思いつきでいろいろ書いてます。
よかったら読んでみてください。
感想もお待ちしています。
TB先のリンクはコメント欄にありますんであわせてご覧ください。
2006/8/9
題詠100首blogの伴走です。
まずは手紙から。
003:手紙(原田 町) (カトレア日記)
水茎の跡うつくしき手紙にて氷のような言葉がならぶ
文字の形やその美醜は文面とは違う文脈を持っている。時折それが一致しすぎて、ミサイルでもロックオンされた気分にもなる。
003:手紙 (里坂季夜) (コトノハオウコク)
「手紙ってきんちょうするよ」10歳のレターセットを購いて言う
悲しいのか、嬉しいのか。嬉しいとすれば、初々しくもものを書く楽しみの世界を垣間見た子どもの姿か。悲しいとすれば、そこになるのは子どものその時の発見ではなく、日ごろの大人の嘆息があるからか。
003:手紙(春畑 茜) (アールグレイ日和)
雨匂ふ手紙とならむ戻り橋すぎてふたたび雨は降り出す
一条の戻り橋にはこの世のものでないものがいる。そこを通ってもたらされた雨の匂いは何をどう呪うのだろうか。それが寿であれ怨であれ。
003:手紙(村本希理子) (きりころじっく)
燃やされるために書かれた手紙だと気づいた指が発光してゆく
親しさはいつも詰め将棋のように私たちの差す一手一手を発光させてゆく。無為ではないがゆえに。
003:手紙(寒竹茄子夫) (鶴太屋別館「マニエリスム」)
友よりの手紙ふたつに引き裂きてなにほどの夜 砂金のひかり
そうして、その親しさは日常のこととして忘却という名の記憶の箱に仕舞われてゆく。
続いてキッチンから。
004:キッチン(ひぐらしひなつ) (エデンの廃園 ー題詠百首のためにー)
黄昏の来ないキッチン 声変わりせぬ声で何時まで母を呼ぶ
「ブリキの太鼓」みたいだ。その時、時世とはかかわりのないはずの母は、その日常の中で鰻の水煮をむさぼっているかもしれない。
004:キッチン(やすまる) (やすまる)
キッチンの冷たい床に触れながら木蔭のような午睡へ落ちる
台所の床はつめたい。だから時々猫が昼寝をしている。それを押しのけて眠る勇気は私にはない。冷たいと言うことは素敵なことだ。
004:キッチン (ケビン・スタイン) (In Other Words・別の言葉で)
雨の日の陽射しのようにキッチンを満たす手作り黒パンの湯気
パンの焼ける匂いはいつも私の心を侵略する。黒パンの、ライ麦の酸味がいつまでも湿った地面のような匂いなのだろう。
004:キッチン(ワンコ山田) (歩道を走る自転車のこども)
キッチンは西向き一方通行でたぶんケンカは禁止事項で
単純に、火や刃物をケンカに結び付けたりしていなくていい。平和とはこんな意識からなのかもしれない。
004:キッチン(ハル)再投稿 (木漏れ日気分〜題詠マラソンblogと過去の詩と短歌)
哀しいと言えずに母の腕の中幼き頃の春のキッチン
母は料理に夢中なのだ。みんなのための夕飯の支度に。そして子どもは自分がみんなではないことにどこかで気がついてちょっとした喪失を実感する。
投稿者: kuroyasu
詳細ページ -
コメント(2)
トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ