2008/2/22

アフガニスタンと私  分類なし

火曜日の朝日新聞アジア欄に、「アフガニスタンと私 映画が国を変える力に」タイトルで、アジア映画の宣伝・普及する「チャンネルアジア」主宰者旦匡子(だんきょうこ)さんのトピックが。

’01年タリバン時代のアフガニスタン舞台の「カンダハール」('01)に衝撃を受け、買い付け、9.11テロとアフガン攻撃の折、注目され、各地で上映された、という経緯。

これはイラン作品、という事もあり、ビデオで見て、当時の感想を見直すと、半ドキュメンタリータッチで、タリバン政権下、コーランと武器の知識を叩き込まれる少年達、等のシビアな様子、空からパラシュートで舞い落ちる義足、それに必死に松葉杖で向かう地雷で足を失った人々、砂漠背景の女性のまとうカラフルなブルガ、等の鮮烈な映像、+撮影場所のイランとの国境では、テロを避けて転々、そこにいる瀕死の難民のためスタッフが毛布とパンを運んだ、等の実際のエピソード等、目からウロコ、と書いていたけれど、イラン作品の中でも、やや特殊なインパクトの残った作品だった。

旦さんはそれが縁で「アフガニスタン子ども教育運動」(ACEM)活動に携わり、アフガン人バルマク監督と連絡をとっていて、同監督「アフガン零年」のヒロイン、カブールに住む今18才のマリナ・ゴルバハーリから、1月に「今英語を教えていて幸せです」とメールが届いた、と。「アフガン・・」は4年前劇場で見て、何とも重い後味の覚え。(http://diary.jp.aol.com/mb/bbs/entertainment/

マリナは路上で物乞いしていた所、同監督にスカウトされた、という経緯も頭に残り、今でも「そこに生まれた、ただそれだけで」の、最もやるせなく哀しい瞳の少女ヒロインの一人、だったとは思うけれど、その暮らしの改善、消息が、思わず先日紙面で知れた、のだった。

「映画や教育がアフガンを少しずつ変えていくと信じたい」と結ばれていたけれど、アフガニスタンでの不幸、は概して日本での不幸、とは足元から異質、先日「君のためなら千回でも」という作品も知ったのだったけれど、以前は興味も向かなかった、そういう舞台の作品を見る事によって、そういう異質さが、率直に言えば何らかのカタルシス、になったりもするのだけれど、なかなか子供含めて、当然のような日本の平和の有難さ、が実感は、出来ないものだと。ある意味、幸福への、心の麻痺、のようでも。

旦さんは、一昨年DVDで見た、イスラムの女性の自立の姿を描いたユニークなオムニバスのマフマルバフ脚本で夫人が監督の「私が女になった日」も扱ったようだった。(http://www.gaga.ne.jp/became_women/私が女になった日('00)

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