例年の私にとっての一大イベント「ダーバン国際映画祭」が先週の金曜から始まっている。Dの預け先を計画しながら(ありがとう、修子さん!)2週間に上映される130作近い映画からどれが優先させるかをスケジュールを睨みながらふるいにかける。本当にみたい映画を見送らなければならなかったり、これからさきダーバンの映画館にやってこなさそうなマイナー的な映画を優先順位があとでも入れたりと、随分慣れて来たもの この厳選の過程でストレスがたまり、これでは本末転倒と自分に言い聞かせる。
1週間経過した今日までにみた映画は3本。「
Countdown to Zero」、「
Sleeping Sickness (Schlafkrankheit)」「
Black Venus (Venus Noir)」。ダーバン映画祭でよく経験する、とても重いテーマのものばかり。
「Countdown to Zero」は核兵器を現在 世界のどの国が保持しているか、この保持しているという事実だけでどれだけ危険なことか、という有難いことに平和教育を徹底してくれた国に育った私にとって、人間はこの世界から核兵器を無くすべきという当たり前に思えることを 再度問いかけてくれる映画。作りが安っぽいのは最近流行のドキュメンタリー映画にありがちなこと。それでも衝撃的なイメージと 過去の有名な政治家たちのインタビューを綴あわせ、日常生活ではなかなか思い返さない でも今みなが頭に留めておかねばならないことを伝えてくれている。高校の修学旅行で行った長崎の平和記念館と被爆者との対話の時間を思い出し、日本こそがこの映画のメッセージを 世界中に飽きられるほど繰り返してでも 問いかけ続けないといけないのでは、と思ったのだった。
「Sleeping Sickeness」はドイツに妻と娘を残し、カメルーンでツェツェバエが媒介する感染症 アフリカ眠り病の治療と研究にやってきている情熱的な医師が アフリカの混沌の中に身をうずめてしまい、ついには家族だけでなく先進国のすべてから離れ、どこにも行き場をなくしてしまうというストーリー。同時にコンゴからの両親を持つフランス生まれの若い医師がこの医師を訪れ、自分のルーツでもある始めて訪れるアフリカのすべてに 大きなショックをうける。植民地支配をした国からやってきてその魅力に悪い意味で全てを捧げてしまった白人と、すっかりと西洋の人になっているアフリカ系ヨーロッパ人、この二人の明らかな対比と、アフリカの混沌、同時にアフリカをなかなか離れられなくさせる沢山の誰にも説明出来ない何か。確かに映画は物事を誇張する。そうは思っていても、人ごととは思えない分 帰りの車の中でAも私も無言にならざらるを得なかった。
そして「Black Venus」。まだまだ知るべき歴史が世界にはたくさん存在するのを思い知らされた、3時間近いパワフルな映画。1810年にケープタウンからイギリスに 西洋の女性とは違う体系を見せ物にするために連れて行かれたコイコイ人女性SAARTJIE (SARAH) BAARTMANのヨーロッパに渡ってから病気でなくなるまでの数年が描かれている。南アフリカから植民地支配の国、イギリスとフランスへ。(この人々にとって)プリミティブなものを見ようとやってくる文明の国の人たちこそが、驚くほどに人間の原始的な毒々しさを持っているのがスクリーンに映し出される。事実、彼女の身体は西洋においての その特別さからパリで解剖され性器と脳はホルマリン付けで1914年(!)まで 博物館で一般の人々の目の前に置かれていた。そして1994年にネルソン・マンデラがフランスと交渉を始め、2002年にようやく彼女の骨や身体は南アに戻り故郷に埋められる。「人種差別」と「植民地支配」が作った歴史の一部分。画面に繰り返す 人々の奇妙で気違いじみた興奮とほとんど台詞がない主人公の悲しい瞳が3時間を埋め尽くす、しっかりとした作りの映画だった。