「いじめ問題を斬る」というのは勝手に私がつけただけだが、御本人は、そんな大げさなもんじゃなくて好き勝手な個人的見解を書き連ねてみただけだよ、なんて言いそうだ。
12/6の読売新聞朝刊に、私が勝手に敬愛している池田清彦氏によるいじめ問題に対する論評が掲載されていたが、
「おっ」と思いつつもなんだか忙しくて(多分それまでのんびりしていたせいだが)、ゆっくり読む暇がをなかったことを、ふいに思い出した。
日付けがわからなかったのでまずブログ検索で6日の朝刊だったと確認してから(意外と池田ファンが多いのにも安心した)、慌てて古新聞の山を引っ掻き回してちゃんと読み直した。
「みんな仲良くしましょう」と言うが、それ自体が単一の価値観の強要であり、いじめを生む大きな土壌として存在している。教師にすべての責任を押し付けていては、いじめを放置したという廉(かど)で処分された教師が自殺するという事件だって起きかねない、というような論旨であった。
真にもってその通りで、世の中には、どうにも反りが合わなくて、無理に付き合うよりも距離を置いたほうがいい相手だっているし、もっと言えば根っから意地悪が好きな奴だっているわけだから、程度の差こそあれ、いじめの芽というのは常にどこかにあって、それがエスカレートしないように絶えず留意するしかない、くらいの認識で臨まないとだめなんじゃないか。もちろん、そうでない場だってもたくさんあるわけだからあまりギスギスしないプラス志向が大事だろうが。
「いくらいじめられても滅多に自殺しない政治家先生は、その秘訣を子供や教員に教えてやったら」という池田氏らしい皮肉で締めくくられていたが、政治の世界なんて生き馬の目を抜くようなところだろうから、そういうところの勝者たちにこの問題の解決策提起を期待するというのも無理があるかも。
あと、彼は触れていないけれど、マスコミの過熱報道ぶりというのも無視できない影響力があったと思う。いじめの存在自体はマスコミのせいではないにしても(人の痛みに無神経なバラエティ番組企画なんか見るとその点でも有罪と思うが)、自殺の頻発などは他の殺人事件なんかも含めてのほとんど嬉しそうなくらいにセンセーショナルな報道の傾向が引き金の一つになったと見ても見当違いとは言えまい。「死を選ぶくらいなら学校も何もかも放り出したほうがましだ」というメッセージを最初から報道と平行して発していたとはお世辞にも評価できないだろうね。
なんだか、いじめの話題に偏ってしまったが、池田清彦氏の著書は一般向けの生物学のものも社会論的なエッセイもなかなか視点が面白いものが多くてお勧めだ。「精神的に追い詰められるのなんて誰だって面白くないでしょ、そんなところに自分からはまり込んで行くなんて馬鹿らしいよ」、と思わせてくれるところもあるし。

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