2009/10/20

結婚記念日、、、なのに  

なるべくそのとき感じたままを残したいと思いながら、
何からどう書いていいのかわからず時間が経ってしまいました。

10月11日に義姉が帰らぬ人となりました。

亡くなる3日前まで普通におしゃべりしていた義姉さん。
病院で3時のおやつに出されたお菓子をぜんぜん食べられず
のんにあげては、マドレーヌやクッキーをほおばるのんの姿を
見てニコニコしていた・・・

のんが風邪ぎみで咳をしていたら、
「キネって知ってる?痰が上がってくるように胸をマッサージしてくれる
ところがあるのよ。連れて行くといいかもしれないわ」
とのんの心配をしてくれた義姉さん。

うちの庭でブランコに乗っている話をしたら
「そういえばうちの近所で、もう使わないから子供用ブランコを捨てたい
って言う人がいたの。それ、もらうことにしたからそしたらうちでも
遊べるわよ。また遊びに来てね」って言ってた義姉さん。

のんを心からかわいがってくれる人が一人減ってしまいました。

昔の写真をあれこれ引っ張り出してみたら、
Livre d’Or(結婚式の時に参列者に記入してもらうノート)
が出てきました。今日10月20日はパパとママンの結婚記念日。
最初のページは義姉さんの字でした。
「おめでとう。あなたたちふたりを誇りに思うわ。しあわせにね。
姪っ子ができるといいなぁ」
わたしたちにたくさんのしあわせを祈ってくれたあなたがこんなに早く
いなくなってしまうなんて・・・

結婚から5年後にようやくのんが生まれてそれから3年たって
ようやく日本からここに来て、そしてまた人見知りのはげしかった
のんが1年経ってようやく
フランス語や親戚の顔を覚えておしゃまに受け答えするようになってきて、
これからやっと一緒にいろんなことができると思っていたのに・・・
なぁんて、こんな悲しみ方は勝手すぎるかな・・・


あなたのために、できたのにしなかったたくさんのこと、ごめんなさい。
乳がんの手術をしたときから、また去年の今頃転移の可能性を
聞いたときから、完治は難しいのだろうと思いながらも、来年も
再来年もまだまだある気でいたのです。私はなんて能天気
だったんでしょうか。
でもそれくらい、あなたはいつもはつらつと、笑顔でした。
看病する間も与えませんでしたね。
まだ体調がよかった頃、
「彼はもっと休めっていうけど、できるだけ家族や友達と過ごしたいの。
Je vuex vivre. Je vuex bien vivre.(生きたいの。よく生きたいのよ。)」
と精力的に出歩いたり、親戚・友人を集めて食事会を催した義姉さん。
私も“こんなことよりもっとゆっくりすればいいのに”と思うことが
実は時々ありました。
でもゆっくり休んでもよくなると限らない、限られた時間なら
好きな人たちと過ごそうってきっと決意していたんですね。

痛いとか、苦しいとかいう言葉を、とうとう最後まで聞きませんでした。
だから余計に、あなたが本当にいなくなるなんて考えられませんでした。
呑気な義妹を許してください。
たくさんの親族と友人が、あなたの葬儀に集まりました。
鼻筋の通った小さな顔は、マリア像のようでした。
みんなあなたが大好きでした。そしてみんなあなたを頼りにしてました。
これからは私たち家族が、あなたの愛した人たちの力になれるよう、
力を貸して下さい。
いつか私たちがあなたのそばにいく日まで、さようなら。
今まで本当にありがとう。

0




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ