2020/4/2

追悼・柴田浩一(横濱ジャズプロムナード・プロデューサー)  Final Cadence/追悼

横濱ジャズプロムナードのブロデューサー、柴田浩一さんが先月末に亡くなられた。
とてもショックで今は何も浮かびません。
心からのご冥福をお祈り致します。

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柴田さんからちょっと困ったような声で「実はさー、俺、癌になっちゃってさー。今度の本番行けないんだ。みんなにごめんね、って言ってくれる」と電話があったのは2018年12月に入ったばかりの頃だった。
柴田さんが司会を務めるNHK横濱放送局の名物番組『横濱サウンドクルーズ』の公開生放送は、毎回生演奏でジャズを届ける希少な番組で、「赤松さー、今度うちの番組に出てよ、今から言う日程で空いてるところ教えて?」と打診があったのはその年の春先だった。メンバーのスケジュールを合わせると、結局出れるのは半年以上先のよく年(2019年)1月に。「随分先だなぁ、了解。じゃ、そこで行こう。終わったらみんなでね」と。
本番後は柴田さん行きつけの中華街の「一楽」で打ち上げ。そこまでが柴田さんの番組の予定に。

「見舞いに行こうか?」と言うと、「ダメ! 来ちゃダメ!」って言う。なぜかと聞くと、抗がん剤治療で髪の毛がなくなってるのを見られたくないって。もう、いい大人なのにって笑ったら「いいの。これは俺のプライド」って言う。男のプライドって言われたらそれ以上は野暮だよね。それに、そこまで気にする元気があれば大丈夫だって言って、僕は本当にお見舞いに行けず。。。

NHK横濱放送局の人たちも柴田さんの事を気にかけながら年が明けて本番になった。

心の中では、これは柴田さんへのメッセージになるような本番にしよう、と心に誓っていた。
きっと病院で聞いているはずだ。

本番は番組開始以来の大入り(MCの岡田アナウンサー談)で、300人を超える観衆がサテライト・スタジオからはみ出して隣の神奈川芸術劇場(KAAT)の通路や階段まで埋め尽くしていた。
演奏しながら「柴田さん、聞いててくれよ」と何度も思った。
生放送のジャズの番組はここともう一つくらいしかなく、横浜のプライドみたいなものだ。ただ、最後まで残った難問は時間通りに終われるか、だったけど、昔撮った杵柄ではないけれど、ピンポイントでジャストに終わった(放送上は)。

本番を終えてホッとしていると、スタッフから「柴田さんから“よかったと伝えてほしい。みんなにもよろしく、ごめんね”と」メッセージが入ったのを聞いた。

実はこの時、本番直前に母が重篤な状態で緊急入院と言う連絡が入っていた。なので本番が終わると、戻ってすぐに翌朝の早朝便の飛行機を予約して眠れないままに家を飛び出した。
早朝便で松山の実家に付き、病院に駆けつける前にメールをチェックすると、柴田さんからメールが届いていた。
病院の治療の合間に出してくれたようだった。

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短いが、こんなに心が勇気付けられたメールもない。柴田さんには母の事は伝えず、退院したらみんなで集まりましょう、と言うのと共に、柴田さんがいない分を岡田さん他横濱放送局のスタッフ全員が頑張ったし、僕らも最高の演奏をしたし、満員のお客さんも喜んでくれた事を書いてメールした。
母は重篤な状態から少し回復したが、翌月に入って亡くなった。この前夜はハクエイ・キムとのデュオのマチネで終わると最終便に飛び乗って間に合った。去年の冬は精神的に極度の状態での本番が続いたんだなぁ、と今思うが。

昨年の横濱ジャズプロムナード2019は、このイベント初の開催中止という憂き目に逢った。多分良くなって柴田さんも楽屋に登場するだろう、と思って楽しみにしていたのだが、台風のおかげでそれも叶わなくなってしまった。

今年のジャズプロムナードは個人的にもCDデビュー30周年と言う大きな区切りとなる事を前提で考えていたが、横浜のドン、恩人への追悼も盛り込んで挑みたいと思う。

柴田さん、お疲れ様でした。
若いのだけで盛り上がらずに、お互いに盛り上がろうよ、って口癖でした。
昨年台風で流れたのを一番悔しく思ったのは、誰あろう柴田さんだったと思っています。
僕も、もうすっかり若いのではなくなりましたが、天国から柴田さんのメッセージが届くような本番にしたいと思っています。

そちらからちゃんと聞いていてくださいね。

ありがとうございました。








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