先週末は伊勢神宮へ行ってきました。
今年に入り、会う人会う人ごとに伊勢神宮は良いよと聞かされ、いよいよ呼ばれているかなと意識はしていました。いよいよこの日曜日に行く予定にしていたところ、突然妹から電話。父方の祖母の兄弟が亡くなったとの知らせ。しかもその親戚は伊勢の二見浦の方。中学生の頃一度訪れたことのあるその遠縁の家は伊勢神宮からわずか車で数分のところにあるではないか。

まさか伊勢神宮に参ろうと思っていたその日に、伊勢の親戚宅でお葬式があるなんて。。。この出来事を伊勢神宮の神様の強烈な伊勢へのお誘いのメッセージと強引に受け取った我々は、予定を一日早め、急遽伊勢へ向かうことになりました。
伊勢神宮に参ったならば、是非伊勢神宮で朝日を拝んでみたいと以前から考えていたため、なんとか早起きして日の出に間に合うように伊勢神宮の内宮に到着。しかし前日が生憎の雨で、この日も曇りの天気でした。

五十鈴川を渡り、内宮の境内に入ったところ、突然遠くから一人の男性に声をかけられました。
「今日は前日の雨で、この伊勢が一度清められています。朝のこの静寂、荘厳な空気の中、素晴らしい時にお越しになりましたね」と。
その時の時間が5時36分。まさに日の出の時刻なのでした。

まるで来たことを歓迎されているような導きの声に(いや実際は通りすがりのおじさんが話しかけてきただけなのですが)、一気にテンションが上がり、それからは一言も話さず天照大御神が祀られる正宮を目指しました。

参道を進んでゆくと、静寂のなかに様々な鳥のさえずりが木霊するようすが聞こえます。心地よい緊張感。意識の隅々まで澄み渡るような感覚。前日の雨の影響で境内に清らかな気配が漂います。
すれ違う参拝の方とどちらともなくおはようございます、と挨拶を交わすのも気持ちいい。

正宮へ到着し参拝、その後も荒祭宮などを参拝して回りました。
伊勢神宮、内宮を訪れてみて感じたのは、木々自然に対する畏敬に似た信仰の念とともに、しかしその細部にまで行き渡った人間の美意識の感覚。この自然と人間のミクスチャーが極限までシンプルに洗練された姿が日本の美意識の姿なのだな、ということ。木々の端々まで意識が行き届き、石の角は女性的に柔らかく丸められています。そして太陽信仰の素晴らしく洗練された姿は、まさに日本の国旗、日の丸そのものであるな、という感じ。ここに来て日本のことが大好きになってしまいました。

ほらこれなんて日の丸そのもの。なんかEP4を思い出してしまう。
あと見えそうで見えない神々の姿はチラリズムの美学。

伊勢内宮の前の国道は23号線。これもシンクロニシティーの神様の悪戯。

その後は外宮にも詣でる。外宮は非常に間口が広くて、スッキリした感じ。悪くはないけど、俺は断然内宮派。外宮はどこかよそよそしい感じがしました。

玉砂利は美しいっすね。光の道。

伊勢の内宮と外宮を回った後は、もう一つの目的のお葬式に。
祖母の実家は昔、日本で最初の水族館を営んでいたそうで、今はその弟がその地で民宿を営んでいる。
しかしこんな伊勢神宮の目と鼻の先に自分のルーツがあったとは全く忘れていた。そしてこの場所のすぐ海辺に夫婦岩と天岩戸がある。
道すがら何故かリターン・トゥ・フォーエバーな写真が撮れてしまった。
天岩戸。数ある伝承の場所の一つ。

そして二見興玉神社の夫婦岩。陰陽の二柱の間を太陽が昇る。夏至の間、この中央を太陽が昇るそうだ。夫婦岩の向こうがあの世であり、今岸が現世である。夫婦岩は太陽の鳥居の役目を果たしている。太陽礼拝のイメージに最適。
午後からもう一度内宮に詣でる。午後のおかげ横町で散策したりも楽しい。

そして夕日を拝みながら帰る。
O M N I V E R S E 出雲大社へ 神在月

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