かまだ高校生くらいだったか。

会えればそれこそ四半世紀振りだったのになぁ。。

ともあれ、ジャズフェスの楽屋は普段会えないミュージシャン同士の社交場と化するのでありました。

で、

今夜の市川バンドの楽屋会話・・・

「まもさん(ドラマー二本柳守氏のこと)、ダンモって聴いてないでしょう」
と市川さん。

「うん。」

と、ここで僕割り込む。

「え? 二人はもう四半世紀は知り合いでしょ? そんな事今まで知らなかったんですか?」(驚!)

マモさん曰く:

「だって、最初松石さん(ヴィブラフォン奏者)のところで無茶苦茶速い曲とかで面食らっているところに市川さん紹介されてサ、そのまま来ちゃったんだもん。」

僕とベーシスト上野哲郎、思わず唖然@@*

この人達って、そういう会話全然無しでここまでやってきたの??
ちょっと信じられない。

話はドラマーの世代観に移った。
フリー・ジョー・ジョーンズのレガートスタッカートからエルビン・ジョーンズまで話が飛んでいる。

僕:「僕らの頃は誰をアイドルとするドラマーが多かったかなぁ?」
上野君曰く:「トニー・ウィリアムス派とジャック・ディジョネット派に分かれていたような気がする」

僕と上野君はほぼ同じ頃にこの世界に入った。

「え〜、エルビンじゃないの?好きな人いっぱいいたんじゃないの?」と市川さん。

「ううん。。ディジョネットが好きな人がルーツ的にエルビンに行ったかなぁ」
と僕。

マモさん、黙して語らず。

「あ、でも、もっと人気のあったドラマーがいた!」と僕。

「誰?」

「ピーター・アースキンもいたねぇ」と上野君。

「いや、もっと、その、、、ドラマーの卵達がみんなあの頃目指していた人」

「え?誰〜?」

「それはね、スティーヴ・ガッド!」

「あ、!いたいた!そうだ。すっかり忘れてた」

マモさんは黙して語らず。

ただ、そこで2nd setが始まるのでお開きに。

ステージに向うマモさんがボソリと一言・・・

「顔は似てたんだけどなぁ・・・」

大爆笑になったのは言うまでもありません。

客席には二部になって長野から来られた一団が加わり、客席もステージも徐々にホットに盛り上がって行くのでありました。

赤松敏弘MySpace
スティーヴ・ガッド氏もフレンドで繋がっていま〜す。

おしまい




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