唐人駄馬遺跡は足摺岬の半島部のほぼ山頂にあって、まるで熊野のような、鬱蒼として曲がりくねった山道を20kmほど走って辿り着く。
7000年ほど前の、縄文人によるストーンサークル状の遺跡群、唐人駄馬遠地と、磐座、巨石群を中心とした信仰対象であるご神体と対になった遺跡。一説には太平洋から黒潮に乗り、日本にたどり着いた、南方系の民族が、沖縄以外で初めてたどりついた場所ではないかという。辿り着いた原日本人が、その辿り着いた先に初めて築いた集落跡というのだ。
このような環状列石が集落を一周していて、
巨大なストーンサークルを形成しているらしい。
巨大な磐座達は、我々の常識を遥かに超越した存在として、そこにたたずんでいた。
近くによっただけで、あり得ない光景に圧倒された。角が取れて、ふくよかな丸みを手に入れている巨石という存在が、いったいどうしてここに存在しうるのか。何かの超越的な力によって運び去られてこられた石のよう。それぞれが互いに重なり合って、その隙間も大きいままに、7000年も前から変わらぬ姿で佇んでいたのであろう。
しかしその力は現在も強大で、古代の人々が祈りたい気持ちになった感覚が伝わってくるようだ。
この感覚は、力強く、おおらかで、少し間が抜けていて、かわいらしい。
この感じが日本人の古くから有している一つの気風なのかもしれない。
石をよじ上って、鏡石の頂上に出る。
そこに広がっていいたのは、足摺岬の全景を水平線まで見渡せる、大パノラマ。
ここは正に足摺岬の展望台だ。
この光景を見て興奮は頂点に達した。
ただでさえ、神秘的なこの巨石群が人間に見せた、奇跡的に美しい光景。
古代人はこれを奇跡と信じたのだろう。
足摺岬の展望台に行く必要性は無くなった。
こここそが正しい場所なのだ。
眼下に見えた唐人駄馬園地へ赴く。
芝生が一面に敷き詰められた、清々しい場だった。
何千年も昔、ここに生活をしていた人々の存在を感じるようだ。
たったひとり、キャンプをしている人が居る。
この気配の中、瞑想しているのであろう。
さてこの後、海側のハイウェイから帰ろうとして、山を下りたそのときに、前輪の右前のタイヤがパンクした。走行中の突然のパンクで驚いたが、なんとか汗だくになりながらスペアに変え、なんとかキャンプ地へ戻った。唐人駄馬が、我々を返さないようにしている、などと冗談を言い合いながら。
夕方になり、温泉にでも入りに行こうと思い立ち、再び足摺岬に出発した。国民宿舎の温泉施設が、唐人駄馬遺跡から数キロ奥へあるのだ。温泉を出、海側のハイウェイは不吉だからと、山側の道を戻る事を選び、もう一度あったらどうしようか、などとシャレににもならない冗談を良いながら帰っていると、山がそろそろ下り終わるというまさにそのときに、パンク。変えたスペアタイヤまでもがパンクしてしまった。一日に2回も同じタイヤのの場所がパンクするなど、天文学的確率ではないかい?
まるで、神話の異界巡り、死のイニシエーションのような、あまりにも出来すぎた展開に半信半疑ながら、恐怖感を感じるほどの不思議な体験をした。
☆今日中学高校時代の友人と会う。会うのは15年ぶりくらいか。しっかりと大人になり、社会の成り立ちに適応しサバイブしていっている、友人の頼もしい姿を見る事ができた。全然昔と変わらない彼のハニカミと、堅実さと、オタク心と、突っ張りを感じる事が出来て、とても楽しかった。これからなにか一緒に作る事ができれば面白い。

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