2009/8/19  16:17

外交官:黒田康作の謎  映画

大変ご心配をおかけいたしましたが、
主人はあの後しばらくして退院し、
(またまた同症状の病院での最短治癒記録更新です!)
3週間の自宅療養を経て会社に復帰、
毎日元気に通勤しておりますヽ(^O^*)ノ

自宅療養中には「よく散歩をする様に」と言われていましたので、
リハビリと称してあちらこちらの映画を観捲りました。

勿論、織田裕二さん主演の
『アマルフィ 女神の報酬』も拝見いたしましたよ♪

(※注 ↓ネタバレしています。)

あの映画は、外交官:黒田の生き様を描いたものなんですよね?
命がけで邦人を守ってくれてましたから。
うわあ〜キッツゥ〜大変〜さぁどうなる…と、
2時間ハラハラし通しでした。

外交官:黒田の活躍はシリーズものとなって、
これからも続いて行くかもしれないので、
天海さん演じるヒロインとハッピーエンドにする訳にいかなかった?

そこがちょっぴり残念でしたが、例えば
あの『男はつらいよ』の寅さんも決してマドンナと結ばれず、
だからこそ毎回マドンナが替わる楽しさを味わえたんですよね〜

寅さんは惚れっぽくて直ぐマドンナに恋してしまいますが、
恋よりも仕事に命をかけている黒田さんは逆に、
毎回ヒロインに惚れられる役なんでしょうね。
ああ続編が楽しみだ〜♪
(もう次回作がつくられると決めてるし r(^^;)

外国語の台詞を覚えるだけでも大変なのに
(暗記力の悪い私なんか日本語でも覚えられん)
その外国語で素晴らしい演技をする織田さんを、
本当に心底、尊敬してしまいました。
めちゃくちゃカッコ良かったです!

それにしてもあの黒田さんの職業は実にミステリアスでしたね。
表向きは外交官だけど、特命を背負っていて、
イギリスの秘密情報局(SIS)みたいに(?)
シークレットな部分も多くて。

一度日本に帰ることも許されていたのに、
そしてヒロインにせっかく誘われもしたのにそれを振り切り、
命知らずでハードな仕事ばかりを追い求めてしまう、
(まるで織田さんご自身みたい!?・笑)

孤高な男の心理状態も‘謎’そのものです。

是非いつかまた映画で全てを解き明かして欲しいものですね。

2007/12/1  23:15

『椿三十郎』観て来ました!  映画

泣ける映画が観たいから『恋空』にしようよ〜とほざく連れを何とか説得して、某グランドオデヲンでの『椿〜』の午後の回を観て来ました。時代劇ってあんまり興味無かったですが、織田裕二さん主演とあっちゃあ観ないワケにはいかねぇ!

やっぱり一般的にも時代劇は敬遠されてるんですかね?…古臭いイメージは拭えないし。初日のしかも映画デーだというのに7、8割の入りでしたが、観てみたら本当にすっごく面白かったです。観て損は無いですよ、皆さん

流石、織田さんはどんな役をやらせてもハマッて、入魂の演技でしたね。殺陣のシーンは凄い迫力でしたし、何と言っても表情が豊かですからその確かな演技力で主人公の心情が手に取る様に分かって、ラストシーンでは私は涙を流してしまいました。私よりももっと涙もろい筈の連れは、泣いてなかったですが。御主、読みが浅いな!

ああいう‘シェーン、カムバーック!’って叫びたくなる様なラストシーンって孤高の男:織田裕二にはピッタリですよね。いっそ映画『シェーン(‘Shane’1953年米)』みたいに彼に惚れる女性をからませるとかすると、もっと沢山の女性に嬉々として観て貰えると思うけれど、そういう野暮をしないのが、森田監督の愛なんでしょうね。

旧作通り忠実に、しかも台本の行間までをも分かりやすく可視化させたかの様な演出は、出来るだけ分かりやすく伝えたい、この素晴らしい脚本に再び光を当ててみたい、という森田監督の黒澤作品への愛以外の何ものでもない感じです。その為のリメイクだったのでしょう。

(あんまり書くとネタバレになりそうなので、この辺にしておきますが、)それを実現させるためには、主演(三船さんの役)は織田裕二じゃなくちゃいけない、と言ってもらえた織田さんは、立派にその期待に応えていた…と断言出来ます

カッコ良かったぁ〜素晴らしいリメイク作品を有難う! あと3回はまた観に行きますよ。

…しかし、あの三十郎の髪型はもうちと何とかならんかったん?

2007/5/21  13:32

主人公は僕だった  映画

実は昨日は昼間、映画『主人公は僕だった(米)』を劇場で観て、夜は『エターナル・サンシャイン』をDVDで、『冗談じゃない!』をTVの録画で夜中に観たのでかなり忙しかったのでした(((^^;

で、今朝の私の夢の中に何故かダスティン・ホフマンの凄い形相の顔が現れたので(映画の中にそんなシーンはありません)、「この映画の感想も書け」と私の深層意識が訴えているのだろうと勝手に解釈して、この映画の感想も書くことにしました(笑)。

えっと、設定がコメディなのにシリアスな表現をしていて、兎に角最後はハッピーエンドだから良かったかな? でも観ている途中でこれがハッピーエンドになるんだとは考えもしませんでしたが。そういう所は上手いんでしょうね〜私がハマって観ていたということでしょう。

何だか平凡なシーンでも主人公がサイボーグやスーパーマンであるかの様に演出的に面白い趣向がなされていて飽きませんでしたし、ちょっと攻撃的でセクシーだけどそれだけって感じの特に美人でもないヒロインが、実はとても素敵な女性だったと分かるシナリオで、「この人、脱税者でしょ。どうなるの?」ってずっと気になっていたところを、ちゃんとその素敵なエピソードでクリアしていたところが、好きなシーンかな。

散々な目に遭ったりナサケナイ男だったり、小説家が描く通りに人生が動いて行って(まるで脚本家と俳優の関係みたいですね)冗談じゃない展開に陥っていても、なんたって主人公は国税庁の検査官で、税金のプロであるというその能力を生かして、ヒロインを脱税者じゃなく善良な市民に昇華させてしまう、その一本筋が通ったブレないドラマの姿勢(視点)が素晴らしいです。

主人公は僕なんですから。

                * * *

※『冗談じゃない』圭太も最後はそうなってくれるかな?

ドラマの感動を深くするためには、ストーリーの振幅を激しくする必要があるので、今はバネを思い切り縮めている時期なんでしょうね〜?

一気にバネを弾かせる様に、本来の圭太の潜在能力を発揮する場面を早く観たいものです

2007/5/21  3:59

記憶と恋愛  映画

2004年度のアカデミー脚本賞を受賞した映画『エターナル・サンシャイン(米)』のDVDを、レンタルして観ました。

脚本賞を獲っているということで、「脚本は素晴らしい」のだと観る前からインプットされていますから、この演出ってどうなんだろう?…という観点でみてしまいました(^^; 映画もドラマもやっぱり監督や演出家の手腕によって面白くもツマラナクもなりますからね。

※私はフジTVの『世にも奇妙な物語』が大好きなのですが、何が面白いってストーリーは勿論の事、やはり演出が凄いと思う。忘れられないのが鈴木保奈美さん主演のもので、ただ公園デビューするというそれだけの部分が見事にドラマチックに表現されていてワクワクはらはらドキドキし、演出の重要性と『世にも〜』の演出の素晴らしさをそこで思い知ったのでした。

この『エターナル〜』は、(寝ている間に見る)の世界に近いものを描いていますから、脚本賞を獲っているいないにかかわらず、私にはとても興味深いストーリーです。ですから夢の世界の描かれ方(演出や撮影、編集の仕方)にもかなり拘りを感じてしまいますね。私ならこうするのに…と思ってしまったところも何箇所かありましたが、凄い!スゴイ!!素晴らしい〜〜〜と絶賛したくなる画もあって、とにかくストーリーが凝っていることもありホント面白かったです。

あの記憶の世界(イメージの世界)を想像するのは簡単ですが、実際に描き出す為の撮影って大変だったでしょうね〜

                * * *

なんか泣けそうになったのは、(自分を裏切った恋人の)記憶を消してもらう為の処置をしている間に、やはり恋人を忘れてしまうこと、つまり(自分の)世界から恋人が存在しなくなってしまうことに恐れをなして、記憶の消去に必死になっている側から、(依頼したにもかかわらず忘れることに抵抗し始めた)主人公が恋人(の思い出)を引き連れて逃げ回っているところです。それが「愛」そのものを表している様にみえて、感動的でした。

そもそもその記憶消去の技術を持つ博士のところに、忘れたい恋人の記憶を消してもらう依頼をしに行く人って、よっぽど消したい相手を愛しているということを示しているんですよね〜。忘れようとしなくても好きじゃなくなれば時間と共に自然と忘れてしまうでしょうに。

現に、何度消しても消してもまた同じ様に相手と出会ってしまったり好きになってしまうところがせつなかった。

出会った縁を大切にすること。
相手を失くしたくないと思ったら、相手の少々の欠点には目を瞑るか欠点ごと愛してしまうこと。
そして直ぐ簡単に消えてなくなってしまう夢やイメージの世界よりも、現実の世界の存在の確かさを有難いと感じること。

そんなことが素晴らしいシナリオやラストシーンの映像から、ひしひしと伝わってきて最後に涙も頬を伝いました。

2006/5/11  11:42

人間理解のために〜その2  映画

皆さんが書き込んで下さったことへの「日付順のお返事」を少し中断して、また思いついたことを少し書かせて頂きますね。

スノーさん、コメント(4/24)有難うございます(^^)/
お気持ちをいつも素直に書いて下さって、とても嬉しいです。
『人間理解のために〜その1:すぐ誰かのせいにする人』についてですが、スノーさんが現実で遭われたその方は、私が言う「やたらと人のせいにして騒いだり荒れている人」とは違うかもしれませんね。その人達は、「やたらと人のせいにして平然としている人」の様に見えます。

スノーさんはその人達に大変な目に遭わされたのを知っているのでスノーさんに加担して、その人達を非難することは簡単です。が、非難すべきなのは、その人達の行為(罪)に対してであって、その人達の人間性や人物そのものを非難すべきではない…という考え方が依然として私の中にあります。

つまり「罪を憎んで人を憎まず」ということ。それはその人達への優しさからではなく、こちら側の心の平和を保つ為だったりするのですが、どんな酷い事をした人でも、人そのものを恨まないようにしようと思っています。けれども‘人のせいにすること’自体の罪は、どんな小さなことでも、決してそれを許している訳ではないのです。

ですからスノーさんのおっしゃる「人によりけり」というのと私のとは論旨が違っているのは、お分かり頂けますよね?

>いつまでもその地点から進めない人、人を悪く言うことでいじめることで安堵する人もいます。
>えらそうな事書いてごめんなさいm(__)m
>私の以前のサークルはいまだにもめつづけてます。忠告して私は悪者です。悲しいけど、人と話してる感じがしません。

スノーさんの夢事典リクエスト(4/13)にお返事していて感じたのですが、スノーさんの夢に現れた【浮浪者】はまさにこの人達の事なのでしょうね? 浮浪者達を何とかしてあげたい…というお気持ちは立派ですが、言って分かってくれる人達なら最初から浮浪者になってはいないでしょう(例え話です)。「人の価値観はそれぞれ」と放っておくか、そうなってしまった「社会悪の根源」と戦うべく地方行政に陳情するか、どちらかですよね? 直接「あなたは間違っている」と浮浪者達に訴えるのは、無謀な感じがします。(夢の中で)横目で見ながら通り過ぎたスノーさんの態度が、正解だと思う(^-^)

私は世の中の全ての人と理解し合うのは、ほぼ不可能だと考えています。なぜなら膨大な労力と時間を費やすことになるから。人の一生は限られているし他にやるべき事が山積みの様に感じているので、出会った人の中で「この人(達)とは何か違う」と感じたら、徐々に距離を置くようにしています。出来るだけ関わらない様にしているのです。

もしもその人(達)と関わり続けることで何か学ぶべき事が他にもあるのなら、またいつか縁が出来たり出会うことになるでしょう。

※『人間理解のために〜』と言っておきながら、「全ての人と理解し合うのは不可能」等と矛盾している様ですが、こちらから相手を理解しようとする姿勢の重要性を言っているのです。理解‘し合う’とは、相手にも自分の言っている事を理解してもらう…という意味で、それには前述通り、大変な時間と労力を要します。

                 * * *

…ということで、たとえ関わりたくても関われない人達について。

統合失調症の人

この人達の理解を深めるのに最もお薦めの映画がアカデミー受賞作品『ビューティフル・マインド』です。ラッセル・クロウ演じる主人公は、実在する天才数学者でノーベル経済学賞を受賞しています。が、米ソ冷戦下に彼の優秀な頭脳が暗号解読という極秘任務に利用され彼の精神は追い詰められて、ついに統合失調症の症状である幻覚や幻聴に苦しめられる様になります。主人公はその統合失調症に苦しみ戦い抜き、ついに克服してノーベル賞を受賞するのでした。が、‘幻覚’は恐らくご本人が亡くなるまで続いているでしょう。

克服とは、つまり幻覚と(距離を置いて)上手に付き合っていくことだったのです。

この映画を観ていて私は、他人事では済まされない気持ちになりました。なぜなら主人公の‘幻覚’は当初、本人を苦しめる形で存在していなかったから。イマジナリー・コンパニオンを持つ娘と、どこが違うの?…という感じ。途中でその‘幻覚’は明らかに本人を苦しめる存在になって行くので、所謂精神分裂状態に陥るわけですが、幻覚を抑える薬には副作用も多く、消そう消そうとすることで余計に存在を認めている様に見えて仕方がありませんでした。

この、自己の中での幻覚との‘戦い’に、本人以外の他人が立ち入る余地は無い様に感じます。寧ろ他者が関われば関わるほど、理解に苦しんで本人も周囲も余計に苦しむことになりそう。

本人が気づくまで、本人が自身の力で克服するまで、待つしかないのでしょうね?

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2006/4/24  5:46

人間理解のために〜その1  映画

映画『エデンの東』('55 米)の中に、大好きなシーンと台詞があります。ヒロインがジェームス・ディーン演じる主人公に向かって語りかける言葉「〜そして私は父を許したの」。

この、人を許すという気持ちこそが‘人間理解そのもの’なんですよね〜 簡単な様でいて実は、きちんと相手を理解出来ないと、人を許すことなどなかなか出来るものではありません。世界中で未だに相手を許せずに戦争を続けている国々が、一体どれ程存在し続けているでしょう。

このヒロインは主人公の兄の婚約者ですが、映画の冒頭では彼女は彼を「何を考えているか分からなくて怖い人」と言い放ち、傷つきやすい主人公を益々荒れさせるのです。しかし彼女は彼を観続けているうちに、彼の純粋さに気づき誰よりも一番の彼の理解者へと変わって行きます。彼女もまた、彼の至らなさを許したのでしょうね。そうして許し許されていく人々が描かれた、この『エデンの東』のテーマ曲も実に素晴らしく、50年以上経った今も変わらず愛され続けている映画音楽となっています。

話は戻りますが、ではどうすれば‘理解しがたい’事を行う人を、許すことが出来るようになるのでしょう? 罪を憎んで人を憎まずとは実際のところどうすれば良いのでしょう?

常々私が感じていることや、最近気づいた事がありますので、忘れないうちに書かせて頂きますね。長い前置きはこれくらいにして…

                * * *

すぐ誰かのせいにする人
「あなたが悪いのよ」「オマエのせいだからな」「○○のせいでこうなった」等と、すぐに誰かのせいにする人っていますよね。傍で見ているとあまりにも子供じみていて、自己反省ということとは無縁の我儘な人間に見えてしまします。

けれども実は誰よりも自責の念にさいなまれやすい人、自己嫌悪に陥ってしまって苦しみやすい人、それが昂じて自殺しかねない人ほど、それを避けるために無意識に相手のせいにしている場合があるのです。自殺をしてしまっても何の解決にもならないこと(輪廻転生でカルマを背負ったりや因果応報があること)を本能で分かっているからでしょうね?

それでとにかく、誰かのせいにして自分は悪くないと思い込まないことには、自己の存在さえ認められなくなってしまう様なのです。‘死にたくなる気持ち’との闘いが、そこにありますね。

もしもあなたの周囲にやたらと人のせいにして騒いだり荒れている人が居たら、本当は誰よりも自己嫌悪していて自責の念で相当苦しんでいるのだと考えて下さい。本人が自分自身を許せる時が来るまで、待ってあげるしかないでしょうね。

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2006/2/27  11:44

映画『県庁の星』を観て(※注:ネタバレしています。)  映画

昨日、初回を観て来ました(^^) 以前『ホワイトアウト』が上映されたのと同じ映画館です。日曜の朝だし雨が降っているにもかかわらず観客がまぁまぁ(6割程度)居たということは、デートや時間つぶしでフラリと訪れたお客ではなく、『県庁の星』がただ観たくてわざわざ足を運んだお客さんがあれだけ居たということですね! 勿論帰り際には第2回を観る為に並んでいる方が沢山いました。

で、面白いことに気づきました。映画の編集における「監督の意図」に気づいたというか(^^; ←オーバーな! 冒頭で崖の上の建設予定地で倒れている織田さんが映りますが(そのせいではなく)、(後から気づいたのですが)私は物語が進んで彼が「気づいて学び成長するチャンスを得る」まで、つまり婚約者に振られてコネも無くなり大プロジェクトから外されショックを受けて生きる目的を見失い雨に打たれ酔っ払いながら崖の上の建設予定地で寝てしまうシーンまで、イライラして仕方がなかったのです。

けれども連れに後から訊いてみたら、「最初からラストシーン手前まで、面白い映画だな〜と思って惹き込まれたよ」と言ってました。ホワイトアウトのラストシーンでは感激して涙を流していた連れですが、この映画の感想としては「ホワイトアウトよりも、もっと面白かった。良い映画。織田裕二ってホントに演技上手いね〜」でした(^-^) 「ラストシーン手前だけ、もうちょっと何とかして欲しかった」そうです。ン、私もそう思う。現実(公務員の頭の硬さや、行政改革がスーパー経営改革並みに一朝一夕には実現されない難しさ、小さいことからコツコツを。)をそのまま見せてどうすんねーん! もうちっと夢と‘理想の姿’を見せんかいっ! 「次は県庁の改革…」でワクワクしたのに! 〜でも凄く面白い映画。良い映画。スーパーの改革と登場人物達の意識の改革には胸がすく思いがした。絶対、観なきゃ損しますよ!>未見の皆さん。

では、何故私は映画の3分の1もの時間をイライラしていたのでしょうか? 監督の編集の意図については誰でも気づくことだろうと思いますが、このイライラは私独特の感じ方なんでしょうね〜(((^^; つまり「気づいていない」野村は織田さんではないと感じて「映画なんだから」「俳優さんだし」と頭(心)では分かっていても、身体(脳)が許していない感じなのかな?(笑) なかなか感情移入出来なかったのです。この感じはドラマ『真夜中の雨』の時にも感じましたね。なんか「こんなの織田さんじゃない」的な違和感。で、物語が進んでいくと段々織田さんらしい人物に(シナリオが)描かれていくのです。織田さんは、最初からこんなことは「ちゃんと気づいている」人物だと信じているからかな? 買いかぶり? この映画で気づいたのは、結局そういうことです。織田さんという人物を心から信じている。顔やスタイル、仕草、演技の素晴らしさ等の外見の好みだけではなく、織田さんが何を考えているのか、次にどういうものを発信してくれるのかに非常に興味があり、それを心待ちにしているということ。織田さんは謙虚な方だから「自分も色々な事に気付かされた」とおっしゃっていますが…。

という訳で脚本家、演出家の皆さん。駄目な織田さんが、元の織田さんに戻って大活躍するストーリー(『踊る大捜査戦2』もこれでした)ではなく、そんな「マイナスを0に戻す」お掃除やお洗濯みたいな作業じゃなくて、「プラスを生み出す」お料理やお裁縫みたいなクリエイティブなもの、今の(外見だけではなく心情そのものも)カッコイイ織田さんが先ず描かれて(思いっきり感情移入出来る)、その後さらに素晴らしい人物と‘理想の世界(社会)’に成長して行く(『真夜中の雨』ではマイナスから0、さらに0からプラスに変化していく主人公とストーリーが展開されて感激する)シナリオを作って下さる様、今後に期待したいと思います。

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