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略歴

1980年、静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。専門は芭蕉の発句表現。2002年、俳句結社「鷹」に入会、藤田湘子に師事。 2004年、第19回俳句研究賞受賞。2008年、『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第一句集『未踏』(ふらんす堂)により第一回田中裕明賞受賞。2016年、第二句集『寒林』(同)刊行。2017年度、Eテレ「NHK俳句」選者。2018年、浜松市教育文化奨励賞「浜松市ゆかりの芸術家」を受賞。現在、「鷹」編集長。読売新聞夕刊「KODOMO俳句」選者。全国高等学校俳句選手権大会(俳句甲子園)選者。

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投稿者:katsuhiro
ぼんぼんさま

そうですね、確かに、人を生かしていく力を俳句は持っているのでしょうね。私も俳句にずいぶん助けられたように思います。

俳句でしか成し得ないことがある。これは石田波郷がよく言っていたことですが、それが何であるのか、じっくり考えていきたいですね。
投稿者:ぼんぼん
おはようございます。

確かにこれは大切な問題ですね。自分で書いておきながら、言われてやっと気づきました。

「俳句では何も訴えられない」からといって、「俳句に何も力がない」というのとは違うと思います。

私の見える俳人でいうと、正木浩一は「存在の揺れ」を表現しています。これは『罪と罰』でドストエフスキーが表現したものと同質・・・と私は思います。

また、上田五千石においては、精神の病から抜け出し、自己と向き合うという仕事を成し遂げています。

これらを成し遂げたのは、5・7・5という文体であるからなのに、それ故、言いたいことをすべて言えません。

俳句は社会的メッセージを織り込むには不向きな文芸であるかもしれませんが、角度の違った形で人を生かしてゆく力のある文芸であるとは言えるのではないでしょうか?

拙い意見で申し訳ありません。

今のところ私に言えるのはこの程度なのです。高柳さんは真剣にこの問題について考えてこられたのですね。

またご意見お聞かせください。

ではまた。
投稿者:katsuhiro
ぼんぼんさま

「俳句では何も訴えられない」、それはその通りでしょうね。メッセージ性のある俳句も、もちろんありますが。矛盾しているようですが、「表現とは何かを訴えるものである」という命題自体の捉えなおしが、俳句の「訴えるもの」なのでしょう。

とても大事な問題と思います。またお考えを聞かせてください。
投稿者:ぼんぼん
こんにちは。

『凛然たる青春』・・・若い俳人の句がきらめくようで、高柳さんはこんな句と共に青春を過ごされたのだなあとうらやましく思いました。

もうすでに青春を卒業した私でさえ、憧れを抑えきれませんでした。この本を書いてくださって本当にありがとうございます。

最後の章に置かれている田中裕明という俳人は高柳さんにとって特別な存在なんでしょうね。

私も『田中裕明全句集』読んでみました。この人は何てまぶしい句を詠むんでしょうか。

・・・とこのように俳句においては楽しい日々を過ごしていますが、友人に「俳句では何も訴えられない」と言われまして、反論が出来ませんでした。

俳句とはそういうものなんでしょうか?

ではまた。
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