先週のレース観戦以降から体調が思わしくなく、風邪を患っている。患っていると言うと大袈裟に聴こえるかもしれないが、月曜日からかれこれ6日にもなるが、まだ完治せず、上気道の症状と、体の倦怠感、肩の激しいコリと痛みが続いている。
体の芯まで冷えきっているのが判る。単純に今日訪れたジムでサウナに入っても、いつもは辛くて一刻も耐えられなくなる時間まで粘っても、一向に辛く感じない。
ストレスが貯まり、身体化しているのだろうと思う。肩の痛み、重さ、コリは重圧を支えると言う判り易いメタファーだ。自分が作り上げた問題によって、縛られ、責任感を感じて逃げられなくなり、自分の心を削ってゆく。人に対して与えられるものが枯渇してゆくに連れて、お互い何かを奪い合うサイクルに取り込まれてゆく。これが長く続くと鬱が発生してゆく。
フロイト流に言うと、人生は反復強迫で幼少期の固着を繰り返し再現してゆくらしい。今は何度目のやり直しをしているのだろうかという気になることがある。自分が今の職場に勤務し始めた時の自分自身の課題、そして数年が経過した今の課題、変化して来ていることが自分でも判る。もちろん、完璧に乗り越えて来た訳ではなく、不格好で、不完全なものだろうが、それでも今は昔の思い出になりつつあり、そして今の新たな課題に直面する。
これを成長というのだろう。そしてそうやって自分を奮い立たせてゆくのか。
全ての経験を自分のものにしたい。自分の負うべき全ての苦痛、喜びを一つたりとも他人に譲り渡したくないと思う。人生を味わい尽くしたい。その経験を生かせれる仕事をしたい。それが今の仕事続けている理由だと思う。
今自分がしていることが、本当に他人から必要とされていることかどうかは判らない。願わくば他人の幸せに繋がってほしいと思う。でも、エゴと言われても構わない。自分の信じたことをする以外の人生は窮屈で生きていられないだろう?
でも急ぎ、焦り、自分の現在の能力以上のの無理をしようとするとこういったことが起こる。
自分自身を自分で支えられなくなった時、自分以外の他者を頼る事ができるか。他者との間に信頼関係を構築し、重荷を打ち明け、シェアしてゆく事。精神療法の基礎の基礎。
治療者だって人間であって、完璧さなどあり得ない。患者への助言は、常に自分自身との対話であり、互いの鏡像関係のなかで、間主観的に鏡としてお互い作用してゆくプロセスだ。
だからこの週末は休んでいた。
朝から日差しも気持ちよく、オーディオの写真をとってみた。
現在使っているカメラはFinePixのF11で、手ブレ補正と高感度であることから購入した。当時高感度ASA1600を達成していたのはこのカメラだけであった。フラッシュを焚いた画質がどうも苦手だった。夜の深みを一瞬に台無しにしてしまうように感じていた。
確かに夜間の写真をフラッシュ無しで撮る目的としては優秀なカメラだと思う。
しかし、逆に気に入らない面もあって、それは画質の温度館が薄いことで、どこか寒々しい寒色系の淡白な画質をこのカメラは特徴とする。実際に撮れる写真と自分のイメージとのずれが大きくて、若干レタッチを必要とする。
否定的に言われることも多いが、Canonのコントラストのはっきりした画像が俺は好きだということが判った。IXIを使っていた時は、色調や画質のシャープさに不満を持ったことは無かった。
一眼レフサイズののデジカメも良いかと思い始めている。レンズが交換出来るのも魅力的で、コンパクトデジカメには無い世界があるだろう。
JBLの4343はなかなか使いこなしが難しい。カメラの画像と同じで、イメージする世界に手が届きそうなのに、届かない感じ。アッテネーターのほんの少しのバランスの違いで、すぐ定位感が変化してしまう。それに伴い、心に迫ってくるような希求館も変化してしまう。永遠に届かない幻影を追い続けているような気にさせてくれる・・・。それが古いJBLの魅力なのかもしれない。
自作の金子式インシュレーターもどきでだましだまし使っていた。それなりに支持感はあって、低域もそこそこでていたし、高さも稼げていたので、あまりブーミーさを意識することもなく、鳴っていたと思う。それでもここぞという時の低域の沈み込みが浅かったり、ユニットがバラけてなっているような若干の違和感はあり、また見た目に悪いため、精神衛生上の問題もあり、しっかりしたスタンドを導入してみた。
TAOCの43Freak定番のスタンド。
83Kgあるスピーカーを一人で汗だくになりながら、転倒の恐怖と隣り合わせに鳴りながらスタンドの交換をする。
出て来た音は、まあ、マシな音がでた来たと思う。低域がしっかり伸びるようになった。逆に言うと階下に音が伝わり易くなったようで、以前より小音量でも苦情が出るようになった。もう一つの効果は、振動が整理されたためか、ユニット間の音の繋がりが良くなり、多少SNが改善されたように感じる。
一番は見た目が相当すっきりしたことか。
今の所満足している。
今回足回りを交換した一番の理由は、小倉に出張に行ったとき訪れたMAXオーディオで足回りをTAOCで固めたら必ず、低域の伸びがよくなると太鼓判を押されたことだ。
あのときの4348もTAOCのスタンドに載せられていた。

現在のメイン機器。
上がMeridianのCDP507。これは16bit、44.1KhzのCDデータを24bit96Khzにアップサンプリングしてくれる。音質は奇をてらった所が全くない、堅実な音。レンジ感も欲張った所がなく、密度の比較的濃い音ではないか。その堅実さが、今一つ面白くない所でもある。
下のプリアンプはMarkLevinsonのML-1Lこれはなかなか個性豊かな音を奏でる。精緻、繊細とは逆方向の、太めの輪郭をしっかりと描いたような音像でありながら、同時に独特の奥深さ、静寂感を持つ。夜このプリアンプで聞く音楽は、どこか闇を覗き込むかのような、魔力に包まれた体験となる。
現在の機器
CDP Meridian 507
Macitosh imacG5 PPC→M-AUDIO Firewire Audiofile
Preamplifire MarkLevinson ML-1L
Power Amplifire Flyingmole DADM100-pro
SP JBL4343
line cable CDP→Pre Transparent ML
Pre→Power PAD MUSEUS
SP cablle PAD AQUAOUS
Power cables CDP PAD MUSEUS
power MIT Z CORD2
しかし、最近はネットでmp3ファイルをダウンロードしてitunes経由で聞くことも多い。
mp3の音質は明らかにCDに比べて低音質で、音の厚み、高域の歪み、レンジの狭さ〜密度館の欠如に現れる。今の機器でCDでさえ、4343のスーパーツイーターは刺激が多く聴こえるのに、Mp3の音質だと耳にキツく、長時間聞いていると脳に突き刺さってくる感じもして来て、日増しに不快感が募るようになって来た。CDの音質とmp3の音質は全く帯域バランスや情報量が異なるので、それぞれ全く異なったソースとして取り扱う方が音作りが混乱しなくてすむ。

CREATIVE XMOD
Mp3の音質問題改善のために、新しいA/IFの新調も考えていたが、ここに来てcreativeから夢のような機器が発売されたと聞いて、早速購入してみた。触れ込みではスタジオクオリティーを超えた音質にまでmp3の音質の欠損した部分を補完するとある。そんな夢のような話でも、7000円ならば・・・ということで賭けてみた。
USB経由でxmodを接続、Firewire Audiofileも接続して音質の比較を行った。xmodはUSB IFとは思えないほどの高いSN感と音のクリア感がある。特徴となるその補完技術、X-fi crystalozerをオンにすると、かなりの実在感も伴い、かなりの高音質であることがわかる。しかし、長く聞いていると、低域の出方に不自然な膨らみを感じたり、音割れがあったり、高域の割れが聴こえてくる。これはコーラス的な音作りの結果であろう。ちなみにCore Audioで設定は、44.1Khz、24bitとなる。そこで、FIrewire Audiofileの96Hz、24bit比較試聴してみる。こちらは音が上下レンジに綺麗に伸び、音同士の粒子の感覚もしっかり空いている。
結局xmodも健闘したものの、Firewire Audiofileに戻していしまった。
これはこれで、手軽に高音質が得られるデバイスとしては優秀だと思うし、誰かかPCの音源をステレオシステムから聞きたいよ考えているなら、進めても良い製品かもしれないとも思う。
しかし、そうしてもmp3の音質の悪さをなんとかする方法を考えなくてはならない。せめて音楽に没頭出来るレベルにまで。
まず、DAC→ADの問題。AireMacで無線化し、DACに入れる方法も試す必要があるだろう。PCとのダイレクト接続との間で比較してみたい。
真空管バッファを噛ますのも良いかもしれない。もう一つの問題として、Power Ampがflying moleであるということ。このデジタルアンプも素っ気ない、ややざらついた音を出す、真空管バッファで、音にまろやかさと密度と厚みを加えられないものか。
また真空管パラメトリックイコライザーという機材があるようで、これをプリのあとに挟むと良いかもしれない。音作りも積極的に行えるだろう。パワーアンプを真空管アンプにする方法もある。
将来的にはマルチアンプ駆動にして、ウーハー部がデジアンで、高域を真空管でならすと良いかもしれない。
究極のリラックスを求めて、オーディオを調整してゆく。
その声はあたかも耳元で囁くかのように心に届き、女性の声は何処までも肌理細かく滑らかに謳い、高域は抜けるように爽やかで、音場は後方まで綺麗に広がり、低域は大地にしっかりと届くような太さを持った。ロックを聴けばその瞬間に、青春時代の熱さを取り戻せるような。。。

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