2009/1/7

ノー・ディレクション・ホーム(’05)  アメリカ

マーティン・スコセッシ監督のボブ・ディランのドキュメンタリー。スコセッシ作品は、劇場では2年前「ディパーテッド」、DVDでオムニバスの「ニューヨーク・ストーリー」('89)以来。姿は今村監督追悼番組でが最新。

同監督の上映中の「シャイン・ア・ライト」は、気にはなったけれどローリング・ストーンズで結構好みだった「悲しみのアンジー」演奏シーンはないようで、という事もあって見送り、でも昨年ディラン題材の「アイム・ノット・ゼア」は見に行ったけれど、このドキュメンタリーは未見だった、と。3時間半の長編でDVD2枚組み、1枚目PART1は見た。

本人、縁の人々のインタビュー+昔の本人、影響を受けたシンガー達の演奏、当時の街の様子等の映像。ディランは「天国への扉」「風に吹かれて」等、私にとっては耳に残る曲が何曲かある伝説のシンガー、で、人物自身はそう馴染みなく、「アイム・ノット・・」も生粋の伝記、でなく多面的各ファクターで斬った異色作、だったけれど、

この作品でも最初の方で、ミネソタ州の田舎町に生まれ、父が電気屋経営、等という以外は、家庭や家族についての紹介はなく、冒頭本人の言葉が「”自分の家”を見つけたかった」だったけれど、余り生身の、というよりやはり音楽通しての理想の探求者、放浪者、の印象。

音楽への馴染みは、10才の時引越し先にギターやラジオ、78回転のターンテーブルがあり、そこにあったレコードの「ドリフティン・トゥー・ファー・フロム・ザ・ショア」というカントリーを聞き、違う自分になれた気がした、と。

高校卒業後街を出て、ミネアポリス、NYのグリニッジ・ヴィレッジへと渡り歩き、影響を受けた様々なミュージシャンのモノクロ映像。ウディ・ガスリー、が最も強く影響を与えたシンガーのようで、折々登場、「アイム・ノット・・」の放浪者パートで、マーカス・カール・フランクリンが演じた黒人少年の名がウディ、だったのだった。

印象的だったのは、平らに置いた(多分)ギターの一種を弾きながらのジョン・ジェイコブ・ナイルズの浪々と響く歌声、折にギターを叩くようなストロークと同時に「パッ」と強く発しながら歌うオデッタ、という独特な黒人女性シンガー等、それと、一番耳に残ったのが、唯一知っていたジョーン・バエズ。

随分久方だけれど、改めて、神々しい、という感のした澄んだ力のある歌声、何だかディランの歌唱シーンよりも、インパクト残ったかもしれない。ディランは、彼女については、フォークそのもので、圧倒された、パートナーの予感がした、等とコメント。彼女とのジョイントや、本人のディランに関するコメントもあったけれど、密接ぶりが伺えた。

流れた中、馴染みの曲は「朝日のあたる家」と「風に吹かれて」。当時、社会不安の中、「アトミック・カフェ」でもあったような、学校等で、核攻撃に備え机の下に身を隠す訓練シーンとかもあったけれど、心を和ますような、穏やかな声の美しい曲が優勢、ハーモニカを下げたディランの粗い声、は当初業界に受け入れられず、

本人は政治的には無垢に見え、実は余りよく判っていなかったのでは、と苦笑する業界人のコメントもあったりしたけれど、本人の不屈のアピールもあって、NYの人の心を代弁するような、という無骨な歌が、プロテストソング、として巷に浸透、

当時グリニッジ・ヴィレッジは、芸術家の自由な表現の場ではあったけれど、共産主義者への逆風で、暴行シーンも見られたり、自分達は赤子のようなものだった、というコメントもあったけれど、最近見た同時代の「いちご白書」での学生達が、火炎瓶、石、こん棒、座り込み、等で社会の矛盾に立ち向かうしかなかったのに比べ、ヴィレッジのシンガー達には、一応音楽という人の心に訴える武器、があった、とも思った。

ディランはある時期その旗手の一人、だったのだろうけれど、「アイム・ノット・・」のロックスターパートだったと思うけれど、その時もあったように、商業的に見られた変容振りに、ライブで、客席から罵声が飛び交い、それをいなしながら演奏、というシーンも。

当時20才頃の飄々としたディランは、「アイム・ノット・・」の6人の中では、ほとんど抽象的なファクターでの人物、という事もあるけれど、やはり、髪型とか風貌的にも、ロックスターパートのケイト・ブランシェットのイメージが一番近かった。PART1は、’65年「ニューポート・フォーク・フェスティバル」の映像までだった。


1/8追記:DVD2枚目のPART2も、そう年代が進む訳でなく「ニューポート・・」の映像も折に出て、その前後の頃の回顧。’63年のワシントン行進、多くの民衆の前で歌ったディランとジョーン・バエズ、そこでのキング牧師の「I have a dream.・・」の演説をすぐ近くで聞き、今でも影響を受けている、というくだりも。ベトナム戦争や、ケネディ大統領暗殺、逮捕されたオズワルドが撃たれた瞬間、等、当時のニュース映像も。

やはりアコースティックギターをエレキに、フォークからロックへ、という変動ぶりが起こした、反感、ブーイング。観客のみでなく、ピート・シーガーがディランのポップな歌を聞いてコンサートで斧でケーブルを切ろうとしたり、等、敬愛するミュージシャンからの攻撃までも受け、ナイフで刺されたかのようだった、というコメントもあったけれど、基本的に周囲は余り気にしない姿勢、

スタジオでの演奏時にも、日によって拍子を変えたり、と周囲が戸惑う変化ぶりや、「Don't Look Back」('67)というディランの映画を撮ったD.A.ペネべイカーが、状況に応じた変容、と指摘していた自在な適応の才、というのも伺え、

自分が「時代の代弁者」「何がしらの良心」等、社会派、とされることへの不服、見方によれば、やや照れ臭さ、の混じったかのような不本意さ、の感情は、現代の語りや、過去の、質問に苦笑シーンも少なくない、斜に構えたような記者会見、での随所に見受けられ、

ジョーン・バエズが、ディランは座り込み等、抗議運動の類には決して姿を見せず、社会的弱者の気持ちを理解していないと、あんな曲は書けないけれど、彼は、その中心的存在にはなりたくなかった、と、説明、

でも、とても複雑な人で、彼を理解しようとしたけれど諦めた、等とも語り、最も密接なシンガー仲間でさえ、そう言う、捕え所のなさ、も伝説の所以、かもしれないけれど、自らプロテストシンガー、と認め、それも確かにある真摯な一面であっても、そのファクターだけに留まらない、多面性を持ち合わせ、音楽面でも活動でも、レッテルに縛られず自由を求めたい、という意識が強かったシンガー、という感触も、「アイム・ノット・・」と合わせて改めて。

バエズが、彼の歌は、ドアも壁もなく、彼を信望する人達には、心の奥底にあるものに直接訴えてくる、と。それはやはりあるファン層にとって、理屈抜きにそういうものなのだろうし、私にはやや時代も機会もずれた、感だけれど、抑えた照明の場所、黒のジャケット姿で淡々と語る67才の現代の風貌、初めてじっくり本人を見たけれど、余りカリスマ感、というより変動する時代の中自分を泳がせてきたシャープな感性、という印象だった。

ラストは、ライブ映像〜エンドロールにかけて「Like a Rolling Stone」上から11、12番目「風に吹かれて」「Like a・・」の歌詞・訳詞)、ヒットチャート表で、1位がビートルズ「Help」、2位がこの曲、というシーンもあったけれど、タイトルからして、この作品でのディランというシンガーの象徴、という感もした1曲だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%http://www.imageforum.co.jp/dylan/http://www.bounce.com/news/daily.php/10027/ETV特集 今村昌平に捧ぐニューヨーク・ストーリー(’89)ディパーテッドアイム・ノット・ゼア

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