タンクが搬入された翌日は、宮部氏と朝から熊山詣で。
このレポートは
宮部氏のレポートと一緒に読むと面白さ倍増です。
今年の初めから
熊山へご縁があり、その後
、伊勢神宮、
出雲詣でと日本の創世神話を巡る旅路を体験することになった。そしてその先に天照大神とスサノオの日本国造りにおける陰陽の対称性の秘密を再発見し、皆既日食という現象を我々にとってのこの旅路の一つの結節点と捉え、皆既日食へのツアーへと向かうことになったのだった。
今回の作り上げるクリニックもこの陰陽の対称性がテーマになっている。診察室は伊勢神宮をどこかモチーフとした光の陽の面、そしフローティングタンクという陰の面。この両極が癒合する場所が患者さんの内面であるというコンセプト。
まあそんなことも漠然とこれらの導きの中で立ち現れたコンセプトであったと思う。ならば宮部さんが来たこのタイミングに、この導きのそもそもの発端に詣でねばなるまいと熊山に向かう。
熊山は既に秋の気配が漂う清々しさの中に、若干の夏の名残を残していた。訪れるには丁度いい季節。
10分ほど参道を上ると向上にピラミッドが迎える。早速お参りをしようとすると、前に初老の男性の姿が。我々の到着を待っていたかのように祝詞を唱えはじめる。しばし音の美しさに時間を忘れて聞き惚れる。これは間違いなく言霊遣いだ。蝉の声に綺麗に混じり合いながら周りの木々の中に静かに消えてゆく祝詞。そのことばから、世界と一つであること、自然の流れに身を委ね、己を捨てあらゆるものに奉仕すること、しかも自分自身として生きることの意志、それを貫き通すことが生きることの醍醐味、と含蓄の深いながらもストレートな言葉が放たれてゆく。俺はこれをこの地の神のメッセージとして聞いた。
さて我々三人がこの男性の祝詞に時間を忘れて聞き惚れていると、向こうも事態に気づかれたようで、驚かれた様子だったが、色々と話を聞かせていただく。この話が凄かった。彼は現在独学で神秘主義を実践しており、目に見えないインフルエンザを封じる手段としてこの熊山で祝詞を奏上していたこと。そしてこの熊山遺跡は実はスサノオが眠る墓所だというのだ。実は彼は昔出口日出麻呂に仕えていたことがあり、大本教とは関係があったこと、そして出口王仁三郎が熊山を神聖視しており、ここにスサノオが眠っていると話していたという。
我々が今年の初め様々なシンクロニシティを体験し、導かれるように伊勢、そして出雲へ赴き、そこで
スサノオの巨大な存在に出会い、その先に巨人出口王仁三郎に出会っていたのは決して的外れなことではなく、正にそのままの導きであったのだ。
また更に驚くことに、この男性は今年日本の皆既日食で完全にダイヤモンドリングが観測された数少ないスポットの一つ喜界島の出身だというのだ。全てが完全に繋がった。
このあと彼から様々なことを教えていただく。そのあたりのことは
ECCOポッドキャストに現在アップされているので参照のこと。日本神話の創世と神道的神秘思想につていて話していただいています。
このお方は桑原昭吉先生という方。清風高校の教諭で、オリンピック金メダリストであった具志堅幸司選手の恩師で本番のプレッシャーに打ち勝つマントラ
「ハルチ、ウムチ、ツヅチ」を授けた方。そして実は大本教では出口日出麻呂の側近中の側近だった人として有名な方でした。謙虚な姿勢と信仰に対する熱心な取り組みに、人生の先輩としてお手本にしたいと思わされました。
帰ってみてネットで出口王仁三郎と熊山の関係を調べてみたら、ありました。桑原先生は出口王仁三郎は熊山に詣でたかは定かではなく、逆にこの山には当時は神聖なあまり登頂が許されず、近くの山に拝殿を設けてそこからこの山頂をお祈りしていたとのことでしたが、実際には王仁三郎は熊山を訪れ、当時の大本教ブームもあり相当話題になったようです。
出口王仁三郎聖師の『三鏡』”聖地”から、
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『素尊御陵』
岡山県和気郡熊山の山頂にある戒壇は、神素盞嗚大神様の御陵である。
古昔(こせき)、出雲の国と称せられたる地点は、
近江(おうみ)の琵琶湖以西の総称であって、
素盞嗚大神様のうしはぎ給うた土地である。
湖の以東は、天照大神(あまてらすおおみかみ)様の御領分であった。
このゆえに誓約(うけい)は、
その中央にある天(あめ)の真奈井(まない)、
すなわち琵琶湖で行われたのである。
出雲の国というのは、いずくもの国の意にて、
けっして現今の島根県に限られたわけではないのである。
素盞嗚大神様は八頭八尾(やつがしらやつお)の大蛇(おろち)を
御退治なされてのち、
櫛稲田姫(くしなだひめ)と寿賀(すが)の宮に住まれた。
尊百年ののち、出雲の国のうち最上清浄の地を選び、
御尊骸(ごそんがい)を納め奉った。これ備前国和気の熊山である。
大蛇を断られた十握(とつか)の剣(つるぎ)も同所に納まっているのである。
かの日本書紀にある
「素盞嗚尊の蛇(じゃ)を断(き)りたまへる剣(つるぎ)は
今吉備(きび)の神部(かんとものお)の許(ところ)にあり、云々」
とあるが、熊山のことである。
この戒壇ととなる石壇は、
考古学者も何とも鑑定がつかぬと言うているそうであるが、そのはずである。
ちなみに熊山の麓なる伊部(いんべ)町は伊部焼(いんべやき)の産地で
あるが、大蛇退治に使用されたる酒甕(さけがめ)は
すなわちこの地で焼かれたものである。
伊部は忌部の義であり、また齋部(いつきべ)の意である。
以下省略
(昭和五年二月・月鏡)
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http://2.suk2.tok2.com/user/chijoutengoku/?y=2004&m=10&d=16&all=0
なんとも良い感じのシンクロ具合ですが、さてこのスサノオの導きがさらにどう繋がってゆくことだろうか。
龍のような雲が沢山立ち上っていました。
龍神のわき水があり、龍王山などの龍がつく名称の山が多いのもスサノオにまつわる場所であることを示唆していたのかもしれません。
最後に桑原さんは鎮魂帰心法を試みていたのだと思う。最後まで見てみれば良かった。
ECCOポッドキャスト・熊山の遺跡の前で出会った不思議なおじさん
熊山詣で
お礼参り。
お伊勢参り
出雲詣で/Susanoo Underground(1) 佐太神社
出雲詣で/Susanoo Underground(2)
出雲詣で/Susanoo Underground(3) 須佐神社
出雲詣で/Susanoo Underground(4) 熊野大社
Akashic Network of Susanoo Underground(5)
皆既日蝕 LSDツアー/日蝕当日!

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