〜第3段〜
引越しというものは容易に片付けられないものだ。友人を頼んで近所の雑貨屋からダンボールをもらっての引越しだったので、とりあえず敷いたカーペットの上はお菓子や裂きイカなどのダンボールが雑然と、もう三日も経つのに散らばったままになっていた。良博は広げ始めた書籍のダンボールから高校時代の卒業アルバムを取り出して眺めながら、チェーン店のスーパーのビニール袋から惣菜を数点取り出してビールの缶を開けた。
もう学生生活も三年目になるのだと、ふとそんなことを思ったのは、アルバムにある自身の顔と、さっきスーパーの柱に映った自分の顔とを思いの中で見くらべたせいだった。
こんな地方の大学に来るとはゆめゆめ思っていなかったので、もう高校の同級生ともだいぶ疎遠になっていた。同じ地域に進学したのは理系の男だけで、同じクラスの人間などはひとりもいなかった。忘れた頃になって、友人からメールや電話が来ることもあるのだが、その間隔もだんだんと広がっているように感じていた。
アルバムのページをめくると、そこにはかつて見知っていた人間の顔が羅列されていた。だが、今彼らがどんな顔で生きているかは良博にはわからないことだった。疎遠になったことは寂しかったが、会いたいという思いはそのときの良博には起こらなかった。
小学校の頃から使っている学習机の上に並んだ数点の惣菜と、卒業アルバムを眺めながら、良博はビールを口に含んだ。ただ苦いだけの味だと思った。良博はひじき煮を手づかみで口に入れた。田舎独特の甘塩っぱい醤油臭い味付けだった。良博はさらにビールを飲んだ。すでにまるで人間の体液のような温度になったビールが、喉のひじきの味を引きずるように流れ落ちた。
思ひあらば葎の宿にも寝もしなむひしきものには袖をしつつも
アルバムのページを捲ると、良博の目があるひとりの顔に留まった。今日子だった。今日子は明るく笑っていた。そうだ自分はこの女の始めての男だったのだと、良博は思い返した。
いかにも男臭い、雑然として飾り気もなんにもなかった実家の部屋で、今日子を始めて抱いたときのことを思い出した。薄い花の匂いのような肌をした女だった。痛みを訴えることもなく、ただじっと、窓から入る日の光に裸体をさらしていた女のことをありありと思い出していた。
人肌の絹張りの人形のようだと思った。内心の底の方から昔の欲情がそのまんまの形で湧き上がってきて、ねっとりと性器に伝わってくるのを感じた。
良博は目を閉じた。すると全てが終わった後の今日子の顔が目裏に映った。細い鼻と大きな目のあのときの顔だ。あのときの今日子の目は、草原の孤独に濡れる駝鳥の目に似ていた。