僕が京都にやってきたのは1994年3月末。
当時、僕は倉敷で中学生の頃からの相方である かずおや他の友達と「MARU・Cheese」と言うバンドを組んでいてバンド活動に関してはコレで満足していた。
と言うのも「MARU・Cheese」自体がこの月倉敷音楽祭に出演し、やっと本格的に活動を開始できた頃だったからだ。
だから大学に入学した頃は特別に友達を作る気も無く、4年間大学生活を送ったら倉敷に帰るつもりでいた。
それでもやはりバンドマンの性と言うか何と言うか、何となく大学の「音楽同好会」と言うサークルに入部してみることにした。
しかし、そこは僕がのほほんと過ごすことが出来るような感じでは無かった。
入部から3日後、「やっぱり辞めます。」と言って、そのサークルを抜けた。94年4月のことである。
(大体、3日間しかいなかったので入部すらしたことになってないと思うけど…。)
それぐらい「MARU・Cheese」に満足していたのかも知れない。
ところが、6月。その「音楽同好会」さんからお声が掛かった。
「フォークギターの弾き語りライヴ、出てみない?」
(当時はまだ「アコースティックギター」なんて洒落た言い方を僕の周りでは誰も言ってなかった気がする。/笑)
まぁ、1回ぐらいいいや。そう思って僕は「フォークギターの弾き語りライヴ」に参加した。
その時、ギターを持って大学内を歩いている姿をT-MANの友人かずやちゃんや殿下が見ていたらしい。
(ちなみにT-MANは中学高校の同級生。僕は浪人したので彼は1年早く大学に入っていた。当時唯一の友達。)
かずやちゃんや殿下が入っていたサークルが「音楽友の会(旧:エレファントコネクション)」であった。
T-MAN伝いにサークルに入らないかと二人からお誘いが掛かった。
ちょうどその頃、英語や体育の授業を共に受けていた(一応?)クラスメイトのbony(当時コニタン)が、
「ドラム叩きたいし、一緒にバンドやろうよ。」と僕に声を掛けてきていた頃だった。
僕自身、そんなに忙しくも無かったし、京都でもバンドが出来るなら良いかな。などと思い始めていたので、bonyと共に「音楽友の会」に入ることにした。
「音楽友の会」に入ることに決めてかずやちゃんや殿下に、bonyと共に先輩を紹介してもらったのが7月だった。
そこに現れたのがデック氏やアキフミH氏、健さん達だった。
この先輩達となら楽しく出来そう。そう思いながら大学は夏休みに突入していった。10代最後の夏だった。
ちなみにデック氏は初対面から下ネタ満載。(笑
未だに忘れられない話があるが、ネット上では掲載出来ません。あしからず。
「音楽友の会」が「音楽サークル 匠」になるのは95年4月。まだまだ先の話です。続きは今度。

0