糖尿病で壊疽ができた友人がいました。
市民病院に診察に行った日、レントゲンには左足の小指の付け根(第2関節?)が写っていませんでした。壊疽で腐って骨が欠損していたそうです。
「すぐに左足の膝から下を切除しましょう。」
「・・・・・」
「そうでないと、命にかかわります。」
整形科の5人の医者は口々に切除を勧めたそうです。
とりあえず、暫く待ってくれ、と頼み込み、炎症を抑えるために、抗生物質の投与を受けました。
「薬が効かなければ、切断するほかありません。」
医師の言葉が重くのしかかったことでしょう。
これは、彼の闘病日記です。
事実しか書きませんが、事実を伝える義務が私にはあると思っています。
◆◆◆
糖尿病の合併症である左足の壊疽回復記
1. 壊疽発症までの経緯
(1) 糖尿病の原因
子供の頃、交通事故にあった。幸いにして一命は取り留めた。しかし、その後遺症により中学・高校時代から次第に左半身に不具合を覚えるようになった。そして大学時代には糖尿病の兆しが現れた。今から思えば、おそらくは左半身の運動量の不足から低体温を招き、それが新陳代謝の不調となって糖尿病を招いたのであろう。薬剤師の卵であった大学時代、いつか自分でこの体を治してやろうと思っていた。
(2) 第1期・試作品完成まで
大学卒業後、薬剤師として薬局を経営するかたわら、クライアントや自分自身の糖尿病の改善の研究を始めた。いろいろと試してみたが、生活習慣病である糖尿病は薬で治ることはなかった。私は西洋医学の対症療法の限界を強く感じるようになり、薬以外の治療法を研究し自ら試した結果、遠赤外線の効能のすばらしさを確信するようになっていた。遠赤外線が体に良いことは明白だった。問題となるのは、いかにして常温で遠赤外線を大量放出させるかにあった。いろいろと試して見たが、なかなか思うような効果は得られなかった。世の中に遠赤外線に関する商品が出回るたびに私は検証を行ったが、私の望むものは私自身が開発するほかなかった。試行錯誤の末、人工セラミックスの第1期試作品を製作するのに10年近くを要することとなった。
(3) 糖尿病の悪化
第1期試作品は、高血圧治療や軽いアトピーなどには大きな効果を示すことがわかった。ひどいアトピーに悩まされていた妻も回復し、別人のようになったのである。私は有頂天になった。研究のための昼も夜もなくなり、生活はいよいよ乱れていった。けれども、正直に言えば、実は糖尿病にはさほどの効果はなかったのだ。大学卒業後、徐々に血糖値が上昇し、平成10年から16年にかけては、血糖値(ヘモグロビンA1c)が12%から13%の状態が続いていた。しかし、この間、第1期の試作品の効果は次々に報告された。このことは私を勇気付けた。遠赤外線は大量に出ているし、体によいのだ。問題はより多くの遠赤外線が出るようにすることだ。私はますます研究開発にのめり込み、徐々に糖尿病は進行して行った。ようやく、第2期の人工セラミックス(後に育生岩と命名したが、これには生命を育む岩という思いが込められている。なぜこのような名前なのかは、この記録を最後まで読めば理解していただけることと思う。)を完成したのは平成16年末のことだった。しかし、翌平成17年2月、とうとう糖尿病の合併症状である爛れが左足に現れた。もはや研究開発できる状態ではなかった。私はようやく自分自身が生命の危機に瀕していることを自覚したのである。私は絶望感にさいなまれた。もう研究はできない。私の生活は乱れ、それが更に糖尿病の悪化を招く。周囲の心配も耳に入らなかった。悪循環の繰り返しが更に私を苦しめた。
2. 闘病生活の記録
@ 市民病院における闘病の始まり
平成17年5月11日、個人病院では手に負えないことから、紹介状を受けて市民病院にて診察を受けることとなった。当たり前のことだが、糖尿病左足壊疽との診断を下された。レントゲンを見ると左足小指の壊疽部分の骨が写っていなかった。市民病院の整形外科の医師5名全員から、「一週間以内に左足を切断しなければ命がない。」との宣告を受けた。覚悟はしていたものの、これには私も驚いた。緊急措置として非常に強い炎症反応を鎮めるため抗生物質の投与を受けることとなった。ほぼ1週間の抗生物質の投与の後、強い炎症は治まった。抗生物質が奏功し、みるみる炎症反応が収まったことに医者は首をかしげた。「抗生物質が効いてよかった。もし効かなければ手遅れだった。」このとき、医者の一人が言ったこの言葉が私を勇気付け、人工セラミックスを使用する決意を固めるきっかけとなった。
A 遠赤外線治療を始めた理由
私も薬剤師の端くれである。抗生物質は罹患している部位に届かなければ効かない。医者は既に進行している壊疽の部位まで抗生物質が届くかどうか、疑っていたに違いない。それくらいは私も容易に想像がついた。ではなぜ医者の予想外の結果が出たのだろう。私は遠赤外線の出る人口セラミックスの風呂に入っている。だからこそ糖尿病の進行も遅く、通常の糖尿病患者よりも血行がよいのだ。血行が良い結果、抗生物質が左足の部位まで届き、奏功したに違いないと私は考えた。無論、これは私の遠赤外線研究者としての直感にすぎない。しかし、この直感は、私に最後の実験をしてみる勇気を与えてくれることとなった。
B 平成17年5月16日。
抗生物質を投与して1週間後。
一旦、壊疽の強い炎症は治まったものの、次に左足切断をするかしないかの選択に迫られることとなった。既に私の意志は固まっていた。左足切断はしない。薬剤も服用しない。食事療法も行わない。私の開発した人工セラミックス(第2期完成品)のみを使用して本格的に治療することを担当医師に伝えた。かなりの反論があった。私の意志が固いこと、なぜこのようなことをするかを説明するほかはなかった。最後は喧嘩のようなものだった。しかし、ともかく、こうして私の最後の人体実験が始まった。
C 遠赤外線療法の実際
遠赤外線もエネルギーである以上、温度が高いほど遠赤外線を大量に放出する。私は、人工セラミックスを入れた48℃から50℃の風呂に入ったり出たりを繰り返すこととした。1回の入浴時間は5分程度にし、一日平均延べ時間で1時間半から2時間、入浴するようにした。また、遠赤外線は極めて水に吸収されやすいことから、人工セラミックスを入れた水をなるべく温水で、なるべくたくさん飲むようにした。飲む量は大体1.5ℓから2ℓである。
一般に、正常な細胞は熱に強く、癌細胞などの異常な細胞は熱に弱いと言われている。そして、壊疽は体表に現れる。だとしたら、壊疽には特に効果があるのではないかと私は考えた。そこで、入浴のほかに、人工セラミックスを大量に入れた55℃のお湯で足湯を行うこととした。人工セラミックスを使用するとお湯がまろやかになり、45℃でも熱さを感じない。しかし、55℃のお湯では低温やけどを起こし、足はやけどではれ上がってしまった。それでも毎日足湯を継続すると、やけどは自然に治癒し、皮膚は次第に回復していった。やけどにさえ、遠赤外線は効果があるのだ。予想通りの結果に私は喜んだ。
D 平成17年5月25日
抗生物質の投与を拒否し、人工セラミックスによる遠赤外線治療に専念しておよそ1週間後。診断の結果、血液検査の数値の改善が見られた。担当医は、まずありえないことだと思うと前置きした上で、これなら左足切断をしなくても済むかもしれないと言った。
この一週間、病院では、包帯の交換と消毒のみを行っていただいていたが、人工セラミックスによる入浴、水飲み、足湯のみによる回復であることが、担当医には信じられない様子だった。そこで、医師達の前で足湯を実演して見せることとした。彼らは、まず、55℃の温度に熱がらないで足湯をしていることに驚いた。更にもっと驚いたのは、硬直しているはずの左足がお湯の中では動くことだった。この状態で私が歩いていること自体が信じられないと、彼らは口々に言ってくれた。
E 平成17年5月31日
レントゲン撮影の結果、壊疽により左足小指の間接部分が完全に欠損していることを再確認した。やはり担当医は、左足の切除を勧めたいのだと思う。
F 平成17年6月16日
人工セラミックスによる入浴、水飲み、足湯を続けておよそ1ヵ月後。
左足のむくみが引いてきていること。肌色が現れるようになったこと。こうした目に見えた回復があることから、担当医から、このまま行けば切断回避の可能性があると、再度告げられた。
G 平成17年6月末
人工セラミックスによる入浴、水飲み、足湯を続けておよそ40日後。
肌色の部分が増え、むくみも取れたため、もはや左足切断手術は必要ないとの担当医の診断を受けた。最悪でも左足小指切断で済むのではないかということであった。また、これまで週に一度の通院であったが、以後は2週間に一回で結構ですと告げられた。
H 平成17年7月5日
この日、担当医は興奮していた。レントゲン写真の結果、腐ってなくなっていたはずの骨が再生していることが確認されたのだ。左足のどす黒さは消え、肌色の部分もかなり見られるようになった。壊疽で腐っていた骨が再生したことに、担当医は驚き、私は喜んだ。
I 平成17年8月2日
壊疽は確実に回復に向かっているとの診断があった。このため、以後は月に1回の通院でよい旨を告げられた。
J 平成17年9月6日
壊疽により完全に欠損していた左足の小指の骨が、完全にくっついていること様子を、市民病院整形外科の医師全員で確認することとなった。レントゲンを見ると、確かに骨がくっついている。小指が動く様子に医師達は驚き、担当医は嬉しそうであった。
K 平成17年10月4日
左足の壊疽は完全に治癒したことを告げられた。
「すごいものを作りましたね。」これが担当医のお褒めの言葉であった。
以後、月に一度、データを残すため通院した。担当医は闘病の当初から写真を撮影してくれていたのである。以後のデータとしては、平成17年11月8日、平成18年3月14日、同5月10日の写真データがある。経過は順調であり、平成18年7月27日、レントゲン写真において、骨が完全にくっついていることを再確認して通院を終了することとした。
3. 最後に
私は壊疽との戦いに勝ったのである。
担当医と家族、同僚の協力がなければこの戦いは最初からできなかった。殊に、市民病院の担当医であるI氏には深く感謝している。私の無謀とも思える申出を許してくださり、見放すどころか、強く支えていただいた。
遠赤外線は万能ではない。けれども、本物は必ず役に立つ。
壊疽との闘いは終了したが、この闘病期間中も腎臓疾患のマーカーであるクレアチニンの値は下がらなかった。今度は腎臓疾患による手術が必要となった。病とは本当に厄介なものだ。しかし、薬の投与を受けず、食事療法すらしなくても、壊疽は確実に快方に向かい、欠損していた骨は接続し、血糖値も下がったのである。このことは多くの患者にとって朗報であろう。遠赤外線は確かに体によい効果をもたらすのだ。私は、もはや体と経済力は限界に達している。しかし、後続の研究者がきっと現れると信じている。
残念なことに、大量に遠赤外線を放出する製品はない。使用方法も一般には確立されておらず、イメージだけが先行している。大量に遠赤外線を放出する本物を、しかもきちんと使用しなければ、さほどの効果は期待できない。私はそのことを20年近くに亘って確かめてきた。にもかかわらず、派手な宣伝ばかりが目に付く。実際には微弱な遠赤外線を放出するに過ぎないのに、画期的な遠赤外線の効果を発揮するかのような広告が氾濫している。そんなことはありえないことだ。確かに遠赤外線はあらゆる物質から放出されてはいる。が、実際に有効利用できる量の遠赤外線を得るのは至難の業である。遠赤外線が広く認知されるのはよいことである。しかし、この現状を放置すれば、やがて遠赤外線の効能それ自体が嘘ときめつけられてしまうだろう。となれば、西洋医学が中心である医療現場において、遠赤外線が有効利用されることは望むべくもない。薬剤を使用せずに、つまり副作用を恐れずに医療に活用できる遠赤外線は、一人の人生を賭けて取り組むにふさわしいほどに、すばらしいものであった。このような遠赤外線が、一時のブームで葬り去られ、人々の役に立つ前に忘れ去られてしまう状況を、私は非常に残念に思う。
幸いなことと言うべきか、私達夫婦は子供に恵まれなかった。だから、ジェンナーのように嫌がる子供を押さえつけて人体実験することはできなかった。かわりに、自分の体で人体実験を行った。その事実と結果は間違いない。私のこの命がけの実験が、広く人々の健康のために活かされることを望んでやまない。
平成18年11月
人工セラミックス 研究開発者 H.O
糖尿病・壊疽闘病記は以上で終わっているが、闘病時の写真などもどこかで公開したいと思う。
私の手元には次のデータがある。
1.糖尿病壊疽の診察時の写真
2.血液検査データ
3.レントゲン写真
このブログでは写真は投稿できないようだから、どこか他の場所で、いつか公開したいと思っている。

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