西岡武夫氏に聞いた話  教育のはなし

 たまたま手にした雑誌に載っていた書評についてのメモ。

 取り上げた本は、教育財政について、政府と家計の負担割合がどのように決まったのか、ということがテーマなのだが、「どこが政治経済学やねん」と軽く突っ込んだ上で、政治学者が教育学者による政策過程分析を批判するポイントについて触れて、「本章では、議事録がそれほど用いられておらずもっぱら審議会答申と白書に依拠する。しかし、それらの文言がアクターの政策選好や政治過程をすべて説明できるわけではない。」とコメントする(青木栄一,2010,「書評:末富芳『教育費の政治経済学』」『教育学研究』77(4))。
 しかし、残念ながら、一部の教育行政研究者によって行われているような、議事録をリストアップして、そこから何かを浮かび上がらせる手法もまた、政治過程論という観点からすれば、不十分であるように映る。
 政治過程とは、権力過程と政策過程とを包括し、議題に上がるか上がらないか、それ自身が権力過程の結果である。そして、教育政策そのものが、他の政策領域との関連で動いているのだから、教育政策の中で自律的に物事が進んでいるように見える時点で、すでにステージは次の段階に入っているといえるのである。
 自分がやる気がないから、好きなことが言えるのだが、だから、議事録を追うことは、審議会答申を読むよりはマシだが、それだけでは不十分である。良質の政治ジャーナリズムが、すぐれた政治研究となるように、公式な場での議論の外にこそ何かがあるのだ。
 たとえば、人材確保法をつくるとき、田中角さんは小学校の先生だけのつもりだったが、西岡・森・藤波・三塚・河野あたりの面々で、なんとか中学校の先生も入れようと動いてしぶしぶ認めてもらったり、内閣委員会に出すと潰されるから後藤田氏の入れ知恵で文教委員会に回すためにまどろっこしい法律の名前にしたり、なんてことをして、成立させたらしい(これは西岡氏ご本人からうかがった話)。もちろん国会議事録には何らかの言及があるかもしれない。しかし、そこには、角栄首相に掛け合った文教族たちは登場しない。
 議事録は最近はデータベース化されているから、簡単にキーワード検索をかけることができる。しかし、その裏側にあるものは、そこからは見えてこない。
 政策過程研究を生業とする教育行政学者たちの中には、官僚へのインタビューをする人はいるけれども、キーパーソンとなった政治家へのインタビューをしている人は少ない。
 なんだか木を見て森を見ていないように見えて、もどかしい思いがするのである。

追記:
 西岡武夫先生には、2004年の秋、学校五日制の成立過程についてお話をうかがいたい、とダメ元でメールを書いたら、その日のうちにご本人から電話がかかってきて、2時間、長崎のカステラをいただきながら、いろいろなお話をうかがうという僥倖を得たことがあります。西日の差し込む議員会館で、このような話をわかる人が、文部科学省にも自民党にも民主党にもいなくなっているということを、どこか寂しそうに語ってくださいました。その後、復権して参院議長になるとは、もしかするとご本人も予想されていなかったのでは?
 ご冥福をお祈りいたします。
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