2008/12/5

コンデミはインサイドとアウトサイドの橋渡し・・・  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック


毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。金曜第百十八回目の今日はこのところ連続している「隠れたガイドトーンを捜せ・その4-コンデミはインサイドとアウトサイドの橋渡し」です。

アントニオ・カルロス・ジョビンの名作“Corcovado”の冒頭に出て来るdimコードを解明していると、新しい音の扉が開こうとしています。

ジャズの演奏で「アウトする」という言葉をよく耳にすると思いますが、予備知識なしに触れると調からどんどん外れて調子っぱずれになって行くので「な〜んだ、デタラメやってんじゃん。だからアウト。ア〜タ、そんな演奏じゃアウトですよ〜って事でしょー?」って(笑)。

まぁ、確かにジャズメンなどという職業をやっていると、人生アウトと呼ばれても真っ向から反論できないけどね(笑)

だからではないんですが、僕は演奏で意図的にアウトはしません。古いのかもしれないけど、メロディーとしてインサイドで出来る事がまだまだたくさんあると感じているからです。また、曲を書くのでその中でアウトサイドに設定した背景を作る事が出来るので、それをわざわざアウトすると・・・元に戻っちゃうし(爆)。

しかし、アウトする、という意味を音楽の冒険として認識すると、表現方法や作曲概念を豊かにするので、その扉を開ける事に抵抗はありません。

先週の続きからそれは始まります。

超有名な“Corcovado”。それなのになぜいろんなコード進行が存在しているのでしょう? しかも曲の始まりの部分で。

まずはオリジナルの演奏と認識されているアルバムではどうなっているのかを聴いてみましょう。

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(クリックで拡大/以下同じ)

これまた定番のスタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの名盤『GETZ/GILBERTO』(verve/1963年)。
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作曲者本人(ジョビン)も加わってピアノを弾いていますから、ほぼこの演奏が原曲と思って良いでしょう。

オリジナルの演奏キーはCです。
こういう分析ではベースが肝心なのですが、よほど当時は耳なれないサウンドだったのでしょう。ベース氏は問題のコードになると落着きません。やっと安定したピアノソロ冒頭の部分のベースパターンを下に記しました。
イントロの部分でジョビンはD7/A - Abdim と弾いていますが、ベースが入るとこのように弾く指示がされているようです。

これだけでは頼りないのでもう一つ別の演奏を。
オリジナルの録音から1年後のライブ盤を選びました。
キーはこのブログで載せていたBbです。

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同じくスタン・ゲッツの『GETZ AU GO GO』(verve/1964年)から。
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こちらでは完全にC7/G - B7/F# というコード進行になっています。

コメントをいただいた神戸のtakiさんが使われていたコードはD7(3-4小節め)。
僕の解釈はF7。

さぁ、一体どれが正解なんでしょう?

??????

はい。
正解は、全部。

ふぁ〜? 全部って? どーゆー事よ!(>.<)!
いーかげんな事を言わないでくれ!

はいはいはい。

では説明です。

先週この3-4小節目のコードのコードスケールはコンデミだ、と解明しましたね。
dimコードは4つのコードトーン(構成音)を分解して組合わせると2個の増4度音程を持っていました。これがドミナントコードのトライトーンの音程と等しいのでドミナントコードの代理や隠ぺい(ちょっとオーバーかな?)に使えるわけです。
一つの増4度音程には二つのドミナントコードが隠れています。
それが2個あるのだから4つのドミナントコードがGbdimには隠れている事になります。

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●=ドミナントコードのトライトーンと同じ音程

するとF7、B7、Ab7、D7、と4つのドミナントコードがGbdimによって隠されている事がわかりますね。
しかもそれらのコードスケールは全て同一のコードスケールで出来ているのです。
さらにオクターブの真ん中の音程、それも増4度になっています。
コンデミの特徴ですね。

F7とB7のトライトーンは同じ。D7とAb7のトライトーンも同じ。
さらには、Gbdimの構成音で結ばれて4つのドミナントコードは同等の位置関係にあるわけです。
この事が“Corcovado”のGbdimを様々なドミナントコードに置き換えられる根拠になります。

さて、今度はそれとは違うコンデミの応用を。アウトサイドの扉を開いてみましょう。

ドミナントコードをC7とし、コードスケールはコンデミ。
そこにもう一つ隠れているディミニッシュコードをあぶり出すと・・・

Cdimが隠れていますね。(C - Eb - Gb - A)

今度はこれを2組の増4度音程の設定に使ってドミナントコード割出します。
すると・・・
Cdimから割出されたドミナントコードは、F7 - B7 - D7 - Ab7。
便宜上、調性に解決するコードとしてCトライアードを、2小節毎に挿入しながらまずは全てトライアードでC7の上に乗せてみましょう。

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上のトライアードのコードスケールはコンデミで演奏する

全てに共通する「C」の音がコードの連鎖をアウトサイドで保っています。
これでアナタも立派なアウトサイダーの仲間入り?(笑)

世界中のヴィブラフォン奏者もアウトはお好き?
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チェキラ!

おしまい



2008/12/4

王道のピアノトリオ・・・Bill Evans  木曜:Jazz & Classic Library


それまでのピアノトリオが控え目に律儀な一定のリズムを刻むリズムセクションを従えて演奏していたスタイルを、三者三様のアイデアを同時に発生させながら、ある時はぶつかり合い、ある時は予測の隙間を開けて待ち構え、ある時はこれ以上接近できないと思われるほど同化しながら作り上げて行くスタイルに変革させた張本人。

そう、それがピアニスト、ビル・エバンス。

いや、それを「ビル・エバンス・トリオ」というジャズ史に残る演奏スタイルとして今日どれだけのピアニストが受け継いでいるかを想像するだけでもビル・エバンスの果した功績は大きい。

この「ビル・エバンス・トリオ」という音楽スタイルと同等のコミュニケーションを当時バンドで実践していたのは、トランペットのマイルス・デイビスが率いていた60年代前半のクインテットくらいしか見当たらない。

その「ビル・エバンス・トリオ」というスタイルが再度確立された絶頂期にライブ録音されたのが今日のアルバム。

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『AT THE MONTREUX JAZZ FESTIVAL/Bill Evans』(verve/1968年)

ジャケ写から「お城のエバンス」と呼ばれる名盤。
ジャック・ディジョネット(ds)、エディー・ゴメス(b)、そしてビル・エバンス(p)。MCのメンバー紹介に続いて滑り出す1曲目の“One For Helen”からしてカッいい。

三者三様にテーマを作って行く。そしてエバンスのソロに入るところから、さらにゴメスとディジョネットが最良のクッションとレスポンスをリズムの隙間でジャンプしながら描いて行く。こんなにカッコいい演奏はまずないよね。

大半のジャズ誌ではベースのスコット・ラファロとエバンスのインタープレイを贔屓にしているんだけど、ラファロと構築した「ビル・エバンス・トリオ」という音楽を創成期とすれば、僕は音楽的にも再構築されたこのメンバーによる演奏は発展期の貴重なアイテムとして優ると思う。また、それはゴメスはもちろんの事、このジャズフェスティバルのセッションにピンポイントで参加したディジョネットのドラミングの斬新さが大きく作用していると思う。
その為にこのアルバムでは「ビル・エバンス・トリオ」という永続的な名義にはなっていない。

余談ながら、0'57"からのピアノイントロに1'05"でリズムセクションが入ると急にステレオに切り替わるのはLPの時はあまり気にならなかったけどCDになるとリアルで、まるでエンジニアが慌ててミュート(ライブ会場のノイズなどをカットする為にマイクをオフにする機能)を外したようでちょっと笑える。

集団的即興演奏。

そのコンセプトをピアノトリオというジャズでは最もベーシックな編成でサラリとやってのける。

2曲目以降もその流れは留まるところを知らない。
自由奔放でいてキッチリとそれぞれの曲を造り上げる。
フリージャズのような偶然性ではなく、同じ道を何度通ってもアイデアの泉が枯れる事がないような自由さだ。

もちろんエバンスもだけど、当時若干23歳のベースのゴメスのコンセントレーションは凄いものがある。
ベースが大人しく低音でルートを弾いているのではなく、エバンスの演奏の隙間を縦横無尽に駆け抜けて行く。時にはエバンスが弾くメロディーの間を擦り抜けてピアノよりも高いポジョンで待ち構えていたりする。

また、その攻防を後ろから如何様にも変化させるドラムのディジョネットが素晴らしい。

そして、やはりエバンス。
誰が何を仕掛けて来ようともブレない位置で彼等の放つカラーを吸収しながら演奏を膨らませて行く。

これは演奏しながら相手の音を聞くという最高峰の形かもしれないね。
決まりきったリズムではなくパルス。
フレーズではなくトータルサウンド。
スピードではなくスペース。
今日のジャズに発展する要素の全てがココにはある。

ソロピアノで綴られるボーナストラックのデニー・ザイトリン作“Quiet Now”はボーナスラックとしては珍しく聞き応えのあるテイクなのも付け加えておきたいな。

エバンスが逝ってから早四半世紀超という時間が過ぎた。
このコンセプトは少しも色褪せる事なく僕らの周りに脈々と流れているんだ。

世界中にビル・エバンスの影響を受けたヴィブラフォン奏者は実に多い!
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チェキラ!

おしまい



2008/12/3

シンプルの極地・・・?  水曜:これは好物!


メインってガッツリと味わいたいと思いますよね。
「これ!コレ〜!」ってな具合に。

これでもか〜!っと目の前にメインが登場するのを期待するのが人の心理。
普段からそういうモノだと思っていると、今日の“好物”はチト違う・・・

いや、まてよ?

今の世の中、何でもすぐに「これが一番!」とか、「絶品!」とかという文字がちょっと多すぎて、ホントのところはど〜なのよ、って思ったりしてません?

なんか、ちょっと忘れていたようなモノを思い出させてくれるかもしれませんよ。

はい、それがコレ

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『鎌倉ハム サンドウヰッチ』(湘南鎌倉大船軒製)

なんともまぁ、レトロなパッケージデザインでしょう。
どうやらこれは明治時代に初めて日本で駅弁サンドウイッチとして売り出されたというものの復刻版だそうです。

サンドウイッチ?
サンドイッチ?
サンドウィッチ?

英語で書けばSandwichなんですが、wichをウヰッチっと書くのがオサレですねぇ。

そういえば、昔、テレビのコマーシャルで某酒造メーカーが「ウヰスキー」と書いていたのを思い出しました。
この「ヰ」って文字、パソコンで変換するのって結構大変だろうなぁ・・と思っていたら、案外すんなりと出てきたのには少々ビックリ。
そんなに普段使うか〜?ヰって??

ちょっと調べてみるとカナの「ヰ」の発音はwiで、ア行の「イ」とワ行の「ヰ」でちゃんと区別されていたんだそうな。
ってことは、昔は日本にもwiの発音があったという事で、なんだかちょっとハマりそうになったので早々に引き上げました。

で、

そのウヰッチですが、これがまぁ・・・・・・懐かしい。

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パンとロースハムとマーガリンとマスタード(いや、辛子)だけ。

確かにそうだったよなぁ。
サンドウィッチといえば、このスタイル。
ちょうど月曜日に書いた引退0系シンカンセンの車内販売でもよく買った。
いや、レッスン帰りの岡山行き最終便になると早々に弁当は売り切れで、浜松を過ぎた辺りで食堂車で調理したサンドウィッチを売りに来たのを逃がすと岡山まで飲まず食わずという恐怖に・・・

高校時代に毎月のように学校と実家の行き来に使っていた宇高連絡船。
この小一時間の船旅では、後部甲板デッキの“さぬきうどん”立ち食いコーナーで四国入りの洗礼を受け、さらに船内売店で買っていた岡山・木村屋のサンドウィッチ。あちらはミックスサンドでハムに玉子にカツに刻みピクルスだったか。
いや、カツは無かったかもしれない。あっても超薄型スライス肉に衣が着いた程度。
まぁ、食べ盛りの高校生でしたから船旅は腹が減る(←ホンマかいな?)

なにしろ全国的に紙箱の中身は6個というのがサンドウィッチのお約束だったみたいで、モチモチのパンと本当に線のように薄い具だけのシンプルなものだったけど、これが意外と美味しかった記憶が蘇ってきた。

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どうかな〜?

おっ!

これだ、コレ。

ホテルの朝食を除けば、このタイプのサンドウィッチとの遭遇は一体何年振りになるんだろう?

コンビニや街のパン屋さんで見掛けるサンドウィッチは、具がド〜〜〜ンと「メイン面」ではみ出さんばかりのタイプばかり。
そうじゃなきゃ売れない時代でもあるし、そうじゃなきゃ買わない時代。

確かに中には美味しいサンドウィッチもあるけど、ちょっとこのシンプルなサンドウヰッチを食べてごらんよ。
テンコ盛りの具の味しかわからない今のサンドウィッチとは違って、パンの味、ハムの味、マーガリンの味、辛子の味、それらがハーモニーのように代わる代わるアプローチしてくるよ。

見た目は決して派手ではないから(むしろ今の物しか知らないと貧相に見える)インパクトには欠けるけど、ちょっぴり上品というオサレな楽しみのような、これだけっていうのがちょっぴり余裕のような、そんなバランス感覚を回復させてくれる味わいが実に嬉しい一品でした。

つまり、シンプルだから、いくら食べても飽きないって事ですね。
ガッツリ&ドッシリ系メインは・・・・美味しくてもすぐに飽きちゃう。
これからの世の中、キーワードは原点回帰、ですゼ。

地味だけど演奏する姿は派手な世界中の“地味派手”ヴィブラフォン奏者に直結!
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おしまい





2008/12/2

キタ〜〜!&来た・・・  火曜:街ぶら・街ネタ


先月中旬、ジャズピアニスト・市川秀男さんと目白でのデュオライブを聴きにきていたヴィブラフォンの弟子MM嬢が見事に当たったマウンテンバイク。

ライブで福引??

詳しくはリンク先を見てくれるとわかるのだけど、何のことやらサッパリの人に簡単な説明すると、当日のスペシャル・ライブでは入場時に席番をそのままエントリーナンバーとした福引が休憩時間に行われたわけです。
ライブは満席だったのでかなりの競争率。ところが今回の特賞だったマウンテンバイク2台の内の一台をMM嬢が見事に引き当てたという快挙。

先日、その戦利品がMM嬢宅に届きましたぁ〜!と写メ。

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カックイ〜!

ライブと食事を楽しんで、おまけにMBを貰って帰るというラッキーなMM嬢。
今度はこの縁起の良いMBで歳末ジャンボ宝くじを買いに走るとか・・・

あんまりパッとしない御時世ながら、縁起の良い人の話題で福を御裾分けしてもらいました。

ビュンビュン走り過ぎてスピード違反で停められないようにね(笑)
いや、学生時代にチャリで「スピード違反警告」を受けた経験者からの御忠告(←うん?僻みか?/笑)
僕も、今の車を買った時にディラーさんから「これも試しに書いて出してみてください」と言われた応募用紙を出したら・・ナント!折りたたみ式自転車が当たった経験があります。ウチの玄関にあるやつ。
何の欲もない時ってそういうもんです(←って、やっぱりヤッカミか?/笑)

何はともあれ、めでたい!あっぱれ!MM嬢。

あっぱれ、と言えば・・・


港区は第一京浜国道沿い。
この超幹線道路が浜松町から芝公園へと通ずる道と交差するところ「大門交差点」。

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最近はこの交差点を通るコースは使っていませんでしたから久しぶり。

四半世紀昔には毎夕この第一京浜を使って品川のPホテルで演奏した事もありました。
今ではホテルもピアノ・ソロが増えましたが、昔は主なホテルにはバンドが入っているのが当たり前で、駆け出しの頃のミュージシャンは忙しくなるまでそういう“ハコ”を生活のベースに武者修行したわけです。
ヴィブラフォンはその音色からホテルに好まれる楽器の一つでもあったわけです。

夕方6時に行って夜10時過ぎには演奏終了で、その後はいろんな所へ顔を出す事が可能な環境。
都合が悪いと“トラ”を入れて、自分が忙しくなったら、その“トラ”に後釜を任せて自分はフリーランスに。
その“トラ”も同じように“小トラ”を入れて、やがてはフリーランスに独立、というミュージシャンの駆け出しにとっては貴重な仕事場の一つでした。

その行き来に車で通っていた「大門交差点」。

帰りに小腹が空くと、この交差点付近にちょっと車を置いて(昔ですよ、昔)、角の店でツルツル〜っと。

また、浜松町からは芝公園のabcホールでのコンサートを聴きに行く機会が多く、テクテクと歩くとちょうど中程がこの「大門交差点」。
チック・コリア氏と後に師匠ともなるゲイリー・バートン氏のデュオもココで見ましたねぇ。
マリンバの安倍圭子先生に「楽屋に行きましょうよ」と誘われて紹介されたゲイリーと握手するだけが関の山だった事や、後日安倍先生宅にゲイリーが訪問して真の初遭遇となったり、と。

他にもこのabcホールはジャズの来日コンサートが頻繁で、その度にこの「大門交差点」を通っていたわけです。
1980年代前半の事です。
ホールでジャズを聞く。子供の頃からバブルの頃まではそれが当たり前だったのですが。
音楽だけ集中して聴きたい、、、、、そう願うジャズファンも今は案外多いんじゃないでしょうか。

そうそう、さっきも書きましたが、その仕事やコンサート後に小腹が空いたら必ずと言っていいほどトントントン、と階段を駆け上がった店。

あるかなぁ・・・・・


おおっ

あった〜〜!

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さぬきうどん金比羅』(港区大門交差点)

大門交差点周辺のビルはすっかりと建替えられズンっと背が伸びてすっかり景色が変わってしまいましたが、この「金比羅」のある一角だけは昔のまんま!

いやあ、これはもう、アッパレでしょう。

80年代前半の東京で、讃岐うどんと看板を掲げた店はほんの数軒。
この「金比羅」の他では「四国屋」くらいしか繰り返し入った記憶がない。
有楽町にもあったが、今はもう無いし店の名前も覚えていない。

数年前のブームの一昔前の「讃岐うどんブーム」で出来た店と記憶するけど、これらの店は今の讃岐うどん専門店のような“コシ”は無い。
何が良かったかといえば、出汁が当時の東京としては珍しく「薄味」で、何よりもこの「金比羅」には僕の好物でもある「たこ天」があったから。

いやいや〜、そのままの姿で今も残っているとは感激です。

トントントンと階段を駆け上がりたいところだけど、残念ながらお腹は満腹。
今日はその姿を確認したに留めて、後日、あの「東京風さぬきうどん」を食してみたいと思うのでありました。

この交差点に立つこと事態・・・・・実に10年振りくらいではないかと。

やっぱりこの大門交差点には「さぬきうどん金比羅」ですよね。
あれを見ると「ココに来た!」って感じで、僕の密かなランドマークになっています。


21世紀のライブ・ランドマークはココから!
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おしまい


2008/12/1

“さよなら”はあっさりと・・・  月曜:ちょっと舞台裏


0系新幹線が引退ですと。。。
このブログの“絵文字”も正に0系新幹線。

最近ですね、「●●系」とか報道で堂々と呼ばれるようになったのは。
少し前ならその筋の人達しか使わなかった用語。
鉄分多めの僕でさえ、何も知らない人の前で「●●系」などと言うのはちょっとはばかるというか何となく照れくさいというか(笑)、いやいや、時代は確実に変わりつつあります。

「シカンカセン」と言えばこのまるッこい鼻の0系。
四国の松山育ちながら「シンカンセン」は開通当初からの利用アイテムに。

0系(あえて今日は使いますが・・)に初めて乗ったのは、開業から数カ月後の1965年の正月だったと記憶します。

我が家で何でも“アタラシモノ好き”の父親がその少し前に仕事で新大阪から東京まで「シカンカセン」を使ったので「どんな感じだった?」と興味深々で聞いたら、こういう返事が返ってきたのですね。

「速いよ〜。でも走るとずっと窓の外に目障りな柱があるのは疲れた」

小学校低学年の僕にはチンプンカンプン。
時速210キロという当時は未知のスピードですから、これが何を表わしていたのか興味が沸きました。

その冬の家族旅行で京都・奈良〜伊勢志摩を周った時に、ちゃんと僕のリクエストの「シカンカセン」も組み込まれていて初体験に。
まぁ、父親の前振りもあって僕は「その柱」に注目。

毎年のように家族で伊勢方面へ出掛けていたので、関西から伊勢志摩に向かうなら大阪の鶴橋か上本町から近鉄特急というコースが定番。しかし、この年はわざわざ新大阪から名古屋まで「シンカンセン」で行って、名古屋から近鉄特急で伊勢志摩を目指すというかな〜り大回り。
まぁ、なんだかんだと言っても「シンカンセン」にみんな興味深々だったのですね。

で、その「目障りな柱」。
ああ、これかぁ。。。

新大阪を出てすぐに理由がわかりました。

これとは、

ナント「架線柱」

在来線の特急は時速120キロ前後。さほどこの架線柱が気になるというものでもありません。スピードの目安くらいの勢いで前から後ろに流れ去る程度。
ところがその倍の速さで走る「シンカンセン」となると、確かにこの架線柱が前から後ろに流れ去る勢いと言うか、数と言うか、速度が二倍なら同じ時間内に流れ去る架線柱の数も倍。

210キロというスピードは「恐ろしく目まぐるしい」というのが僕の“シンカンセンの第一印象”だったのですね。

最初の頃は食堂車が無く(今も無くなってしまいましたが・・)、揺れるビュッフェでは子供連れで食事とも行かず、僕はやや不満。(記憶では車内も混んでいて移動も無理。後でわかったのですが当時シンカンセンは指定席のみで満席の場合は“立席特急券”というのがあったそうで、これで通路まで人が溢れていたのです)。仕方なく車内販売で軽食。ひょっとすると僕の駅弁好きの発端もこのシンカンセンからだったかも。但し、この時、何を食べたのかは覚えていない。。

それからも0系との縁は続きます。
高校になると毎月のように岡山〜東京をレッスンで通いました。偶然にもシンカンセンが岡山まで伸びた年に作陽高校の音楽科に入っているんですね。
超破格の「学割ワイド周遊券」を使って東京はもちろん、関西・山陽・山陰・北陸・信州へも足を伸ばし始めた頃です。

岡山から先(九州方面)は「はと」「しおじ」「なは」時には「やくも」などの在来線特急、岡山からはシンカンセンという区切りが幸いし、どちらへ向かっても岡山始発なので自由席に座って“ぶらり旅”が出来たという好条件(?)。
鉄分が多めになっても仕方ないわけです。
きっと少し後に盛岡で育った鉄分多めの人も同じでしょう。

さて、そんな0系シンカンセン。

良い思い出ばかりではありません。
最も利用していた頃は学生でグリーン車は高嶺の花。
普通車利用だからずっとシートはリクライニングせず、やっとリクライニングに改装されたかと思えば指定された席は車内の真ん中から進行方向と逆を向いていて目が回りそうになったり(それが嫌で自由席利用も増えた?)、夜間東京から4時間超を座ったままでグッタリになったり、たまたま肘掛けと車体の隙間に手を入れていたらトンネルですれ違った時に骨折するかと思うほど締め付けられたり(風圧で結構車体は膨張するように造られていたんです)・・・

その内に「アンチ・シンカンセン」派にもなり、東京〜大阪は大垣夜行やら、ドリーム号利用やら、東海道線急行〜名鉄特急〜近鉄特急経由やら、名古屋から関西線経由とか、とにかくシンカンセンを使わない移動に徹底した時期もありました。
210キロというスピードに慣れてしまったせいもあるでしょうが、とにかく0系の車内は2時間を過ぎると退屈で仕方なく、車窓も在来線のほうが良いと。

それが一転したのは300系「のぞみ」が登場した頃からで、300キロ超というスピードは「架線柱」の存在すら気にならない勢いで流れ去って行くわけで、2倍から3倍の違いというのはこういうものなのか、と体感したのでした。

しかし、その「のぞみ」でさえも、もう慣れてしまって今や「寝台特急」派。
個室でゴロンと横になっている内に目的地へと向かえる「楽さ」加減を知ってしまうと、仕事でない限り、もうあの窮屈な座席に3時間以上座っている気がしないのです。

さて、そんなシンカンセンの始まりとも言える0系。
「夢の超特急」の生き証人。
それが無くなるというのは、もはやシンカンセンは「夢の乗り物」ではない、という事か。

何も冠を付けないで「シンカンセン」と呼べるのは、0系シンカンセンだけだったように思う。
●●新幹線というのは「超特急」でも「夢の特急」でもなく、ただの新幹線に過ぎない、と思うのは僕らの世代だけだろうね。
名神高速、東名高速。
「高速道路」がいつの間にか●●道というただの自動車専用道になってしまったのとどこか似ているなぁ。。。

やはりそろそろ夢のある乗り物が必要に思う0系とのお別れでした。
さぁ、今年もラストスパート。
みなさんも張り切って行きましょう!!
ラスト・ランはまだまだ先よ。

こちらは夢でも超でもなく世界とダイレクト・リンク中!
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