昨年12月に発売された「月刊秘伝1月号」に「生涯一武術家・岩間統正の拳」という題名で岩間統正先生の特集が組まれ、門下生として私の寄稿文が掲載されました。
編集上、誌面の都合により省略された部分がありましたが、月刊秘伝編集部の許可を得て、原文をブログ上で公開することになりました。
誌面では掲載されなかったエピソード等もありますので、興味のある方はご覧下さい。
「月刊秘伝2015・1月号・生涯一武術家 岩間統正の拳 我らが師 岩間統正」原文@
私と岩間先生との出会いは、25年くらい前になります。
その当時、私は大道塾の寮生として格闘技に邁進しておりました。
その年の春に行われた89,北斗旗空手道選手権体力別選手権大会・中量級の準決勝で、シュートボクシングの全日本チャンピオンであった阿部健一選手に判定負けを喫して以来、伸び悩みを感じていました。
大会と同時に九州本部から総本部へ移動となって、大道塾のトップレベルがひしめく総本部の稽古の中で、これまでの練習だけでは越えがたい何かを感じていました。
その年のお盆休み、鹿児島に帰省した際、大道塾に入る少し前にお世話になっていた坪山久郎さん・太氣拳五段練士にお会いして「東京にいるのであれば、是非、この人に会っておけ」と紹介されたのが岩間先生でした。
坪山さんを通じて太氣拳の手ほどきを数ヶ月ですが受けたことがあり、太氣拳の存在は知っていましたが、当初、そこまで深く関わることになろうとは思ってもいませんでした。
東京に戻ってからすぐに岩間先生に連絡してお会いさせていただくことになったのですが、先生のご自宅でお茶を飲みながら、私の武道歴や大道塾などについて「型はできるのか?」「確か、面をつけてやるところだよね」等と聞かれたことを覚えています。
「私は少林流を学んで・・・澤井先生と出会い、太氣を・・・」と先生がご自身のことをある程度お話しされたところで、「まぁ、話してばかりいてもわからないだろうから、軽くやってみようか」「庭に出てみて」と、先生宅の庭で普段着のままで組み手をやることになりました。
突然のことで、しかし、断るわけにもいかず、軽くとは言われても初対面でこのような状況で軽くなる筈もなく、通常の組み手と何ら変わることなくパンチや蹴りを繰り出していきました。
記憶に残っているのは、それまで私の経験したどのような相手とも違う、独特の動き、間の感覚で、パンチで捕らえようとするとスルスルと外される様な感じ、かと思うと、スーッと間合いに入られて胸元やボディにチョン!という感じで拳を当てられていました。
組み手が終わった後で聞いたのですが、「顔面に当てたら、鼻血やら出て凄惨な感じになって嫌だから」とコントロールされていたようです。
一度だけ、首相撲の体勢にもなったのですが、蹴り足を上げると同時に軸足を刈り倒され、このような対策も研究されていることが伺われました。
今でもよく覚えているのですが、通常の格闘技とは異なる動き、感覚で、人間とは異なる人間の姿をした猫のような動物と組み手をやったような印象でした。
これは当時の私にとっては大きなカルチャーショックで、その後、太氣拳にのめりこんでいくきっかけとなりました。私が22歳の頃です。
当時、岩間先生は現在の私と同じ、40歳代後半であったと思います。
見た目、筋骨隆々としているわけでもなく、道を歩いていても普通のサラリーマン(?)の様な感じで、特別、強そうにも見えない。しかし、動き始めると動物の如くで、他に真似の出来ない動きを示される・・・。
すっかり先生の動きに魅了され、又、当時、私の格闘技自体がスランプ状態であったことも手伝って、それから、休日のたびに先生の元を訪れ、太氣拳の指導を受けることになりました。
当初、先生は門下生をとられていませんでしたが、その後に私と大道塾の同期の寮生であり、89,北斗旗軽重量級優勝者である野口健さん、その野口さんの紹介で現在、宏道会代表の木村重夫さんも稽古に来られる様になりました。
左から私、岩間先生、野口さん、木村さん
自然門の謝炳鑑先生とも岩間先生を通じて、一度、お会いしたことがあります。
その時に見せていただいた謝先生の動きにも驚愕しましたが、岩間先生は謝先生との交流を通じて自然門の長所も積極的に研究して取り入れようとされており、自然門独特の身法や倭人歩などは、よく稽古していたことを覚えています。
この頃、現在、二道会代表の竹田二男さん・五段練士、加藤徹さん・五段練士にもよく稽古をつけていただきました。
(続く)
月刊秘伝
http://webhiden.jp/magazine/2014/12/20151.php
太氣拳成道会
http://www.joudou.jp/

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