高校を卒業するということ。大学に進学するということ。  読書メモ(09.6〜)

 今は鳴りを潜めたが、「おバカタレント」が全盛だったことがあった。
 小学生でも答えられるような常識問題を、見事なまでに珍解答するのが、バラエティとして成り立つというのは、どういうことなのか、ずっと疑問であった。
 高校進学率は95%程度だし、卒業率も92%ほどで大きく変わってはいないはずで、彼彼女たちの大半は中卒ではないはずだ。
 義務教育ではない高校は「適格者主義」がタテマエなので、高校の課程を履修して(修得ではない点に注意)単位を取得しなければ、卒業できないはずである。つまり、今の高卒資格は、一定の学力水準を表していないということである。
 「高卒資格を取り消せ」とかいう話にならないのは、なぜなのだろう。

 高校に3年間、きちんと学費を納めて通いさえすれば卒業させてもらえる学校がある一方で、高校生でも世界中を転戦するスポーツ選手もまた、高校を卒業している。試合や練習を授業への出席を読み換えるなどして、工夫しているようである。高校の卒業証書とは、高校に毎日通ったことの証明ではなく、高校生という時期を体験したという証明なのだろうか。

 高校に進学し、高校を卒業するということは、どういうことか。高校とは、どのような教育機関なのか。「全入主義」ではなく、それでもなお「適格者主義」を標榜するというのであれば、それはなぜか。

・・・ということを考えていたとき、ちょうど手にした本が、ビンゴ。

尾木直樹・諸星裕『危機の大学論』角川oneテーマ21
 高校と大学の教育を根底から再編する必要性について。このままでは、優秀な高校教員を大学がスカウトしていく時代がやってくる。
 大学は、高校が2度に分けて体験した、大衆化と生徒減とを、同時に経験している点で、高校を教訓としつつ、高校の先を行くわけだ。
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