どの業種でも、長く取り組んでいるとその業界内のみで通用する専門用語が登場してくる。
太氣拳にも独特の太氣拳用語みたいなものがある。
「氣が出る」「氣がこもる」「手が利いてくる」「手が重くなる」等々・・・。
今回は、その用語を考えてみたい。
「手が利いてくる」
練りの中にある、差し手、迎え手、払い手などが実用の段階に入り、組み手の中で相手の攻撃に対して、無意識に手が動いて防御の役割を果たしている状態と考えられる。
それは、目でとらえて反応するといったものとは少し異なる。岩間先生は実技の中で、実に自然に手が動いて相手のパンチを制していた。
その感じが、通常の反応と云ったものとは少し異なっていたように憶えている。
「手が重くなる」
長年、立禅を組み続けていると、外見上は同じでも、その手に触れると大変な重さを感じさせられる。
その手を簡単に払いのけることができない。
岩間先生の手は実に重かった。
佐藤聖二先生の手の重さも尋常なものではなく、拳学研究会の上級者の方々も同様で、推手では、まるでブロンズ像と手を合わせている様な感覚である。
立禅によって、肩関節のインナーマッスルが機能して、上腕をある位置で強固に安定させているものと思われる。
さらに、肩関節と股関節がつながり、押しても引いても、その体勢が崩れにくくなっているものと考えられる。
これは、大筋肉の作用によるものではないが、単純にインナーマッスルの機能のみとも言えないのではないかと最近は考えている。
「氣が出る」「氣がこもる」
具体的にこの言葉の意味を説明することはできない。
しかし、氣は身体の中にあり、それは、目には見えないものであるけれど、その作用は間違いなく存在する。
その解釈を間違えないように取り組んでいきたい。
決して神秘的なものでも、超然的なものでもないと考える。
同じ人間でも、動きが全く変わることがある。
澤井先生をして「岩間は氣が出た」と言わせしめた岩間先生の動きの変化。
澤井先生は常々、池の中の鯉に例えていたと言われる。
「池の中に鯉が何匹も泳いでいる。そこに小石を投げいれると、鯉がいっせいに動くが隣の鯉とはぶつからない。その後は、何事もなかったように普通に泳ぐ。これが氣である」
他にも太氣拳用語はあった様な気はするが、門下生各位には、よくよく吟味して取り組んで頂きたいと思う。
太氣拳成道会
http://www.joudou.jp/

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