昨年9月に稽古内容の見直しについてコメントしたが、最重要な見直し課目は推手であった。
私が太氣拳に取り組むきっかけとなった岩間先生のもとでの稽古では推手は行われていなかった。
岩間先生は推手ができるし、実際に手が触れた瞬間の変化は絶妙で、あっという間に体勢を崩されてしまうという経験は何回もしている。
しかし、推手そのものの訓練は行われておらず、岩間先生の、あの腕と腕とが接触した時の瞬時の変化はどのようにして養成されたのか、その当時は全く明らかでなかった。
当時、元々は他の先生のもとで太氣拳を学んで、その後、岩間先生の門下生となった木村さん(現・宏道会代表)やドイツから来られていたバウへさんから、稽古の終わった後に推手の手ほどきを受けた程度で、推手自体の本格的な訓練は経験できなかった。
つまり、私は推手というものを全く知らなかったのである。
その後、福岡に戻り、稽古を続けていたが、成道会発足以前の有志達との稽古の中で推手を研究し始めた。
他の中国拳法の経験のある門下生より練習方法を提案してもらったりして、手探りで推手の練習を続けていたところ、それなりに推手による攻防ができるようにはなっていた。
その後、今から10年前の平成16年8月にヨーロッパからカレンバッハ先生が来日され、太氣拳一門による合同稽古が東京代々木の明治神宮で開催され、その時にはじめて佐藤聖二先生にお会いして、加藤徹先生より「聖二さんと推手をやってみな。全然違うから」と、ご紹介を得て推手をさせていただいた。
結果は完全に一方的な内容で、私はまるで操り人形のように崩されるや、回されるや、立ち木に打ち飛ばされるやで、自分でもどのように崩されたのか全くわからないほどで、レベルが違うなどといった問題ではなく、本質的なものが全く違っていた。
その違いは後に佐藤先生のご指導を仰ぐになってから少しずつわかってきて、そのあたりが、現在の推手の見直しにもつながっている。
その際、佐藤先生から推手に関するアドバイスをいくつかいただいており、成道会内部の推手に反映させようとしたが、思うように行かず、それまでの推手とそれほど変わらない状態での稽古を続けていた。
当時の推手を振り返ると、軽く手を触れ合わせた状態で相手を崩そうと躍起になっていたが、その崩しが組み手で発揮されることはなく、私の中では組み手と推手が分離しており、このような推手をやり続けることに意味があるのか、と本心では疑問を持ち続けていた。
元々、その当時の推手もあまり上手いとは言えず、推手そのものがストレスになっていた部分もあったが、それでも稽古体系の中から外さずにいた。
平成22年より佐藤先生のご指導を受けるようになって、福岡や神戸の拳学研究会の方々とも推手をさせていただくようになってわかったのだが、接触した腕の重さ、硬さが全く違い、打輪と呼ばれる腕をあわせた状態でゆっくり回す訓練で、数回も回しているうちに、重心が踵側に持っていかれて不安定な状態にされてしまい、次の瞬間には考える間もなく体勢を崩されてしまう。
最初に腕と腕とが接触した時点でのこの状態が根本的に違っていた。
それまでは太極拳などで行われているように、軽く腕を触れ合わせて相手の力を感じ取って、それを利用して、相手の体勢を崩しにかかるというものであった。
相手の構えにぶつかる、構えを壊す、つぶす、という発想は全くなかった。
当然、構えを壊されようとしている、つぶされようとしていることに対して備えるという発想もなかった。
それが、接触した時点で異様な圧力がこちらの中心に向かってきて、対応しなければ、それだけで、その場に立っていられないような感じで、それが、剣術の世界で言う「つば競り合い」のような状態、それを前提とした推手打輪が行われていた。
それまで、意拳のビデオを参考にして推手を研究していたつもりであったが、その動きは見ただけでは分からない、実際に触れてみて初めて分かる「百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず」の世界そのものであった。
私の経験上、意拳の推手などを映像で確認することはできるが、それを映像だけで学ぶ、盗むということは絶対に不可能で、仮に同じような動きができたとしても、できたつもりでも、その中身は全く異なると考えたほうがいいと思う。
それまでの私がそうであったのだから。
実際に上級者の手に触れてみて、自身の身体で認識して、その上で推手訓練を繰り返すことで、実際の攻防に生かされる、武術として、生きた推手としての諸々が養成される重要な訓練法となるものと考える。
次回、成道会としての具体的な推手の目標、目的や意義などに入って行きたい。
現在、推手アレルギーに陥っているかも知れない門下生は、稽古の時だけでは伝えきれないメッセージとして受け取ってもらいたいと思う。
太氣拳成道会
http://www.joudou.jp/

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