私立高校に通うことの経済学的な考察  教育のはなし

 ノートの整理をしていたら、同志社大学経済学部の先生とお話ししたメモが出てきた。

 「私立高校に進学する」という行為は、「期待収益率」という概念では説明できない。
 高校を卒業して就職する、あるいは高校からさらに大学に進学してから就職する、ということであり、「どんな大学に進学したか」というパフォーマンスでしかない。
 「期待収益率」ではなく「コスト−ベネフィット」ではないか?

 「なぜわざわざ私立高校に通わせるのか?」ということについては、親のリスク・ヘッジではないか。「中卒では悲惨、せめて高校くらい」という親心だろう。

 公立高校に通う生徒の学力あるいは社会階層のレンジが狭く、私立高校がその下位に分布しているというのであれば、たしかに公立高校はセーフティ・ネットとしての機能を果たしていないといえるが、公立高校と私立高校とでレンジが重なっているのであれば、「していない」ということはできない。
 公立高校と私立高校とで重複している部分について、「なぜ同じところで私立高校を選択するのか?」という問いが成り立つ。これは学費だけでは説明できない問題である。
 つまり、「教育の質」「教育のアウトプットの評価」を、どう定義して、どう測定するか、ということになる。

 本人の期待ではなく、親の期待・希望が、どう子どもに影響するのだろうか。
 「無理してでも学校に通わせる親」と「無理しない親」という「親心の格差」が存在するならば、これは、経済力をはじめとした目に見えるものではない何かであろう。どうする?
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