3000円で誰でもタミフルがもらえる国  教育のはなし

 先週末にインフルエンザにかかってしまって、ずっと自宅に引きこもる生活をしている。
 さすがに38度台後半の熱が出たときにはしんどくて、2日間はうんうんうなされていたが、タミフルを処方してもらった翌日には熱も下がり、まだ咳と鼻水が残っているが、今晩には久しぶりに風呂に入って伸びきったヒゲの手入れをすることもできそうだ。
 さて、こうして治りつつあるのがタミフルのおかげかというと、タミフルには治りを1日早める効果があるだけであって、放っておいてももう1日寝込んでいれば同じ結果になるらしい。世界標準ではインフルエンザとは、高熱が続くと危険な患者さんにはタミフルが投与されるのだろうが、基本的に寝て治す病気なんだとか。
 つまり日本は、初診料・検査料も含めて、誰でも3000円を病院に払えば、1日治りが早くなって職場や学校に1日早く戻れる、そういう社会なのである。ポイントは「いつでも誰でもその日のうちに」ということで、アメリカではこうはいかないだろうし、イギリスでもNHS指定の病院に予約を入れても順番が回ってくることにはインフルエンザは治っているだろう。
 かつて、日本国民は自国の医療制度に不満を抱いていた。当時、日本の医療をめぐっては、医療ミスや権威的な医療のあり方が問題とされており、それが「自由化」「市場化」「サービスの向上」「情報公開」「患者の自己決定権」といった(経済的ネオリベラリズムと社会的リベラリズムとが融合された)方針での医療制度改革の呼び水となった。その結果、地域医療、産科・小児科、救急医療などの特定の分野における医療クライシスを引き起こすこととなったことは周知の事実である。
 国民が不満を抱いていた時期においても、日本の医療は「低い医療費」「優れた健康指標」「国民皆保険制度」という、世界的に見ても優れたパフォーマンスを示していた(池上直己・J.C.キャンベル1996『日本の医療』中公新書)。それでも医療制度改革が行われたその背後には、財政問題や社会全般における権威の崩壊などといった、医療とは異なる世界の論理があって、そちらに突き動かされる形で改革が進んだのである。
 戦後の日本政治は、学校に行けない子どもたちをなくそうとして、医者にかかれない村人をなくそうとして、猛烈に国土開発を進めてきた(そのシンボルが田中角栄の日本列島改造論であろう)。医療政策や教育政策は、それ単独で語ることはできず、この国における「平等とは何か」「公平とは何か」という政治倫理上の問題をきわめて具体的に表してきたし、これからもそうであろう。
 しかも、医療政策と教育政策との間には、共通点が少なくない。
(1)専門性を基にした独自の共同体が存在していること
(2)固有の人材養成システムを持っていること
(3)その専門性に基づく権威が時代の変化の中で揺れ動いていること
(4)その政策がすべての国民の利害と関心に薄く広く広く関係すること
(5)公共性・公平性の問題と関係が深いこと、それゆえに規範的な議論と親和的であること
(6)対人サービス業として、大きな現場を抱えていること
・・・などである。
 教育問題を考えるとき、医療問題について視野に入れ続けることが必要だと思うのは、こんなことを考えているからである。
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