再受肉化もしくは死と再生のイニシエーションとしての精神病状態、というアイディア。
「夢と現実の区別がつかなくなって・・・、夢で起こることが現実で実現すると確信して・・・。」
「思ったことが全て実現する」
「我々が生きている3次元の世界を超越した4次元、5次元の世界・・・、そんな世界に行っている気がした。そこでは心だけの世界・・・、
カモメのジョナサンになって世界中を飛び回っていた。」
「もう何ヶ月もあの部屋の中にいたような。」
「あのまま死んでしまうのだと思っていた。心だけの世界は形がなく、何もかもが曖昧な世界・・・、こうやって3次元に戻ってみると全ては触ることが出来るし、話し合うことが出来る。生きていることを実感する」
50代男性。
統合失調症の急性増悪。
他者とのトラブルから、セクハラの嫌疑をかけられたことから症状悪化。
急速に抑うつ、不安、緊張感が高まり、会話・思考ののまとまりを欠き始め、疎通困難、自我障害が顕著となる。他の患者かに狙われる、皆で自分を陥れて殺そうとしている姿が見える、と不穏状態。他者への攻撃性が高まり、看護者に対しても興奮し暴力行為を及ぼすようになったため、保護室隔離、身体拘束を行う。
その間発言は被害的でまとまりを欠き、「体の中に針が仕込まれている」「腹の中に毒が回っている」「皆で娘をレイプして、私を焼いて喰おうと相談している姿が見える」と訴える。
身体拘束を行った状態でほほぼ1週間沈静化に時間を要した。
身体拘束の状態を脱し、隔離解除となり大部屋へ移床後の面接での発言であった。
精神病状態、特に急性精神病状態での自我障害は、崩壊した自我の壁(自己と他者の境界)によって急速に自我内容がそれまでとどめられていた自我の領域から拡散し、世界、彼を取り巻く宇宙全体に自我が拡散する状態ととらえられる。自己認識は自我というかりそめの容器の中にあってはじめて自己同一性を有していられる為に、急速に拡散した膨大な自我の中では自己認識は非常に曖昧なものとなってしまう。特にその時自己は状況を快・不快という極端な2元論でしか認識出来ず、その為に認識される世界は非常に不安定で、不安に満ちたものと認識される。なぜならば自己意識には、以前の自己が自己自身をコントロール可能であり、ある程度対象をコントロールしていた頃の記憶を有しているからだ。自己や対象をコントロールできなくななったという体験は、自己の外部(既にこの状態では自己と他者、内部と外部という境界はほぼ消失している訳であるが)は恐怖と悪意に満ちている、非常に迫害的な世界として認識・体験される。
この時、彼にとって迫害的な世界の住人である我々外部の他者にとっては、彼は攻撃的で被害的な言動に支配され、正に精神病の患者としての振る舞いにしか見えない。彼は内部に安全で良いもの、極論すれば善、を保持しようとし、外部に悪、危険であるものを配置投影し、二元論的世界に退行している。彼の内部には善、外部には悪という世界。この自己と他者を巡る反転関係が精神病状態に置ける関係性の重要な点であるのだが、ここでは触れずにおく。
しかしその状態のさなかに彼が体験していたもう一つの世界が、冒頭にあった「夢と現実の区別がつかなくなって・・・、夢で起こることが現実で実現すると確信して、、、。」「我々が生きている3次元の世界を超越した4次元、5次元の世界、、、」なのである。
被害的な妄想も、万能的なファンタジーもあらゆるものが次元可能な世界。それが4次元、5次元の世界という表現に象徴されている訳であるが、その時彼自身にとっては正にすべてが明確な因果律をもって関連づけられ、時間も空間も溶け去った果ての世界=自己という梵我一如の状態であっただろう。しかしそれが被害的、迫害的な恐怖状態の色彩が強いことが精神病状態の問題なのだ。究極のバッドトリップ。
善も悪も全てが混沌とした究極の自我拡散の状態で無限の時間の中に封印された彼。我々の役割は彼の自己、心、魂を再びこの世に戻すことである。
その為に行うことは何か。
それは安心、を与えることなのだ。ただひたすらの安心。安全であること、何者も脅かすものがないこと、彼を取り巻く外部は安定していて暖かさと優しさに満ちていて、空腹や飢え、痛みからも守られていることを保証し続けることなのだ。
この世に生まれ落ちた赤ん坊が母によって抱きかかえられ、滋養され守られている。外部の不快なるものから守られ滋養されることで赤ん坊は成長を遂げてゆく。
究極の母性原理、観音菩薩、聖母マリアと同一視される状況。それをを彼を取り巻く世界に作り上げてゆくことが。彼が梵我一如の状態から脱して、この世界の中へ再び出てゆけることの手助けになるのだ。
このプロセスを俺は精神病における
イニシエーション作用と呼んでいる。彼は危機的状況に際して精神的に死を迎えたのだ。その死のプロセスの中で時間も空間も自己も他者も溶け去った究極の涅槃の状態に合一したのである。生の前にあり死のあとに再び訪れるもの。その世界からのこの世への帰還。彼は再び生まれ変わったのである。
その死と再生をプロデュースするのが俺の仕事ともいえる。
この死と再生のプロセスが経験として彼本人に体験されているか否かがその後の治療転機を大きく分けることも補足しておく必要がある。そのプロセス自体が彼自身にとって過酷すぎたり、様々な理由により受け入れられなかったり(その時期でなかったともいう)すると、これらの体験は断片化され、意味内容が改変されて受け止めれるため、イニシエーションとして機能せず、ダイナミックな転向を促すような全体性を有した体験になり得ず、ただ不快な精神病体験としか感じられない。その後も精神病症状を遷延させることになり易い。世界が断片化されたままなのである。
精神病に置けるイニシエーション効果は、また還元すれば、世界への再受肉化のプロセスともいえると考えている。自我という器を破壊され、自我からも、肉体からも拡散・逸脱してアストラル存在となってしまった自己を、再び自我という容器を再構成して、肉体という現実へ再受肉化させるプロセス。イニシエーション作用が患者主体によって体験される世界だとすると、この再受肉化のプロセスはに他者によって施された作用のことである。このことを俺は精神医療における最も際立った魔術的作用だと考えている。


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