日曜日、
すごい人にお会いでき、感激でした。
三岸美術館でのこと、尾西美術家連盟の
三輪清弘氏から館内の喫茶コーナーでコーヒーをと誘われ、ごいっしょさせていただいたところ、お隣の方を
「チャーチル会の大島さんです」と紹介されたのです。
チャーチル会・・・相当な方だろうなあと想像したり、以前チャーチル会入会を熱心に勧めてくださった方があったことを思い出したりしていましたが、名刺をいただいて
「ひょっとしたら?」と、思い当たるところがありました。
肩書きに
「オーシマ商事」とあるのです。そうです、やはりその
「ひょっと」でした。
「くつのオーシマ」創業者の大島正道氏・・・!
私の
娘の高校の仲間会の名前を
「オーシマ会」というんです。毎回一宮駅前のオーシマ前で集合するから「オーシマ会」・・・いやそんなことがすごいわけではありませんが、そういうことからなぜか親しみが湧いてしまうということはあるでしょう?
本当にすごいのは、地元経済界の著名人が、今は
猛烈に絵を描いていらっしゃるということ。それがはうれしいですね。なんか、
立派な方とつながりがあるという誇りみたいなものを感じるんです。
そしてこの偶然がもっとうれしかったのは、私の中学時代の恩師でもある
元木曽川町福祉協議会会長・故緒方和雄先生を、非常に尊敬しておられると言うことです。
大島さんがまだご自分で営業配達に歩いておられたころのこと、一宮市の学校におられた緒方先生から「大島さん」と呼び止められ、
「海軍精神」について話を聞かれたとのこと。
「一つ、戦闘準備」
「一つ、五分前」
「一つ、弁解弁明無用」
(文章として正確に憶えきれていないので、要点のみです)
私は中学校当時
「早朝補修」の遅刻常連者として、毎週土曜日、緒方先生から
「出席簿でバシッ!」の罰を受けていたので、「五分前」だけは聞いたおぼえがあるのですが、大島さんは三つの言葉をきちんと
座右の銘にして来られたようです。
ただし、先生を尊敬していたことでは私も同等・・・先生のその
人格を見込んで、懇願して木曽川町社会福祉協議会会長になっていただいたのだから。
緒方先生についての共通の思い出でが縁となって、私は大島氏の
アトリエを見せてもらうことになりました。
いやその広いこと、作品の数の多いこと・・・同じく絵を描くといったって、私なんぞはもう
何十分の一以下・・・チャーチル会でいっしょにやろうといわれて恐縮してしまいました。
短い時間ではありましたが、
初対面の記念にと、こんなすてきな絵をいただいてしまいました。いやはや恐縮です。

題名は
「めじろ」、右下の白い部分、照明器具が写ってしまいました。大島さん、すみません。

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